JR池袋駅から西武池袋線に揺られること約15分、ひばりヶ丘駅に降り立ち、徒歩8分ほど。深い緑が突如現れ、趣のある平屋の幼稚園の先に、大きな門が出迎えてくれます。ここは幼児から大学生、さらに45歳以上が通うリビングアカデミーまでの一貫教育を実践する学校法人「自由学園」。約3万坪という広大な土地の中に現在800名ほどの生徒が通う学び舎です。
キリスト教の理念のもと、一貫教育を実践する自由学園。ただ、「学校=学力を身につける場所」というイメージとは少し違うようです。
例えば、生徒が山に向かい植林をすること。自分の使う机や椅子を自分でつくること。食事は生徒自らつくること。寮に大人はいないこと。
「生活即教育」「自労自治」という独自の考えをモットーに、自分自身のことは自分で、自分が属する社会は自分と仲間で、ともにつくる。
決して“理想郷”ではなく、理想に向かって子どもたちとともにぶつかりあいながら新しい社会をつくるチャレンジをしている生活と学びの場所、それが自由学園のようです。
自由学園には、人と人がつながり、社会をつくるヒントがある。そんな予感から、特集「いかしあうつながりってなんだろう?」製作にあたり、greenz.jp編集長・鈴木菜央率いるgreenz.jpライターチームで自由学園を訪れました。
100年続く自由学園のあり方から見えてくる、「いかしあうつながり」の育み方とは。
今回は自由学園学園長・高橋和也先生と、鈴木菜央が交わした様々な対話を1本の記事に凝縮してお届けします。まるでタイムスリップしてしまったかのような自由学園の風景の中で育まれる、常に社会と地続きであり続ける教育のリアル、そして「いかしあうつながり」をつくるためのヒントを、ふたりの対話から感じてみてください。
自由学園男子部(中等科・高等科)を経て、同最高学部(大学部)卒業。その後教員の道へ。1986年に自由学園本務教員となる。男子部長、副学園長を経て学園長に就任。
雑誌『婦人之友』を創刊したジャーナリスト羽仁もと子・吉一夫妻によって、1921年(大正10年)に東京、目白に創立。女子の自立のための学校として当初は女学校(現在の女子部中等科・高等科)のみ。その後、順次初等部(小学校)、男子部(中等科・高等科)、幼児生活団(幼稚園)、最高学部(大学部)が設立され、一貫教育を行う学校に。1934年現在の東久留米市に校舎を移設。
100年続く学び舎「自由学園」
取材当日、まずは自由学園の中を、高橋学園長にご案内いただきました。
3万坪の土地に深い緑と幼児生活団(幼稚園)から最高学部(大学部)までの校舎、畑や講堂、キッチンに食堂と子どもたちの日々の生活の場が点在しており、一通り見学するのに何時間もかかってしまいそうなほどの広さです。
校門の手前で迎えてくれたのは、真新しい木造の建物。ここに使われているのは、70年前に男子部(高等科)の生徒が、そして50年前に大学部の学生が植林活動を始め、長い年月と手間をかけて育てた木材なのだとか。2017年12月、生徒たちの思いを載せて完成した「みらいかん」です。
現在は2歳児が通う未就園児親子の集まりやアフタースクールの活動の場として使われていますが、ゆくゆくは地域に開いた場所にする予定なのだとか。
校門をぬけ深い緑の中に入ると、見えてくる趣ある校舎。こちらは男子部(中等科・高等科)の学び舎です。各学年1クラス、計6クラスがここで日々生活しています。
こちらは初等部。畑があったり、うさぎがいたりと賑やかです。
さらに奥へと足を延ばすと、「新天地」と呼ばれる広大な畑が現れます。ここで子どもたちが育てた野菜は、毎日の食事で使われています。
その年々の野菜や花々の栽培計画は最高学部の生徒が組んでいます。物事全体のマネジメントを学ぶことにも通じているのだそう。
自由学園の大きな特徴としてあげられるのが、台所の存在。食堂は校舎の真ん中にあり、暮らしの中心である“食”を重視する姿勢が表れています。
各食堂の台所では、女子部(中等部・高等部)は生徒自らが毎日、男子部(中等部・高等部)では週1日、それぞれ食事をつくっています。その献立や食材調達に至るまで先生と生徒、保護者も協力しながら日々の食事をつくる。「温かい食事をみんなでとる」という創始者の想いが今なお受け継がれ、「生活即教育」の実践にもつながっています。
お話を聞きながら見学すること約2時間。まだまだ学園内のすべての場所を巡ったわけではありませんが、教科書で学ぶ授業の間に数々の学びの仕組みがあり、縦のつながりから実践者へ成長することを学んでいく自由学園のあり方を肌で感じる、貴重な時間でした。
学校は次の社会をつくる実験場
ここからは高橋学園長と鈴木菜央の対話をお届けします。
自由学園がモットーとする「自労自治」「生活即教育」とはどんな意味を持ち、教育現場でどのようにいかされているのでしょうか。
高橋さん 今あるその先の社会モデルを教育がつくっていくこと。そして生徒たちを真ん中において、自分に対しても社会に対しても、常に問いチャレンジしていける人を育てる教育に取り組むこと。それが自由学園の想いであり、私たちの実践の基本です。
「グローバル人材」という言葉を最近よく耳にします。今社会が求める人材の代名詞のように用いられている言葉です。もちろん国際社会で生きる力を養うことは大切です。しかし学校は、本来は「交換可能な人材ではなく、本当に人が人としていかされて生きていく」あるいは、「自分の頭で考え生きていく」そんな人を育てるにはどういうことが必要なのか、という点を考えないといけないんだと思います。
また、「公共性」というとても大切な言葉も注目されていますが、この点についても、「気がついたら公共性という名のもとの道徳教育に価値判断を委ねてしまっていた」ということがないように、学校自身が考える姿勢をもっていないといけないと思っています。
菜央 なるほど。
高橋さん 社会や世の中で、ある規定の枠の中にいれば幸せになるっていう概念ではないんです。そうではなく、自分の未来にチャレンジしていくだけの力を蓄えていく人にしていきたいという教育がここにはあるんですね。
菜央 教科書だけではない学びということですね。
高橋さん「生活即教育」とはそういうことです。つまりは、子どもたちが「自分たちで自分たちの社会をつくる」ということ。そして、大人がそのことにどれだけ価値があるかを信じて任せられるか。
実際は、大人が管理すれば子どもたちも楽だし早い。でもそうではなくて、「いやいや、君たちの話でしょ」って常に投げ返す。
自由学園の仕組みのひとつに、50日間、子どもたちが交代で学校中のさまざまな責任を担う「委員」という仕事があります。委員のうち、委員長と寮長、副委員長の計3名は選挙で選ぶんですが、立候補した人が被選挙人になるのではなくて、その学年になると全員が候補者になるんです。誰しもが選ばれる立場になる。
これは全員がこの社会において、「いつか自分も責任を負う立場になるかもしれない」ということとつながっています。
菜央 人任せにできない仕組みなんですね。
高橋さん 委員が50日終わったとき、感想などを聞きあう「お茶の会」という振り返りのひとときがあるんですが、そこではいつも印象的な言葉が語られます。
ある生徒は、50日間ずっとゴミの管理をした、と。その時はじめて、誰もが嫌がるゴミの始末を人知れずやっている人がいて、その人がこの生活を支えていたということを知ってびっくりしたって言うんです。
また掃除道具の管理の責任を担った生徒は、その委員の経験を通じてはじめて、いつも自分たちが使っている掃除道具を管理してくれる人がいることを知ったり、そうやっていくとだんだん螺旋状に社会の仕組みがつながって全体が見える人になる。
トイレ掃除でも何でも、自分たちのことを自分たちでしていくと、社会の中に階級意識ができない。これも大切にしていることです。
上級生を見上げながら指導されながら、自分もそういう人になるって感じる縦のつながりが、教室の授業とはまた別に仕組みとしてとても大事で。社会をつくるのは自分なんだという誇りや当事者意識を育てていくってことなんですね。
菜央 縮図というか、ひとつの小さな世界をここで実験しているようなイメージですね。
高橋さん そうです。創立者が1932年に書いた文章の中で「学校は単に社会に人材を送り出すところであるという思いに変えて、教育は新社会をつくるという信念を打ち建ててゆきたい」と言っている。
つまり今の社会の課題や問いにチャレンジする人を送り出すという考えのもと、こうありたいという社会、新しい社会をつくる人を学校が育てる。
では、そのためにどうするのか。自由学園では競争社会ではなく「協力社会」をつくる人を育てるために、学校自体を、協力を実践する場にしたいと考えています。管理や主従関係ではない関係の社会をつくるための自治社会の実践。自分たちの代表を自分たちで選び、自分たちのことは自分たちでする。生徒自身の手にできる限り学校づくりを委ねたい。その土台にあるのは生徒たちに対する信頼です。
学校で子どもたちに競争をさせ、輪切りにして、評価して、道徳で型にはめて、ってやっていけば自ずとその次の社会もそうなっていくでしょう。
そうではない社会をつくるために学校が良いモデルにならなければいけないし、新しい社会をつくっていく実験場にならないといけない。それが、自由学園の実践でありチャレンジでもあります。
迷惑をかけあって弱さを抱え込んでもいい。
その先にあるつながりの価値に気づくこと。
菜央 グリーンズは今年で12周年を迎えました。これまで、「ほしい未来は、つくろう」という言葉を掲げ、いろいろな形で社会をつくる人の応援をしてきましたが、最近、いままでのやり方に限界を感じていて。
いくつか理由があるのですが、ひとつは、社会に対してアプローチしていこう、自分の活動を通じて社会を良いとこにしようとする人がどうしても一部の人にとどまっていると感じていて。
多くの人が様々な活動している人の記事を読んで、キラキラしていて私には近づけない、無理だとか、そんな反応が多いことをすごく残念に思っていて。社会に関わる幸せを、多くの人に味わってほしいのに。僕はその向こう側に行きたいという想いがずっとありました。
じゃあ、どうすればいいのかと考えた時に、ひとつ仮説として立てたのが、「いかしあうつながりをつくる人を増やしていくことが必要なんじゃないか」ということでした。
一般的な学校では、人、自然、あらゆるものとの関係性のつくり方は習いません。いかにして全体の中にそれを位置づけるか、どういう風に全体として輪郭を形成していくか、といったことは、大人になっても学ぶ機会は少ないですよね。だけど、実はそこがすごく重要だと思うんです。
今日はいろいろなことを見せていただいて、自由学園は「関係性」に重きを置いているなというふうに感じて、ガツンときました。僕の勝手な解釈ですが、いかしあう関係性をつくれる人を育てるということを、自由学園は実践しているんだなって思いました。
高橋さん ありがとうございます。
菜央 いかしあう関係性をつくるということに関しては、まだまだわからないことだらけで。例えば人と人がいかしあうような社会のあり方ってなんだろうっていうことだったり、人と自然がいかしあうつながり、暮らしってどんなものなんだろう、とか。
自分たちも在り方として「いかしあうつながり」を模索する中、7月16日、12周年を機に「いかしあうつながり」という言葉を掲げていこうと決めました。
高橋さん 新たな一歩を踏み出すわけですね。
菜央 そうなんです。そんな経緯もあって、自由学園の「いかしあうつながり」について聞いてみたいと思っていました。
すでに「生活即教育」という仕組みや現場を今日いっぱい見せていただきましたが、暮らしから自分でつくっていくことや、自ら治める、自ら考えてどのようにするかを決定し、その責任も自らとることなど、ある意味非常に困難なプロセスを取っていますよね。
そこに寄り添っていく先生方のご苦労もすごくあるのだろうと感じると同時に、「いかしあうつながり」の完成型のひとつがここにあるんだなと感じました。
高橋さん 学校が生活まで持っている教育ってあまりないんですよね。「生活即教育」の中には素の自分を見せなくてはいけなかったり、迷惑をかけたり、かけられたりしながら、暮らすという意味もあります。いかしあうっていうことは、補い助けあう、支えあうっていうことですよね。だから決して完成ということはありません。
例えば、自由学園では毎年団体で登山をしていますが、初めて登山に行く生徒にとっては2,500メートル以上を登り、さらに山の上に泊まるというのは、不安でしょうがないことです。でも帰ってきて感想をきくと「団体でいることの本当の価値と意味がわかりました」と言ったんですね。
みんなに助けてもらい、声をかけてもらい、温かい支えの中でひとりでは絶対にできない経験ができた、と。それはリアルに「いかしあうつながり」のわかりやすい事例なのかなと思います。
みんながいるからできることがあると同時に、その中では個人の抱えた弱さをみんなにさらけだす。難しさもありますが、四苦八苦しながら生徒たちは本当によくやっています。
菜央 つながりっていうのは面倒くさいものだし、大変なもの、でもそこから生まれるものはあるってことですね。
高橋さん たくさんあると思います。視点は違いますが、こんなこともありました。
自由学園の男子部では、入学後1年間は全員が寮生活を経験することにしています。ある保護者の方が「初めて寮から戻ったうちの子がこんな習字を書いて帰ってきたんです」って1枚の習字を見せてくれたんです。自由学園には書写の時間はなく、毎週1枚自分で言葉を選んで習字を書くことになっているんです。
そこには「ママ最高」って書いてあって(笑)
菜央 いいですね(笑)
高橋さん ここで数ヶ月生活を送ったことで、一方的に受けるのではなく、する立場になって初めて、いつも自分がしてもらっていたことのありがたさがわかったんですね。すると、日常的な感謝もいろんな方面に生まれる。先ほどの委員にしても選ばれた人、やりたい人がやるんじゃなくて全員がこの社会を支えるために小さな責任を担うっていうことが、「他人事じゃない」という主体意識、当事者意識を生むんですよね。
「生活即教育」とともに理念の柱となっているのが「自労自治」という言葉ですが、これは、学校の仕組みにおいても、自治という前に自労があるということです。誰かに何かをやってもらいながら権利は主張する自治ではなくて、自分たちで労する自治なんですね。これは辞書に載っていない自由学園のオリジナルな言葉です。
菜央 自治という自由も、自分で責任をとるということも、全部つながっているんですね。ベースにある哲学が今の社会の当たり前とはかなり違うんだなと思いました。
高橋さん 時代に合わせて自由学園の教育も変化してきました。これだけの歴史があると教える側も伝統に寄りかかってしまいがちですが、そうではなくて。今、世界で起きている様々な課題にアンテナを張って教師自身も学び続け、子どもたちに問いを投げかけ続けることが大事ですよね。ただ、根底にある理念は変わらないってことです。
菜央 自由学園ができてもうすぐ100年ですよね。絶え間ない改良と変革をし続けて学びが最大化するようにいろんな仕組みを整えていった結果、例えば、書写を「書写だけ」の時間としてやるのではなくなった。
本当の自分を感じることだったり、お互いを深く知る機会にもなったり、そこからまた新たな違う観点の学びがあったり。書写に限らず、学びの効率を求めていくのではなく、あらゆるプロセスから、多くのつながり、学びを収穫しようという姿勢があるんですね。子どもを「全体」として捉えて、あらゆるものごととの立体的なつながりを大事にしているんだと感じました。
理想に向かっていくことが希望
菜央 改めて今日、自由学園に伺ってみて、「いかしあうつながり」の輪郭や価値が見えたという気がします。僕、なんだかとても嬉しいです。
高橋さん ありがとうございます。でも繰り返しますけど、教育の理想が実現している学校ではないんです。生徒たちは常に大小さまざまな問題、課題を前に、一体どうしたらいいんだろうとみんなで向き合っています。
しかし理想を実現してはいないけど理想に向かいうる環境がここにあり、日々奮闘しつつ真摯に生活に取り組む生徒たちがいるということがすごく希望なんです。
自分たちはこう思いますよってことを生徒と共にチャレンジしていく学校であるってことが私たちのとりたい道です。そう思うとあんまり失望することがないというか(笑) 完成形を求めなくていい、完成形に向かっていけばいいんだな、と。
創立者も「未完成の希望」と言っています。生徒たち一人ひとりが私たちの希望です。
菜央 完成形に向かっていく。すごく深いですね。グリーンズは持続可能な社会をつくることをゴールにこれまで様々な活動をしてきたんですが、今日、先生とのお話からたくさんの学びと勇気をもらいました。
高橋さん 私も、グリーンズを知った時とても嬉しかったんです。私たちが生まれた時にはなかった価値観が社会で生まれているんだ、新しい社会をつくろうって本気になってやっている人たちがいるんだ、って。理想を求めている人たちがいる、そのこと自体が希望なんです。
自由学園も創立のときから、良い社会ってなんだろう、みんなにとって幸せな社会ってなんだろう、子どもにとって本当によい教育ってなんだろう、と問い続け、そういう社会は実現しうると信じてチャレンジしてきました。
今回グリーンズのみなさんが「ほしい未来は、つくろう」を目指す土台として、「いかしあうつながり」を置こうとしていることもいいなあと思いました。私たちの学校も、今まさに同じところに立っています。
学校は閉鎖的になりがちですが、そうではなく、学校を地域や社会に開いて、志を共にする人たちとネットワークをつくり、手をつないで、力を合わせていきたいと思っています。そういう意味でも、グリーンズのみなさんに声をかけていただき、こうしてつながりをいただいたことは本当にうれしいことでした。
菜央 ありがとうございます。そう言っていただいたことが僕たちの励みになります。
選ばれた人、やりたい人がやるのではなく、全員がこの社会を支えるために小さな責任を担いながら日々生活をする。一人ひとりが自分と向き合い人とつながりながら生きていく。
自由学園は、「いかしあうつながり」を意識しなくても、いかしあわざるを得ない小さな社会であり、未来の実験場なのだと感じました。
より良い社会とは?
よりよい教育とは?
そんな問いを持ち、実践する自由学園が100年も続いてきたのは、時代とともに変化する小さな社会の実験をずっとつないでいきたいというたくさんの人の愛と熱量があったからこそ、なのでしょう。
あなたにとって「いかしあうつながり」とはなにか受け取ることはできましたか?その答えはきっとさまざまです。最後に、印象的だった高橋学園長の言葉をあなたに贈ります。
「子どもたち一人ひとりが、自分はこの世界にたったひとりしかいないかけがえのない存在だと感じうる小さな社会を、ここでつくっていく。あなたは大事なんだよっていうシンプルなことなんです。」
「いかしあうつながり」とは? その答えの一歩目は、あなたはこの世界で尊く大切なひとりなのだということを気づきなおすことからなのかもしれませんよ。
(撮影: いとうあやね、取材アレンジ・アテンド: 丸原孝紀)