静岡県の南部、駿河湾の沿岸に位置する牧之原。美しい海と、広大な茶畑を擁する自然豊かな地域。
「新しい施設より保育を充実してほしい」「もっと公園がほしい」「バスの便が増えると嬉しい」などなど、みなさんには自分の暮らすまちへの要望はありませんか? さらにその思いを不満や愚痴としてではなく、住民同士で話し合い、実現させる場があるでしょうか。
ここ数年、まちづくりを目的にしたワークショップはずいぶん盛んになりました。空き家の活用や観光・移住促進など成果が出始めているものもある一方で、そこに暮らす人の「生活」のことになると、話し合える場は意外に少ないのではないでしょうか。
そんな中、市民が市の基本方針を本格的に話し合って決めているという驚くべき自治の先進地があると聞いて訪れたのが、静岡県牧之原市。本来「自治」とは、住民自らまちのことを決めること。牧之原には、これからの地方自治体の理想像、「市民主体」のまちの姿がありました。
「市民がまちをつくる」とは?
大きな役割を果たす、対話の場「男女協働サロン」
5月末のある晩、牧之原市役所の会議室にぞくぞくと集まってきたのは、6自治地区の地区長と住民たち。若い方から年輩者まで、町内会のような顔ぶれですが、この日はこれから1年かけて行う、地域の計画づくりの第1日目です。
議長がいて発表者が意見を述べるだけの会議のスタイルではなく、市民がファシリテーター(司会)をつとめ、全員参加でチームに分かれて話合いが進められます。これが、今や牧之原の市政に大きな役割を果たす対話の場「男女協働サロン」です。
この日は若手農家の池ケ谷祐太さんが初めてのメインファシリテーターに挑戦。場を盛り上げた。牧之原市5地区を対象に行われた2015年度の「絆づくり事業」。
各テーブル1地域ごとに話し合います。「どうもこうした場は苦手」とうつむき加減だった年輩の男性も、発言するうちに次第に打ちとけていく。参加者は20代から70代までと幅広い。
その日話し合われている内容をその場でグラフィックにして、楽しくわかりやすくまとめる「グラフィックハーベスティング」と呼ばれる手法。描くのはファシリテーターの一人、絹村亜佐子さん。
「男女協働サロン」は、地区、テーマごとに、年に何度も参加者や場所を変えて多層的に行われます。「津波防災」「総合計画」「公共施設の最適化」など、目的ごとに市が参加を呼びかけ、誰でも参加が可能。
年に何十回も行われた話し合いの結果が、『津波防災まちづくり計画』や『牧之原市第2次総合計画』としてまとめられ、これをもとに、実際に市政が行われてきました。
静岡県牧之原市は、10年前に榛原町と相良町が合併してできた人口約5万人の市です。今年で任期10年目となる西原茂樹市長の方針で、「市民協働自治」が進められてきました。いわゆる「市民参加」といわれるアンケートや、住民の声を聞く会はどの自治体でも行われますが、牧之原では市民が「参加」するのではなく、「市民主体」で決めることを目指してきました。
お茶の生産地として有名で、魚も豊富に穫れる駿河湾沿岸の牧之原市。
言うは易しでも行うは難し、の「住民自治」。なぜ牧之原では実現できつつあるのでしょうか? 大きく3つの理由があります。
1)ひとつは市民が決めるための仕組み、前述の「男女協働サロン」です。年に何度も行われるこの場で、市民はテーマにそった課題や対策を話し合います。この場で決まった内容をもとに、市の計画がつくられます。
2)2つめが、話し合いの進行役、「市民ファシリテーター」の存在。対話の場の質によって話し合いの内容が変わるといわれるほど、この役割は重要です。これを牧之原ではプロに依頼するのではなく、参加者と同じ目線をもつ市民のなかに養成してきました。現在、高校生からおばあちゃんまで述べ27人の市民ファシリテーターがいて、市の呼びかけに応じて集まり、対話の場の進行役をつとめます。
3)そしてもっとも大切な3つめは、市長をはじめ市の職員が、市民の意見を行政の基本方針に取り入れようと本気で考えてきたこと。男女協働サロンで話し合うのは市民であっても、場を設定するのは市の職員。実は市民協働の考え方は、職員の側にもってもらうのが一番難しいといわれます。
牧之原で、この取り組みを中心になって進めてきた、政策協働部・政策創生専門監の加藤彰さんはこう話します。
牧之原市の市民自治を進めてきたキーマンの、加藤彰さん。
加藤さん “市民参加”は行政では昔からよく言われることですが、プロの職員からすると、市民の意見はあくまで素人の意見。実質的な行政とは別の次元でしか捉えられず、どこか遊びの延長と思われてきた面があったと思います。私も初めはそうでした。
でも、考えてみれば、主権者は市民です。私たちは市民に雇われている立場。極端に言えば、市民がお金を使ってでもこれは行政にやってほしいと言えばそうしますし、逆にこれは自分たちでやるからお金をかけないでやろうと決めてもらえればその範囲で実行する。そうした判断を皆さんにしていただくことが大事で、あるべき姿なのだと思うようになりました。
市民協働でつくられた、『津波防災まちづくり計画』
例えば、これまでに牧之原で市民協働を掲げて、全職員も参加で進められたのが『津波防災まちづくり計画』です。牧之原は駿河湾に面し、南海トラフ巨大地震の被害を受けると予想されているエリア。
2011年以降、周囲の市町では続々と避難タワーが建てられました。ところが西原市長は、まずどんな対策が必要か、市民に考えてもらうことから始めようと決めます。
西原市長 津波避難タワーは重要です。でも足腰が弱いお年寄りは一人ではのぼれないし、地区によっては整備するなら公園の方がいいかもしれない。ハード面だけでなく、どう声をかけ合って避難所を活用するか、防災訓練はどうするのか、運用を決めるには住民同士で話してもらうのが一番いい。
行政任せではなくて、一年かけてきちんと議論をして決めることが、まちづくりの一歩になると思ったんです。
エネルギッシュでユニークな西原茂樹市長。市民やファシリテーターとの交流も活発に行う。
それまでの自治会組織を再編して、小学校区ごとに「地区自治推進協議会」を設置。海に面する5地区それぞれで「男女協働サロン」を開催しました。
もちろん実際の計画に落とし込む時にはプロの意見も必要なため、自治会やPTA、市の職員などの専門家による「地区津波防災まちづくり計画策定委員会」が置かれ、サロンからあがってきた案を確認して正式な計画書の形にしてまたサロンに戻す、という2つの場を行き来する形で計画づくりは進みました。
各地区で年間10回(全市で通算50回以上)行われた男女協働サロンには毎回40人(全市で述べ2,530人)近くが参加。まち歩きから始まり、防災マップの作成、課題を洗い出して対策を話し合います。ハード面、ソフト面で挙がったいくつもの課題から、緊急性や波及効果の高いものを「先導プロジェクト」として投票により選出。
「津波防災まちづくり計画」づくりの際のまち歩きの風景。避難場所や危険なポイントを歩いて確認した。
「津波防災まちづくり計画」づくりの際の「男女協働サロン」の様子。
この話し合いの集大成として、2013年3月に『牧之原市5地区の津波防災まちづくり計画』がまとめられ、これをもとに、タワーの建設や公園のメンテナンスなど整備事業(総額約29億円)が行われました。
ソフト面でも地区ごとに『生きのびろ計画〜救—ピッド作戦』(相良地区)や『浜っ子みんないるかぁ〜「縦に走ろう計画」』(片浜地区)など、避難訓練や緊急時に助け合うための計画が、実行されています。
防災計画と同じ方法で、2010年には自治基本条例、2013年からは「第2次牧之原総合計画」づくりが進められています。
「市民自治」への歩み
こうした住民自治の動きが、初めからうまくいったわけではありません。9年前の2006年に行われた初の試み「フォーラムまきのはら」では、市長も市の職員も、一般市民が話し合いに参加する難しさを痛感しました。
加藤さん 市民100人近くが集まり、グループに分かれてまちのことを話し合いましたが、うまくいくチームがある一方で、うまくいかないチームがでてきました。
一人だけ独壇場で話をする人がいたり、相手の意見を頭から否定する人がいたりで、回を追うごとに参加者が減っていったんです。
やはり市民が決めるのは難しいのでは…という声が挙がりますが、加藤さんたちは初めての人同士でも建設的な話し合いができる方法はないかと模索します。
辿り着いたのが、ファシリテーションを使った会議の方法でした。「初めてファシリテーターによる会議を見たとき、これはいけるんじゃないかと感じました。とにかく参加した人たちみんなが楽しそうだったんです」と加藤さん。
西原市長も、この手法に出会ったときのことをこう振り返ります。
西原市長 それまで会議とは意見を戦わせるディベートの場だと思っていました。でも実は相手の意見を聞く場なのだと知ったのです。参加者みんなの意見を引き出すことが大切で、一人だけがしゃべるのはダメ、相手の話を否定してはダメというルールでやる。これはいいと思って、男女協働サロンと名付け、市内いろいろな場所でやり始めました。
会議のルールは「自分だけしゃべらない、人を批判しない、楽しい雰囲気で」の3つ。
地域で行われた男女協働サロン。市民ファシリテーターの野ヶ本治喜さんが場を盛り上げ、みんなから意見を引き出していく。
話し合いの質が、住民自治の質を決める。これをきっかけに、牧之原では徹底したファシリテーター養成を行うことになり、男女協働サロンのしくみも年々整って、市の重要な計画が市民の話し合いをもとにつくられるようになったのです。
防災計画づくりにファシリテーターとして参加した高校生は、なぜ行政ではなく住民がまちの計画をつくるのか、その理由についてこう話します。
僕たち住民は地域を知っている地域の専門家です。それにこの計画に一番関わるのは、僕たち住民。自分の命に関わる選択は自分たちの手で行いたい。
その日の進行について話し合うベテランファシリテーターの3人。(左から)坂口和己さん、山本修司さん、野ヶ本治喜さん。
対話の結果生まれた、“市民の自立”
こうした市民協働の結果、市民からは「行政がやってくれると思っていたことの意識が変わった」「楽しかった」といった意見があがり、道や建物をつくることを主張していた人が他の人の意見を聞いて主張が変わったり、行政の事情を知ったことで自分たちの地区でできることはしようとする動きも出始めました。
坂部地区の「高齢者の居場所づくり」も、そうした動きから生まれたプロジェクト。地区の話し合いで必要性が高いと選ばれたこのプロジェクトは、行政任せではなく、実行委員会を設けて自分たちの手で何とかしていこうという話になりました。中心になって進めてきた、坂部地区住民で民生委員の杉本正さんはこう話します。
民生委員の杉本正さん(写真中央)と、当時の高齢者福祉課の河原瑞穂さん(写真右)
杉本さん もともと老人クラブでさえ、高齢化のため維持できなくなっていたので、居場所づくりといってもお年寄りだけでやるのは難しいだろうと思っていました。
でも、子どもからお年寄りまでが集える居場所をつくろうと目的がハッキリしてからは早かった。子ども会に声をかけ、イベントの企画を始めて、6つの町内会すべてでこの取り組みを実施することになりました。
気軽に楽しく集える場をと、夏休みに子どもたちと一緒にラジオ体操をしたり、新米を楽しむ収穫祭、ハロウィンなどの催しが、町内会ごとに行われました。
坂部第3町内会で行われた「きっずな集会」。総人口409人のうち高齢者が111人(高齢化率27.1%)。子どもたちとお年寄りが集まり、じゃんけんゲームなどが行われた。
坂部第5町内会で行われた「収穫祭」。子どもからお年寄りまでが集まり、新米をおにぎりにしていただいた。総人口506人のうち高齢者が162人(高齢化率32%)。
この坂部地区の動きを、市の職員としてサポートし続けたのが、当時高齢者福祉課に所属していた河原瑞穂さんです。
河原さん 事務処理や多少の運営費の確保などはこちらで行いましたが、私たちから地域の方にお願いしてやっていただくのではなく、地域の皆さんからこういう会をやることになったので来てください、と声がかかるようになりました。
やっていることは小さなことかもしれませんが、意識の上では地区の自立につながる、大きな変革だと思っています。
“地方創生”とは“地方の自立”、それは市民の自立
サロンの始まった初期から市民ファシリテーターとして活躍してきた原口佐知子さんは、こう話します。
原口さん 数ヶ月の間に何十回ものサロンを数人のファシリテーターでまわさなければならないこともあり、時にはとても大変でした。でも自分たちでまちのことを決めてゆく実感があって、楽しかったんです。
それにサロンの運営をするのは私たち市民ですが、資料や準備をしてくれるのは市の職員さんたち。直前まで準備をしてくれて、本番は私たちがバトンタッチして会を進める。そんな風に助け合ってやってきました。そこにはもう、どこまでが行政で、どこからが市民、といった垣根はないんです。
(左から)若者ファシリテーターの会「茶々若会」会長の池ケ谷祐太さん、ファシリテーター歴の長い山本修司さんと原口佐知子さん。
市民に市の職員が寄り添い、補い合ってものごとを進めていく。
8年前から市民恊働協働のしくみづくりを行ってきた成果が、今、市民や職員の気持のなかに少しずつ芽吹き始めているようです。加藤さんは、こう話します。
加藤さん 地方創生とは、言い方を換えれば、地方の自立です。市民が判断ができれば、やれることは自分たちでやろうと考えるようになる。最近ではお金をかけないために誰でもできる簡単な作業を市民にやらせて協働だと言っている自治体もありますが、それは違うと思う。
大切なのは「市民が決める」ことです。「この部分は行政がやるので、ここを地域の皆さんでお願いします」と行政側が言うのではなく、逆に市民の方から「ここは私たちがやるので、これは行政でやってください」とお願いされる構図にしなくちゃならない。簡単ではないですが、それが行政改革につながっていくと思います。
本来主役であるはずの住民が、長いことまちのすべてを行政や一部の人任せにしてきたことで、いつのまにか自分たちで決める術を失ってしまった今。
市民同士が話し合い、勉強し、自ら考えていくところに、本当の自治を得られるヒントがあるのかもしれません。