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人間関係の糸は、“つなげて垂らす”がちょうどいい。「おとうさんのヤキイモタイム」で“あそび”の種をまく西川正さんと考える、お客様時代をご機嫌に生きる心のありようとは

あなたは「家族が一番大切」ですか?

考えるまでもなく、またちょっと考えたとしても、「はい」と答える方が多いのではないでしょうか。私も、4歳の娘と主人、そして離れて暮らす両親と姉、祖母の顔を思い浮かべて、迷わず「はい」と答えます。

この傾向は近年高まる傾向にあり、統計数理研究所が実施している「日本人の国民性調査」でも、「一番大切なものは?」という問いに対し、約半数の人が「家族」と答えているとのこと(自由回答、最新データは2013年)。

不安定な社会情勢の中で、一番身近にいる人の大切さに気づき、目を向けているのだとしたら、それはとても本質的で素晴らしいことです。でもここで考えたいのは、「一番大切」の意味。

一番大切だから、家族を守る。
一番大切だから、子どもの責任は親だけで取る。
一番大切だから、誰にも頼らずに子育てする。

…と、なってしまっていませんか?

子育てもサービス産業化が進み、どうしても「責任」や「損得」が気になるようになってしまった現代社会。日本の“孤育て”を生み出した背景にあるのは、核家族化、そして、社会との接点に張り詰めたものを感じ、大切であるが故に家族だけで“閉じる”ようになってしまった親のありかたなのではないでしょうか。

誰が悪いわけでもなく、生活の仕方がそうなっちゃったんですよね。でもそもそも家族で閉じて子育てすることに無理があると思う。なかなかご機嫌に暮らしを重ねていくことができなくて、みんなしんどくなっているように思います。

と語るのは、西川正さん。昨年発売した著書『あそびの生まれる場所』では、サービス産業化と制度化が進み、人のつながりが生まれにくい社会(=お客様時代)になった背景を考察し、その解決策として、心のありようとしての“あそび(=ひま、隙間、間柄)”を持つことの価値を提唱しています。

路上に置かれたコタツの写真が印象的な西川さんの著書『あそびの生まれる場所』

書籍の発売から約1年。講演依頼も相次ぎ、NPOの理事、大学の講師など多忙な日々を送る西川さんですが、実は今、悩んでいると言います。

この本を読んで、私は「こうできていない」って落ち込む人がいるんですよね…。

本には、家族だけで閉じることなく地域の人々とゆるやかな関係性を生み出している事例が多数紹介されており、“あそび”を生む人間関係の紡ぎかたについての西川さんの見解も記されています。それを読んで、「素晴らしい取り組みだけど、私はできてない…」と思ってしまう方が多くいるのだとか。

社会が緊張している中で、「私は私で大丈夫」って思う気持ちも“あそび”。「正しさ」が人との付き合いを難しくしているんですよ。みんなの心をゆるめるにはどうしたらいいのかなぁ。

この記事で考えたいのは、この「ゆるめる」こと、「遊ぶ」ことの価値、そして“あそび”を生み出す人のありかた。でも、「ゆるめてください」「あそんでください」と言葉で言われても難しい…ですよね。

それなら、まずは五感で感じることから。西川さんが仕掛ける「おとうさんのヤキイモタイム」に参加して、“あそび”の場の空気に触れてみましょう。

西川正(にしかわ・ただし)
コミュニティワーカー、特定非営利活動法人「ハンズオン埼玉」理事、大妻女子大学・武蔵大学非常勤講師。1967年、滋賀県生まれ。大学卒業後、NPO支援センター事務局長などを経て現職。趣味は、「カブリモノ」の作製と道端に七輪やこたつを置いて遊ぶこと。2017年3月、初の単著となる『あそびの生まれる場所』(ころから)を出版。

火があって、食べて、笑う。ただ、それだけ。

2017年、年の瀬。地下鉄和光市駅から徒歩10分ほどのところにある広場で「おとうさんのヤキイモタイム」が開催されていると聞き、足を運んでみました。朝10時、現場からは、何やらワイワイと賑やかな声が聞こえてきます。

立ち上る煙に誘われて近づいてみると、「ヤキイモタイム」の看板を発見しました。

2005年、「おとうさんのヤキイモタイム」キャンペーンは、埼玉県とNPO法人「ハンズオン!埼玉」の呼びかけで始まりました。ヤキイモを通して、子育て中のお父さんたちに自分のまちで子育て仲間をつくってもらおうと、埼玉県内の各団体に生協パルシステム埼玉からサツマイモ10kgを提供してもらうかたちで毎年キャンペーンを展開。今年で13年目になります。

今回お邪魔したのは、初年度から参加している「わこう子育てネットワーク“パパ組”」のみなさん主催の「ヤキイモタイム」。ワンコインで誰でも参加できるのだとか。「どうぞ、どうぞ〜」という軽やかな声に導かれ、私たちも輪の中へ入れていただきました。

現場では、絶賛火おこし中…のお父さんたちの中に、西川さんを発見。手を動かしながら、パパ同士の会話がはずんでいる様子です。

子どもは子どもで、輪ができています。誰かが持ってきたおもちゃを囲んで、知ってる子も、知らない子も、なんとなく一緒に過ごしている感じ。

こちらは、落ち葉遊び。これ、間違いなく楽しいヤツです。

西川さんが落ち葉を運んでいると、子どもも真似して…。

「せーの!」と、みんなで焚き火に投入。作業が「遊び」に変わりました。

ヤキイモを焼いたり、ほうばったり、七輪を囲んだり。一斉に何かをするわけでもなく、ゆっくりと時間が過ぎていきます。

火があって、ごちゃごちゃって食べて、っていうだけで、それ以上でもそれ以下でもないんですが。現場にいると、やっぱり、まだ続けていこうかなあ、と思う。そうこうしているうちに、干支もひとまわりしてしまったというわけです(笑)

と、西川さん。13年目となった今や、埼玉県内で年間(シーズンはおおよそ11月〜2月)70を超えるほどの「ヤキイモタイム」が開催されているのだとか。

なんとなく居心地よくて、そこにいるだけで、なんだか心がほぐれていく。ヤキイモタイムの醸し出す温度感が心地よくて、私もついつい長居してしまったのでした。

誰でもできそうで、でも、なかなか手が出ない都市部や住宅街での「ヤキイモ」。きっとそこには、「(火事など)何かあったら困るから…」「苦情が来たらどうしよう…」という不安や恐れが、私たちの中にあるからなのだと思います。でもそこを、「一緒に考えて乗り越えていきましょう」と背中を押しているのが、「おとうさんのヤキイモタイム」。

大人になってからの友達って、いいもんですね。

本にも紹介されているお父さんの言葉に象徴されるように、この取り組みは、地域の人と人がゆるやかにつながるきっかけを生み出しています。

「子どもができて、でも誰も知り合いがいなくてどうしていいかわからなかった」と話すお母さんの姿も

どうして西川さんは、「ヤキイモタイム」を立ち上げるに至ったのでしょうか。ここからは、西川さんの人生を“あそび(=ひま、隙間、間柄)”というキーワードでたどりながら、“あそび”が人間関係や人生にもたらすものを感じてみましょう。

居場所の無かった僕が、助けられたもの

西川さんが生まれ育ったのは、滋賀県の里山。「日本の棚田100選」に選ばれるような集落のすぐ隣にあり、豊かな自然と美しい風景に囲まれていましたが、そんな場所とは知らずに育ったのだとか。

まあ子どもからしたら、ただの田舎ですよね。小さな頃から川で毎日遊んで、小学校高学年になったら隣の集落で真っ暗になるまでソフトボールして、電灯が1個しか無い2キロの道をひとり自転車で帰って…。あの頃が一番楽しかったですね。

当時のことを、「子どもの時間が保障されていた」と振り返る西川さん。それは学校でも同じだったそうです。

面白い先生がいて、5〜6年生のとき、テストを1回もやらなかったんですよ。ドリルを全部終わらせたらそれで良し、って。他の子と点数で比べたりしなかったんです。

「学ぶ」と「遊ぶ」はほとんど同じ言葉だと私は思うんですけど、学校でも地域でも、一方的に点数つける人が誰もいない世界に生きていたな、と思います。

「評価」しない。そんな大人のありかたが、子どもの遊びを保障します

ところが、中学高校と進学するうちに、西川さんを取り巻く世界は大きく変わっていきます。

父は公務員で母が農家の兼業農家だったんですが、私が小学校入ってすぐの頃に親父が首の骨を折っちゃって、その後車椅子生活になったんです。

それでも小学校時代は比較的自由だったんですが、中学・高校と進むと成績がつくようになって、その上、「障害者の家だから努力しなくちゃいけない」「いい子でいなくちゃいけない」という空気が流れるのを感じはじめて。

家に明るい話題を持ち込みたくて、法事の手伝いをしたり、いい成績とったり、“人がほめてくれる”ことを、ただ一生懸命するようになっていました。

行動の基準は「人がほめてくれる」こと。しかし大学に進学し、ひとり東京で生きることになり、生きかたの選択肢や時間という“あそび”が生まれたことに、大きな戸惑いを覚えます。

親元から離れて、「自分はどういう価値観で生きていくの?」「何を面白いと思って生きていくの?」ってことを、初めて問われたわけです。それまでの「ほめられるからやる」は、もう使えない。当時は本当に、世の中とどう付き合っていいか、わからなかったですね。

そんな大学時代に西川さんが心惹かれたのは、いわゆる社会運動でした。フェミニズムや障害者の人権を守る運動に触れて、自分の生まれ育った環境を見直します。「障害のある人を家族に持つことで、人より無理をしなければいけないとしたら、そのがんばりを強いる社会のほうがおかしいのではないか」と。

実家では、父が車椅子のため、母が農業を一手に引き受けて、地域の寄り合いにも出ていました。でも、そこは年配の男性が強い発言権をもつ世界で、寄り合いのたびに「女は黙ってろと言われた」と、母は悔しがっていました。

社会の矛盾に気がついたものの、自分はその社会とどう関わるか、迷いはつづきました。そんな時、友人に誘われて足を運んだのが、川口市で市民の有志によって開かれていた「川口自主夜間中学」でした。そこでの経験が、その後の西川さんの生きかたに大きな影響を与えることになります。

夜間中学に行くとね、オモニ(在日韓国・朝鮮人のお母さん)たちが一生懸命、ひらがなを学んでいて、その横で、学校行くの嫌になっちゃった中学生がおしゃべりしてたりして。

僕はその中で、不登校の中学生の遊び相手をしていたんです。「来週もまた来るよね」とお互い声をかけあっていました。そこで「自分を待ってくれている人がいる場所」を初めて持てたんですよね。行き場の無かった僕が、それですごく助けられたというのが、今は良くわかります。

「人が集まって何かを一緒につくっていく」っていう最初の出会いでしたね。

行き場のなかった自分が、初めて出会った「居場所」。それは、「安心」という “あそび”を保障してくれる場所だったのではないか、と西川さんは言います。人の関係性の中で、それは生まれるものなのだ、と。

そしてそれ以降、西川さんは人と人との関係性やありように関心を寄せていきます。

「正しさ」と「あそび」の狭間で

大学卒業後、西川さんは、夜間中学のボランティア仲間に紹介された大宮市(現さいたま市)の学童保育で働き始めました。その後、一旦は出版社に勤めましたが、2年ほどで退職し、障害者団体の専従職員に。そこで、大きな「失敗」を経験します。

当時苦しかったのは、「正しさ」に縛られていたことです。そもそも「正しい」と思うことがないと市民運動や社会運動は始まらないわけで。

でも同時にその「正しさ」が、人との付き合いかたを難しくしていくひとつの原因でもあると思うんです。一生懸命やって、正しさを追求しているとどうしても無理が生まれます。自分に余裕がないので、他の人に何か言われると受け止められなくなっちゃうんです。

自分の中の「余裕」や「隙間」という“あそび”がなくなってしまった西川さんは、障害者団体のリーダーと対立し、退職することになります。

当時の僕は、正義の反対にあるのは、悪だと思っていました。だから対立すると相手を排除するか、自分が排除されるかになってしまっていたんですね。

でも。正義の反対には、別の人の正義があるっていうことだったんですよね。クビになったことで、初めてそれを痛感しました。

その後、阪神大震災を機に「NPO法」が制定されたことをきっかけに、NPO支援センターを立ち上げ、事務局長に。「その頃やっと、世の中がわかってきた」と振り返る西川さんですが、一方でプライベートではお子さんが生まれ、また変化が。

子どもが生まれた直後にセンターを立ち上げたので、本当に余裕がなくて1日2回出勤なんかを繰り返していました。居眠り運転で事故したこともありましたし、本当に無理していましたね。それで、理事会と充分にコミュニケーションがとれなくなって、また退職することになりました(苦笑)

喧嘩の原因は、やはり余裕の無さ。2回の失敗で、「さすがに反省した」という西川さんは、ふたり目のお子さんが生まれたとき、ある決意をします。

「これから10年間は、ゆるゆるでやる。貧乏生活でもなんでもいいから時間を最優先する」って。NPO(ハンズオン!埼玉)を立ち上げて、忙しいことは忙しかったんですけど、子どもと過ごすときは、カチャってスイッチ変えるようにしました。

でも僕、子どもをひとりで公園に連れて行くのが本当につらくて(苦笑) ブランコ押すのもいやだし、砂場で他のお母さんと話をするのもどうかなと気を遣ったり…。で、子どものためにがまんするのではなくて、「自分も子どもも楽しい」っていうのはどうしたらいいのかなと、いろいろ試行錯誤しました。

そのひとつが畑だったんです。保育所の保護者会のお父さんたちと“あそび”で畑借りたらお芋ができて、焚き火をしたらすごい楽しかった。それが「ヤキイモタイム」の発想につながっていったんですよね。

決意でつくりだした時間の“あそび(=ひま)”が、心の“あそび(=隙間)”を生み出し、関係性の“あそび(=仲間)”を育むことになった。その循環こそ、西川さんが今、世の中に取り戻したい“あそび”の価値なのだと感じます。

西川さんの趣味は、「カブリモノ」の作製と道端に七輪やこたつを置いて遊ぶこと!

手間をかけない限り、人との関係性は生まれない

遊びが保障されていた子ども時代、「関係性」という“あそび”に触れた大学時代、「正しさ」に縛られて“あそび”を失い苦しんだ20〜30代…。そして今、西川さんは、ヤキイモを勧めたり、路上に遊びの場をつくったり、大学の講義や講演活動を通して、社会に“あそび”を生み出す種まきをしています。そんな今をどう感じているのでしょう。

今は、いい意味でいい加減になったかな。思い通りいかなくても、「思い通りいかなかったね」って笑える仲間がいれば全然OKなんだ、ってわかってきた。ヤキイモでお芋が足りなくても、「じゃあ、半分こしよう」みたいな、ゆるさを持っていられる。

でも、それが今の社会ではなかなか難しいのかな、と思います。私たちの暮らしのスタイルが「ちゃんと成果を出さなきゃいけない」ってなっているなかで、「思い通りにいかない」というのは「失敗」になっちゃうから。

でも子どもの遊びでは、「失敗するかもしれない」からこそ、面白さを生むんです。大人が失敗する経験を保障することが、遊びを保障するってこと。失敗の経験から、「良い加減」を学んでいくんです。

でも今、みんな安心できる状況じゃなくて、「失敗したらここにいられないかもしれない」と不安なので、子どもも大人も「何かをしてみよう」と思えなくなっている。その安心を一番奪っているのが、「評価」っていうものだと思います。

外遊びにしても、いつも大人がとなりにいて、「生きる力を育むために外遊びしなさい」とか、「せっかく来たんだからどろんこしなさい」って言われたら、子どもは嫌ですよね。「遊び」を語るって、そこが難しいんです。

「まあ、いいんじゃない?」という、心のありようとしての“あそび”をつくっていけば、自然に「遊び」が生まれてくるはずなんですよ。

では、その“あそび”をつくるには? 西川さんはゆっくりと、言葉を重ねていきます。

ひとつは、社会の仕組みを整えること。

たとえば国会でも議論になっている「勤務間インターバル規制(*)」を設けるのもひとつの手ですが、中卒の人も大卒の人も、8時間働けば普通にちゃんと暮らしていけるシステムをつくる。育休もちゃんと取れるようにして、物理的に、ゆっくりと子どもを見ていけるようにすること。

それが当たり前にならないと、個人の努力まかせでは、誰もが暮らしに“あそび”を持つことはできません。

(*)「勤務間インターバル規制」とは、勤務終了時から翌日の始業時までに、一定時間のインターバルを保障することにより従業員の休息時間を確保し、ライフワークバランスを推進しようとする制度。

「それにもう一つ加えるとしたら…」と、西川さんは続けます。

それがヤキイモタイムでやろうとしていることなんですが、身近な人と一緒に何かする時間をつくることです。

たとえば子ども同士はいろいろなトラブルを起こしますよね。問題になっても、「ま、いいんじゃない?」ってやりとりできるようになるためには、大人の関係性が、僕は絶対必要だと思っていて。それは社会の制度が整えばいいかと言われれば、そうでもないと思います。

そういう人の関係にゆとりを生むには、何かを一緒にすること。小説家の田口ランディさんも言っていましたが、人の間柄って、既製品じゃなくてオーダーメイド。手間をかけない限り、人との関係性はできないから。

そして「(関係性という)糸はつなげて垂らしておく」のがポイント。ピンと張ってたら何かあったときパチンと切れるし、そもそもつながっていなかったら最初に張る糸は緊張しちゃう。

「じゃあ何を一緒にしよう?」って考えたときに、遊びはすごくよくて。なぜかと言えば、失敗しても「失敗したね」って笑いあえるから。PTAなど遊びがなくて、やらなければいけないことばかりだと、糸が張ったままで垂らせないんですよね。

「失敗したね」と笑える遊びを一緒にすることで、関係性は生まれる。「ヤキイモタイム」は、そのきっかけづくりのひとつなのでしょう。「お客さん」ではなく「当事者」として企画や焚き火の許可取り、当日の火おこしなど“一緒にちょっと苦労する”ことで、つながりが生まれていく。しかも特別なコンテンツが無くても、そこに火があれば、人は自然に集い、会話が生まれていくのです。

最近はサービス産業化されすぎているので、手間をかける機会がなく、人がつながらなくなっています。キャンプ場でも遊びのインストラクターがいて、BBQもセットでパッケージ化されていたり。楽ですし、もちろん命にかかわるような危険は回避しなくちゃいけないんですけど、手間をかけないと生まれない面白さはそこでは味わえない。

ではムラ社会に戻ればいいかと言えば、そうは思いません。サービス社会だからこその働きかけって何かできないかな、って思っていて。

たとえばキャンプ場側が、「最初は準備するけど、やりかたを教えるから、あとは自分たちでやってね」みたいに促すとか。サービスを求めてきた人たちと、「何か一緒にやってみましょうよ」って切り返していくコミュニケーションが広がっていけば、社会は変わると思うんですよ。

それで、「ちょっとやってみるか」ってみんなが思えるといい。失敗しても、「しょうがないじゃん、みんな同じ人間じゃん」って感覚をみんなが持てるといいですよね。

今回の一連の取材を通して、私は西川さんに3度お会いしました。そのなかでいつも私が感じていたのは、「ヤキイモタイム」の現場でもインタビューでも、私に対してひとりの“人”として接してくださっている西川さんのありかた。

何か確かなものを教えよう、伝えようとするのではなく、となりに腰掛けて「一緒に考えましょうよ」と言ってくれているかのような姿勢が心地よく、私も自然に自分の意見を伝え、受け取ってもらっていたのでした。

そうやって相手に「かかわり代」をつくる人としてのありかたこそが、社会に“あそび”を生み出していくのだと、感じずにはいられません。

あなたは今日接した人との間に、ピンと糸を張っていませんでしたか?もしそうなら、「糸はつなげて垂らしておく」という言葉を思い出して、何かを「一緒にやってみる」きっかけをどうやったらつくれるか、考えてみてください。そんな小さな心がけひとつで、人と人の関係は、大きく変化していくのでしょう。

きっとあなたにも、できるはず。だってあなたも相手も、みんな“人”なのですから。

(撮影: 服部希代野)