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進まないなら自分でやるしかない! 研究機関を飛び出して太陽光発電所をつくった研究者・馬上丈司さんが語る、地域に根ざした再エネ事業のつくりかた

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わたしたち電力」は、これまで“他人ごと”だった「再生可能エネルギー」を、みんなの“じぶんごと”にするプロジェクトです。エネルギーを減らしたりつくったりすることで生まれる幸せが広がって、「再生可能エネルギー」がみんなの“文化”になることを目指しています。

全国で再生可能エネルギーを導入する地域が増えています。特に太陽光発電所は、超大型のメガソーラーから、住宅屋根に設置する小規模の設備まで、爆発的な広がりを見せていることは皆さんもご承知の通り。

太陽光発電所をつくる主体(事業主)はさまざまで、個人はもちろん、地域の市民団体や、地元に根ざした企業、それから自治体、東京に本社のある大手企業など、多種多様なプレイヤーが参加しています。

そんな中でも、今回紹介するのは“大学発のベンチャー”である「千葉エコ・エネルギー株式会社(CEE)」。千葉大学講師(当時)の馬上丈司さんが設立したベンチャー企業で、千葉市内に「千葉加曽利太陽光発電所」(出力183.6kW)を建設し、今日も順調に発電しています。
 
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「千葉加曽利太陽光発電所」

再生可能エネルギー政策の研究者である馬上さんは、「ベンチャーの社長を目指していたわけではない」そうなのですが、2012年10月に千葉大学の仲間とともに起業。当時馬上さんは29歳、決意を固めてから設立まで、わずか3ヵ月だったそうです。
 
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もちろん、太陽光発電所を建設した経験はありません。土地の確保から資金調達、建設など、全てが初めての挑戦でしたが、それでも馬上さんには自分で太陽光発電所をつくらなければならなかった“理由”がありました。

政策研究からビジネスへ、「支援する」側から「自分で行動する」側へ。研究者と経営者の2つのまなざしで、再生可能エネルギーの明日を見つめる馬上さんに迫ります。

千葉大学発!地域に根ざした「千葉エコ・エネルギー株式会社」

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完成した発電所の前でスタッフの皆さんと

まずは「千葉エコ・エネルギー株式会社」の現在の姿を紹介しましょう。

フルタイムで働くのは3名で、代表取締役社長の馬上さんのほか、司法書士事務所に勤めていた総務担当と、IT企業を退職して参加することになったファイナンス担当。3人とも、千葉大学の学生時代からの仲間です。

また、再生可能エネルギーを研究する大学院生や学生インターンらが参加し、現在のところメンバーは9名。「20代前半のメンバーが多い」とのこと。
 
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馬上さん(左)とインタビューに同席していただいた小池哲司さん(右)。小池さんは千葉大学大学院生で会社設立時からのメンバー。23歳の若さで地域の事業支援で全国を飛び回りながら広報も担当されています

ちなみに本社は千葉大学のある西千葉駅近く。人も場所も、まさに千葉大学に根ざしたベンチャーです。

「千葉エコ・エネルギー」は大きく3つの事業を行っています。

1つ目は再生可能エネルギー発電事業の事業性評価。これは太陽光発電所の発電量の予測や建設コストを試算しビジネスとして成り立つのかを検証する仕事です。大手の開発会社から依頼されることも多いのだとか。

2つ目は再生可能エネルギーを活用した地域活性化支援・コンサルティング。例えば長野県小布施町では地域エネルギー計画のコンサルティングを行っており、宮崎県高原町では小水力発電の導入を支援しています。
 
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小布施町での会議にて

3つ目が自社発電事業で、自社で土地を借りて発電所を所有し、売電の利益を上げるビジネスです。冒頭に触れた「千葉加曽利太陽光発電所」もこの事業の一環。その他、太陽光発電所の設計・建設のコンサルティングを依頼される機会も増えてきました。
 
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スマートフォンやタブレットの充電にもってこいの「ナノ発電所」。ソーラーパネルとバッテリーがセットになっています

さらに、都市部でも手軽に取り組めるソーラー発電システム「ナノ発電所」の販売や、講演会などでの情報発信など、再生可能エネルギーの普及に向けた、さまざまな活動を行っています。

気になる経営も、現在までは非常に順調。毎年右肩上がりで成長している「千葉エコ・エネルギー」を立ち上げた馬上さんは、いったいどんな人なのでしょう?

「手を動かす人のサポートにはならない」

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馬上さんが環境問題に関心を抱くようになったのは、小学生の頃。自身が気管支ぜんそくで、千葉市の郊外に引っ越した経験があるなど、大気汚染は特に身近で切実な問題でした。

四大公害病のことを習ったのは、小学校4年生か5年生ぐらいだったと思います。その後も環境問題に触れていく中で、政治や政策が変わることで、問題が解決していくんだと実感しましたね。経済活動だけでは解決しない、政策が重要なんだと。

そんな思いを抱きながら環境問題の研究者を志し、千葉大学へ。2000年代に入った当時の日本では、環境問題や地球温暖化がクローズアップされ、「新エネルギー」という名で再生可能エネルギーの導入が増えてきていました。

時代の要請を感じながら、学部では環境政策や環境経済を学び、進学した大学院では日本で初めて「公共学」の博士号を取得。千葉大学の講師としてエネルギー政策の講義を持つことになります。

研究者として第一線を歩んできた馬上さんですが、なぜ起業を志したのでしょうか?

きっかけは3.11です。父親の実家が福島にあったということもあり、震災後は駆り立てられるように復興ボランティアに参加しました。陸前高田の惨状を目の当たりにした衝撃は今でも心に残っています。

その翌年、私のゼミの教員である倉阪秀史教授が中心となって「再生可能エネルギーを使っていかに仕事をつくるか」をテーマにした連続セミナーを仙台で開催することになり、私もスタッフとして参加しました。

再エネ分野のさまざまな専門家・実務家をお招きしたセミナーはとても充実した内容でしたが、研究者がどれだけアドバイスしても、実際に手を動かす人の具体的なサポートはできないと強く感じました。

政策や制度について話すことはできても、事業計画の立て方や資金調達の方法、建設のノウハウは研究者には教えられない。そこがどうしても引っかかったんです。

セミナーで感じた研究者としての無力感。それを払拭するために身近な環境で行動することを決意し、馬上さんは学生の有志とともに「学内太陽光発電所プロジェクト」を立ち上げます。

千葉大学内に大規模な太陽光発電所を建設する計画を立案し、学生からの提案として大学側に働きかけました。研究者としてアドバイスする立場から、発電所をつくるためのアクションを始めたのです。

ところが、2ヵ月ほど動き回りましたが、形になりませんでした。信頼できる事業者を探すのが難しい、と大学側は考えていたのです。

大学は動かないか、動いたとしても非常に時間がかかる。そんな時間はない。事業者を探せないのなら自分が事業者になるしかない。大学で発電所をつくれないなら、自分でつくるしかないなと。この時私は起業を決意したんです。

やる人がいないなら自分でやる。起業のきっかけはとてもシンプルな理由ですが、実業の世界は経験がなかったと馬上さんは言います。

大学時代の活動を通して、組織のなかで仕事をするノウハウは身に付いていたと思いますが、起業することについては全くの素人でした。

「学内太陽光発電プロジェクト」を一緒に進めてきた仲間に助けられた部分は大きいですね。準備期間は、千葉大学のベンチャー設立支援の窓口に行ったり、千葉市のインキュベーションサポートを受けたり、大学から紹介してもらって地域の金融機関である千葉銀行に話を聞きに行ったり。

怒濤の日々でしたが、起業を決意してから3ヵ月後には、資本金300万円で「千葉エコ・エネルギー」を設立することができました。

地域の力でつくり上げた発電所

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会社設立後、縁がつながって事業性評価の仕事が入るようになり、その事業が軌道に乗り始めます。地域での再生可能エネルギー導入支援といった事業も始まる中、馬上さんの頭には「発電所の建設」という目標が常にありました。

実現のきっかけは千葉市による太陽光発電ビジネスマッチング事業でした。太陽光発電ビジネスマッチングとは、千葉市内で土地を貸したい地主さんと、太陽光発電事業者をつなぐ事業のこと。千葉市のWebサイトに、千葉エコ・エネルギーの本社にも近い土地が候補地として掲載されていたのです。

すぐに応募して、地主さんとの交渉を始めました。学生団体ではなく「株式会社」だということで地主さんにも信頼していただけたようです。それも千葉に根ざしたローカル企業で「千葉大学の先生が社長」ということも評価され、私たちを事業者に選んでいただきました。

とはいえ、その時点で太陽光発電所の実績はないはず。どうやって計画を立案したのでしょうか?

太陽光発電所建設のフロー自体は、「自然電力株式会社」のお手伝いをする中で経験できていたんです。

「自然電力」さんとは、代表取締役の磯野さんが仙台のセミナーに講師としていらっしゃった時に出会いました。

おおまかに全体を把握した経験をもとに、自分や仲間の専門性を活かして、発電所の事業計画をつくっていきました。私は固定価格買取制度(FIT)などの政策・制度や、施工業者との折衝を担当し、土地登記や資金調達のための銀行との交渉は仲間に任せました。

ただ発電所のレイアウトを検討するために、設計に用いるCADは一から使い方を学びましたし、維持管理を見据えて第二種電気工事士の資格も1ヵ月みっちり勉強して取得しましたね。

設立のベースには人の縁や仲間の力があり、さらに足りないスキルは努力して補っていった馬上さん。

そして建設自体は、地域の企業の協力を得て進めることができました。資金は地元「千葉銀行」から調達して、実際の工事は以前イベントで社長にお会いした地元の電気工事会社「株式会社大木無線電気」さんに依頼ができて。千葉のローカルな企業が、千葉で、千葉の会社とともに進めるプロジェクトになりました。

そして2014年12月に発電所は完成。千葉大学内で始まったプロジェクトは、大きく成長して学外へと飛び出し、ようやくひとつの形になったのです。

事業を担う、地域に根ざした主体が必要

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これまでのところ事業は順調ですが、「実業の世界ならではの苦しさがある」と馬上さんは話します。

例えば、太陽光発電のプレイヤーの中には、地域活性化のために再生可能エネルギーを活用したいと考える事業主だけではなく、純粋な投資収益を得ることを目的にする方もいます。当然、純粋なビジネスとしての金額面のすり合わせも行う必要があり、消耗することもあるとか。

また、市民主体の事業を志しながら、計画が頓挫してしまうケースもあります。

小規模の太陽光発電ならまだしも、規模が大きくなればなるほど、必要な資金も作業量も膨大になり、市民活動の延長線上の取り組みではなかなか実現するのが厳しいんです。

事業としての体制づくりがうまくいかず、資金調達に難航し、計画を進めることができなくなってしまった例もありました。私たちはできるのは事業を支援することであり、地域に根を張り事業を担っていく主体が必要だと改めて感じます。

ご当地エネルギーをつなぐエネルギーカンパニーを目指して

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CEEの社員旅行で記念撮影

事業を支える主体とともに汗を流し、再生可能エネルギー普及に貢献する。それが「千葉エコ・エネルギー」の目指す姿ですが、馬上さんは現在の会社の事業内容にまだまだ満足していません。

今後は、再生可能エネルギー導入に必要な人や組織をつないで、アレンジする仕事がしたいですね。もちろん大企業なら、開発から運用まですべて自社で完結できるかもしれませんが、地域のエネルギー会社ではできることが限られます。

ならば、必要なスキルを持つ人や組織を引っ張って来ればいい。計画づくりや事業性評価は「千葉エコ・エネルギー」が、工事ならこの会社、地域住民との合意形成の場づくりはこの人が得意…などとそれぞれの専門性に応じて振り分けていく。トータルコーディネーターのような機能を果たしていきたいですね。

再生可能エネルギーのプレイヤー同士をつなぐ仕事を考えている馬上さんですが、目標はさらにその先へ、広がります。

将来的には、地域同士が情報発信できるように、地域のネットワーク化を促していきたいですね。全国のご当地エネルギーが集うエネルギーカンパニーに辿り着けたら最高です! でもまだまだやるべきことはたくさん。会社としてはようやく1合目を超えたぐらいですかね。

「何のための再エネ?」を改めて考える

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経営者として「千葉エコ・エネルギー」の未来を見据える馬上さん。同時に、再生可能エネルギーの研究者として、地域の未来について考えています。全国で再エネ導入に取り組もうとしている人へのメッセージもいただきました。

地域で再生可能エネルギーに取り組みたい。そのとき、何のために事業をやりたいのか、理由を考えることが大切です。

エネルギーの自給率を高めるため? 化石燃料費のために国外に流出している資金を地域で循環させるため?売電収益を農業支援に活かすため? など、地域によってさまざまな理由があると思います。ソーラーパネルを設置したいからではなく、その先の目的が何かを明確にすることが、事業を持続させるために必要だと私は考えています。

地域における再生可能エネルギーの活用への注目が高まっている今、原点ともいえる「目的」をしっかりと据える大切さを、改めて考え直す必要があるのかもしれません。

どんな質問にも論理的かつ明快に答えてくれた馬上さん。さすが研究者と思う一方で、ベンチャー経営については「仲間」と「人の縁」に助けられながら何とかやってきた、と感謝の思いと苦労をにじませながら熱く語っていただき、言葉の端々から、強い意志と覚悟、そして勇気が伝わってきました。

再エネの普及のためには自分が変わらなければと気づき、これまで考えてもみなかった(苦手としていた)会社経営の世界に足を踏み入れる。それは、大変なプレッシャーと不安の中で踏み出した一歩のはずです。まさに人生をかけて馬上さんはベンチャー設立に挑戦したのです。

確かに馬上さんは、知識も豊富で、たくさんの人脈を持っていたことがベンチャー設立の支えになっていると思います。それは、他の人には真似できない部分かもしれません。しかし、自分の専門外の世界へと飛び出した挑戦心そのものは、誰もが持ちえるものだと思います。

多少不安でも、慣れない世界だったとしても、自分を変えることを恐れず、アクションする。その積み重ねが、社会を少しずつより良い方向にしていくのかもしれません。

みなさんも、自分には何ができそうか、考えてみませんか?