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絶対に正しいことなどないから、思考の枠組みを広げよう。フィリピンの貧困に”身をさらす”スタディツアーを展開する「NGOカパティ」

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特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

マニラのストリートチルドレンに、”路上生活を続けさせる”というNGOがあります。そう聞いて、皆さんはどんなことを思いますか?

ストリートチルドレンの支援と聞くと、多くの人は子どもたちが路上生活から抜け出し、施設で生活できるようにしたり、家庭に戻れるように援助したりすることを想像するかもしれません。

しかし、実際にストリートチルドレンの生活をみてみると、それだけが正しい支援とは言えない現状がみえてきます。

例えば、そもそも路上生活を始めた理由が、家族からの虐待だった場合には、家庭に戻すことは必ずしも幸せな結果を生みません。場合によっては、路上生活をともにする仲間こそが一緒にいて安心できる家族であり、そこから引き離されることに堪え難い苦痛を味わうこともあるのです。

こういった現状を受け、マニラには、「ストリートにいてもいい」というスタンスで支援する団体があります。

子どもが学校に行きたい、施設を行きたいと行った場合には行かせますが、ストリートに留まりたい子どもにはそのまま留まらせる。そうやって少しずつ子どもたちの信頼を得て、その上で安全や公衆衛生の指導を行なっています。

今回ご紹介する「NGOカパティ」は、そんなストリートチルドレンの生活に“身をさらし”、支援団体の現実を体験するスタディツアーを企画している団体です。

今までとは違う考え方を身につけることを目的としたカパティの活動に、20年以上も携わっている長曽崇さんにお話を聞きました。
 
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長曽崇さんと長曽さんのスカラー(奨学生)、敬愛する現地コーディネーターのレジーナさん

「NGOカパティ」とは?

「NGOカパティ」はフィリピンの子どもたちの自立を支援する団体です。カパティ(KAPATID)とは、フィリピンの国語であるタガログ語で兄弟姉妹の意味。

貧しさの中にありながらも豊かに生きる人々と人間的な交わりを深めながら、彼らの自立に向けての支援及び協力を行い、同時に自らの生き方を問い直すことを目的として活動しています。
 
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カパティが支援しているプレスクールの様子

活動の発端は1982年に聖心女子大学の学生が始めた「フィリピン体験学習旅行」。以来、現在まで30年以上にも渡って活動を続けています。

1つの問題を解決するために支援をするのではなく、全体を見て、その地域をより良くしていく方法を考えるというのが、カパティの支援の特徴です。

主な活動内容は、年に1回のフィリピンへのスタディツアーの企画・運営、セブでの継続的な奨学金支援活動、ルソン島パンパンガ州のプレスクール(未就学児向けの教室)の支援やフィーディングセンターでの食事支援や栄養指導の支援など。構成員はみな無償のボランティアです。

現状に“身をさらす”カパティのスタディツアー

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スタディツアーでの歓迎会の様子

カパティのスタディツアーは、毎年2月にフィリピンで10日間の日程で行なわれます。このツアーは目的特化型ではなく、“エクスポーシャー(exposure)”型のツアー。現地の人々との交流を通じて、現状に“身をさらす”ことを何より大切にしています。

ツアーの前半はセブ、後半はマニラに滞在し、カパティが支援している奨学生に歓迎会を開いてもらったり、現地の学生と交流したり、スラムの家庭にホームステイをさせてもらったり。

従軍慰安婦だった方や、パタヤスいうゴミ処理場でゴミを拾って換金することで生活するスカベンジャーと呼ばれる人たちの話を聞くこともあります。
 
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スカベンジャーの住居をたずねる

ここで語られるのは、一面的ではない支援の実態であり、現実のフィリピンの姿です。たとえばスカベンジャーの方々からは、彼らの子どもがゴミ拾いの仕事を理由に、学校でいじめを受けたことがある、という話を聞いたそうです。

しかし、そのときに子どもたちにスカベンジャーである母親が言ったのは「ゴミ拾いの生活のおかげで生活ができている」ということ。彼らはその仕事に誇りを持っているのです。

こういった、生の人々の声に身をさらし、参加者一人一人が様々なことを感じる旅になっています。

スタディツアーに重要な気づきをもたらすダイアログ

そんなスタディツアーでの大事な時間が、ダイアログ(対話)です。

“ディスカッション”や”シェアリング”と似ている言葉だと捉えられがちですが、ディスカッションが何かを決めるために行なわれ、シェアリングが感じたことを共有することを目的に行なわれるのに対し、ダイアログは気づきやその背景を語り、意味を探求するために行なわれます。

ツアーで触れた体験に対し、参加者はそれぞれ違う感想を持っています。それを毎晩話し合い、参加者一人一人が体験に対する価値を見つけていくのです。
 
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ダイアログは毎晩行ないました。

11日間ダイアログを続けていくと、参加者の仲間意識が強くなり、テーマもどんどん深まって、「愛とは」「幸せとは」という根源的なものにシフトしていったそう。

2014年のスタディツアーの参加者は、最年少が19歳、最年長は62歳でしたが、年齢や職業といった外から見た属性に囚われず、フラットな関係が生まれてゆきました。
 
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すっかり打ち解けた参加者の皆さん

“支援先”というよりも、自分のふるさとに帰る感覚

 
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長曽さんが敬愛する現地コーディネーターのエドワードさんと

興味深い体験ができそうなスタディツアーですが、長曽さん自身はなぜ20年もの間、活動を続けてこれたのでしょうか。それはシンプルに「カパティは人生の大切な一部だから」と言います。

長曽さんがカパティに出会ったのは1994年、大学の卒業旅行としてスタディツアーに参加したのがきっかけでした。

そこでスラムに暮らす家庭にホームステイし、支援を受けて学校に通う子どもが「家族を養うために勉強をしている」と話しているのを聞き、衝撃を受けたそう。

小学校で英語に触れ、海外におぼろげな憧れを抱きながら大学に行ったけれど、自分自身はこういった強いモチベーションで勉強をしているわけではありませんでした。

厳しい状況であっても人生において夢を持って生きることの大切さを、その子に教わった気がしたのです。

この衝撃をもっと多くの人に知ってほしい。フィリピンで頑張る人たちの元気な姿を見たい。自分も元気にやっているところを見せたい。

困難があっても仲間を信じて、支援活動をしている人たちがいることを知らせたい、確認したい。夢を持って生きることの大切さを実感するという原点に立ち返りたい……。

こういった純粋な想いで、カパティの活動を続けているのです。
 
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長曽さんのスカラーと20年来の友人

長曽さんの考える「より良いフィリピンの未来」とは?

長曽さんにとっては、まるでふるさとのようなフィリピン。しかし、「現状には課題がたくさんある」と長曽さんはいいます。それはすべて貧困にまつわる問題です。

たとえば、海外からの援助が末端まで届かない構造になってしまっているため、貧しい人には支援が行き届きません。

また宗教的な問題。本来子どもはギフトのような存在ですが、望まれない妊娠であってもカトリック教会の教義によって中絶が禁止されており、子どもの数の多さが貧困の問題に拍車をかけています。

加えて教育の問題もあります。子どもが多いため、教室、教科書、先生が足りていないだけでなく、制服や行事などでお金もかかり、貧しい人々にとってハードルが高いものになっているのです。しかも学校を出た後、必ず就職できるとは限りません。

さまざまな課題が複雑に絡み合っているように見えますが、最も大きいのは「マインドセットの問題」と長曽さんはいいます。

今のフィリピンの現状は、マインドセットが貧困なのです。言い換えると自己肯定感が低いということ。社会構造が支援に依存せざるを得ない状況のなか、自分の未来を切り開くという気持ちを持ちようがない場合が多いのです。

そうした構造を変え、未来を担う子どもたちが自分の未来を自分で切り開いていく環境をつくっていくことが、フィリピンのよりよい未来につながると思います。

「絶対に正しいこと」などないから、感受性を高めたい

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ストリートチルドレンから路上生活を取り上げない支援者

しかし、フィリピンに課題があるからといって、「フィリピンを変えていこう、社会を変えてやろう、と思っているわけではない」と長曽さんは強調します。その理由は、唯一絶対の「正しいこと」などないと考えているからです。

たとえば、1991年のピナトゥボ山の大噴火の際に、被災者となった先住民族のアエタ族に対しての支援でも、「善かれと思ったことが必ずしも良い結果を生まなかった」と指摘します。

アエタ族はピナトゥボ山という涼しい高地に住み、食文化も住環境も低地とは違う暮らしをしていましたが、噴火で低地への移動を余儀なくされました。

しかし、政府やNGOが提供した食料の配給や住居がアエタ族の人々には合わず、残念なことにたくさんの人が死亡してしまったり、平地民社会の底辺で暮らしたりすることを余儀なくされたのです。

唯一絶対の「正しいこと」がない状況で大切なのは、いかに思考の枠組みを広げていくかということ。「自分はわかっていない」ということを前提に起き、感受性を高めることが必要なのです。

以前「ボクのおとうさんは、桃太郎というやつに殺されました」と鬼の子どもが語る広告が話題になりましたが、一方的に価値観を押し付けていないかを客観的に見極めるためには、さまざまな現場を知ることが何より重要なのでしょう。

思考の枠組みを広げるためには、スタディツアーは何よりの機会になるはず。みなさんも人生のどこかのたタイミングで参加してみませんか?