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人を中心に考えると、すべては統合されていく。農業も福祉も、クリエイティブに取り組む「恋する豚研究所」に見る、これからの地域ケアのあり方

千葉県香取市。車で都心から1時間半ほど走ると、杉林を背にした田園風景の中に、洗練されたデザインの建物が現れます。

ここが、「恋する豚研究所」。「恋する豚」というブランドで精肉やベーコン、ハムなどを製造・販売しており、2階にはレストランも併設。“おいしい豚のある暮らし”をまるごと体感できる複合型施設です。

美味しい豚肉を求めて週末には都心からも多くのお客さんが訪れるというこの「恋する豚研究所」、実は社会福祉法人が運営する就労継続支援A型(障害者と雇用契約を結び最低賃金を保障する、一般就労に近い就労支援事業)の施設。

レストランや豚肉加工場、事務所では障害のある方々が働いています。でも、この建物はもちろん、ホームページやパンフレットにも「福祉」や「障害者」の文字は見当たりません。

「福祉を売りにも言い訳にもしない」。そんな強い意志を持って「恋する豚研究所」を立ち上げ、地域ケアに取り組む飯田大輔さんのお話から浮かび上がるのは“統合”というキーワード。

飯田さんに、これからの福祉のあり方についてお話を聞きました。
 

飯田大輔(いいだ・だいすけ)
1978年千葉県生まれ。東京農業大学農学部卒業後、母親が「社会福祉法人福祉楽団」の設立準備しているさなかで他界したため、その後を継いで実務を担うことになる。特別養護老人ホームの相談員や施設長などの現場経験を経て、現在、常務理事。2012年2月に株式会社恋する豚研究所を設立。

地域性を活かし、新しい仕事をつくる。

「恋する豚研究所」が設立されたのは、今から約3年前、2012年2月のこと。

もともと「社会福祉法人福祉楽団」の運営する特別養護老人ホームで相談員をしていた飯田さんが、介護の相談をうけて訪問したお宅で、ある気づきを得たことがきっかけでした。

お年寄りのご自宅に行くと、「おばあさんがヤカンに火をつけたまま忘れちゃった」とか、様々な相談を受けるのですが、話を聞いていくと、問題はそのお年寄りに関することだけじゃないことがわかります。

その家には知的障害のある子どもがいたり、経済的な困窮があったり。家庭における問題は、必ずしも介護保険の枠の中で解決されることではなく、もっと複合的であることに気づきました。

高齢者を対象とした「介護保険制度」、障害のある方の社会生活を支える「障害者総合支援法」、子どもの健全な育成を目的とした「児童福祉法」など、日本には様々な福祉制度がありますが、市役所だったり、保健所だったり、窓口はそれぞれ別に存在します。

「人々の生活ニーズは、行政の縦割りに合わせて存在しているわけじゃない」。そう気づいた飯田さんはそれをワンストップで解決していく方法を考え始めます。
 

デイサービス、児童デイサービス、訪問介護、寺子屋といった機能を併せ持ち、地域の人々の居場所となっている「多古新町ハウス」。世代間交流が自然な形で実現しています

さらに地域を歩いているうちに飯田さんが耳にしたのは、「うちの子は障害があるから働き口がない」という声。調べていくと、障害のある人の賃金は、月給1万円程度である現状も知りました。

それで自立した生活を送るのは難しいですよね。ちゃんと給料を払えるような仕事をつくりたいと思い、うちで何ができるかを考えました。

調べてみると、障害者のやっている仕事は、パンやクッキーづくりが多かった。それは活動としては良い取り組みだと思うのですが、地域性がないと感じました。

「地域の課題を解決する」ことを理念に掲げる「福祉楽団」。地域性と、自分たちの強みを活かしてできることを考えたときに思い浮かんだのが、飯田さんの伯父様であり、福祉楽団の理事長でもある在田正則さんが40年以上続けてきた養豚のことでした。千葉の北総地域は、全国でも有数の養豚の盛んな地域でもあります。

「豚を使ってやろう」。飯田さんの“恋する豚ストーリー”は、ここから一気に展開していきます。

“福祉”を売りにせずに、本来の価値で売る。


シンプルな豚の美味しさが味わえる「恋する豚のしゃぶしゃぶ定食」。野菜や塩は地元産、ポン酢は地域の醤油屋さんと共同開発を行うなど、地域内の経済循環を生み出しています

「豚」で障害のある方の仕事をつくる方法を模索し始めた飯田さん。まず目を向けたのは、伯父様の育てた豚の「おいしさ」でした。

1990年代以降、輸入拡大や穀物高によって経営環境が苦しくなってきた養豚業。他の養豚家が規模を拡大し、一頭あたりの生産コストを下げて生き残り戦略を図る中、飯田さんの伯父様がこだわってきたのは、エサの配合や製法を工夫するといった方法で、一頭あたりの価値を高めること。育てた豚を自ら食し、日々変化する肉質を念入りにチェックすることにも力を入れてきました。

その甲斐もあって、「アリタさんちの豚肉」としてそのおいしさが認められ、大手デパートなどと取引関係を築いてきました。

「おいしい豚肉」を福祉と結びつけて仕事をつくろうと考えました。ドイツへ行って加工の勉強をしたり、いろいろやってきましたが、一番難しいのはやはり「どうやって売るか」ということです。

僕は、「障害者がつくりました」と言って、「福祉」で売るのは違うな、と思ったんです。それをやっている以上は、きちんとしたお給料を支払う仕組みはつくれない。

僕らが目指すのは、障害者に月10万円のお給料を支払える仕事をつくること。福祉を売りにも言い訳にもせず、市場でちゃんと売れるものと仕組みをつくる、と心に決めました。

そこで飯田さんが選んだのは、社会福祉法人としてではなく、「株式会社恋する豚研究所」という販売会社をつくること。そうすることで、「福祉」の文字のないパッケージをつくり、これまでの「豚肉」のイメージを覆すブランドを生み出そうと考えたのです。

お客様のターゲットを「東急線沿線に住む30〜40代の独身女性」と定め、それに合わせた建築や商品パッケージ、ウェブサイトをトップクリエイターと共につくりあげていきました。

現在では、大手の百貨店や都内の高級スーパーなど、販売先は徐々に広がりつつあります。
 

精肉、ハム、ベーコンといった商品はネットでの販売も行っており、ギフトにも最適。「恋する」とは、「豚に恋する」のではなく、「豚が恋する」イメージなのだとか

さらに飯田さんは、トップクリエイターを起用した理由について、「売る」ためだけではないと話します。

農業や福祉は、すごくクリエイティブな仕事なんです。豚は同じ配合でエサを与えても同じ味にはなりませんし、ケアもマニュアルどおりには絶対にいかない。一回性で再現できないので、すべてを科学で語ることはできません。

20世紀は科学の時代でしたが、21世紀は、クリエイティブの時代だと思います。

「恋する豚研究所」の建築や、洗練されたパッケージデザインへのこだわりは、農業や福祉に内在するクリエイティビティを社会に発信し、価値を高めていきたいと考える、飯田さんの強いメッセージでもあるのです。
 

老若男女、様々な人が集うレストラン。ランチタイムには、平日でも行列ができるほどのにぎわいを見せています。

「福祉」を越え、複合モデルとしての地域ケアへ。

こうして「恋する豚研究所」を軸に、豚の加工場、レストラン、事務所でも障害のある方の仕事が生まれていきました。でも、「豚を売ればいいという話じゃない」と、飯田さん。

社会福祉法人福祉楽団では、地域に根ざした老人ホームやデイサービス、訪問介護などの事業を展開していますが、これからは農林業と「福祉」を組み合わせた具体的なプロジェクトを進めていくといいます。

その一つが、「里山はたらくプロジェクト」です。荒れていく里山に入り、高齢者や障害のある方々とともに間伐や下草刈りを実施。間伐材を薪や木材燃料に加工し、地域に供給する仕組みづくりを行っています。
 

レストランの裏手にある杉林では薪割りをするスタッフの姿も。施設内の薪ストーブの燃料として使用する他、地域への供給も行っています。

山に入ることで、雇用は生まれるし、地域のエネルギー循環もできる。そして何より、山がきれいになるとお年寄りが笑顔になります。

来年には拠点を整備して、本格的に林業に取り組んでいきます。そして同時に、耕作しなくなった畑を借り受けて、農業も展開していく予定です。

これまでの「福祉」の事業形態にとらわれず、地域の人が笑顔になることに取り組んでいこうとする飯田さん。様々な“枠”を取り払おうとする姿勢そのままに、「障害者」という表現に対しても異議を唱えます。

「障害者」と語った時点で、「自分は障害者じゃない」と言っているんです。でも、障害者、健常者というのは、絶対的に決まるものじゃなくて、社会との関係性で相対的に決まるものなんですよね。

ということは、私も障害者になる可能性がある、と言いますか、社会をどう切り取るかによって、自分も障害者になることを自覚しておくことが大切だと思います。

福祉楽団では、その他にも隣町の多古町の中心市街地の活性化を図るため、大学生100人を受け入れてフィールドワークを行ったり、埼玉県吉川町の団地で、子どもやお年寄りのニーズに応える新しいタイプのケアオフィスを立ち上げたりするなど、様々な事業を展開しています。
 

「多古新町ハウス」にある寺子屋では、大学生による無料の学習支援を実施。放課後には、近隣の中高生たちで賑わっています

「福祉」の領域を越えて、複合モデルとして地域の課題解決に取り組む飯田さん。

「お金」ではなく「人」を中心に置いて考える飯田さんの取り組みには、「林業」「農業」「福祉」といったカテゴライズはもはや必要ありません。

そもそも人の生活はさまざまな要素が複合的に存在しているものなので、人を中心に考えていくと、すべては自然に統合されていきます。

うちのおじいちゃんは、自分の山から木を切り出して、製材して、近所の人たちに手伝ってもらって家を建てた。庭先で鶏をさばいていた。農業も林業も建築業も、みんなやっていたわけですよ。

それが産業化とともに分業化されて、結局、自分がどうやって生かされているのかわからなくなっちゃった。本来の生活のあり方を取り戻していく過程が、今なんだと思います。

だからと言って、江戸時代の生活に戻ればいいという話ではなく、歴史にヒントはもらいながらも、未来に向かって新しい生活モデルや地域の仕組みをつくりたい。だって、そのほうが、生きていることが楽しいでしょ。

飯田さんに、取組みの中で大事にしていることを尋ねると、「楽しいかどうか」と、答えてくれました。そしてもうひとつ、判断を迷った時に心に留めておきたい、大切なことが飯田さんにはあると言います。

自分もいっぱい助けてもらって今があるわけだから、ちゃんとそれが人のためになっているかどうか、それが一番の基準です。でもそれって、大したことじゃないんです。

ゴミが落ちているから拾うとか、エレベーターで一緒になった人に「おつかれさま」と言うとか、そんなこと。大したことやってないんです、僕は(笑)

「大したことない」。飯田さんはそう笑いますが、東京、千葉、埼玉を往復する忙しい毎日の中でも、地域の草刈りに参加したり、近所の家にお茶を飲みに行ったり、通りがかった高校生に声をかけたり。

自然体ながら、その行動が地域課題への気づきとつながりを生み出し、ケアの実践へとつながっているのは、間違いありません。
 

近くの農業高校生が売り歩く花の苗を数鉢買って、デイサービスのお年寄りのもとへ。何気ない行動の中に、飯田さんの人柄が感じられました

飯田さんの言動から感じるのは、人間が単純な「個」という存在ではなく、つながりの中にあるということ。現代の地域に潜む課題の多くは、医療も介護も教育も食も、すべて分業化の末に外部化されてきた結果、ひずみが生じたものなのかも知れません。

そしてそれはもちろん、農村の問題だけではありません。各地で同時多発的に、その地域の課題に複合的に取り組むプレイヤーが生まれれば、社会は変わっていく。飯田さんは、今、そんな未来を見据えています。

世界で起こっていることを見据えた上で、「じゃあ、自分の地域で何ができるの?」と考えることが必要なんだと思います。それが、自分の住んでいる地域を住みやすくしていくことにつながるんだと思いますよ。

あなたの地域の課題は何でしょうか。ひとつ、ではないですよね。少し視点を変えて、もう少し広い視野で複合的に捉えてみると、「すべてはつながっている」ことに気づくはず。

未来へとつながる地域づくりは、そんな小さな気づきから始まるのかもしれません。