「働く」で社会を変える求人サイト「WORK for GOOD」

greenz people ロゴ

儲けを意識しなければ、大抵のことは実現できる。「サーフジャムフェスティバル」オーガナイザー迎忠男さんから学ぶ、好きなことを続ける生き方とは?

いすみの移住者の中で、もっとも謎が多い人。

その意味は、取材当日にお話を聞き始めて、すぐにわかりました。だって本当に、聞けば聞くほど、いろいろなことをやっていて、よくわからなかったから(笑) それなのに本人は「思うままに生きていたらこうなりました」とでもいうようなナチュラルさなのです。

その人の名前は迎忠男さん。千葉県いすみ市で、「サーフジャムフェスティバル」「フォレストジャム・グランデ」というふたつのフェス、月1回の「フォレストジャム」という音楽イベントを主催するオーガナイザーです。フォレストジャムに至っては、すでに73回も開催しており、途中お休みしたことはあったものの、今年(2018年)で10周年というから驚きます。

でも、これだけじゃありません。迎さんの現在の肩書きを並べるだけでも、その「謎」さは際立ちます。イベントオーガナイザー、屋台作家、ウェブデザイナー、システムエンジニア、ケータリング屋。細かいものや過去にやってきたことも含めたら、その経歴は、とても時系列では追えないほどめまぐるしいものです。

迎さんは、なぜこんなにいろいろなことを手がけているのでしょうか。迎さんの半生を辿りながら「好きなことをして生きる」とはどういうことかを考えてみたいと思います。

18年前にリモートワークを始める

迎忠男さん

迎さんが千葉県の外房エリアに移住してきたのは、今から18年前。もともとはアパレルの仕事がしたいと服飾の専門学校に通っていた迎さんは、最終的にはウェブ制作の仕事で起業します。

インターネットが普及して、みんながホームページをつくりましょうという感じになってきた頃でした。アパレルで起業しようと思うと資金がかなり必要だけど、ウェブの仕事なら、パソコンがあればできる。デザインの仕事は前からやっていたので、ウェブもできるかなと思いました。

そうしたら、これはどこに行ってもできる仕事だな、と。東京はごみごみしているし、当時はサーフィンもやっていたので、それなら海のある田舎に住みたいと考えました。

なんと18年前に、すでにリモートワークの可能性を感じていたわけです。鎌倉や熱海などを見て回り、いすみ市のお隣、一宮町を見にきたときに、たまたま理想の物件が見つかりました。海の目の前の大きな一軒家。家賃は6万円。迎さんはその家に即決し、移住することにしたのです。

シーンがないなら、シーンからつくる

迎さんが飼っているヤギの「八木」さん。7年前に近所の神社に捨てられていた捨てヤギ(!)だったそう。おとなしくて、ずっと迎さんのそばを離れません。八木さんの癒しショット満載のfacebookページはこちら→https://www.facebook.com/Yaginomori/

移住してからも、ベースとなる仕事はウェブデザインやSE。一方で友人と、ビーチライフを紹介したり、房総の物件を紹介する「太東ビーチドットコム」というウェブサイトを立ち上げました。

また「事務所が欲しい」と思った迎さんは、物件を借り、その屋根裏部分をDIYで事務所スペースに。残りの部屋をシェアルームとして貸し出しました。あまり入居者はいなかったそうですが(笑)、海が近いこともあり、夏の間だけは期間限定の借り手も現れました。

これだけでは終わりません。友人と音楽レーベルを立ち上げたこともありました。もともと交遊があったシアターブルックの佐藤タイジさんの別バンド「The SunPaulo」のCDを出版していたのです。音楽が好きで、東京にいたときからクラブやライブハウスに足を運び、イベントのオーガナイズや手伝いもしていました。

ライブが好きだったから、移住するときも、ビーチでフェスをやりたいなと思っていました。それも移住の理由のひとつでしたね。イベントは東京でもずっとやっていて、あまり儲からないのはわかっていたけど、やったら楽しいし、音楽イベントって遊びに来るお客さんに面白い人が多いので。

しかし、ウェブの仕事は大忙し。ほかにもいろいろなことをやっているため、なかなかイベントまでは手が回りません。初めてイベントを開催できたのは、移住してからじつに6年ほどが経った頃でした。

一宮の地引小屋がイベントで使えるよっていう話を聞いて、じゃあやろうかなと。それが2006年だったかな。そこで、最初のビーチパーティを、地引網体験付きでやりました。でもそんなにお客さんこなかった(笑)

それから「サーフジャム」をスタートさせました。海沿いのカフェなどで年に1〜2回ほどやってたんだけど、若いサーファーはいっぱいいても、あんまりお客さんにならなくて。

で、あまりにお客さんがこないので、これはシーンからつくらなきゃダメだと思って、毎月やろうと思ったんですよね。それが2008年です。海沿いのカフェバーとか、夏にはビーチで、規模は小さいけど毎月やり始めました。

その後、2008年7月に中滝の森にオープンした「Primrose(現チャナリーフ)」に出会いました。森でやるならサーフジャムじゃなくてフォレストジャムだなと思って、「サーフジャム」は一旦お休みして「フォレストジャム」にしました。

月1回の小さな音楽イベント「フォレストジャム」は、毎回ジャム系バンドを中心にさまざまなアーティストが出演し、キャンドルのデコレーションやVJなどもある、ゆるくも本格的な音楽イベントです。

ビーチでフェスをやるという夢を実現

チャナリーフは、いすみ市にある中滝アートビレッジの森の中にあります。お店の内装や外装も迎さんの手によるもの。フォレストジャムもここで開催しています

シーンがないから自分でつくるというのは、ゼロを1にするということ。けっして、簡単なことではないと思います。

うん。10年やって、定着してきたなと思えたのはつい最近です(笑) 別によそのまちだったらどうでもよかったと思うんだけど、せっかく住んでるわけだから。住んでるまちに、自分が遊べるところがほしいなと思ったりもして。

最初の2年間は有料だったんです。でも全然お客さん入らないから、投げ銭にしました。そうしたら、少しずつお客さんが増えていきました。

いすみの森の中にあるカレー屋さん「チャナリーフ」のオーナーで現在の奥様、ゆみさんとの結婚を機にいすみに移住してきた迎さん。「ビーチでフェスをやる」という夢も諦めたわけではありませんでした。

フォレストジャム

迎さんは、ビーチ、それもオンシーズンのビーチでの開催にこだわりました。海水浴にきて、そのまま音楽も楽しめてしまうような、誰もが気軽に参加できるフェスにしたかったからです。

しかし、ビーチを借りるのには、高いハードルがあります。オンシーズンは海水浴のお客さんもいるので、有料にするためには貸切にしないといけませんが、そうすると柵を設営したり、リストバンドなどをチェックするスタッフなども必要となるため、経費がかさみ、手間もかかります。行政や漁業組合など、必要な機関に足を運びましたが、なかなか事態は進展せず、交渉は何年にも及びました。

やっぱり、音楽イベントにはなかなか貸してくれないんですよね。音楽イベントって変なやつがくるっていうイメージがあったり、音を出すから苦情の問題もある。だから結局、海の家をやっている人の知り合いを紹介してもらってやらせてもらうっていう感じになりました。これは、今もそうですね。

ビーチを貸切にはできないため、入場料を取ることはできません。そこで、「サーフジャムフェスティバル」は必然的にフリーイベントとなりました。

会場は何度か変わっていますが、収益は主催者が販売するアルコールと飲食の売り上げ、約50店舗の出店者からの出店料で賄っています。2018年7月に2日間に渡って開催された「サーフジャムフェスティバル2018」は約3000人が来場。今回は赤字がそれほどでもなく、はじめて「フリーイベントとして続けられそうだな」と思ったそうです。

僕は、勝手に踊り出す一人目

サーフジャムフェスティバル2018(写真提供:迎さん)

イベントの会場設営や運営を手伝ってくれる仲間は大勢いますが、企画自体は迎さんがひとりでやっています。また、設営に参加してくれる仲間たちには、即戦力になる職人さんや農家さんなどがいて、ステージなどの設備も自前で揃えているため、いわゆる業者さんを使う必要がありません。そのため、それほどお金もかからず、フリーや投げ銭でもなんとかやれている、と話します。

しかし普通なら、何年も交渉し続け、許可がなかなか出ない段階で心が折れても良さそうなもの。「フォレストジャム」だって、お客さんがそこまでこなければ、嫌になってやめてしまってもおかしくありません。そこでなんやかんやと続けてしまっているのが、迎さんのすごいところです。そこまでして、なぜ続けているのでしょうか。

ただ、やりたいから勝手にやってるだけなんですけどね。あれじゃないですかね。フェスでひとりが変な踊りを始めたらみんなが踊り出すみたいな。あの一人目の感じだと思います。

やってて辛いのはお金ぐらいですね。やっぱり、ものすごい赤字のときは心が折れます(笑) でも全体としては面白いんですよね。雰囲気もいいし、出かけてないのに旅行に来たみたいな感じ。くる人もみんな面白い。住んでるまちだから、そこで知り合うと、将来に向かっていい付き合いもできる。お店(チャナリーフ)のお客さんにもなってくれるだろうし、そこから新しく、できることも生まれるだろうし。

イベントが地域の仲間の集う場に

喋る人、飲む人、踊る人。楽しみ方はさまざま!

先日、71回目の「フォレストジャム」に遊びに行ってきました。会場のチャナリーフはたくさんのお客さんで賑わい、周りの山に音がこだましています。地域とはきちんと話し合いをして、22時までに音止めする約束になっており、苦情はほとんどこないのだそう。

行ってみて思ったのは、フォレストジャムは、いわゆるパーティ系にありがちな、クローズドな空気感がまったくないということでした。ファミリー層のお客さんが多く、アットホームな雰囲気があるのです。

音楽はもちろんですが、ばったり会った仲間たちと楽しく話し込んでいる人も多く、ここは月に1度、近隣の仲間たちが集う、コミュニティスペース的な役割も果たしているのだと思いました。そしてなにより、音楽が日常的にある環境が、羨ましい。

僕、昔ツバキハウス(1987年まで新宿にあったディスコ)で働いていたんです。あそこがそういう感じだったんですよね。アパレルの人が多かったんですけど、同じような趣味を持った文化(服装学院)、モード(学園)、バンタン(デザイン研究所)の友だちがうわーってできて、それが楽しかった。そういう感じの場所をずっとつくりたかったんです。

投げ銭入れがあちこちに

実際のところ、迎さんに「地域のために」「みんなのために」という大仰な気持ちがあるわけではありません。迎さんは、自分が面白いと思うこと、やりたいと思うことをやっているだけ。けれども結果的にそれは、地域のつながりをつくり、みんなが集う場所を提供することになっているのです。

「フォレストジャム」は100回まではやろうと思ってます。そのあとは、ふわーとやめるかもしれないです。歳も歳だし、ひとりでやるっていうのはそのうち限界がきますよね。そろそろ老後のことも考えないといけないし(笑) でもそこで、跡取り的な、制作をやりたい人やPAをやりたい人が出てきたら、続けられるとは思ってますけどね。

50歳になっても、新しいことは始められる

内装かわいい

そして迎さんのもっとも新しい肩書きは「屋台作家」。きっかけはPrimrose(現チャナリーフ)の改装をして調子に乗っているとき(本人談)に、長生村にある農業生産法人「ファームキャンパス」から頼まれて蔵の改装を行ない、さらに東京・青山にあるCOMMUNE 246(現COMMUNE 2nd)に出店するためのキッチンカーの制作を依頼されたことでした。

COMMUNE 2ndのキッチンカー(写真提供:迎さん)

屋号は「THE CARTER TER 」。海のすぐ近くの自宅兼工房は、今後自分でリノベーションしていく予定(写真提供:迎さん)

キッチンカーをつくってみたら、これってなんか面白いなと思って。ファーマーズマーケットにも出店するから、それ用にも何か欲しいって言われて、じゃあ次は屋台をつくってみようと。屋台って家具っぽいし、小屋っぽいし、ちっちゃいからすぐできるのがよかった。

ちょうどその時期に、昔見たことがあった、バンクシーが監督の映画『EXIT THROUGH THE GIFTSHOP』をたまたま見直していたんです。それを見ていたら「アーティストって宣言すればいいのか」と思って、これは言ったもの勝ちだなと、屋台作家を名乗り始めました。

それが4年前のこと。オリジナル屋台制作をメインに、ポップアップスタンドやキッチンカー、家具・店舗什器・店舗装飾・看板・インテリアデザイン・柵・小屋などを手がけ、最近では都内を中心に、口コミで制作の依頼がくるようになりました。

いちいちかわいい迎さんの屋台作品

(写真提供:迎さん)

もともとDIYは得意でいろいろなものをつくってきたそうですが、50歳も間近に迫ってから、迎さんはまったく新しい仕事をスタートさせたわけです。何かを始めることに躊躇がない、やりたいと思ったことは淡々とやる、というのは迎さんの生き方の根底にある部分だと思いました。

取材日直前に完成したという最新キッチンカーは、ピックアップトラックを改造したオールド感溢れる仕上がり。これでばっちり車検対応。東京・入谷の焼きおにぎり屋さんから依頼されたものだそう(写真提供:迎さん)

自分が楽しいと思う人生へ

そんな迎さん、じつは会社員をやっていた頃もあったそうです。

社長の後継者に、ということで働いていて、当時の役職は業務係長でした(笑) その頃からいろいろやっていたのだけど、「会社の社長は会社一本でやってもらわなくてはダメだ!」って言われて。今思えば、これから立とうとする立場的にそうだよなと思うんだけど、当時はいろいろやっててもいいじゃん、楽勝じゃんって思ってたんですよね…。

そのままいけば、お金持ちにはなってたかもしれないですね。でもこれからの人生、この会社の社長一本っていうのはどうかと思ったときに「それじゃ人生つまらないかもな」と思ったんです。

その後、紆余曲折あり、前の奥さんとも離婚して、千葉へ移住しました。新たな伴侶とも巡り会い、今もさまざまな仕事を掛け持ちして忙しく動き回る日々です。迎さんは、自分が楽しいと思う人生へ、はっきりと舵を切ったのです。

「好きなことをして生きる」とは?

あんまり儲けを意識しなければ大抵のことはできますよ。

「なぜそんなにいろいろなことができるんですか?」と聞いたとき、迎さんはそう言いました。そしてこうも話していました。

休みはほとんどないですね。忙しいと朝から晩までなんかやってます。ウェブの仕事とか、イベントの更新なんかは夜やることが多いです。忙しすぎると、ほとんど寝れないこともあります。つい最近もキッチンカーをつくっていて、2日間徹夜しました。

「それは大変ですね」と言うと、さらっと「まぁ、ちょっと面倒くさいなと思ったり」と迎さん。迎さんは、けっして大変だとは言いません。

迎さんがどこか謎めいているのは、何かをやるうえで必ず出てくるはずの大変さを、当たり前のこととして、淡々と受け止めているからかもしれません。あまりに淡々としているので、ちょっと話を聞いただけでは、私たちには想像しきれないところがあるのです。

たとえば、船で荒波の海を渡っていても、そのことを乗客に感じさせることなく、まるで凪の海を進んでいるかのように、乗りこなしていく。操縦している本人は、それが仕事だから当然のようにしているのだけど、乗客からしてみたら、デッキに出たらものすごい荒波で「この人はいったい何者なんだ!?」となってしまうというわけです。

帰っていく取材チームを見送ってくださった迎さん、奥さんのゆみさん、ヤギの八木さん。この場所は、彼らがいてひとつの風景なんだな、と思った1枚

儲けを意識しない結果、まったく気負うことなく、やりたいことを実現している。ときに大赤字を叩き出すことはあるし、忙しすぎて身体が悲鳴をあげることはあっても、なんだかんだで10年以上も続けてこられている。その説得力は圧倒的で、あれこれいいわけして、いろいろなことを諦めている自分自身の、これまでとこれからを考えさせられました。

楽しさ、時間、仲間の存在…。この世にはお金以外にもたくさんの価値がありますが、何に価値を見出すのかによって、人生はいかようにも変わっていくのです。何を選び取り、実際に1歩を踏み出すのか。「好きなことをして生きる」とは、そうした自分にとっての価値の積み重ねと、そこへちゃんと足を踏み出した結果でしかありません。

何かをやろうとするとき、大変じゃないことなんてない。でも、大抵のことはできる。

これはものすごい希望であり、勇気であり、そして逃げ道のない真理だなと、そう思うのです。

(写真:藤 啓介)