お届けした前編「ワンコインで風力発電!」に続く、NPO法人「北海道グリーンファンド」の代表・鈴木亨さんへのインタビュー第二弾。
絶望から希望が、妄想から構想が生まれ、いよいよ事業としての歩みが始まったグリーンファンドに、またまた苦難が…!けれども、あきらめない鈴木さんのもとに、さらなるミラクル旋風が巻き起こります。
※前編をまだご覧になっていない方は、ぜひそちらからお楽しみください。
ポジティヴ錬金術。
当時ソーラー発電にかかる機材は高額で、余剰電力だけが買取対象でした。これでは事業にならないので、自然エネルギーの実力と可能性を示したいと考えたぼくらは、風力発電による売電事業を目指したんです。
でも調べてみると、事業用の大型発電用風車は一基あたり2億円。電気代の5%を積み立てる「グリーン電気料金制度」の基金だけでは、とてもまかなえない金額でした。
鈴木さんはそういって、驚くべきリアルストーリーを語りはじめたのです。
NPO法人北海道グリーンファンド理事長:鈴木亨さん
ぼくらの市民風車第一号は2001年の9月に運転を開始するのですが、その一年前にあった「グリーン電力制度」による基金総額は、約1000万円しかありませんでした。
最初はその1000万を元手に融資が受けられないかと思い、手当たり次第に金融機関を回ったんですが、当時はまだNPO法人自体が生まれたばかりの制度でしたから知名度も信用もなくてね、「NPO?なんじゃそりゃ」「グリーンファンド?聞いたことない」という感じで、どこも相手にしてくれなかったんですよ(笑)。
ではいったいどうして、1000万円が2億円になったのでしょう?
まるで奇跡のようなことが起きたんです。はじまりは、融資を頼みに行ったある銀行の人がいった一言でした。まったく相手にしてくれなくて、話も聞いてくれない金融機関がほとんどだった中でひとつだけ、担当者が個人的に興味を持ってくれて、「3割くらい自己資金があれば融資を考えてみてもいい」といってくれたところがあったんです。
2億の3割は6000万でしょ。ハードルが2億から6000万に下がったらずいぶん気が楽になって、実際は1000万円しかないんだけど、6000万なら夢じゃない!と思えてきてね(笑)、とりあえず理事会を開いて、みんなで策を話しあったんです。
そこで、風車購入のための融資資金づくりに出資できる自己資金額を、理事たち一人一人が思い切って約50万円ずつ出しあい、加えて一口50万円でそれぞれの知人友人に出資を呼びかけよう、ということに。
みんなで一斉にそれを実行すると、1000万円だった資金が3000万円に急増。6000万にはまだまだ及ばないものの、「人のつながりエネルギー」に驚いた鈴木さんは、喜びに胸躍らせます。
「こりゃスゴイ!」とビックリしていたら、出資金のあつまり具合に市民の本気を感じたのか、地元新聞が市民風車建設を大きく取り上げてくれたんです。その記事がまたすごい反響でね、「私も出資したい!」とか、「資料を送ってくれ」とか、「寄付します」とか…問合せの電話が次々かかってきたんです。
「夢を叶えるには2億円必要」という現実を前にしたとき、たとえ資金が1000万円あったとしても「とても足りない」とあきらめてしまう人は多い気がしますが、「なんとかなるかも」という想いで仲間たちと知恵を出しあい、現実を切りひらいていった鈴木さん。
「あきらめないしぶとさ」と「ポジティヴ思考」が、ミラクル旋風の大きなエネルギー源になったのですね。
が、ここで鈴木さんに新たな課題が出現。一般の人々から広く出資を募るには、金融や法律の専門知識が必要だったのです。鈴木さんは、そのような専門知識を持っていたのでしょうか?
シロウト錬金術。
ぼくは金融や法律についてはまったくの素人で、最初は何の知識も持っていませんでした。だから人から紹介してもらったビジネスロイヤーに会いに行ったり、専門書を買ってきたりして、会計や商法をとにかく独学し始めたんです。
でも所詮素人なので、専門書を読んだってむずかしくてちっとも理解できないわけです(笑)。それで、買った本を書いた弁護士さんたちの居所を調べ直接訪ねて行って、「これはどういう意味ですか?」と、あれこれ質問したんですよ(笑)。
そうやって専門家たちの懐に飛び込んでいっていろんなことを教えてもらううちに、無知のド素人だったからこそ必要なことを素直に吸収できて、専門的な知識をどんどん身につけていくことができました。
あとで、本当は質問や相談にも高い謝礼が必要だったんだと知った時は、驚いて冷や汗をかいたと同時に、感謝の気持ちでいっぱいになりましたね。無知だったからこそ、できたことだと思います(笑)。
なるほど!ふつうなら怖気づいてしまいそうな専門分野に丸腰で飛び込んでいった鈴木さんの勢いが、目に浮かぶようですね。
金融機関でも証券会社でもないぼくらのようなNPOが、不特定多数の市民から資金を調達するという新しいしくみをつくることができたのは、そういう懐の広い専門家たちの協力のおかげなんです。
そして、もしあの時ぼくになまじ知識や経験があったら、あの勢いや謙虚な気持ちは削がれていたかもしれません。
高いハードルを超えるのに、必ずしも知識や経験は必要じゃない。むしろ、ヘタな知識や経験なんてない方がいい。ぼくはそう思っています。
その後、出資者はグングンと増え、正式な出資を呼びかけた後の2001年の春には、3000万がなんと1億円に。その後6月には、さらに1億4千万円にまでふくれあがります。
結局、風車の建設費用+運転資金+諸経費を合わせた2億円を超える必要資金のうち、8割を市民出資、2割を銀行からの融資、という快挙で、2001年9月ついに風力発電事業がスタート。
奇しくも、原発の高レベル放射性廃棄物の深地層処分所候補地として、巨大な研究所が建つ幌延町の隣町である浜頓別町に、日本初の市民風車第一号「はまかぜちゃん」が誕生しました。
オープニングの日は、あいにくの雨。でも、初の市民風車の完成を祝いに、たくさんの人があつまりました。(写真提供:北海道グリーンファンド)
オープニングセレモニーでは、様々な団体のお祝いパフォーマンスも。(写真提供:北海道グリーンファンド)
様々なフィールドから、知恵や技術や心を惜しみなく寄せてくれた専門家たち。そして脱原発活動での悔しい思いを乗り越え、市民風車実現への道のりをともに歩んでくれた生活クラブのお母さんたち…。
そんな多種多様な人々と素直な感覚で柔らかにつながってきた鈴木さんの「ゆるキャラエネルギー」こそが、「北海道グリーンファンド」のミラクル旋風を生んだ源に違いない。温かな親しみがにじむ鈴木さんの語り口と表情に触れ、そんなふうに感じました。
実はNPOを立ち上げた当初は、恥ずかしながら具体的なビジネスプランは何もない状態だったんです。NPOができたって、できただけじゃ給料も出ないし、実際は失業者も同然なわけですよ。
だから失業手当をもらいにハローワークに行ったんだけど、給付されませんでした。報酬ゼロのNPO理事でも、社会的な法人の役員には失業手当は出せないといわれてね(笑)。まぁ退職金が底をつくまでの2年くらいの間に何とかなればいいか、という感じだったんです(笑)。
でも何事においても、“ノリ”って大切なんですよね。「よし、やろう!」となった時にパッとやらないと、物事は実現しない。細かいことまで緻密にやろうとしてると、タイミングを逃してできなくなっちゃうんだよね。
そして鈴木さんは、こうつづけました。
ぼく自身にとっても、グリーンファンドにとっても、人がいちばんの財産。いろんな人と出逢ってネットワークしていくことがいちばん大切で、そのためには経験や能力やお金は、なくていいと思うんです。ヘタにそういうのがあると、謙虚じゃなくなるからね。謙虚でいれば、お金もかからないし(笑)。
そして、人とつながるには“聞くこと”も大切。ぼくらは、耳は2コあるけど口は1コでしょ。人間は本来、しゃべるより聞くのに長けている動物なんじゃないかなぁと思うんですよ。しゃべってばかりいるヤツより、聞く耳を持ってる人の方が賢いような気がするんだよね(笑)。
うーん、確かに!「ねばならない」ではなく、「したい!」のエネルギーで様々なハードルを軽やかに超えてきた鈴木さんのお話には、さらに希望が湧いてくるステキな続きがありました。続きは、後編「つくろう、グリーン電事連!」を、お楽しみに…!