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東北に行く理由を残しつづけるために、音楽ができることって? 東北生まれのフェスをつなぐ「みちのくフェスティバルライン」 が誕生!

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石巻で行われる、街を回遊して楽しむフェス「PARKROCK ISHINOMAKI」を主催する岡泰史さんや、ボランティアをカジュアルにすることをテーマに活動する「NPO法人ボランティアインフォ」の代表北村孝之さんたちが、東北で行われる様々なフェスの横のつながりを作るために「みちのくフェスティバルライン」を立ち上げました。

アースガーデンウェブとしてはなんとしても見逃せない! ということで、岡さんにお話聞いてきました。

石巻で起きている超絶クリエイティブなこと

まず、フェスの話をするのまえに、みなさんに伝えておきたいことがあります。それは、石巻で巻き起こっている超絶クリエイティブな新しい街のあり方について。

僕は石巻出身ですが、地震のときは東京で仕事をしていたので、石巻の地震は経験していないんです。

経験談として未来に伝えていくことはできないけど、何かで復興に携わりたいなと思っていて、自分が好きな音楽を使って、どういうふうに石巻が変わっていったのかを伝えられる人になりたいなと。

震災後の石巻では、緊急支援、緊急ボランティアと同時に、ボコボコと新しいアクションを起こす人があらわれはじめました。それらをずらりと見ることができる「ISHINOMAKI 2.0」のウェブサイトはぜひ見て欲しいです。
 
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石巻で起きているクリエイティブなことが、ずらりと見れます。

ISHINOMAKI 2.0とは
ISHINOMAKI 2.0は東日本大震災を経験した石巻というまちを、震災前の状況に戻すのではなく、新しいまちへとバージョンアップさせるために2011年6月に設立されました。

メンバーには地元の若い商店主やNPO職員をはじめ、建築家、まちづくり研究者、広告クリエイター、Webディレクター、学生など様々な職能を持つ専門家が集まっています。

震災後、ジャンルに縛られない多種多様なプロジェクトを実現させてきました。石巻に元からあるリソースを丁寧に拾い上げ、全国のありとあらゆる才能と結びつけて今までになかった新しいコミュニケーションを生み出しています。

ISHINOMAKI 2.0は常にオープンな集団です。石巻の内外の人々を巻き込みながら、すべての人がまちづくりの主役となるような仕組みをつくりだそうとしています。

石巻のバージョンアップが、日本のバージョンアップのモデルになることを目指しています。
ISHINOMAKI 2.0より引用

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石巻も他の地方と一緒で、結構閉鎖的なんですけど、震災があって、いろんな人が助けに来てくれて、地元の人も慣れたというか、開けたなと思います。

今までになかった文化を取り入れるなら今だって思っているんですよ。

実際に、移り住んでお店を開いたりとか、完全に移り住んでいる人も多いんですね。そういう人たちがまた新しい人を呼んできたりして、それが当たり前になってるんです。新しいライフスタイルができていってるのだと思います。

世界で一番面白い街をつくろう

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例えば、 石巻の子どもたちにITを学ぶ場所と機会をつくり、地域産業×ITを目指す「イトナブ」の活躍により、小学生や中学生がアプリを作って発表したり、ISHINOMAKI 2.0のメンバーと石巻工業高校の生徒たちが、家具メーカーのハーマンミラーと協力し祭りのためのベンチをつくったり、毎年7月下旬に行われるお祭りで、クリエイティヴチームのライゾマティクスによるVJが行われたりと、とんでもないことがおきているんです。

それは今話題のアメリカのクリエイティブな都市「ポートランド」に似ているとも言われています。
 

震災後の石巻は「世界で一番面白い街をつくろう」という希望に満ちた街の人たちと、「未来をつくる当事者になろう」という気概をもった人材や企業を、日本だけでなく世界中から集めています。

石巻の中の人と外の人、民間と行政と企業がいっしょに未来を考えながら、いままでにない新しい価値をつくる。

そこで生まれた成果がさらに創造的な人々を惹き付けるという循環が起き、石巻をさらにパワフルにしていく。この創造的循環が起こっているという点が、ポートランドとの大きな共通点であり、叡智なのかもしれません。

Next Wisdom Gathering003より引用

地震のあと、たくさんのモノが生まれてきたんです。それを「文化」にしたい。30年後、40年後に、文化が震災を物語ってくれるんじゃないかって。

僕は、石巻でフェスをやっていますが、ここで新しい音楽の文化が育って、アーティストが集ってくれるようになったら、未来の子どもたちは絶対不思議に思うじゃないですか。

震災のことを実体験で知らない人たちに「石巻ってすごいね」って言われるようになったら「震災があってこういうことが起きたんだよ」って、震災のことを語ることができる。

ITだって、モノづくりだって、なんで石巻がこんなに盛んなんだろうって不思議に思うだろうし、今後の石巻の街づくりってどんどんそういうことが起きていって、そのときに「復旧」じゃない「復興」っていうか、そこで新しい石巻っていうのが、ようやく生まれてくるのかなって思うんです。

あぁ、すごい。なんだよ、このワクワク感!石巻、超絶おもしろすぎるじゃんか!!あぁ、もう行きたくてしょうがいない!!

しかも、今年の「PARKROCK ISHINOMAKI」の開催日、2015年5月30日は最高に象徴的な日なのです。

ちょうどこの日に仙台と石巻を結ぶ仙石線が全線復旧するんです。最高のタイミングなんですよ。

この電車は、石巻の人が仙台に行くための電車だったんです。逆にいうと、仙台の人が石巻に来る理由はなかった。

石巻に遊ぶところがないから、仙台までいって、仙台から帰ってくる。仙台の人にとっての石巻って「あぁ、石巻ね、知ってるよ。でも、行ったことないな」みたいな場所なんです。

今回、仙石線が全線復旧したら、また仙台に人奪われるのではなく、仙台の人が来てくれるようにならないといけないと思っています。

あぁ、もう!! ベストすぎるタイミング! 最高ですよ、仙石線。これで首都圏から石巻に行くのもすごく楽になるし。

忘れてほしくないのは「地震は起きる」ということ

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震災が起きた事を忘れたくない、忘れて欲しくない、そして伝えたい。そんな思いから始まりました。

より多くの人に伝えたい時、音楽ならそれができる、音楽が震災を未来の人たちに伝えることができるかもしれない。ここで「文化」になるくらいの強いものになったら。

石巻に震災後多くのアーティストが足を運び、泥かきをし、物資を運び、そして音楽で希望を届けてくれた。今まで石巻に来る事のなかった方々まで。

この繋がりを大事にし石巻に「行く理由」を残し続けたい。それが音楽文化の創出であり、そして地域活性化へも繋がって行くと想ってます。

震災を知る(思い出す)きっかけは何でもいい。僕らは音楽をきっかけに石巻を知ってもらい、石巻から発信して行く事を続けたいと思います。

PARKROCK ISHINOMAKIより引用

これは、今年「PARKROCK ISHINOMAKI」のウェブに掲載された岡さんのコメントです。
 
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石巻では何千人も亡くなりました。逃げる時間があったのに、自分の家族が心配だと家に戻った近所のお父さん、おじいちゃんの遺影を取りに行った近所のあばあちゃん、、、

そういうことで亡くなった人が多くて、過去に宮城県沖地震もあったし、小さい頃からいつか地震はくるって知っていたけど、意識は薄れていたんですね。これからも起こるであろう将来の地震に、何も対策がうてなければ復興とはいえないですよね。

東京でもいつか起きるって言われているし、防災意識レベルは、下げてはいけない。僕が忘れてほしくないのは「石巻」のことではなくて、「いつでも震災がおきるんだ」ということをなんです。

石碑を建てたところで、それを子どもに伝える人がいないと意味が無い。大事なのは、親から子へ、子から孫へ、伝えていけるようなこと。50年でも100年でも、先の人に伝えなきゃ。

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なので「PARKROCK ISHINOMAKI」では、毎年、被災地ツアーをやっています。東京と仙台から、希望者を募って、バスで被災地を周るんです。

必ず、語り部をつけて、ツアーの最初に被災地を見てもらう。見てもらったあとに、石巻の街なかでライブを楽しんでもらう。そして、石巻の全部を伝えていきたいんです。

こういうことがあった場所で、こういう新しいエネルギーが生まれているんだよって。そして、つながりをこの先、10年、20年、30年と、アーティストもお客さんも、築きあげていきたいなと思っています。

東北のフェスの「共有と共存」

さて、ここまで来たところで、ようやくタイトルにある「みちのくフェスティバルライン」の話が出てきます。

震災後に東北で生まれたフェスってすごく多いんですね。でも、どこのフェスも個人レベルでやっていて、本当に「思い」だけでやっているところが多い。いつ息切れしてもおかしくないんです。

お金の部分だって、そんなにうまくいってないし、別に仕事を持っている人がほとんどだから、時間もうまく作れない。それなのに、日程がかぶって参加者を奪い合っちゃったり。

だから、ちゃんと連携しようと「共有と共存」をテーマに掲げました。抱えている問題はどこも一緒なんですよ。

だから、情報やノウハウ、スタッフ、音響機材を共有したり、一緒に告知したりできるととてもいいと思っていて。クオリティがあがれば、お客さんの満足度があがるし、リピーターになってくれるはず。

今は、全国にフェスが乱立しています。だから、東北で生まれた「本当に思いのあるフェス」っていうのも、どんどん埋もれてしまっている。

フェスの趣旨にも目を向けてもらって、それを選ぶ基準にしてほしいなとも思います。だから、共倒れしないで、一緒に残っていこう。育っていこうという思いなんです。

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現状でも、下記11つのフェスティバルがすでに連携協力していくことが決まっています。

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存在自体が本質的な価値があるフェスがどんどん増えていってほしいと思いますし、東北のフェスを渡り歩いて、地域を知る、日本を知るという流れはすごく新しい。

これって、カルチャーが日本を救う可能性があるということだと思うんです。過密すぎる都市、限界を迎えようとしている地方、日本が抱える大きな問題です。

フェスってそもそも広い場所じゃないとできないですから、都市だとやりにくい。地方に有利なんです。観光資源がないところなんて、絶好のチャンスです。そういったコミュニティデザインを見据えた野外フェスのあり方は、日本を救う可能性がある。

あぁ、ワクワクする。ドキドキする。フェスが作る日本の未来。被災地の希望。そんなものを感じてもらえたらうれしいです。

(Text: 葛原信太郎)
 
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葛原信太郎
道に迷うことがあったらアジアを旅をしなさい」という教師の一言に影響を受け、貧困問題を学ぶために明治学院大学に入学。在学中は、東南アジアでボランティア活動をしたり、NPO法人の副理事長をつとめる。卒業後、一般企業に就職したり、独立して、雑貨屋を開業したり。今はearth gardenで、野外フェスの企画・運営やフリーペーパーやウェブの編集などを行う。