「ナマケモノ倶楽部」から生まれた「スロー」のオーガニック・フェアトレードのコーヒー豆
1990〜2002 ソーシャルデザインの誕生
「ソーシャルデザイン」は、どこから生まれてきたのでしょうか?僕にも明確に見えているわけではありませんが、大きく分けて3つの背景、現象、変化が大きく作用したのではないかと考えています。
1.90年代前半、地球環境問題が全員に関係する問題になったこと
2.90年代半ば、普通の人の社会づくりが広がったこと
3.90年代後半、環境問題と文化が出会ったこと
1.【地球環境】
ひとつめが、90年代前半に起きた、大きな意識の変化です。それが、「【地球環境】問題」です。
50年~60年代にかけて、環境問題とは鉱山や工場で発生する地域的な公害問題であり、問題を解決するには国が法律を変えるか、操業を停止すればよかったわけです(もちろんそう簡単ではなかったけれど)。ところが地球レベルの経済発展の結果、その影響が地球レベルで現れるようになってきました。
原因と結果の因果関係もどんどんはっきりしなくなり、クルマ社会は便利だけど、排気ガスがぜん息を引き起こすというような、あらゆる人が加害者であり、被害者であるという状況が生まれてしまったのです。
民間のシンクタンクである「ローマクラブ」がまとめた『成長の限界』(1972)は、「人口増加や環境汚染などの現在の傾向が続けば、100年以内に地球上の成長は限界に達する」と予言しました。
79年にはアメリカのスリ一マイル原子力発電事故が発生。メルトスルーして中国にまで達するという「チャイナ・シンドローム」が起きるのではないかと恐れられました。80年代半ばには冷蔵庫、クーラーなどの冷媒で使用されてきたフロンによる、南極の「オゾン層破壊」が世界的な問題となりました。
86年にはチェルノブイリ原子力発電所事故により放射能が大量に放出され、ヨーロッパ全域に住む人々の暮らしに多大な影響を与えました。これらの出来事は、人間が地球規模で生態系に大きな影響を与える存在となり、その影響がダイレクトに人間自身に返ってくる状況になったことを、私たちに突きつけました。
そして1992年、国際連合の主催により、環境と開発をテーマとする首脳レベルでの国際会議、通称「地球サミット」が、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロで開催されました。
世界172か国(ほぼすべての国際連合加盟国)の代表が参加。NPO/NGOを含むのべ4万人が集う、環境をテーマとした会議としては史上最大規模となり、世界中のリーダー、市民が集まって問題意識を共有し、話し合いました。当時12歳だったセヴァン・スズキが、首脳たちを前にスピーチを行った映像を見たことがある人も多いと思います。このように、90年代は【地球環境】問題が大きく注目され、議論された時代でした。
「反対運動では何も解決しない」「当事者だけが運動していても変わらない」「みんなの問題なのに、それが見えない」「気候変動問題のように、問題の発生源と影響を受ける人が地球の反対側にいるような問題は、どうやって解決すればいいのか?」「大きな宿題を僕らはどうやって解けばいいのか?」。
このような課題意識が、90年代に生まれた「ソーシャルデザイン」につながっていったように思います。
2.【普通の人が社会をつくる】
環境問題に取り組む人は少しずつ増えていきましたが、まだまだ一般化したとは言いがたい状況でした。それを大きく変えたのが、1995年1月に発生した阪神淡路大震災です。3か月ほど住み込みでボランティアを経験した僕自身も、普通の市民が集まって創造的に課題を解決していく風景に圧倒され、大きな影響を受けました。
のちに、95年は日本における「ボランティア元年」と呼ばれるようになります。これまでは共産党、社会党などの党派的な活動と捉えられていた「ボランティア」が、一般市民が普通に行うことになったのです。これも「ソーシャルデザイン」につながる、大変重要な考え方のベースになったと思います。
ここまで書いてきたように、90年代前半、環境問題は全員に関係があるという【地球環境】意識が広がり、95年の阪神淡路大震災をきっかけに、政府も企業もどうにもならない状況に対して市民が集まり、対話的に、創造的に解決していく【普通の人が社会をつくる】という可能性が見出されました。それらに重なってくる3つめの変化が【環境を文化と捉える】動きです。
3.【環境を文化と捉える】
それまでは、環境について考えるのは“かっこ悪い”という雰囲気がありましたが、90年代後半には、その雰囲気に変化が生まれました。むしろ、「今一番大事なことをちゃんと引き受けて考えよう、そしてそれはかっこいいよね」というカルチャーが生まれ始めたのです。
このような活動として比較的登場が早かったのは、学生団体「A SEED JAPAN」(1992)による、「ごみゼロナビゲーション」(1994)ではないかと思います。これは、音楽フェスのゴミ分別を参加者と共に行い、そのことをきっかけに環境問題を考えてもらうという取り組みです。とにかく楽しそうに活動する様子は、これまでの禁欲的な活動とは一線を画していました。
これは「FUJI ROCK NGOヴィレッジ」につながっていくなど、市民運動とフェスシーンを密接につなげていく流れをつくったと思います。
95年には世界中の子どもが共に平和の壁画を描くプロジェクト「キッズゲルニカ」(1995)が始まりました。紛争当事国同士の子どもたちに共同で絵を描いてもらうなど、日本発のアートを通じた平和活動が世界に広がっています。
現在では10億円を売り上げる規模に成長した、フェアトレードのアパレルブランド「ピープル・ツリー」を展開する「フェアトレードカンパ二一」(1995)の設立もこの頃です。
99年には、クリエイティブに社会環境課題について考える定期的なイベント「BeGood Cafe」(1999)が始まり、僕は大きな衝撃を受けました。舞台のような演出がされた空間で、戦争、有機野菜、貧困などをテーマにしたゲストトークが繰り広げられるほか、DJ、VJによる最先端のライブが上演され、オーガニックな食事やコーヒーが楽しめるのです。
イベントは、「あなたの人生の主役は、あなたです」という呼びかけから始まりました。そこで出会う人々はみんなファッショナブルでオープン、知的で社会環境課題にも関心が高く、個人的に何かを始めている人もたくさん含まれていました。のちにgreenz.jpの母体になったのも、この「BeGoodCafe」です。
「ナマケモノ倶楽部」(1999)は、明治学院大学の辻信一さんらが立ち上げたNGOで、「ナマケモノになろう」という合言葉で、非人間的な社会から降りて、経済発展の結果失われつつある人間性を取り戻そうという哲学、考え方を持った団体。環境問題、社会問題の解決は人間性を取り戻すことであり、文化創造運動なんだ、という主張はかなり衝撃的でした。
北米ではそういう人を「カルチャークリエイティブス(文化創造者)」と呼びます。この考え方は、その後の「ソーシャルデザイン」に大きな影響を与えたと思います。
さらに、スローコーヒーブランドの「有限会社スロー」(2000)、西東京における社会環境運動のハブ的存在「カフェスロー」(2001)、フェアトレード雑貨や水筒を販売する「スローウォーターカフェ」(2003)など、「ナマケモノ倶楽部」の学生参加者が次々と起業していくのには大変驚きました。“スローに”という哲学と社会環境問題、文化と小商いが交じり合った、新しい領域が生まれたように感じました。
2001年の「アースデイ東京 2001」は、8万人以上が参加する、国内最大の市民ボランティアによる環境フェスになりました。僕は残念ながら参加できなかったけれど、坂本龍一さんのフリーライブや、全国の会場とつなげてのインターネット中継など、市民運動が新しい時代に入ったことを感じていました。
2001年に始まった、エコロジーとエコノミーの共存を目指すNPO「Think The Earthプロジェクト」(2001)の最初のプロジェクトは、「SEIKO」とコラボレーションしてつくった“地球を身につけられる腕時計”でした。第2弾は、人間が地球環境と自分自身に対して行った、数々の愚行についてのエッセイ集・写真集『百年の愚行』。さまざまなクリエイターと協働しながら、まったく新しい視点を社会にもたらそうという活動には、興奮したことを覚えています。
メディアの観点から言うと、環境問題、社会問題を積極的にテーマにする雑誌『ソトコト』(1999)が生まれたことも、このような現象のさらなる一般化につながりました。また、もう少しマニアックな方面で言うと“FutureSocialDesign”を掲げた雑誌『広告』(2000)も、触るとヤケドするくらい熱いメディアでした。
雑誌であるにもかかわらず、実際に地域通貨「アースデイマネー」を始め、広め、「通貨とはなにか?」「社会は市民がつくれるのか?」という社会実験をそのまま紙面にしたりと、攻めに攻めた雑誌でした。短期間で終わってしまったのが残念ですが、社会に対してたくさんの宿題を投げかけたように思います。この流れは【非営利メディア】へとつながっていきます。
まとめ
ここまでについてまとめると、90年代前半、環境問題が全員に関係する問題になった【地球環境】によって、問題解決には、“一部の存在に対する反対運動”から、“みんなへの提案”や“みんなの暮らし方のアップデート”が必要になりました。90年代半ばには、【普通の人の社会づくり】が広がったことで、多くの人が環境問題に気づき、なんらかの活動を始める人が増えました。
それらを背景にして、さまざまな分野の才能のある人々が、自分ごととして環境問題について語り始め、自由に表現し始めたのではないか。そんな【反対よりもつくる】活動は音楽、文学、アートなどを含むカルチャーと融合して、一般に向けて大きく広がっていったのです。【楽しいを原動力に】する活動が大幅に増えたのも、この頃でした。
「ソーシャルデザイン」誕生以前の活動は“楽しい”とは言いがたく、どちらかと言えば“楽しい”と言うのがはばかられる雰囲気がありました。誰かを救うのに、大きな問題が起きているのに、“楽しい”というのはおかしい、そんな雰囲気だったのです。
「ソーシャルデザイン」誕生以後の活動は、関わる人の“楽しい”が原動力となった創造的な活動が増え、それらがうねりになって、「環境問題を解決することは文化創造であり、楽しく、知的で、かっこいい」といったポジティブなイメージがつくられていきました。これは大きな気分的変化でした。それが90年代後半に起きた、環境問題と文化との出会い(【環境を文化と捉える】)です。
以上のことから、僕は「ソーシャルデザイン」といえる特徴を備えた活動が生まれたのは90年代の後半であったと考えています。
greenz.jp編集長/NPOグリーンズ代表理事
76年バンコク生まれ東京育ち。2002年より3年間「月刊ソトコト」にて編集。独立後06年ウェブマガジン「greenz.jp」創刊。07年よりグッドアイデアな人々が集まるイベント「green drinks Tokyo」を主催。メディアとコミュニティを通して持続可能でわくわくする社会に変えていくことが目標。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』
第1章「ソーシャルデザイン進化論」のコラム連載はこちら
【第1回】「ソーシャルデザインってなんだろう?」(11/14公開)
【第2回】「ソーシャルデザインはどこから生まれた?」(11/15公開)
【第3回】「ソーシャルデザインはいつ多様化した?」(11/16公開)
【第4回】「greenz.jpが生まれたのはどんな時代?」(11/17公開)
【第5回】「東日本大震災をきっかけに、何が生まれた?」(11/18公開)
「ソーシャルデザイン白書2016」を読みたくなった?
この記事でご紹介している「ソーシャルデザイン進化論」ほか、ソーシャルデザインの過去・現在・未来を1冊にまとめた『ソーシャルデザイン白書2016』は、People’s Booksチームが、これまでの以上の苦難を乗り越えて手がけた本です。「気になる、読んでみたい!」という方は、これを機に「greenz people」に参加してくださると嬉しいです。そして、本を手に取りながら、一緒にソーシャルデザインについて考えませんか?
『ソーシャルデザイン白書2016』の目次
ソーシャルデザイン進化論 by 鈴木菜央(greenz.jp編集長)
■第2章 ソーシャルデザインの現在地
暮らし×ソーシャルデザイン by 増村江利子(greenzシニアエディター/シニアライター)
選択×ソーシャルデザイン by 赤司研介(greenzシニアライター)
未来へ残す言葉×ソーシャルデザイン by 磯木淳寛(greenzシニアライター)
自分らしさ×ソーシャルデザイン by 池田美砂子(greenzシニアエディター/シニアライター)
スタディ×ソーシャルデザイン by 兼松佳宏(greenzシニアエディター/シニアライター)
移住×ソーシャルデザイン by 平川友紀(greenzシニアライター)
パーマカルチャー×ソーシャルデザイン by 鈴木菜央(greenz.jp編集長)
■第3章 ソーシャルデザイン 未来への仮説
対談:暮らしの未来[わたなべあきひこ×徳永青樹×増村江利子] by 石村研二(greenzシニアライター)
対談:言葉の未来[島田潤一郎×磯木淳寛] by 新井作文店(greenzシニアライター)
対談:スタディの未来[中原淳×兼松佳宏] by 兼松佳宏(greenzシニアエディター/シニアライター)
対談:日本の未来[鎌田華乃子×鈴木菜央] by 村山幸(greenzシニアライター)
試し読みできるよ!
greenz peopleご入会と本が届くタイミングについて
11月30日までの入会で、12月15日頃にBooksをお届けします!お早めにご入会ください◎