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築80年の旧郵便局をランチカフェに!奈良の里山に3児のママが移住して、仕事をつくるまでのあれこれ [ママごと・しごと・じぶんごと]


奈良県宇陀市の里山でプチ起業した松田麻由子さん(中央)背景にあるのが拠点になった旧伊那佐郵便局。

里山に移住して暮らす人がいます。実際に移住しなくても、一度は暮らしてみたいと思った方もいるのではないでしょうか。でも、もしも本当に里山で暮らすとなれば、いくつか考えておくべきことがあります。「仕事」はそのなかでも大きな問題のひとつです。

奈良県宇陀市、大阪市から電車で2時間。車がなければ生活できない里山に家族で移住した松田麻由子さんは、昨年、空き家だった旧郵便局舎をリノベーションして、日替わりシェフのランチ営業を始めました。

今では、毎日予約だけでランチがうまるほどお客さんがついてきたお店ですが、そんなチャレンジを一体どうやってスタートできたのでしょうか?3人の子どもを育てながら、里山での自分の「仕事」と「働き」をつくり始めた松田さんに、これまでと、これからをうかがいました。
 
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伊那佐郵人からは、伊那佐山が見え、スグ目の前には川がゆったり流れている。

宇陀市伊那佐地区、日本書紀にも地名がみられる里山です。その地に流れる芳野川のほとりに、築80年の旧伊那佐郵便局を再生活用した「伊那佐郵人」ができたのは2013年のことでした。

「伊那佐郵人」は、川越しに伊那佐山を眺めながらゆったりしたランチタイムを楽しめる、日替わりシェフ(ワンデーシェフ)形式のコミュニティカフェレストランで、宇陀の「食」と「農」と「人」がつながる場所を目指してリノベーションされました。

オーナーはこの里山に移住して約10年になる松田さん。もともとは、九州高千穂の生まれで、長らく奈良県生駒市で暮らしていました。

宇陀に移住したのは、長女が2歳、次女が6ヶ月のときです。私が生まれたところが九州の田舎で、「子どもを育てるなら田舎がいいかな」という気持ちがありました。

それに、子どもが生まれてからも「ワイズスタッフ」というグループに登録して在宅ワーク(テレワーク)の仕事を請け負っていたので、どこでも仕事ができるなら移住しようと決めました。

将来はエンジニアになろうと考えていた松田さんは奈良高専で学び、一時は大学院進学も検討していました。その後結婚し子どもが生まれたことを機に、在宅ワークを始めたのです。

専用のメールソフトで日本全国の女性とプロジェクトを組み、案件ごとに仕事をするスタイル。主にアクセス解析などを仕事にしていましたが、それよりもさまざまなプロジェクトを通して、同年代や子育ての先輩である女性と知り合えたことが「働き方」と「暮らし方」を考えることになったと松田さんは言います。
 
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「伊那佐郵人」のウェブサイトも松田さん自身がつくり更新しています。

家ありきで、古民家を買った移住先。

松田さんがまずしたことは、ネットで不動産を探すこと。ヒットしたのが宇陀の古民家でした。

本気で「10年は住むだろう」と思っていたので買うことにしたんです。しばらくはワイズスタッフの仕事を続けて、その後は、一時保育を利用しながら理科支援員の仕事を始めました。奈良県が雇用する非常勤職で、小学校の理科の実験のサポートなど、先生のお手伝いをする仕事です。

ところが事業仕分けでその雇用がなくなってしまい、そのときに友だちが見つけてきたのが旧伊那佐郵便局でした。

宇陀では待機児童がほぼいなくて保育園も利用できましたが、それでも3人の子どもを育てながらフルタイムで働くことは難しく、時間の融通が利くなかで仕事にできることはないだろうかと考えていたところでした。それが、宇陀に移住して8年目のこと。ひとつの大きな転機が訪れます。

たまたま友だちが見つけてきたその物件について話をしていて、「カフェにしたら面白いかも?」ってなったんですね。それでTwitterにつぶやいたら、宇陀市の市議さんと市内でまちづくりをしている女性から連絡があって、一緒に考えてみようってなったんです。ビックリしましたね。


改修前の旧伊那佐郵便局。文化財としても残しておきたい佇まいでしたが、そのままでは使えないほど痛んでいました。

資金がない。築80年の郵便局舎の改修。

市の行政に関わる方が相談に乗ってくれることは、とても心強い味方でした。昭和9年築の和洋折衷の局舎はデザインも素敵で、カフェにはもってこいでしたが内装はボロボロ。なんと建物全体も傾いていて、一部の壁は土壁が崩れて抜け落ちているなど、とてもそのままでは使えそうになかったのです。

とはいえ、改修しようにも自己資金では限界がある。そこでアイデアとしてでたのが、行政の施策を活用することでした。国交省の空き家再生事業の交付金に申請を出したのです。これが最終的に市役所の議会でも承認され、国・市・松田さんが3分の1ずつの費用を負担することで、事業計画を進めることになったのです。

それがなかったら今はないと思います。相談に乗っていただいた市役所の方が造物の修理に詳しい方で、修理上のアドバイスをいただけたのも大きかったですね。

見積もりに対して概算払いで資金を確保でき、自己資金分は移住してからの8年間で貯めたお金でまかなえる額だったので、最終的には自分が決定権をもって事業計画をつくることができました。

今であれば、クラウドファンディングなども考えると思いますが、当時はそういう状況ではなかったですから。

廃屋だった旧郵便局を掃除することからスタート。関心を持った仲間が手弁当で集まりました。
廃屋だった旧郵便局を掃除することからスタート。関心を持った仲間が手弁当で集まりました。

改修は、地元の職人さんにお願い。

とはいえ、実は総予算は1500万円もかかったそう。つまり自己資金は500万円。再活用といっても建物の構造にも手を入れないといけない状態まで放置されていたので、これほどまでに高額になったのだとか。

「思い切ったことだし、誰にでも真似できることではないと思います(笑)」と松田さんも言いますが、お金の問題より大事だったのは、再活用がその地域の人に受け入れられることでした。

今では応援してもらえていますが、最初に区長さんに挨拶に行くときに遅刻してしまって、「頼んでやってもらっているわけじゃないからね」と言われてしまったり…どう地域に認めてもらえるかがとても大事だと痛感しました。

それで、改修の業者さんはできる限り地元の職人さんにお願いしようと。相見積もりをとるのもやめにしたんです。

「何をやるの?」と遠巻きに見ていた地域の人も、仕事として大工や瓦の葺き替えに仕事として関わったり、そのまわりの人も知り合いが仕事をしている現場ということで見に来てたり、だんだんと関心と理解を示してくれるようになっていきました。

また、松田さんがオープンをあまり急がず改修を進めたのも、結果的に良い方向に転がった要因でした。

結局、完成まで2年近くかかったんです(笑)でも、その間に建物の掃除や、土壁塗り、ペンキ塗りなど、誰でも気軽に参加できる場にしたことで、関わってくれる人がどんどん増えていきました。

地元の人には、「近所のおっちゃんがこんな左官の技術を持っていたんだ」という発見にもなるし、地元の外から手伝いに来てくれる人には昔の家造りがとても新鮮な勉強になったし、単純にみんな楽しんでくれました!「松田さん被害者の会」がまた増えた、なんてからかわれていますけど(笑)


ほぼ倒壊していた裏手の壁は地元の職人さんの指導のもとに修復。屋根に使われていた土も再利用。

地域コミュニティの拠点+短時間労働の仕事場。

地域とのつながりの中で仕事をつくることに関心が向いた松田さんは、「奈良NPOセンター」にも関わり始め、地域コーディネーターの講座にも通いながら「伊那佐郵人」の在り方を模索していきます。

里山に移住してから感じていたことは「理想の田舎暮らし」とは少し違っていたということでした。たとえば子どものこと。

伸び伸びはできます。ただ、子どもの数が少ないから、兄弟以外の子と遊ぶ時間がどうしても少なくなります。一軒一軒の家は距離が離れているし、小さい子どもは1人では遊びにいけない。意外と地域の行事も少なくてコミュニケーションをとる機会がないので、交流も生まれにくいんですね。

そこで思いついたのが、「伊那佐郵人」を地域コミュニティの拠点にすることだったんです。私を含めて地元の人が、短時間労働で小商いしながら集まれる仕事場にできたらと。そこに時々子どもたちも遊びにくればいい。

ランチのメイン顧客を地元以外の人にするか、地元の人にするかも悩んだんですけど。まず、地元の人に使ってもらえるようにしようと決めました。


お昼どきは予約だけでうまることも増え、常連さんとの交流も生まれています。

ランチの日替わりシェフは地元以外からも募集し、地元の食材を使いながら、この地域では普段食べられないものが食べられるようにしています。口コミで近所の40代の女性を中心に平均15人のお客さんが来ます。観光地でもなく、バス、タクシーを使わないと来られない場所だということを考えると、大健闘ではないでしょうか。

客単価は1000円前後ですが、賃貸物件ではない分、高熱費以外の経費がほとんどありません。シェフの場所代も1日3000円。独立希望者や別に店舗を持ちながら新しいチャレンジをしたい人が集まり、ローテーションはほぼ埋まっています。

競合は自宅のお昼ごはんです。近所にお店がないから。リピーターができたところがスタートラインですね。これ以上は拡大できないので、ここを拠点にした別の事業をつくることがこれからの課題です。


ワンデーシェフは、起業を目指す人のインキュベーションにもなっています。


この日のランチは奈良県下北山村のきなり屋さん。動物性食品なしのベジご飯。

自分がいなくてもいい仕組みと、企画をつくる。

松田さんのアイデアは、場を拠点にして広がっています。たとえば奈良県東南部の農的な暮らしを支援する企画、バイオマスの研究、以前の経験を活かした理科教育の事業、都市部と双方に交流するスタディツアーなどなど。さらに、地元で採取できるシュロの葉をつかって編んだ「はえたたき」の製作も。

このシュロのはえたたきも近所の家にあったもの。かわいいので「どこで買えるの」って聞いてみたら、近所のおじいちゃんがつくっていたのだとか。家計を養えるまでは無理でも、「伊那佐郵人にきて月3万円ほど収入になる、おじいちゃんの内職みたいになればいいなあ」と松田さんは言います。

私は企画屋さんだと思います。でも地域のつながりや定期収入を考えると、プランナーだけでなくプレーヤーとしてもやっていたほうが上手くいく気がしています。「伊那佐郵人」はかなり手離れしてきましたね。仕組みができることで、もっと子どもと過ごす時間を増やしていきたいと思っています。

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松田さんの3人の子どもたち。

ライフステージにあわせて、楽しむこと。

最後に松田さんにとって、働きをつくることはどんな意味があるのかをたずねてみました。

在宅ワークをしていたときに、人生の先輩でもある仲間の女性から言われたことが印象に残っています。

「ライフステージによって変化があるのは、女性の特権だと思って楽しんだほうがいいよ」って。結婚、出産、子育てもマイナスじゃなくてチャンス。だから宇陀に移住するときも、宇陀での自分の暮らしが仕事をつくる売りになると思いました。

つまり、子育てをしながら、里山で自ら仕事をつくることでセルフブランディングでき、みんなの関心ごとにもなると。

「伊那佐郵人」を何度か訪れて感じたことは、「みんないい意味で世話やきになっている」ということです。それを誰もが笑いながら「松田さん被害者の会」と言っては楽しんでいる。なんだか、集落のなかに大きな縁側ができたような感覚です。

用はなくても気にはしている。で、たまには腰掛けに来る。地域の人たちも、当たり前すぎて無関心だった地元のことに、改めて関心を持つ。そういった気づきの連鎖が、この場所にゆるやかに起きているような気がします。暮らしている場所に仕事があるということも、関心を持ち続けることにつながっていきます。

かつて、郵便局は里山にとって大きなインフラでした。情報、お金、通信そういった役割を担ったインフラが、80年を経て「地域への関心」という道をつなぎはじめています。大阪から2時間。すこし足を伸ばしてゆっくりと伊那佐時間を過ごしてみてはかがでしょう?