就活は、将来を見すえる人生の変わり目。
理系大学院生だった多田祐太さんは、海外勤務を夢見ていました。
僕が見たアメリカの家族は温かくてみんな仲良しでしたし、自由で個性が尊重される文化に憧れました。
就活の結果、大手IT通信企業に入社した多田さんは、海外トレーニング制度を利用して、新卒1年目にして夢の海外勤務を実現! しかし……
正直辛かったです。1年目で仕事自体に慣れていなかったうえ、言葉の壁、考え方の違い、時差などの苦労があり、赴任直後は帰宅して泣いた日もありました。その上、上司はもっと苦労をしていて、辛いのは1年目に限らないと思ったんです。
1年後、帰国する頃には多田さんの海外勤務への憧れは消え、目標とする働き方を考え直す方向へとシフトしていました。そして、プロボノに出会い、変わります。
今は日本にいながらにして、本当にやりたかったことを実現しているのかなって思います。“プロボノ様様”です。
連載「プロボノのはじめかた」第4回のテーマは、若者プロボノワーカーのリアル。
現在29歳の多田さんが過ごした、学生時代から20代ラストイヤーまでを辿って、憧れの働き方に近づく方法を考えます。
大手IT通信企業勤務。ITインフラエンジニアとして自社クラウドサービスの保守・運用や品質改善に従事。プロジェクトマネージメントの国際資格「PMP」取得。プロボノワーカーとして社会貢献団体を支援。
子どもの頃から異文化に触れる
子どものころ、多田家は国際交流団体に参加していて、ホームステイの受け入れをしていました。だから多田少年のそばに外国人がいることは自然。ご自身も中学生でホームステイを経験し、自由で個性を重んじる文化に触れます。
当時から自分と異なる年齢、バックグラウンド、個性を持つ人と付き合うことが好きでした。
周囲に対する興味・関心の矛先は、人以外にも向けられます。大人に近づき、できることが増えるにつれ、多田さんの活発さは大きくふくらんでいきました。
そして、海を越える
工学部の情報系に進んだ学生時代の多田さんは多趣味。たとえば、少年時代からはじめたサッカーは大学院までサークルの仲間と続けました。好きな音楽では、北海道のRISING SUN ROCK FESTIVALをはじめ、Rock in Japan FesやSUMMER SONICなど有名なフェスを全制覇します。そんな多田さんの興味・関心は国内に止まりません。
大学3年の春休みには、シドニーで短期語学研修に参加しました。海外に憧れていたんです。
期間は1ヶ月と短いながら、多田さんはこの研修中に、のちのちまで意識することになる経験を得ます。それは語学以外の体験でした。
シドニーで知る意識と真実
語学研修には、文系の学生もいました。多田さんのような理系学生と他の文系学生との違いは、進路への意識に表れました。
ぼくもその一人でしたが、理系学生には流されるように大学院に進学する人が少なからずいるんですね。でも文系の学生の多くは3年で就活を始めて将来を考えるじゃないですか。社会に対して頭を切り替えるのが早い姿を見て、焦りました。
研修仲間から刺激を受ける日々を過ごすなか、多田さんは街中で見かけた、ある子どもたちにハッとさせられます。
シドニーにはホームレスの子どもがいました。日本ではあり得ない状況に驚愕して、日本って恵まれた国なんだと感じました。
大学院に進むとき、多田さんは「グローバルな環境で、学んできたITを利用して、海外の国のために貢献する」という将来像を描きました。そして日本の大手通信企業を志望しました……でも、なぜ国内の企業なの?
自分で触れた情報が大事
研修をきっかけに海外の様子を知ったように、多田さんは肌身で感じた情報をもとに将来像を描いていきます。国内企業への就職活動も身近な人付き合いを通して決めました。
同じ研究室にいた憧れの先輩がそこで働いていました。海外トレーニング制度を利用すれば、若くして海外で働けることも知って、興味を持ちました。
周囲の協力を得て、見事その企業に入社した多田さん。新卒1年目にして希望通りの海外勤務を実現したのは、冒頭でお伝えした通りです。
多忙な日々と父の病
多田さんにとって海外勤務はハードワークでした。さらに、お父さんの入院・手術という事態が重なります。
父にガンが見つかりました。緊急入院になり、手術までして、死も覚悟したんですが、僕は当然、駆けつけられないじゃないですか。弟と母に任せるしかありませんでした。海外勤務は、当面なしだと思いました。
1年の海外トレーニング制度を終えて帰国した多田さんは、すっかり将来像を失ってしまっていました。海外とのつながりを保つため、英語だけは忘れないように英会話に通うものの、仕事は淡々とこなすように。
テンションガタ落ちの多田さんですが、まさか、実家で転機を迎えることになろうとは…。
1枚の領収証がプロボノにつながる
人が知らない世界を見つける時はいつも偶然がきっかけを生みます。多田さんにとっての偶然は、実家に落ちていた1枚の領収証でした。
父が、国境なき医師団に寄付していました。父から、「社会貢献活動がしたかった」という気持ちを聞いたことはあったんです。でも寄付金が僕の初任給じゃ到底支払えないような額で驚きました。
元気になってきたとはいえ、体が動かない分、お金くらいは…と考えたんだと思います。そんな父を見て、人は歳をとると、いずれ社会のために何かしたいと思うようになるんだと感じました。
当時の僕はサッカーや音楽のように趣味の範囲を出ない活動ばかりしていました。ただ、ライフワークになること、それも、楽しいだけじゃなくて何かの役に立つ活動を見つけたかったんですね。それなら体が動く今から始めたい、そう思って調べ始めた時にプロボノを見つけました。
「プロボノって面白そう!」
期待に胸をふくらませて関連イベントに参加した後、多田さんは、短期間で社会貢献団体を支援するプロボノ体験プログラム「プロボノ1DAYチャレンジ」に応募しました。そして、子ども1人でも入れる「要町あさやけ子ども食堂」のFacebookページ立ち上げチームに参加することが決まり、説明会に出席します。そこで多田さんは1回目の胸の高鳴りを覚えました。
同じ旗に集う老若男女50人
「プロボノ1DAYチャレンジ」は、プロボノ活動を推進するNPO法人サービスグラントが運営し、高齢化問題に取り組む団体を支援する「東京ホームタウンプロジェクト」内のプログラムです。約1ヶ月で準備し、本番の1日で支援先団体と直接ミーティングをもって団体のチラシ作成や、課題整理ワークショップの実施などをします。
説明会には、多田さんの他、20代〜60代のプロボノワーカーが約50名も集まりました。同じテーマの下に多世代が集まる光景を目にして、自然に多田さんのワクワク感は高まります。
「支援する団体の活動を調べましょう」
「時間があれば現地に行きましょう」
「これが当日のスケジュールです」
事務局のレクチャーでプロボノの進め方を学んだ後、チームのメンバー同士で自己紹介。そして、解散!
残念ですが、打ち解けるチャンスを見つけられませんでした。でも打ち解けたいじゃないですか。なので、同じチームのメンバーを飲みに誘いました。お酒の力も借りて、メンバーそれぞれの動機を聞くと、やっぱり「人となり」がわかってきて、距離が縮まっていきました。
「人となり」を知る。その本当の価値に、この時の多田さんはまだ気づいていませんでした。
「人となり」の仕事の在りかた
「人となり」は支援する団体にもあります。
たとえば、「要町あさやけ子ども食堂」は、「子どもにワイワイがやがや賑やかに食卓を囲んでもらいたい。日頃忙しいお母さんに一食分でもゆっくりすごしてもらいたい」という思いで、店主の山田和夫さんが自宅の一部をつかって開店しました。お客さんには、両親が多忙で夕飯は一人の子や、乳幼児を育てるシングルマザーなども来ます。
それを知って、多田さんはどことなく暗いイメージを抱いていました。しかし他のメンバーと一緒に食堂を訪問した際に、先入観が払拭されます。
貧困への悩み、貧困家庭のために、というような空気感を微塵も感じなかったんです。みんな賑やかで、和気藹々として、団欒を感じました。びっくりしました。
その後、週1回のミーティングをチームで行いながら、食堂の雰囲気をちゃんと反映したFacebookページにすることを決定。約1ヶ月の準備期間のうち、およそ半分の時間を食堂の“らしさ”を共有するために割きました。
多田さんはふだんの仕事でクライアントの「人となり」を考えるために、これだけ時間を割いた経験が役割上ありませんでした。そんな未経験のアプローチは、新しい働き方を体験するチャンスを多田さんに与えました。
やりたいことをする働き方
それぞれが「人となり」を知っていくと、どんな変化が現れるでしょう? 多田さんのチームでは、ふだんWebディレクターをする女性メンバーが率先してテキストづくりに名乗り出ました。
しかし、店主の山田さんは忙しく、じっくりヒアリングする時間は取れません。女性メンバーは、山田さんの著書を精読して、山田さんの想いを受け止めたうえでテキストを用意することにしました。
一方、多田さんは作業に滞りが出ないように進行管理を買って出ます。全メンバーが主体的に自分の役割を決めたおかげで、予定通りにFacebookページをオープンすることができました。多田さんは、ここで2度目の胸の高鳴りを覚えます。
「プロボノ1DAYチャレンジ」では、団体との連絡窓口役以外は、各自の役割が決まっていないんですよ。ぼくが参加したチームは、「自分は何をしたらいいですか?」という会話は一切なく、各メンバーがしたいことを名乗り出て、自発的に進んでいくのが面白かったんです。
海外のように自由で個性を重んじる文化を持っていたプロボノによって、多田さんはやりたいことや得意なことを活かす働き方の魅力を実感したのです。
得意を活かす仕事が生むもの
魅力的な働き方の先には、今まで得られなかった価値が待っていました。
「プロボノ1DAYチャレンジ」当日、「要町あさやけ子ども食堂」のFacebookページと運用マニュアルを仕上げると、早速、店主の山田さんは1つ目の投稿をしました。すると、その投稿がきっかけでページへの「いいね!」が200近くついたのです。多田さんは3度目の胸の高鳴りを噛み締めます。
感激しました。会社の仕事のように、高度な技術を使っているわけではなく、たった1つFacebookページをつくっただけで、こんなにたくさんの人が喜んでくれたんです。しかも、納品物の先でユーザーさんがここまで喜んでくれたことを、ダイレクトに感じたこともありませんでした。今までにない感覚でした。
喜ぶ人がいるという感動が、多田さんのプロボノ意欲をさらに高めます。
「もっとプロボノがしたい」
「プロボノ1DAYチャレンジ」を終えても、チームは解散しませんでした。店主の山田さんの人柄と「要町あさやけ子ども食堂」の活動が好きになっていたからです。Webディレクターの女性メンバーを中心に、食堂のウェブサイトを新規構築したり、記念日のカフェイベントを提案して開催しました。
楽しかったし、社会に役立っていることも感じられました。山田さんのために、もっと何かしてあげたいと思ったんです。
会社では予算や納期を守ることも重要なので、もっとこうしたほうがいいと気づいても、手を加えられないことがあります。でも、プロボノなら時間が許す限りやってあげられますし、山田さんやその先のお客さんのためにもなります。やっぱり仕事ってこうあるべきだよなって感じました。
多田さんは、この時も他メンバーが気持ちよく主体的に働けるようにサポートし、タスク管理を担当しました。職場ではエンジニアの多田さんですが、実はメンバーのフォローやマネージメントをしている時の自分のほうが、イキイキしていることを実感。
そこで、多田さんは自分の「人となり」を次のプロボノに活かそうと、ある挑戦を決めます。
個性を活かす役割に就く
多田さんの挑戦、それはプロジェクトマネージャー(PM)を担当することでした。プロボノのPMには特徴があります。
事前にPMの説明会があって、資料をもらいました。そこには、一般的なPMとプロボノにおけるPMの違いが書かれていました。仕事では先頭に立って引っ張るタイプのPMがいいとされていますが、プロボノではみんなの活躍を支えるタイプのほうがいいことを知りました。
職場でPMのような仕事をしていたとはいえ、特に肩書や資格があったわけではなく、経験も浅かったです。不安でしたよ。でも「プロボノ1DAYチャレンジ」での経験や、いずれPMになりたいという昔からの想い、何より事務局や先輩プロボノワーカーたちが背中を押してくれたおかげで、一歩踏み出すことができました。
2回目のプロボノは半年間の活動を選択。多田さんは6人のチームのPMとして、介護予防に取り組む「東大和市介護予防リーダー会」の「東大和元気ゆうゆう体操」のパンフレットをつくることになっていました。
しかし、プロジェクト前半の団体へのヒアリングを通じて、リーダー会では体操以外にもさまざまな活動があり、それぞれが個別に動いてしまっていることに気づきました。
そこで、リーダー会のみなさんの気持ちを1つにし、リーダー会の全活動を市民の方々にも知ってもらえるようなパンフレットになるように提案しました。リーダー会のみなさんも課題に感じていたことだったようで、たいへん喜んでくれました。
仕事とプロボノは両輪
半年間のプロボノを終えた後、多田さんは、再び「要町あさやけ子ども食堂」の支援に力を入れて、クラウドファンディングの募集サポートをしました。見事に募集目標を達成した頃には、会社以外の時間の大半をプロボノで過ごすようになっていました。もはや、プロボノがライフワークと言っていいかもしれないほどです。
プロボノでPMを体験した多田さんは、勤務先でもPMを目指し、なんとPMの国際資格も取得。念願かなって、プロジェクト推進が主な業務の部署に異動できました。プロボノで得た経験が会社の仕事にも好影響を生んでいます。
ライフワークと仕事が完全に一致してもいいのか、まだわかりません。でも今の僕にとって仕事とプロボノは、2つで1つのものになりました。「ホントは何のために働きたかったんだっけ?」ということが、明確に見えてきたので、すごくよかったです。
多趣味で、やりたい事は何でも手を出し、それぞれ別々に楽しい時間を過ごしてきた学生のころと変わり、今の多田さんは、仕事とプロボノを行き来しながら、良い影響を与え合い、1つの方向に向かって充実していく働き方を、心の底から楽しむようになりました。だからこそ、肩肘張らずに言えることがあります。
想いに素直に
多田さんが言えること。それは、多田さんがなぜ働きたかったのかという動機そのものでした。
「社会のために」
そんなこと、日常会話では言わないじゃないですか。でもプロボノのような場では自然と言える自分がいます。思っていることがすっと出るというか、同じ思いの人が集まっているというか。「誰かのために、身近な人たちと、温かく、和気藹々と、そういうことっていいよね、自分はそういうことが好きなんだ」って、言っても何も気後れしない自分でいられます。
だから一緒に活動する同世代の仲間を純粋に増やしたいです。ゆくゆくはプロボノプロジェクトの企画を立てたり、機会があれば仕事の一環でプロボノを推進するようなこともやってみたいですね。
経験したことをもとに行動した結果、辿りついたプロボノという場面で見せる、そんな自分がきっと好きだから、もっと多くの人とこの場面を共有したい。
そんな多田さんを見ていたら、居心地も、喜びにも、割り切ることなく悩む時間は苦しかったはずだけど、それも自分にとって必要な時間だったと、彼は過去を認めてあげられているんだなって感じました。
そして、マッチョでも、意識高い系でもなくたって、心のどこかに見つけた空洞を馴れや偽りで埋めずに空けておけたら、きっと隙間を気持ちよく満たす、場面がどこかで待っている可能性を、多田さんは見せてくれました。
社会に揉まれて感じてきたこと、今も忘れていないかな。