「夢を追うか、伝統を守るか」近代化が進むブータンで揺れ動く兄妹を描くドキュメンタリー映画『ゲンボとタシの夢見るブータン』を観て考えた、人間らしく生きる道

「近代化」と聞いて、みなさんは何を思い浮かべるでしょうか。きっと我が国のことを思い浮かべる方も多いかもしれません。

200年以上続く鎖国制度をつらぬいた江戸幕府が開国し、やがて「近代化」を遂げた明治維新。実は、今年2018年は、日本が明治に改元し、近代国家への歩みを踏み出した1868年から、ちょうど150年が経つ、節目の年でもあります。

こうして日本が150年もの歳月をかけ、着々と成し遂げてきた近代化が、たった30年で足らずで急速に進んでいる国があることを、みなさんはご存知でしょうか。

それが「幸せの国」のニックネームで知られるヒマラヤの小国、ブータン王国です。

今回は、そんなブータン王国の中央部、ブムタン県が舞台のヒューマン・ドキュメンタリー映画、『ゲンボとタシの夢見るブータン』の魅力を、2012年から2017年までブータン王国に在住した経験をもつ筆者がご紹介します。

閉ざされた国に進む急速な欧米化、そしてそれにより起こる世代間の価値観のギャップ

ブータンの近代化について、学校で生徒らが学んでいる様子

ブータン王国は、南にインド、北に中国と国境を接するヒマラヤの小さな仏教国。2017年現在、九州とほぼ同じ面積の国土に、約70万人の国民が暮らしています。1971年に国連に加盟するまで、ブータンは、まさに日本の江戸時代と同じように鎖国政策をとっており、テレビなどのマスメディアが紹介されたのも、世界でもっとも遅い1999年。2008年になって、当時の第4代国王自らが主権を国民に譲渡し、平和裏に民主化を成し遂げました。

そんな「閉ざされた」イメージの強いブータンですが、それはもう過去の話。最近まで外国からの情報が規制されていた反動もあってか、特に若者の間では、急速な欧米化が進行しているといっても過言ではありません。幼少時からの英語教育とスマートフォンの普及も、その大きな要因です。

今回ご紹介する映画『ゲンボとタシの夢見るブータン』は、このように急速な近代化を遂げるブータンの3番目に大きな街、ブムタン県で、由緒ある僧院を代々管理してきたひとつの小さな家族にフォーカスし、親子の世代間における価値観のギャップを丁寧に描いています。

長男のゲンボに、自分の跡継ぎとして僧院を継いでもらいたいことを伝える父親

映画は冒頭、風にたなびくダルシン(仏教の経文が書かれた旗)の中でサッカーをして遊ぶ、ゲンボとタシの描写から始まります。2012年から2017年までの約6年間をブータンで過ごし、日本に帰国後すでに半年以上が経過していた私は、この最初のシーンをみた瞬間、心が一気にブータンに引き戻され、溢れる涙が止まりませんでした。

この映画は、興味をそそるストーリーに加え、ブータンの飾らない美しさを、映像と音でありのまま表現することに成功しています。

風の音、流れる水の音、家の中の生活音、そして、子供たちが木の橋を渡る時の足音…。
ひとつひとつが丁寧に切り取られたそれらの自然音と、風景を、心地よいBGMが引き立てます。

ありのままの音に、耳と心を澄ませてもらいたい。

映画のストーリーは、ブータンらしく、いたってシンプル。父、母、長男(ゲンボ)、長女(タシ)、次男(トブデン)から成る一家のありのままの姿が、心の動きを含め、丁寧に、繊細に、そして美しく描写されています。

代々受け継いできて、一家の財産でもある僧院、チャカル・ラカンを次の世代にきちんと受け渡すため、長男であるゲンボに、出家して僧になってもらいたいと願う父親。

そうはいうものの、国際化が進む現代において、まずは英語教育が重要だと考える母親。

父親の小言に内心はうんざりしながらも、決して反抗はせず、でも本当はサッカーやクラスの女の子のほうに興味があるゲンボ。

LGBTとして生まれ、小さい頃から自分を男の子と思って生きてきて、サッカーに自身のアイデンティティを見出そうとするタシ。心の友はゲンボ。

まだ幼く、世の中のあらゆる喧騒や悩みとはまるで無縁なように、無邪気にはしゃぎまわるトブデン。

見どころは、伝統を重んじる父親と、今ドキの若者を代表するようなゲンボとタシの行動が、明確なコントラストをもって、面白おかしく描かれているところです。

特に私のお気に入りは、父親が伝統的な仏教の踊り「チャム」を練習するリズム感を、ゲンボとタシが、サッカーのフットワークを練習するリズム感に重ねている部分。表現の随所から、映画としてのクオリティの高さも感じ取ることができます。

日本が150年かけて成し遂げてきた近代化を、たった30年足らずで遂げつつあるブータン王国。
そんな激動の国の若者として生まれたゲンボとタシ。

私もブータンで多くの若者と共に暮らしていましたが、彼らはみな、まず家族の幸せを一番に願っていました。そして、ブータンというユニークな文化を持った国の安泰を願い、国王を心から慕っていたのです。しかし、そうは言っても若者は若者。楽しく、かっこよく生きて、異性にだってモテたいのは、当然のことです。

一方で、お父さんの気持ちもよくわかります。時代の変化に敏感に気付き、このような不確実な世の中だからこそ、息子には、確固たる仏教の教えをしっかりと学び、ぶれない心を育んでもらいたい。一家を、ブータンという国の文化を、しっかりと次の世代に受け継ぎたいのでしょう。

私は本稿を執筆するにあたり、何回かこの映画を観たのですが、そのうちに、キーパーソンは、実はお母さんなのではないか? と思うようになりました。

カタブツの保守派である夫、なかなか仏門に入りたがらない長男、LGBTの長女、やんちゃな次男。周りで何が起ころうと決して動じず、家族みんなをつなぎ留め、起こりゆく変化をバランスよく受け入れながら、柔軟に対処していく。いかにも、女系社会ブータンの、力強い女性らしい、たくましい母親像が浮かび上がってきます。

父親が子どもたちに小言を言い続ける中で、いつも隣でじっと子どもたちに寄り添って話を聞いている母親は、何を考えているのだろう? きっと、ものすごく堅実で、現実的なことを考えているんだろうな、などと想像しながら映画を観るのも、また一興です。

こんな小さな一家の中での葛藤が、遠いヒマラヤの山奥でも、自然に、刻々と、そして真剣に、繰り広げられていること。映画をご覧になるみなさんには、ぜひ思いをはせていただきたいと思います。

延々と息子に小言をいう父親のそばで、そっと寄り添うゲンボの母親

時代の変化の波の中で、人々が人間らしさを失わないで生きていくためには?

『ゲンボとタシの夢見るブータン』の監督をつとめたのは、1980年代に生まれた、アルム・バッタライ(ブータン出身)とドロッチャ・ズルボー(ハンガリー出身)のふたり。

彼らの出会いは、ドック・ノマッズ(「ドキュメンタリーの遊牧民」の意)という、ポルトガル、ハンガリー、ベルギーの欧州3カ国の3大学から成るコンソーシアム(大学連合)によって運営される、2年間の国際修士コース。同級生だった彼らは、縁あって、アルムの出身地であるブータン王国の「近代化と若者」をテーマにしたドキュメンタリー映画を共同制作することになったのです。

ふたりは、2018年7月13日に京都大学にて開催されたブータン講座にゲスト講師として出席し、以下のように語りました。

アルムさん 私は撮影中、映画監督である以前に、ゲンボと父親のちょうど中間にあたる、ミドル・ジェネレーションとして、彼らの橋渡しのような役割を果たしていました。場所はブータンという少し特殊な国ですが、中身はどこにでもある家族の物語。なので、みなさんに、自分ごととして観ていただける作品だと思います。

ドロッチャさん 変わりゆく時代の中で、ヒューマニティー(人間性)とはどうあるべきものなのか? 観ていただいた方一人ひとりに考えていただける内容になっていると思います。

この作品の中心にあるのは、「人間らしさ」です。私たちは映画監督として、何が良くて何が悪いのか? という価値判断をするつもりは全くありません。時代の変化は、逃れられないものです。その波の中で、人々が、人間らしさを失わないで生きていくためには、一体どうすればよいのか? そのヒントを示すことが、ドキュメンタリーというもの自体に課せられた役割だと考えています。

共同監督、アルム・バッタライさん(左)とドロッチャ・ズルボーさん(右)。京都の鴨川にて。

ブータンの未来をつくるのは、ゲンボとタシのような、彼ら若者自身。
それは、これから日本で、世界で、未来をつくっていく私たち日本の若い世代に託された役割と、何ら変わりはないのではないでしょうか。

日々、ものすごいスピードで、刻々と変わりゆくこの世界の中で、私たちは、どんな未来を描き、どんな未来に向かって歩んでいくのだろう? greenz.jpの新しいテーマ「いかしあうつながり」は、この映画に描かれているような、「世代間同士のいかしあうつながり」にも、そっくりそのまま当てはまるのではないでしょうか。

どの時代にも、どの場所にも、誰にとっても、「世代」とその「違い」は、必ず存在するもの。
自分の世代の考え方と、自分の前後の別の世代の考え方を、それぞれ「いかしあう」には、どうすれば良いのでしょうか?

この映画は、きっとあなたにそんなことを考えさせてくれる、きっかけを与えてくれることでしょう。

(Text: 松尾茜)

松尾茜

松尾茜

東京の大手旅行会社に5年間勤務した後、2012年から2017年までブータン王国の首都ティンプーに在住。ブータンの持続可能な観光開発事業に携わった。地域固有の自然や文化、昔ながらの人々の生活を守りながら、ゆるやかに交流人口を増やし、地域経済を、訪れた人の心身を、着実に豊かにしていくような観光を、世界各地で促進していくことがライフワーク。現在は、京都大学大学院地球環境学舎の修士課程に在籍中。

– INFORMATION –

『ゲンボとタシの夢見るブータン』絶賛上映中! 上映劇場は、こちら。

hhttps://www.gembototashi.com/theater