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人々をつなぐきっかけを生む、「とくい」を預かる銀行とは? 取手井野団地の住民たちの生活に寄り添う、ちょっと不思議なアート作品「とくいの銀行」

fukasawa
「とくいの銀行」を手掛けたアーティストの深澤孝史さん。現在は北海道に住みながら、全国各地で活動中。

特集「あしたの郊外」は、茨城県取手市で行われている「取手アートプロジェクト」との共同企画です。アーティストによる自由な「暮らし方の提案」を元に、郊外の可能性を探っていきます。

銀行と言えば、お金を預けたり、給与を振り込んでもらったりするところ。利用していない人はいないかもしれません。では、お金ではなく、あなたの得意なことを預かってくれて、人の得意なことを自由に引き出せて使える銀行があったら、あなたは利用したいと思いますか。

取手井野団地にあるコミュニティカフェ「いこいーの+Tappino」に間借りする形で開かれている、「とくいの銀行」井野本店は常にお客さまがやってくるのを待っています。「とくいの銀行」は文字通り、誰かの「とくい」=得意なことを預かってくれる銀行。取手アートプロジェクト(以下、TAP)の一貫として、アーティストの深澤孝史さんが手掛けたものです。

このユニークな作品がどんな風に生まれ、団地の人たちがどう活用し、どんな存在になってきたのか、深澤さんにお話をうかがいました。

特定の個人から出発して開かれた場所をつくること

「とくいの銀行」の発想は、2008年頃に深澤さんが関わっていた「クリエイティブサポートレッツ」というNPOに端を発します。これは、重度の知的障がいを持った、たけし君という息子さんを持つ久保田翠さんが2000年に始めたNPOです。

「知的障がいがあっても将来選択肢があってほしい、違いを認めあえる社会になってほしい」と立ち上げられたNPOですが、活動が活発になるにつれ、たけし君が関われないプログラムを実施することも生じてきました。

そこで、障がいのある人もない人も含め、さまざまな人が活動できるアートセンターとして、2008年から「たけし文化センター」がつくられました。それは、たけし君のためだけの公共施設でした。
 

深澤さんが「クリエイティブサポートレッツ」の活動に関わっていた頃の様子。

街に人がどんどん増えていくと、経済的にも効率的にもひとりのための場所より、不特定多数のためを考えた場所が増えます。でも、公共性というのは本来的には誰かのニーズがあって始まるものですよね。

たとえばですが、ひとりしか住んでいない村でも橋を渡す。そんなふうに特定の個人から出発して開かれた場所をつくっていくことが、本来の公共性なのではないでしょうか。

そうした考えから、誰かひとりという対象が見える形で場をつくりながら、それを個人のプライベートなものだけにとどまらせない、そんな実験を始めました。

もともと、2006年からTAPに関わっていた深澤さん。そして、以前TAPで公募されたメンバーからできたプロジェクト「あーだこーだけーだ」のメンバーが、2010年12月に再集結して、団地をテーマにプロジェクトを考える議論を始めました。そこで団地の資源というものについて考えていたときに、住んでいる人も資源だということに気づくのです。

そして2011年、大震災の数日前に「とくいの銀行」は始まります。銀行というネーミングを思いついたのは、TAPの事務所があったのが銀行の跡地だったからという単純な理由によるもの。

けれども深澤さん曰く「プロジェクトを考えるときにかける労力の8割は、名前を決めること」だそうで、プロジェクトにとって名前は非常に大切なものなのです。「とくいの銀行」にとっても、このネーミングが功を奏しているのはまちがいないでしょう。

「下手なバイオリンを弾く」も預けられる

「とくいの銀行」に「ちょとく」として預けられている「とくい」には、さまざまなものがあります。いままでにないものなので、深澤さんが声をかけて説明し、少しずつ増やしていきました。

預けるだけではなく、引き出せるのも銀行の大切な機能ですが、なかなか自主的に引き出そうとする人はいないもの。最初は、銀行自らが引き出してみせていました。そこへ、自ら引き出したいという人が初めて現れます。

団地でひとりで暮らしていた城井つくしさんという方が、“下手なバイオリンを弾く”という「とくい」がいいと言ってくれて、引き出し会をやったんです。


“下手なバイオリンを弾く”の引き出し会の様子。左側で耳を傾けるのがつくしさん。

その後も、“下手なバイオリンを弾く”は引き出され、たくさんの人が聴きに足を運んだりもしたそうです。けれども、深澤さんにとっては、「つくしさんひとりが聴いていれば成立している」と言います。深澤さんが考える「とくいの銀行」は、たくさんの人が来て盛り上がるものというより、「開かれた場所でひとりのための企画をやっていく」ものなのです。

預けることも引き出すことも徐々に団地の人に浸透し、さまざまなユニークな「とくい」が預けられ、そして引き出されていくようになりました。
 

「魔法をつくる」の引き出し会。引き出したのは小学生の女の子。

たとえば、“魔法をつくる”といった不思議な「とくい」もあれば、“煮物をつくる”といった日常的な「とくい」もあります。さらには、“陸上での水泳指導”や“散歩”といった「とくい」など、こんなものまで? と驚くような「とくい」も預けられます。そんな中で、深澤さんが一番好きという「とくい」があります。

弓木さんという人が、総合格闘技の技を教えて、ひたすらくらうという「とくい」を預けてくれました。当人は昔いじめられていて、強くなりたいと思って総合格闘技を覚えたんだけど、結局ここでは技をやられる姿を再現しているんですよね。覚えた技で倒すんじゃなくて、やられる姿を再現するというのは、より高みで過去を克服していると思うんです。


総合格闘技の技をかけられる弓木さん。そこには深い想いがありました。

「とくいの銀行」井野本店は「出会い系」?

「とくいの銀行」は、その後、山口の商店街や札幌で期間限定のイベントとして行われたりと、発展を続けていきました。枠組は同じでも、その場ごとに異なるものになったそうです。そして井野本店自体も、時間の流れとともに徐々に変化を遂げています。

「とくいの銀行」井野本店の特徴は、「生活密着型」であること。特別なことというより、生活に寄り添うような「自然なインフラ」的存在になっているのです。たとえば油絵をやりたい人が、経験はないけれどできるのか相談することから始めて、実際に油絵を習って試してみる、といったように。

その一方で、それは本当の銀行のようにインフラとなって、地域を変えるものではありません。

やっぱり普通の貨幣経済や今までの生活が便利だというのが、人間だからありますよね。それは当たり前だから、ガラッと大逆転することはないです。

もしもそれがあるとすれば、それは作意的なお祭り。そうではなく、日常生活の延長に預けたり、引き出したりという行為があるのが、井野本店の特徴です。


コミュニティカフェ・いこいーの+Tappinoに間借りする「とくいの銀行」。さまざまなちょとくを探すことができます。

たとえば、一回の引き出しによって生まれる、引き出された側の見てもらった経験や、引き出した側の初めて試した経験といった、個別に作用するものこそ、「とくいの銀行」井野本店が持つ素晴らしい力と言えるのかもしれません。さらに、「出会い系」と深澤さんが言うように、引き出す人、引き出される人の個々の関わりをつくる最初のきっかけとしての力もあります。

いま、深澤さんは取手から離れて暮らしているので、「とくいの銀行」井野本店は、地元の人の手によって運営されています。定期的に引き出し会がおこなわれ、事前には団地内で丁寧に広報されるなど、より多くの人を巻き込む形になっているのです。

地元の人がやることで、僕にはできないこともできるのでいいですよね。芸術作品としての本質を突き詰めていくと、地域の人の間に広がらない部分もあります。けれども、最近のようにコミュニティに対して広げていく意識を持ちながら、より多くの人が参加できるような形で運営していくのはいいと思います。

深澤孝史というひとりのアーティストから生まれた「とくいの銀行」という作品は、井野団地に住む人々を巻き込みながら、今日もお客さまが来るのを待っています。