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なぜ今“学び方を学ぶ”のか?人生100年時代を楽しむヒントを「学び方のレシピ」に探る

21世紀の無学者とは、誤った学びを捨てられない人、
学び直すことができない人のことを指すようになるだろう
ヘルバート・ゲルジュオイ(心理学者)

こんにちは、元greenz.jp編集長/勉強家の兼松佳宏です。

僕は昨年2月〜8月にかけて、ワコールスタディホール京都を会場に「学び方のレシピ」というシリーズ講座を担当させていただきました。「学び方のレシピ」とは、その名のとおりいろいろな職種の方々のユニークな学び方(「働き方」ではなく)を、誰でも自分の仕事や暮らしに取り入れられるようにレシピ化したものです。

これまでに、偶然の発見を増やす「五感調律フィールドワーク」(作曲家・小松正史さん)、当事者の本音を聴く「小さな集いギャザリング」(社会起業家・川口加奈さん)、憶測で世界を記録する「もしかしてエッセー」(プランナー・松倉早星さん)、エッセンスを比較する「もし○○ならマップ」(不動産プランナー・岸本千佳さん)、いまある問いをデッサンする「白紙でスループット」(勉強家・兼松佳宏)など、10個のレシピが公開されてきました。

引き続き、第一人者から学ぶ「“○○の大家”ヒアリング」(クリエイティブディレクター・吉村紘一さん)などのレシピが公開されていく予定です。レシピ名だけではよくわからないと思いますが、ピンときたものがあったらぜひ覗いてみてください。

こちらのコラムでは、どうしていま「学び方を学ぶこと」が必要なのか、実際にレシピを集めてみて気付いたことをまとめてみたいと思います。以下、勉強家による拙い試論ではありますが、どうぞお付き合いくださいませ。

「100年時代」をどう生きるか

25万部を超えるベストセラーとなったリンダ・グラットンの著書『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)―100年時代の人生戦略』(東洋経済新報社)のことは、ほとんどの読者の方がご存知だと思います。「人生100年時代」という言葉は2017年の流行語大賞にノミネートされただけでなく、「人生100年時代構想」として安倍政権でも重要政策のひとつに位置づけられるまでになりました。

僕の娘はいま4歳ですが、彼女の時代には100歳まで生きることが当たり前となるようです。また、Volatility(変動性・不安定さ)、Uncertainty(不確実性・不確定さ)、Complexity(複雑性)、Ambiguity(曖昧性・不明確さ)を組み合わせた「VUCAの時代」とも言われる通り、確かな答えがないという新しい局面を迎えます。

おそらく大切なのは、この止められない変化を避けるのではなく、また安易に流されるのでもなく、“自己実現”や “自己成長”など、マズローのいう「存在欲求(Being-needs)」の機会として受け止めていくこと。これまでは「いかに長く生きるか」が問われてきたとすれば、いよいよ私たちはこれから「いかに自分らしくあるか」という、DoingというよりもBeingをめぐる本質的な問いと向き合う必要があるのです。

とはいっても、「自分が本当にやってみたいこと」に蓋をしたり、「自分らしさ」よりも「社会のニーズ」を優先してきたりしてきたとすれば、そのパンドラの箱を開けるにはいっそうの勇気が必要となるでしょう。

そこでいま注目されているのが「学び」、そして「学び方を学ぶ」という古くて新しいキーワードです。それは100年時代のための“備え”という後ろ向きのものではなく、VUCAのまっただ中にある葛藤をぐるっとワクワクに転じさせてくれる、前向きなきっかけを与えてくれると思うのです。どういうことでしょうか?

「学び方を学ぶ」ということ

新しい時代に向けて、いまもっとも大きな変化が起こっているのが「教育」の分野です。日本でも2020年度より、新しい学習指導要綱がまずは小学校から全面実施されますが、教科書の知識を暗記するだけでなく、それを応用して、いかに目の前の問題と向き合い、解決していくのか、に重点が置かれるようになります。

21世紀に求められる新しい教育目標として参考になるのが、世界の教育関係者や民間企業が立ち上げた国際団体「ATC21s」が提唱する「21世紀型スキル」です。そこには「創造性とイノベーション」「批判的思考」「コラボレーション」「ICTリテラシー」などなど、なるほど書店でよく見かけるキーワードが並びます。そしてその中に「学び方の学習、メタ認知」つまり「学び方を学ぶこと」が含まれているのです。

このように「メタ認知」や「学び方の学習」が、これからの社会を生きる子どもたちに欠かせない能力のひとつでありながら、全然イメージがわかない、という方も多いかもしれません。確かに、他のキーワードと比較しても、残念ながら影が薄いようにも感じます。

しかしオンライン学習サービス「コーセラ」では、脳科学が解明した、効率的に知識やスキルを身につけるための考え方を学ぶ「Learning how to learn」というコースが爆発的な人気を見せているなど、実は教育分野においていま最も注目されているキーワードのひとつだったりするのです。

「メタ認知」と「学び方の学習」って?

実際のところ「メタ認知」や「学び方の学習」はどんなものなのでしょうか? 認知心理学の用語である「メタ認知」とは、「自分はどこまで能力があるのか」「いまのやり方は、自分にあっているのだろうか」を適切に観察し、うまくいっていない場合には改善していくスキルのことをいいます。

「成績のよくない学生ほど、過剰に自信を持っている」(『メタ認知 基礎と応用』、p.198)という研究結果もあるように、“適切に”というのが何より難しいところ。「何を分かっていて、何を分からないのか」を分かるためには、実は自分を省察するだけでは片手落ちです。

ひとりで独学するだけでなく、その成果を信頼できる誰かと分かち合い、他者から思いやりのあるフィードバックを受けることで、「自分に足りないこと」は「伸びしろ」へと転じていきます。そのような安心できる関係性のなかで、自分自身を客観的に振り返る機会が大切なのです。

一方、「学び方の学習」とは、端的にいえば「自分の経験を刷新するための方法を知ること」(『メタ認知的アプローチによる学ぶ技術』、p.3)であり、常識さえも次々と刷新されていく時代にあって、誤った学びを手放したり、学び直したりしながら再構築していくスキルといえます。今までの自分をつくってきた学びを解すことは「unlearn」とも呼ばれますが、積み重ねが長きに渡ったり、そこに愛着や誇りを持っていたりすればするほど、unlearnするハードルは高くなるのでしょう。

古くなった殻を脱ぎ捨てる。それをひとりでやろうとしても、もしかしたら挫折という苦い経験になってしまうかもしれません。しかし、その生まれ変わりの様子を、同じようなジレンマを抱えている仲間とともに支え合いながら歩むことができたら、どうでしょうか? 自分に嘘をついたり、自らの可能性に自分で蓋をしたりすることを本当は辞めたいと思っている人にこそ、「unlearn」のプロセスをともにする時間と空間が希望となるはずなのです。

周りの人たちがどんどん進んでいくように見えると、置いていかれているような気がして焦ってしまいます。しかし、これからの時代は自分の経験を刷新することが普通になっていく。いつでも誰でもゼロになっていい、そのために何歳になっても、立ち止まって種まきの時期を過ごしてもいい。そんな優しい社会の姿を、いち勉強家として、ひとりの動いたり、立ち止まり続けている人として、描いていきたいと思っています。

とはいえ、ゼロ地点から新たにワクワクする方向へ向かうには、何らかの足場が必要でしょう。そこであなたの力になるのが、「憧れのあの人は、どうやって自分の経験を刷新させているのか」を知ること、つまり「学び方を学ぶ」ことなのです。

社会起業家・川口加奈さんをゲストに迎えて

重要なのは、学び方を学ぶスキルは生まれつきのものではなく、後天的な能力である、ということです(『メタ認知的アプローチによる学ぶ技術』、p.4)。もし勉強が得意な人がいるとすれば、その人の知的能力云々よりも、もしかしたら自分にぴったりの学び方を発見しただけなのかもしれません(それはもちろん何よりのギフトなのですが)。

自分を実験台にしながらいつのまにか無意識的にできあがった我流の学び方は、ほとんど形式知化されていません。あったとしても受験勉強対策のものが多く、100年時代を生きている社会人のための情報はほとんどないのが現状です。だからこそ、いろいろな職種の方々のユニークな学び方をシェアすることで、それぞれの学びを底上げすることができると思うのです。

「学び方のレシピ」から見えてきたこと

ちょっと遠回りをしてきましたが、ここでワコールスタディホール京都との共同プロジェクト「学び方のレシピ」に戻ってくることになります。実は「学び方のレシピ」として注目したのも、作曲家、社会起業家、プランナーなど多彩な職種のひとたちが、「特別なこととは思っていないけれど、とても大切にしている習慣」でした。毎日の筋トレが試合当日のパフォーマンスを左右するように、成果を左右する仕事に欠かせないルーチンを明らかにしたかったのです。

とはいえ実際にやってみると、なかなか難しい、ということに気づきました。事前の打ち合わせでは、「何か特別な勉強方法はありますか?」と尋ねてみても、「特にないんですよね…」という答えがほとんどでした。

しかし、そこで諦めずに「こういうときはどうしていますか?」と突っ込んでいくと、「毎日10分、憶測だらけのエッセーを書いていますね」というその人ならではの日常が浮かび上がってきたのです。ちなみに「それ、とても面白いですね!」と反応しても、「そうですか? 自分では当たり前なんですが…」と返される、というのも、多くの方に共通することでした。

そんな背景もあり、先ほどご紹介した「もしかしてエッセー」や「小さな集いギャザリング」など「学び方のレシピ」として公開されている手法の名前は、ゲストのお話をたっぷり聞かせていただき、僭越ながら僕が言い換えたり、ネーミングしたりしたものであって、ご本人がそう仰っていたわけではありません。それでもなお、ゲストの皆さんには気に入っていただいたようで、ちょっとほっとしています。

昨今、注目されている「デザイン思考」も、デザイナーを経験している人にとっては当たり前のプロセスといえなくもありません。だとすれば「作曲家思考」「社会起業家思考」「不動産プランナー思考」に光を当てて、追体験できるようにすることにも何かしら意味があるはず。ぜひみなさんにとって何かひとつでもピンとくるものがあればいいな、と願っています。

「考え方・価値観」から「あり方・存在」へ

リビングワールド代表の西村佳哲さんは『自分をいかして生きる』(ちくま文庫)という本のなかで、目に見える「成果としての仕事」の下には、その人の「技術・知識」があり、さらに下に「考え方・価値観」があり、その下に「あり方・存在」があると言っています。あらゆる「○○思考」は「考え方・価値観」という深層にあたるからでしょうか、毎回のゲストの話にはそこはかとなく「あり方・存在」がにじみ出てくるような感覚がありました。

「BEの肩書き」と「DOの肩書き」

私たちは普段、海の上から見えている“島”としての成果だけをみて、何かを判断したり、一喜一憂したりしてしまいがちですが、より深いところに自分のBeing、自分らしさという“マグマ”を持っているのだと思います。そういう意味では、立ち戻るべきゼロ地点とは、「何もない場所」なのではなく、「あらゆる可能性の源泉」なのかもしれません。その事実を観察できていればこそ、新しい可能性を開こうとする、言ってみれば新しい島を誕生させようとする勇気が湧いてくると思うのです。

ぜひみなさんも学び方を学びに、スタディホールに遊びに来ませんか? 個室のスタディ“ルーム”ではない、スタディ“ホール”という共有の空間に、あなたの背中を押してくれる何かがあるはずです。

[sponsored by ワコールスタディホール京都]