「緑の砂漠」という言葉を聞いたことがありますか?
奈良県東吉野で森林の問題に取り組むNPO法人「森の月人」の瀧口俊二さんは、荒れた人工林をそう表現します。
かつて国策として杉、檜の植林が進められ日本の国土には広大な植林の山が生まれました。しかし、時は流れ、木材にかわる新建材や安価な輸入木材が使われはじめると、林業は苦しい状況に置かれました。
木は植えるだけでは売り物になりません。人工林は植林から10年ほど経過すると、過密集により木が細くなるのを防ぐために、一定の間引きが不可欠なのです。これを間伐と言います。しかし木材の市場価格は安く、30年~50年もかけて育てた立木1m3あたりの価格は4000円~7000円と言われています。
ここに間伐費用と間伐材を売るための製材費用がかかり、国の補助金を使っても採算ベースで間伐を行うのは不可能に近い状況になっているのです。そのため森林の保有者は間伐をしたくてもできず、山はやせ細った木々ばかりになっています。
「森の月人」は、この問題を少しでも解決できないかと考え、間伐材を利用したビジネスモデルとして取り組んでいます。事務局長を務める瀧口俊二さんにこれからの展望をうかがいましたので、瀧口さんの生き方とともにお伝えします。
古民家カフェ「月うさぎ」のオーナーは、大阪の歓楽街育ち。
右がNPO法人「森の月人」の“番頭”こと瀧口俊二さん。自宅兼カフェの「月うさぎ」の玄関にて奥さんと。みんな“さっちゃん”と呼んでいます。
瀧口さんは東吉野に移住して8年。幼少時代は大阪の中心地、堀江。幼稚園・小学校は、心斎橋にある大丸百貨店とそごう百貨店の間の道を通学していました。
大学では工学を学び、卒業後はガスを製造するプラントの建設会社に入り、田舎暮らしとはさほど縁のない職場で、長らく社会人生活を送ってきました。
当時はバブル以上の好景気の時代で、入社してすぐに全国の現場に行かされましてね。現場でもエネルギープラントの建設は立場が上で、若いのにみんな僕に敬語ですよ。もう仕事ばかりでね、お金を使う暇もないほど(笑)
それでも自然が好きだったんで平日は工業団地、休日は海や山にでかける日々でした。だから都会の仕事を辞める10年ほど前から、第二の人生は自然の中と決めておったんです。
初めは製材所の材木倉庫(築300年の古民家)だったところを自前でリフォームして、奥さんと二人で吉野杉・檜のPRのためにモデルルームをオープンし、来客が食事をするところが無いので、古民家カフェ「月うさぎ」を始めました。
そのカフェで知り合いの和風建築設計士さんが「木創り塾」を開催し、いろいろな人に参加いただき、吉野杉檜の素晴らしさを学んでいきました。
ただ、その場所には車を止める敷地がなかったので、人が集まる場所としては不便でした。さらに理想的な場所を探していたときに、旧小学校の跡地である現在の「月うさぎ」の場所と出会い、移転します。
家を見にきたときはボロボロでね、でも山の中の小学校跡地で、自然以外何も無し。一目で惚れてしまいました!
いろんな人の手を借りて一緒にリフォームしたんですが、製材所と連携して吉野杉・檜を使って改築していった様子が、テレビに取り上げられてね。
そしたら全国から「吉野杉・檜を探しているんですが、関東ではなかなか手に入らないんです」「古民家を探しているんですけども空家がありませんか?」といった問い合わせが殺到して。こんなに世の中にニーズがあるのかと思いました。
そのことがきっかけになり、木材や山林保護の活動と啓発のためにNPO法人「森の月人」を登記することになったのでした。
旧小学校時代の校舎の写真は今も「月うさぎ」に飾られています。建物はほとんど残っていないかわりにかつて運動場だった広い庭が遊び場に。
「緑の砂漠」から森を取り戻したい。
森の学校として、木工教室(奈良県主催・山と森林の月間)などのイベント活動がスタート。間伐材を使った時計づくりや貯金箱づくりは、子どもたちに大人気になりました。
子どもたちには将来に自分が住む木の家をイメージして貯金箱をつくりなさいと言いました。池や木も自由にね。一枚の板を庭の敷地に見立ててその敷地にどんな家を建ててもいいんです。
でもね、つくるものを外注(大人に依頼)すると費用がかかることも教えました。あめ玉3つとか。あめ玉も持っていなかったら「ありがとう」を10回は言えよってね(笑)
そうしてお金という概念も教えるわけです。
木工教室(奈良県主催・山と森林の月間)の様子
なぜ、木工教室をしたかと言うとね、地元の人に山林を見せてもらったときに、間伐していない山に入ると鳥の鳴き声もしない。虫もいない。細い木の根も浅いから土砂崩れにもなりやすい。まるで「緑の砂漠」だと思いました。
これは何とかしたいけど僕一人じゃできないから、みんなでやろうと。そのきっかけになればと思って木工教室につながっていったんです。
「w木工の後には、間伐ができないと木はどうなるか?」「森の保水効果がなくなると山はどうなるか?」といった森の問題や大切な役割を伝える時間も設けていました。
このイベントが数年続いた後、さらにスケールアップしたものとして始まったのが、間伐材を使ったログハウスづくりです。
同じ奈良県内の御杖村に住むログハウスの建設家と協力して、まるでプラモデルのように簡単につくれる第一号ログハウスが誕生したのです。
大阪万博で設計された、幻のログ図面。
三日月ログハウスが本格的に動き出したのは偶然の出会いからでした。斧山さんという設計士さんが1970年の大阪万博のときに展示場として設計したログハウスの図面が、何十年も眠っていたのが発見されたのです。それを改良したのが三日月ログハウス。
このログハウスの室内広さは約16平米です。1M×4Mの枠をつくり補強を入れます。そこに薄い板を貼り防水シートを貼ります。それを2枚蝶番でつなぎ所定の位置で広げます。このユニットの設置を6回繰り返すと屋根ができ、後から半割の丸太を乗せ固定すれば完成です。
大人が4人いればクレーン、足場もなしに組み立てられる構造がユニークで、瀧口さんたちはこのログハウスをキットとして開発することに挑戦しています。
試作の模型を使ってわかわりやすく説明してくれる瀧口さん。三日月ログハウス第一号は「月うさぎ」の庭に建てられています。
キットができれば、もともと売り物とはならない間伐材を使っているので、材料コストはほとんどありません。自分で組み立てればかなり安くつくることができます。
ただ、間伐費と製材加工費、運搬費などがかかるのでその費用をキット代に加え、利益の一部はNPO法人の活動費に当てるというプランです。山の持ち主も無償で間伐ができるので助かり、結果、山を守ることになります。
さらに、三日月ログハウスが優れているのは、室内平米数が建築申請の要らない9.6平米になっているところです。屋根が三角なので、室内で人が立ったときの居住平米が建築法の基準以下になります。申請が要らないということは、犬小屋のように家の庭や空き地にも好きに建てられるというメリットがあるのです。
このビジネスモデルが奈良県のビジネス・コンテストでトップ賞(マホロバ部門)及び審査委員長賞に輝き、実現に向けて大きく動き出していきました。
改良した図面はキットになり、組み立てることができます。また、間伐や輸送なども自前で行うかわりにさらにコストを下げるプランも可能だとか。
間伐材ログハウスが並ぶ、1万坪のビレッジ構想。
試算としては100万以下でつくれる三日月ログハウスですが、個人で持つにはまだ高いかもしれません。さらに建てるほどの庭がないかもしれません。それを見越して、瀧口さんたちはNPOで1万坪の山林(宇陀市菟田野岩端)を買い取りました。そこに三日月ログハウスのビレッジをつくろうという構想です。
たとえば、3家族で共同購入した1軒をビレッジに建て、彼らが使わないときの管理費を「森の月人」が頂くかわりに、空き日をビジターの宿泊施設として有料貸し出しています。また、間伐材を使った森林保護に貢献できるので企業のCSR活動の一環で福利厚生施設として購入してもらうことも考えているのだとか。
開墾中のビレッジを見学させていただきました。
どんどん山を登っていく瀧口さんに着いていくと、そこに拓けていたのがビレッジ予定地。
約1万坪の森には沢もあり、水も確保できまます。人里から離れたところで、この日もきゅんきゅんと鹿の鳴き声が聞こえていました。
三日月ログハウスのコンセプトブックは、東吉野村で出会った大阪芸術大学のデザイン学科(田舎研究会)の森和弘先生と、教え子の学生たちの協力で完成。
山村暮らしに魅せられた先生は、瀧口さんの仲介で空き家を借り、岩端に住む準備を進めているところだそうです。いずれは学生たちも活動の拠点にできるようにと改修中です。
左にあるのが大阪芸大の学生と先生が協力してできたコンセプトブック。右にあるのは毎年参加している「奈良県主催・山と森林の月間」のパンフレット。
森先生だけではありません。「月うさぎ」を訪ねた人は、いつの間にか「企画部長」「写真部長」「音楽部長」などと瀧口さんから任命を受けます(笑)(※筆者も広報部長に任命されました!)
その輪が広がって様々なイベントや事業アイデアが生まれています。どうやら瀧口さんの頭の中にあるビレッジ構想は、ログハウスだけでなくこの場所でつながった人がさらにつながりアクションが次々と起きていく、といった「コミュニティのビレッジ」のようなのです。
セルフリノベーション中の森先生と瀧口さん。すてきな家が完成間近でした。
山へ海へ。二代目「仙人」を育てたい。
60歳で東吉野村に移住した瀧口さんですが、まだまだやりたいことがあると語ってくれました。
実は淡路島にログハウスを見つけましてね。それを吉野の焼き杉で壁を貼って、無償でリフォ―ムをするかわりに使わせてもらえないかと計画しておるんです(笑)
さらにその家のオーナーさんが近くに土地も持っているので、三日月ログハウスを建てて、海の見える露天風呂をつくろうかと夢見ているところです。
毎日忙しくね。僕は60歳で東吉野村に来て8年だけど、毎年若返っていると言っているんですよ。だから今、僕は52歳だよ(笑)
最後に瀧口さんに聞きました。今の自分に肩書きをつけるとしたら何ですか?
そうだね。子どもたちには「仙人」と呼ばれています。森の仙人です。誰もが僕みたいに移住して暮らせるわけではないと思いますが、僕はみんなが豊かな自然に触れて、美味しいものを食べる暮らしを楽しんで欲しいんですよ。そういう場所や機会をもっとつくりたい。
だから僕は「月うさぎ」や「森の月人」の活動を引き継いでくれる二代目を育てたいと思っています。二代目「仙人」の礎をつくって渡していきたいですね。間伐材の問題もすぐには解決しませんが、みんなで頑張ろうよ!と呼びかけて続けます。
毎年恒例の夏祭り「花鳥風月」の様子。(写真協力 八百富写真機店の川竹「お写ん歩 ブログ」)
飲んで食べて、気のむくままゆるーりと音楽のセッションが夜中まで続いていました。こうしたイベントも森と自然を考えるきっかけになればと、開催しています。
のんびりした田舎暮らしなのかと思っていた瀧口さんは本当に精力的な方でした。カフェ兼自宅の建物は、木造家屋のモデルハウス的役割も果たしていて、ここを訪れた方が同じように建てたいと言えば、コーディネーターとして動き、地元の木材を活用しています。
時には東京の中目黒にある店舗の内装に関わり、2週間も東京で泊まりこんだこともあったそうです。そのお店は東吉野村から生まれる木工工芸品などの販路として付き合いが続いています。
気持ちは右足を都会に、左足を田舎に。そのバランスが大切なんですよ。
森を守るために偏らない視点をもつこと。それが瀧口さんの活動の軸になっているのです。だからこそ様々な可能性が拓けだしているように思えます。
どちらにも通じている「とびら」のような存在。その「とびら」をノックすれば、とんでもなく面白い世界が待っているような予感がぷんぷんする。それが瀧口さんという人なのです。
機会があればカフェ「月うさぎ」で一泊してみてはいかがでしょう?三日月ログハウスの話を聞きながら楽しく、そして思慮深い夜になるはず。お酒の持ち込みも大歓迎だそうです。これは長い夜になるかも知れませんね!