ドナルド・トランプ氏が大統領になって、さっそくの数多くの方針転換により、アメリカ合衆国が、世界が大いに揺れている。そんな様子を見て、かつて自分がアメリカに住んでいた記憶を呼び戻す。
2008年、僕はカリフォルニアへ音楽を学ぶために留学していた。当時は、バラク・オバマ氏が大統領選に臨んでいる真っ最中で、大統領はジョージ・W・ブッシュ氏。つまりアメリカは共和党政権下だったが、僕は何か自分が日本人であることによる、周囲からの差別的目線を感じたことは一切なかった。
僕が不感症だったのかもしれないけれど、違うと思う。
カリフォルニアの多様な民族・価値観に対する寛容さの賜物だ。
そんな2008年の留学は、僕にとってすごくネガティブな思い出だった時期もあったんだけれど、最近では現在の仕事に至る道が開けた経験だったとポジティブに記憶している。とはいえ、実は大学で学んだことよりも、留学生として過ごした生活のほうが、より大きな影響を与えたのは確か。
それは先にも書いたように、バラク・オバマ氏が歴史を塗り替えようとしている最中の滞在だったということも大きい。そして異国で一人暮らすということで覆された価値観がいっぱいあったし、その中の一つにカリフォルニア・ベイエリア一帯のサステナビリティに対する人びとの向き合い方や、アメリカの消費型社会や人種による経済的格差に違和感を覚えたことも挙げられる。
例を出すならば、当時毎週のように通っていたトラットリア。どの料理も最高に美味しくて、イタリア人オーナーは僕にワインやリモンチェッロのことを教えてくれて素敵な思い出ばかりだが、その店でお皿を片付けたり水を入れに来るウェイターはヒスパニック系の人ばかりだった。
彼らにメニューをオーダーすることはできない。
ビール1杯のオーダーを取ることも、許されていなかった。
ある時、顔なじみになっていたひとりに話しかけてみたら、
別に、アメリカでは不思議なことじゃない。白人以外の人種の人びとが、オーダーを取れるウェイターになるのは難しいことなんだ。正直、僕より経験もスキルも低いやつ(白人)が、上の立場にいるということに、たまにへこたれることはあるよ。
と言っていた。この話を聞いたときから、「僕は弱い者の味方でいたい」と考えるようになった気がする。
僕は留学を決断してから実行するまで、2年半ぐらいかかった。東京での音楽活動が楽しくなってしまったり、いろいろ考え過ぎて迷っていたせいで。
”迷っていた”ことのひとつは、ロサンゼルスとサンフランシスコのどちらがいいかということ。
当初はLA希望だったんだけれど、最終的に交通の便や治安、街のブランディングを考えて後者を選んだ。
今思うと、あれは運命の分かれ道だったな。
LAは素敵な場所だし、母がかつて住んでいたこともあり、おそらく苦労することなく実りある留学生生活を送っていたと思うけれど、LAを選んでいたらgreenz.jp 副編集長になっていなかっただろう。同じカリフォルニア州でも発信しているライフスタイルや文化が結構違うから。
やがて一昨年から、僕はサンフランシスコに年に2回ぐらいのペースで”帰る”ことが増え、そのたびに周辺に住むライターや編集者との交流を重ね、やがて自然発生的チームが誕生。そんな彼女たちの活躍の場として、今月にも始まる「Bioneers」連載企画が生まれたことも、「留学していてよかった」と思える理由のひとつになっている。
ドナルド・トランプ氏が大統領選を制した瞬間、僕の母校は「心配しないで。ここは多様性に寛容なカリフォルニアだよ」というメッセージを発信し、つい先週、僕が通っていたレコード店も同様のステイトメントを出した。
アメリカには僕の友人がいっぱい住んでいて、白人も黒人もアジア人も、もちろん移民もいる。
リベラルな価値観を持つ友も、保守的な価値観を持つ友もいる。
そんなみんなが「ホントにこれでいいの?」とSNSで呼びかけ、意見を出しあっている。
価値観や政治観の違いを超えて。
肌の色や信仰する宗教の違いをも超えて。
そんな強い思いでの結束を見て、僕はヒリヒリする感覚を覚えつつも、やがて少し安心した。この”違い”を超えた結束こそ「Make America Great Again(偉大な国・アメリカを取り戻す)」ために、本当に必要なことだからだ。
この機会に「偉大な国」「偉大な社会」に必要な要素とは何か、僕らは考えてみると良いだろう。
多様な人びとに寛容なアメリカでありつづけることを祈って。