人口の減少、空き家の増加、商店街の衰退…
日本の地方都市は、程度の差はあれど、さまざまな共通の課題を持ち合わせています。
神奈川県小田原市も、そんな地方都市のひとつ。東京からほど近い新幹線の停車駅で、歴史ある城下町というイメージが一般的ですが、かつての繁華街や商店街はバブル崩壊後から徐々に活気を失い、人口も下降線。老舗とチェーン店が混在する駅前中心部にはにぎやかさを感じるものの、少し歩くとシャッター街や空きテナントなど、地方都市に共通する景色が広がります。
このままでも、自分はやっていけるかもしれない。
でも、なんかやりきれない。かっこよくない。
小田原に生まれ育ち、子どもの頃のお祭りの記憶に残る「かっこいい大人」に憧れを抱いていた山居是文さんは、まちに活気を取り戻すべく、2015年秋、官民一体となったプロジェクト「第3新創業市」を立ち上げ、副委員長に就任。現在は委員長として、まちに創業の循環を生み出し、小田原を「創業のまち」にしようと、日々奔走しています。
自らも小田原で創業し、このまちの酸いも甘いも味わってきた山居さんが語る、小田原流の「創業のまち」づくり。日本の地方都市再生のひとつのかたちになるかもしれない取り組みの全容を、インタビューしました。
株式会社旧三福不動産 共同代表、第3新創業市プロジェクト委員長。1978年、小田原生まれ。東京農工大学農学部卒業。元小田原市職員。大学卒業後、都内の会社に勤務した後、小田原市に入庁。市役所を3年で退職後、再び都内でweb等の企画・ディレクションを生業とする。2012年から拠点を小田原に戻し、元中華料理屋だった商店街の空き店舗をリノベーションしたシェアスペース「旧三福」を運営。2015年3月からは空き家、空き店舗などをリノベーションし、新たに何か始めたい人がチャレンジしやすい物件を提供すべく株式会社旧三福不動産を創業。2015年8月、第3新創業市プロジェクトに副委員長として参画。過去2回の創業塾から10名以上の創業者を排出するなど、着実に実績を積み上げている。
“かっこいい近所のおじさん”になりたい
神奈川県小田原市は、人口約19万3千人(2017年2月1日現在、小田原市発表)のまち。20万人を超えた1995年頃に人口は頭打ちとなり、2000年以降は、なだらかな下降線をたどっています。それとともに、中心市街地の人口密度も低下し、小売商業は衰退。年間約500万人という観光集客力は誇るべきものですが、最近は空きオフィスや空き家も目立ち、日常の活気が失われつつあります。
1978年生まれの38歳。幼少期からこのまちで暮らしてきた山居さんが見てきた景色は、そんな小田原の変化をリアルに表しています。まずは山居さんの人生を辿りながら、小田原の歩み、そして第3新創業市の成り立ちを感じ取ってみましょう。
僕が生まれ育ったのは、古い神社のまわりにあった旧歓楽街みたいなところで。小さい頃は景気も良かったので、商店街にもお店がいっぱいありました。
神社のお祭りのときは、お神輿が通るたびに、お店からご祝儀をもらってて、お神輿担いでる大人たちがかっこよくて。自分もそういうかっこいい、近所のおじさんたちみたいになりたいな、と思っていました。
しかし、時代の流れとともにまちの経済活動は停滞しはじめます。お店だった場所が、次々に駐車場やマンションに変わっていく景色を、山居さんは目の当たりにしてきました。
にぎやかだと思っていたお祭りが、だんだんと、ジリ貧になっていくところをすごく見ていて、やりきれない気持ちになって。自分が大人になったとき、自分の子どもの代までも、いいお祭りであってほしいな、と思っていたんですよね。
「いいお祭り」であり続けるためには? 当時高校生だった山居さんは、「地域の文化に理解のあるお店が増えていくことが大事」だと考えました。
お店ができれば何でもいいというわけではなく、お祭りのときにご祝儀をくれるお店みたいなものが地域の中にたくさんあると、人が人を呼んでつながっていくと思ったので。
チェーン店がダメというわけではないのですが、やはり地域の文化に理解のあるお店が増えてほしいと思った。それをどうやったらできるかな、って考えるようになっていたんですよね。
それでも、具体的にどうすればいいかわからず、山居さんは大学卒業後、東京の企業に就職します。それは、「地域に経済がまわるようにする」ことを考えた結果、選んだ道だったそうです。
大学生の頃は地域のことと、地球環境問題の両方をやりたいと思っていました。でも地球上にある問題は、すべて経済活動の結果起こっているので、経済活動の過程において解決ができないとダメなんだろうな、と。
文化とか教育とかよりも、商品やサービスが、「人々が経済合理性のある方を選んで行った結果、社会が良くなる」という構造に変わらないと、問題は解決しない気がして。
人々の意識が高まることに期待するよりも、「得するから」という視点で選んでいって、その結果地域が変わる、課題が解決する。そういう構造をつくることに関わりたくて、民間企業に入ろうと思ったんですよね。
大学卒業時にそこまでの見通しを持って東京の民間企業に就職した山居さんは、その後小田原市の職員となりますが、その3年後には東京でIT関連の会社を起業。さまざまな経歴を経て、2012年4月、コワーキングスペース「旧三福」立ち上げ、それを機に軸足を小田原に置くことを決意します。
ときはちょうど、小田原市の人口が明確な減少カーブを描き始めた頃。山居さんは、満を持して、まちの未来をつくるために動き始めました。
ソフトとハード、両面からつくる「創業のまち」
まちの人をつなげる場としてコワーキングスペース「旧三福」を立ち上げた頃から、山居さんの頭の中に、「いつかは不動産業をやりたい」という想いが芽生えはじめました。
ここ(旧三福)を借りるときもそうだったんですが、イメージしている物件って、なかなか見つからないんですよね。
家というのは、掘り起こす作業がないと、だんだんと空き家から駐車場やアパートに変わっていく。そうならないために、空き家の活用に少しでも興味のある大家さんを訪ねてまわっていくようなプロセスが必要だな、と思ったんです。
昔から小田原市中心街の物件を持っている大家さんたちは、それぞれにさまざまな事情を抱えており、たとえそこが空き家になっても、賃貸や売却を考えずにそのままにしてしまうことが多いのだとか。
本当は、大家さんの意識が変わるのが一番喜ばしいことなんですけど、残念ながら僕は大家さんじゃない。だから、不動産に携わるプレイヤーとして、不動産仲介業を立ち上げることを考えていました。
大家さんが放置し、活用されないまま、まちに遊休不動産が増えていく状況は、どこの地方都市でも、同じかもしれません。山居さんは、そんなまちの課題に切り込んでいこうと、コワーキングスペース立ち上げから約3年後の2015年3月、3名の共同設立者のひとりとなり、「旧三福不動産」を立ち上げました。
さて、物件を掘り起こす準備が整ったところで、山居さんの視点は“人”へと移っていきます。
物件だけあっても、それを使って商売をして、ちゃんと稼げる人がいないと、何も変わらないですよね。物件の掘り起こしをしつつ、創業したい人を増やしていく作業も同時に必要だと考えました。
では小田原には創業する人が少なかったのでしょうか?山居さんは、そうではないと言います。
僕も知らなかったんですが、毎年100人近く、小田原で開業する人がいるらしいんです。
僕もこのまちで創業したので実感しているのですが、小田原は東京へのアクセスもいいですし、ある程度の市場規模もあるから多様なビジネス形態が成り立つ。家賃が東京の約50%というコストのメリットもあって、創業しやすいまちなんです。
でも日常的に暮らしていると、まちに創業する人がいる実感ってあまりないわけで。
創業者の存在に加え、小商いのマルシェや地域限定クラウドファンディング、コワーキングスペースなど、「創業のまち」をつくるための仕組みは既にある程度存在していました。でも、徹底的に足りていなかったのは、そのつながりや可視化。山居さんは、まちの経済活動の可視化こそ「創業のまち」への第一歩と考え、「第3新創業市」プロジェクトを発案したのです。
これまでは、それぞれがお互いに知ってはいるものの、別々にやっている状態でした。だからとりあえず「第3新創業市やります」って掲げて、創業セミナーと同時に今あるものを可視化して、ひとつのところに並べてみよう、と。
そうすると、創業に関心がある人たちが集まってくるし、小田原に創業しやすい仕組みがあることがわかってくるので、それを使って創業する人が現れるかもしれない。
またその創業者たちを可視化して…という循環を繰り返すと、まちの創業者の数はそんなに変わっていなくても、人々が創業者たちの存在を知る機会が増えますよね。結果、「創業する人が増えているまちだ」と認知してもらうことにつながる。それはすごく意味があることだと思ったんです。
しかし、人々をつなげ、可視化することは、そう簡単ではありません。でも山居さんはこれまで培ったこのまちでの人脈を駆使し、商工会議所や市役所、金融機関などにも声をかけ、官民一体となったプロジェクトを設立。誰もがまちに課題意識を感じていたため、メンバーの賛同が得られ、山居さんがそれをとりまとめるポジションを担うことになりました。
そして2015年夏のキックオフイベントを皮切りに、豪華講師陣を招いたセミナーを2期に渡り展開。2期あわせて10名以上の創業者を輩出しています。
実際、やっていることはセミナーくらいですし、まだ1年半なので実績としてはまだまだこれからです。でもそうやって少しずつ可視化して、蓄積することが、また新たな創業者を集めることにつながるんじゃないかな、と思っています。
「第3新創業市」が始まったことで、まちをあげて創業者を支援するムードも生まれつつあります。卒業生からは、“創業塾の卒業生”という箔がつき、「金融機関が親身になって相談に乗ってくれる」「大家さんが話を聞いてくれる」といった声も伝わってきているのだとか。
これは、行政だけでなく、信用金庫や民間企業など、まちに創業者が増えることを望むさまざまなプレイヤーが参加するプロジェクトだからこその成果。
たとえば信用金庫にとって、創業者にお金を貸すことは、当然リスクなので金利も高くなりがちです。でも、ある意味地域に対する投資だから、その意識が変わっていってほしい。金融機関の人たちが、「いかに創業者を増やすか」という課題に対して前向きに考えられることが大事だと思うんですよね。
だから、できるだけ多様な職種の方々とプロジェクトを組みました。みなさん何らかのかたちで創業者が増えることを望んでいますし、ある程度ネットワーク化されている方が、相乗効果を生むことができるので。もちろん、会議などは人が多いので大変ではありますが(笑)
戦略的に、丁寧に関係性を築きながらまちのプレイヤーをつなげていく山居さんの言葉に、一歩ずつ着実に、名実ともに「創業のまち」へと歩み出している小田原の今を感じ取ることができます。
うまくいかないことのほうが多い。
創業者のリアルを伝える連載に
走り出し好調に見える小田原の「創業のまち」への道ですが、まだまだ「課題だらけ」と山居さんは言います。
単純に始めて1年半ということもありますが、実績を蓄積しつつ、そこに人が人を呼び、という構造をいかにつくるか、というところに課題を感じています。
ぶっちゃけてしまうと、セミナーをやったって創業する人が増えるとは、思っていないんです。でも、そうやって旗を掲げておくことで、既に創業する力を持っている人も「面白そうなまちだ」と思ってくれるかもしれない。
「地元小田原で成功したい」っていう人だけじゃなく、「どこでも創業できるけど、面白そうだから小田原に来た」という人をいかに増やすか、ちゃんと地に足ついてやっていける人をいかに増やすか、にかかっていると思います。
既に小田原には、ここ数年で小商いを始めた人が多数存在する他、2016年に東証一部上場を果たしたITベンチャー企業「Hamee」、創業150年を超える老舗の「鈴廣かまぼこ」など、地域にしっかりと根づいている先輩創業者たちもいます。もっと古くは安土桃山時代から続く老舗企業も存在し、神奈川県内の業歴上位20社のうち、7社が小田原市と箱根町に存在するという調査結果も発表されています(東京商工リサーチ「老舗企業」調査より)。
これから始まる連載「小田原創業ものがたり」ではそんな新旧さまざまな先輩たちの生々しい声をお届けしていきます。きっとその中には、失敗談も多々出てくるでしょう。
失敗はします(笑) 固い決意があったからって、実際はうまくいかないことの方が多いんですよね。
でも、創業者のみなさんの「それでもやってよかった」という声が伝わると、きっと失敗しても致命傷にならないと思うんです。それはけっこう大事だと思うので、そういうことを知ってもらえる連載になったらいいですね。
そして、これから創業したいと考えている人も含め、いろんなレベルの人々がつながると、もっと豊かなものになると思います。人々が出会い、不安を共有できるようなきっかけをつくっていきたいです。
最後には、「そのためにも自分がまず、小田原で地に足つけてやらなきゃですね」と、「旧三福不動産」の共同代表としての決意も聞かせてくれました。
失敗も苦悩も、もちろん楽しみも、まち全体で共有し、「創業のまち」へと歩みをすすめる小田原市。まちの歴史や規模、地域性によってやり方は違うとは思いますが、この取り組みが、日本の地方都市再生のひとつのかたちとなっていくかもしれません。
連載「小田原創業ものがたり」で、あなたもこのまちの創業者たちとの出会いを楽しんでみてください。連載の終わりには、あなたが新たなプレイヤーになっているかも?
そんな期待も込めて…連載キックオフです!
(Photo by Photo Office Wacca : Kouki Otsuka)