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別に農的生活を目指さなくてもいい。90歳と87歳から暮らしの本質を学ぶ、映画『人生フルーツ』

昭和30年代から、人口の急激な増加に伴う住宅不足を解消するため、日本各地の都市の郊外に「ニュータウン」が作られました。いわゆる「団地」と画一的な建売住宅をメインにし、多くの家族が「夢のマイホーム」を手に入れ、そこから都市部へと満員電車に耐えながら通勤したのです。

そんな「夢の町」も今は高齢化が進み、空き家が増えるなど問題も抱えるようになりました。その問題については、お年寄りと若者の共存や、別の使い方を考えるなどさまざまな取り組みがなされていますが、今回はそれとはちょっと別の視点から、ニュータウンの一角で雑木林に囲まれて暮らす建築家、津端修一さん(90歳)と奥様の英子さん(87歳)の夫婦生活を描いたドキュメンタリー映画『人生フルーツ』を紹介します。

ニュータウンと丁寧な暮らし

映画は、津端夫妻の暮らす家の風景から始まります。沢山の野菜が植えられ、いくつもの果物が実り、そこに黄色いかわいい木の札がかけられたり、立てられたりしている庭。修一さんが敬愛する建築家アントニン・レーモンドの自宅に倣って建てられたという家は平屋で古めかしいキッチンと広い居室からなります。

© 東海テレビ放送

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1955年、修一さんは創設された日本住宅公団に入社すると、東京でさまざまな団地の計画にたずさわり、名古屋市の郊外、愛知県春日井市の高蔵寺ニュータウンの計画責任者としてこの地にやってきます。高蔵寺ニュータウンは1959年の伊勢湾台風の被害を受け、低地の住人の移住先として計画されたものでした。

修一さんはもともとの土地の高台の地形を活かし、町の中に雑木林を残して町の中を風が通り抜けるようなマスタープランを作りました。しかし計画が進むに連れて経済が優先され、山を削って谷を埋め、平らな土地に団地が並ぶいわゆるニュータウンへと変わっていってしまったのです。

津端さん夫婦は1970年に高蔵寺ニュータウンの集合住宅に入居しますが、その5年後にはニュータウン内に300坪の土地を購入し、今も暮らす家を建てます。修一さんは思うような町を作れなかったことを残念に思いながら、「一人一人でも里山を取り戻すことが出来るか実験する」ためここで暮らし続けることを決意したのです。

その丁寧な暮らしをみると、今では広く知られるようになったスローライフ/農的生活というものを45年も前から実践してきたその姿勢に驚かされます。そしてもちろん、勉強にもなります。ほんとうに個人でもこれだけのことが出来るんだと感心させられるので、スローライフに興味があるような人にはそれだけでも面白い映画に違いありません。

© 東海テレビ放送

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映画としての面白さ

そして、そのような暮らしを送ることにあまり興味がない人でも、この映画は楽しめるし、感動できます。この映画が本当にすごいのは、非常に優れた物語性を持ち、その物語から夫婦が生きてきた長い時間の持つ意味や、人の暮らしの本質とは何かを考えさせられるという点なのです。

まず、物語性という部分で言うと、映画の構成がすごく巧みで、想像力を働かせながら見ることで映画に引き込まれていくという仕掛けが施されています。

作品では時間の流れなどは具体的に説明されず、若葉や落ち葉や雪といった風景で季節の移り変わりを示したり、旗や水盆のような記号によって連続性を示唆したりするのですが、観ている人はその変化の意味を自ら考え、その時間を実感することで物語に入り込んで行きやすくなります。

そして、具体的には言えませんが、ある場面転換では、その映像の持つ意味にはっと気づき、感慨やら感動やらが押し寄せてくることになるのです。

少し蛇足になりますが、この映画を制作した東海テレビ放送は東海地域のローカルテレビ局です。この東海テレビ放送は意欲的なテレビドキュメンタリーを制作し、それを劇場作品として公開しています。この作品はそのシリーズの10作目にも当たり、これまでに培われてきた技術がここにも生かされているというわけです。

© 東海テレビ放送

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人を大切に

この映画的な面白さもありつつ、作品の本質にも迫るようなエピソードを一つ紹介します。それは、映画の後半、夫婦が出版イベントのため台湾に渡るというエピソードです。

修一さんは、第二次大戦中に働いていた海軍で下働きをしていた台湾人青年たちと親しくしていました。その中のひとり陳清順さんとは特に親しくしていたのですが、戦後、消息がわからなくなってしまっていました。最近になってようやく戦後すぐに陳さんが政治犯として処刑されていたことを知った修一さんは、陳さんのお墓に向かうのです。

このエピソードから考えさせられるのは、修一さんの人との関わり方です。戦中から修一さんは人と人との関係を大事にしてきました。立場ではなく個人として人と付き合ってきたのです。このエピソード自体は「暮らし」とは関係ありませんが、修一さんの「生き方」を端的に表しているのです。

この「人」を大事にする考え方は英子さんにも共通します。英子さんは月に1回名古屋に買い出しに行くのですが、その時には必ず馴染みの店員さんのところに行き、会話を楽しみながら買い物をします。物を買うにしても何にしても「人が大事だ」という英子さんは言うのです。

この映画を通して観てみると、いちばん重要なメッセージはその「人と人との関わり方」であるということに気づかされます。トピックとしては自給自足的な生活が耳目を集めるわけですが、その生活を夫婦が送るようになったのも、「里山」という人と人との関わりが生まれる場所が奪われてしまったからであり、その場所を再生するための実験だったのです。

それはつまり、夫婦は人と人とが関わりながら生活する空間を作ることこそが重要だと考え、できてしまったニュータウンではその空間が失われてしまったと感じていたということです。

© 東海テレビ放送

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実際に全国にできたニュータウンではどうだったのでしょうか。何を隠そう私も東京近郊のニュータウンで生まれました。記憶はあまりありませんが、近くに住んでいた同じ年頃のこどもがいる家庭とは仲良くなり、数十年がたっても親同士は連絡を取り合っていました。

高齢化が進む団地でもそこに長く住む人達同士の交流は続いています。だから、無機質な団地という空間になったからといってそこから人と人との関係が失われることはなかったのだと思います。

しかし、関係が希薄になってしまったことは確かでしょう。それはニュータウンに限ったことではありませんが、地域における人と人とのつながりはどんどん希薄になっています。私がこの映画から受け取ったのは、つながりが希薄化していく中でも、個人と個人がつながりを結ぶことは依然としてあるし、大事にされているということです。

この映画によって夫婦が制作スタッフと作ったつながりもそうですし、映画の終盤に出てくる佐賀県の精神科病院とのつながりもそうで、里山を中心とした地域の強固なつながりがなくなった今でも、人と人とはつながりを持つことが出来る。その関係の先にある人を大事にすることこそがいちばん大切なんだということなのです。

© 東海テレビ放送

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こつこつ暮らす

最後に、この映画で一番印象に残った言葉を。

それは、映画の序盤に登場した言葉ですが、修一さんが英子さんに言ったという「自分でできることを何か見つけてコツコツやれば何か見えてくる」という言葉。

この言葉は障子張りについて言ったものですが、あらゆることに通じる言葉で、それは人との関係についても言えることです。何事も打算で動くのではなく、目の前の自分に出来ることをやれば何かにつながっていく。それは本当にいろいろな人から聞かされる言葉です。

途中で、孫のために作ったドールハウスのエピソードなども出てくるのですが、丁寧に作ったそのドールハウスからお孫さんにもこつこつやることの大切さが伝わったのではないかなどとも思います。本当に心に引っかかるエピソードがたくさんあり、その一つ一つの意味を考えることがすごく勉強になる映画です。あらゆる人に見てほしいし、どんな人が見ても何かが残るそんな映画なのです。

– INFORMATION –


『人生フルーツ』

2016年 / 日本 / 91分
監督:伏原健之
撮影:村田敦崇
出演:津端修一、津端英子
2017年1月2日(月)よりポレポレ東中野にてロードショー、ほか全国順次
上映スケジュール

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