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モヤモヤから始まる、人生のストーリー。アパレル業界から一転、農家になった「和田農園」北村佳代さんに聞く、一生の仕事の見つけかた

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日々の暮らしの中で、一番自分らしい時間はどんな時ですか?

日々の暮らしは自分の時間の積み重ね、いわば、「人生というストーリー」です。その時間を紡ぎながらつくるストーリーはもちろん自分にしかつくることができないもの。

自分に与えられた時間を、日々、ワクワクしながら暮らしたいと願うのは誰もみな同じではないでしょうか。

今回、ご紹介するのは、25歳で「和田農園」を継ぐ決心をした、代表の北村佳代さんです。

「和田農園」は、北村さんの母方の家業。北村さんは「和田農園」の後継者でも、就農を目指していた訳でもありません。

アパレル業界で活躍する20代を送りながらも、「自分にしかできないことをして、人生というストーリーをつくる暮らしってなんだろう?」と疑問を持っていたという北村さん。大好きだった祖父の果樹園が存続の危機に瀕したことを機に、「和田農園」を継ぐ決心をしました。

北村さんは言います。

「休みも時間も関係なく、真剣に仕事をしていても、大変でも、私にしかできないことがしたいと思ったら農家でした」

今回は、「和田農園」の北村佳代さんに“暮らすように仕事をする、一生の仕事の見つけ方”を伺いました。
 
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「和田農園」代表、北村佳代さん服飾学校を卒業のち、アパレル関係のアトリエでデザインや型紙のチェック、制作を手がけるなど活躍しながらも、25歳で自分の生き方に疑問を持ち、果樹園を継ぐことに。

徹底的に地域と人とつながりながら仕事をつくる

神奈川県小田原市。曽我の梅林でも有名な小田原市の北東エリアは、今も見事な梅林や果樹園、田畑が広がる自然豊かな場所。「和田農園」は、この土地で代々続く、梅やみかん、柿など育てる果樹農園です。

現在は、北村佳代さんが、家族や親戚のサポートを得ながら、地域とつながる農家を目指して、日々、果樹を育て、生産から販売まで行っています。
 
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「和田農園」の本家にある築年数不明という作業小屋。今も出荷の作業場として健在。

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祖父から継いだ梅林。春には見事な梅の花が咲く。

「和田農園」は、北村さんの母方の祖父が営んでいましたが、祖父の他界をきっかけに北村さんが継ぐことに。農家で生まれ育ったわけではなかった北村さんがその決断をしたのは25歳の時でした。

右も左もわからないまま飛び込んだ農家の世界でしたが、家族や周りの農家さんの助けも借りながら、北村さん独自の目線で、地域の活性やつながりを大切にした、新しい「和田農園」のあり方を模索しながらもつくっています。
 
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環境や人に優しい農家を目指したいという北村さんの想いから野菜はすべてオーガニックへ。家族と話し合いながら少しづつ減農薬・無農薬栽培に取り組んでいるそう。

「できる限りお客さんの顔を見て、「和田農園」の果実や野菜を届けたい」という北村さん。そこには果実や野菜を買う人を”お客さん”としてだけではなく、「自分の仕事で出会った人」としてとらえ、その出会いを大事にしたいという想いがあります。

就農して8年目を迎え、北村さんは月日を重ねるごとに「暮らしの中の出会いから生まれる仕事が増えた」と言います。

そのひとつが、環境問題や働き方、ものづくりに意識の高いアパレルメーカー、「Patagonia」とのファーマーズマーケット。横浜にあるパタゴニア・ベイサイド・アウトレット店の常連だった北村さんが農家であることを知って、スタッフさんからの提案でベイサイド店の新しい試み、「ファーマーズマーケット」を一緒につくることになったのです。
 
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パタゴニア ベイサイド・アウトレット店のファーマーズマーケット。(c)パタゴニア ベイサイド・アウトレット

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パタゴニアでウェアを買うように、その店先でオーガニック野菜を買うことができるファーマーズマーケット。その立ち上げから携わる北村さん。(c)パタゴニア ベイサイド・アウトレット

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「和田農園」、北村さん(左から2番目)とファーマーズマーケットのみなさん。パタゴニアのスタッフ、湘南、横浜で活躍する有機農家とともに「ローカルな場所をつくる」をテーマとしたマルシェを定期で開催。

パタゴニアのスタッフや、マーケットに携わる人たちと関係を深めながら、ファーマーズマーケットに参加している北村さん。

このつながりから、野菜や果物をつくるだけでは終わらない、農家としての新しい社会との関わり方や、北村さん自身も関心のある環境の課題に対して自分が参加できることに気づいたと言います。

一方、地元では同じ小田原市で片浦地区の活性を目的に活動する「片浦 食とエネルギーの地産地消プロジェクト」のメンバーも務めています。

プロジェクトの場づくりから携わったり、地域のマルシェにも積極的に参加したりと、北村さん持ち前のフットワークの良さで、「和田農園」、そして、仲間やお客さんとの新しい関係をつくってきました。
 
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片浦「食」とエネルギーの地産地消プロジェクト。廃校になった中学校の校庭にパーマカルチャーを取り入れた畑とガーデンキッチンを製作。

休日を楽しみにする生き方から日々を楽しむ生き方へ

「和田農園」を継ぐと決めたとき、北村さんは服飾学校を卒業し、アパレルの仕事に就いて4年目でした。やりがいのある仕事を任されて、日々忙しく充実した毎日を送っていたそうです。

それにしても、アパレル業界で活躍していた北村さんが、農家というまったく別な世界に飛び込む決意をしたのはどうしてだったのでしょう?
 
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春を前に柿の剪定。就農当時はまったくわからなかったという果樹の剪定も今では自分なりの柿の剪定が語れるほどに。

実は、「和田農園」を継ぐと決意するまで、まったく農業には関心がなかったんです。

服飾の仕事を選んだ理由は、”一生の仕事がしたい”という想いからでした。一生の仕事っていうのは、手に職のようなイメージがあったんですね。

型から現物を仕立てるまで、日々手を動かし、仕事に慣れていく中で、ふと、この仕事はほかの誰かにもできることじゃないかな、と思ったんです。同時に自分にしかできない一生の仕事ってなに? と。

また、日々の暮らしと仕事が自分の中でつながっていないことにも、「なにか違う」というモヤモヤした想いを抱いていたそうです。

次のお休みには、なにしようかな? ってワクワクしている自分がいて。でも、それは日々がワクワクしていないから「休み」に期待しているんだと思ったんです。

自分が描く「一生の仕事」は一生続けていきたいと思えること。それが暮らしとつながって、毎日ワクワクする生き方がしたいと思いました。

北村さんが、そんな風に考え始めた時に、「和田農園」の先代である祖父が他界。残された祖母と北村さんのお母さんだけでは、果樹園全てを管理できないという課題が目の前に現れたのです。

果樹園を維持できないということは代々手入れしてきた果樹の木を切り倒し、根こそぎにするということ。「和田農園」周辺の地区でも、残念ながら後継者不足から、果樹が切り倒され、更地にされる光景を目にすることは日常にあったそうです。
 
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代々受け継がれる「和田農園」の柿の木。今は北村さんが手塩をかけ、毎年おいしい柿がたわわに実ります。

当たり前のように広がっていたおじいちゃんの果樹園がなくなるなんて想像もしていませんでした。そこではじめて、変わらない風景っていうのは誰かが守っていて、継いでいくという大きなエネルギーが必要なんだと気付いたんです。

当時、私は会社員でしたが、自分の大切な風景を変えないために大きなエネルギーが必要なら、私が「和田農園」をやりたいと思いました。なにより、変わらない風景を守るということは誰にでも簡単にできる仕事ではないと思ったんです。

北村さんは、大切な風景を守りたい一心で農家への転身を決断。すばやく行動に移します。最初は驚いていた家族から了承を得ると、祖父が他界した翌月には仕事を辞め、そのまた翌月にはもう就農してしまったそうです。

「和田農園」を継いで農家になることは、北村さんにとって「自分にしかできない一生の仕事」でした。とはいえ、初めての農家の世界は、北村さんにとっては未知のことばかり。最初から「毎日ワクワクする」ことができたわけではありませんでした。

就農して2年ほどは、現場で学び、帰宅後はひたすら果樹や農業の本を読む日々。周りを見渡しても、25歳の北村さんほど若手の農家はありません。

もともと農家の後継者として、農業学校を卒業して農家を継いだ若手農家さんと北村さんでは就農の経緯も違ったため、”後継者”としての自分の未熟さに悩むこともあったそう。それでも、地域の目は温かく、それが励みになったと言います。

「おじいさんには世話になった」って、就農したてのころから地域のみなさんが本当に良くしてくれました。でも、時には「こんな剪定をして!」って叱られたり(笑) 

会社員時代、地域や人とのつながりを特段意識していなかった自分が、こんなにいろんな人に助けられ仕事ができるなんて思ってもいなかったんです。農家になって、改めて、地域や人とのつながりの大切さに気づきました。

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地元の大先輩農家さんから大きな声で「かよちゃん!」と呼び止められ、そこから世間話が続くこともしばしば。「わたしのプライベートなんてどこにもないですよ(笑) でも、それでいいと思ってます」と笑顔。

経験を重ね、少しずつ果樹の世話や出荷など仕事を身につけていった北村さん。だんだん「暮らしが仕事につながりワクワクする生き方」が見えてきたと言います。

私が和田農家として地域や人とどう関わりたいのかなって考えるようになりました。そう考えると、果樹を育てる、売るだけが仕事じゃないって気づいて。

例えば、友人とご飯を食べにいっても、どこかに出掛けていても興味が沸くと「わたしが農家としてできることってなにかな?」って考えるようになったんです。

すると自然にファーマーズマーケットやプロジェクトの場づくりなど、自分の興味と仕事が重なり合う機会が増えていったそう。そのきっかけ一つひとつが、今、北村さんのつくる新しい「和田農園」の仕事につながっています。

もちろん果樹や野菜をつくる仕事は一番大切にしています。日々学びですね。しんどい時もあるけど、暮らしと仕事がべったりつながっているこの環境がわたしは好きです。

価値観が変わったら人生が変わった!

アパレル業界から、一転、農家の道へ。暮らしも仕事も大きく変わる決断をした北村さんですが、会社員から農家に転身したことによる、一番大きな変化はなんだったのでしょうか?
 
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縄文土器作家 薬王寺太一さんの土器ワークショップ参加したことをきっかけに土器焼きに使う薪を「和田農園」が提供。北村さんとつながりを持つ人が自然と集まってくる「和田農園」。

一番変わったのは価値観です。野菜や果実、食べ物をこだわってつくっているので、値段や評判ではなく、手間ヒマや人の想いがこもっている食べ物や素材に関心がいくようになりました。服も靴もたくさん持たなくていいですよね、普段は農作業着ですから(笑)

暮らしに必要なものが変わり、そんなに多くのものがなくても、楽しく、心地よく暮らせることに気づきました。それよりも人と出会うこと、技術を身につけていかに自分や家族、みんなが楽しく心地よく過ごせるかを学ぶことの方がお金を稼ぐ時間より大切だと思うようになりました。

農家の仕事も段々と身につき、3年ほど経ったころからは「自分と同じような価値観で暮らしをつくる人たちにもっと出会いたい」と、気になるイベントや地域のプロジェクトなどに積極的に足を運んだそう。するとあっという間に、地域や人との輪が広がっていきました。
 
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小田原・江の浦地区 イェンス・イェンセン氏が手がけるコロニーヘーヴ「エノコロ」の仲間たち。カメラマンや農家、染めもの職人…。ここに集う様々な人から生き方・暮らし方を学ぶことも多いと北村さん。(c)Ben Matsunaga

価値観が変わり、出会う人たちが変わったら、人生がまったく変わっていったと北村さんは言います。

会社員時代、この道を進めばなんとなく暮らしていけると思っていました。でも、今は出会うひとたちと一緒に暮らしをつくっています。将来、こうなると道が決まっていなくても自然と道はできるんですよね。それが日々、楽しいんです。

暮らすように仕事をする=自分の価値観で生きる

25歳でアパレル業から農家へと転身し、北村さんは暮らしから仕事をつくる生き方を大切にしてきました。最後に、北村さんに、今の暮らしと仕事に対する向き合い方についてお話を伺いました。

わたしにとって”仕事”は、「金銭を稼ぐ」が先に立つのではなくて、自分の暮らしから、人や土地とのつながりが生まれ、そこから派生していくものなのかなと思います。

「一生の仕事がしたい」という気持ちと、「和田農園を未来まで継ぐ」という意思を持って暮らしていると、自然とほしいものや、出会い、きっかけが生まれてくるんですよね。その出会いやきっかけの中で自分の仕事が生かされる。

するとどんどん仕事と暮らしの境も自然となくなっていって、暮らしそのものが楽しくなる。そんな毎日を送ること、それが、今私が想う一生の仕事をつくるということです。

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(c)パタゴニア・ベイサイドアウトレット

農家は、実際にはとても大変な仕事です。早朝から畑に出て種まきや収穫、出荷の仕事をして、家に帰ればまた試食の模索や種の発注、書類作業…。ほとんど休みはありません。

でも、その「大変さ」をも暮らしや仕事のなかで楽しもうとする姿が北村さんにはありました。

暮らしと仕事が分ちがたく結びついた生活を送る、北村さんのお話を聞いていると「暮らすように仕事をする」という言葉が浮かんできました。

「暮らすように仕事をする」ということは、自分の価値観で生きること。自分の生きる時間を丸ごと、楽しみながら仕事を営むということだと思います。そこには、仕事をする=金銭を稼ぐ、ではなくそこを超えた、自分の価値観で生きるヒントが多くあるのではないでしょうか。

北村さんは、「まずは自分の中にあるモヤモヤした気持ちに向き合うことで、新しい人生が始まった」と教えてくれました。

自分のモヤモヤに気づき、答えを探したくなったら、「和田農園」の北村さんに会いにいってみませんか?

モヤモヤからあなただけの新しい人生のストーリーは始まるのですから!