みなさんは、ジェーン・バーキンという女性をご存知ですか?
ジェーン・バーキン(敬称略)は1946年生まれ。女優として数々の名作に出演し、1969年にセルジュ・ゲンスブールとのデュエット曲「ジュ・テーム・モワ・ノン・プリュ」で歌手デビュー。透明感があり官能的な歌声は世界を魅了しました。
日本では、エルメスの「バーキン」のモデルとして知っている方も多いでしょう。1999年に放映されたTBSドラマ「美しい人」の主題歌「無造作紳士」を聴いてファンになった人もいるかもしれませんね。ファッションセンスも良く、女性たちから「永遠の憧れ」と評されることも多い存在です。
そんなジェーン・バーキンが、コンサートでいつも身につけているブレスレットがあります。その製品の名前は「ama Bracelet」。被災した南三陸の女性たちがつくる、繊細で可憐なブレスレットです。
今回は、このブレスレットとジェーンの物語をご紹介しようと思います。
日本を想い、渋谷の路上でチャリティーライブ
2011年4月6日。テレビから流れてくる東日本大震災の映像に心を痛めたジェーンはフランスから急遽来日し、東京で震災復興支援コンサートを開催しました。4月といえば、原発事故の影響を懸念して、日本にいた外国人たちが次々と帰国していた時期です。そうした中、逆に日本へ来て歌うというジェーンの行動は、多くの人に驚きと感銘を与えました。
ジェーンと古くから親交のあった村上香住子(むらかみ・かすみこ)さんもそのひとりです。村上さんは20年近くパリに滞在してマガジンハウスやフィガロジャポンのパリ支局長を務め、2010年に日本に帰国した後はフランス文化に関するエッセイ等を書いて暮らしていました。日本でジェーンと再会したときのことを、村上さんはこう振り返ります。
ジェーンはコンサートの前に、渋谷の路上でアカペラライブまで行って被災地への募金を集めようとしていました。あれほどの人が音響設備もステージもない路上で歌うなんて、考えられないでしょう?本人も、「本当は怖いの」と話していました。
でも、何度も来日して日本に親しみを感じていたジェーンは、「苦しんでいる日本の友人たちを放っておけない」と思ったようです。
ジェーンが渋谷パルコ前で歌いはじめると、どんどん人が集まってきました。若い人も年配の人も、ジェーンの想いに打たれて涙を流しながら聴き入っていたといいます。
各界のスペシャリストの協力によって生まれた、
繊細で可憐なブレスレット
そうしたジェーンの想いや、パリの知人友人からの温かい励ましに心を打たれた村上さんは、「フランスと東北をつなぐ役割を果たしたい」と考えるように。友人から託された物資を届けに何度も南三陸を訪問し、次第に地元の人と親しくなっていきました。
一番左が村上さん
秋頃になると、「もう物資は充分。いまは仕事がほしい。でも、瓦礫だらけで仕事がない」という声が聞こえてきました。
私はずっと雑誌の仕事をしてきたので、正直言って商売のことはよくわかりません。でも、私には東京とパリに友人がいます。南三陸の人に手仕事でアクセサリーをつくってもらい、それを私が仲介してみんなに売ってもらったらどうだろう、と思いつきました。
この構想をジェーンに話すと、「自分も応援していきたい」と協力を約束してくれました。復興を前面に押し出した商品ではなく、「可愛いから買ったら、支援につながっていた」という商品にしたいと考えた村上さんは、友人のアーティスト横尾香央留さんに相談。一緒に南三陸の仮設住宅を訪れ、「手仕事がしたい」と集まってくれた女性たちの意見も聞きながら、製品のデザインを考えました。
30代から80代までの女性たちが参加
そうして完成したのは、ゴールドの細いラメ糸に緑と赤のビーズが輝く可憐なブレスレット。緑は“希望”を、赤は“情熱”を表しています。この「ゴールド」に加え、スワロフスキーのクリスタルビーズがついた「シルバー」、グレーの刺繍糸にボルドーのビーズをあしらった男性向けの「オム」も後にラインナップに加わりました。
ロゴはグラフィティアーティストのアンドレ・サレヴァさんが描き、パッケージは建築家の谷尻誠さんがデザイン。「南三陸から届いた手芸の便り」というコンセプトで封筒の形にしました。ここには、ジェーンからの直筆応援メッセージが書かれています。
ブランド名は、 “海女”とラテン語で“愛”を意味する“ama”をかけて、「ama project」としました。
各界のスペシャリストの協力によりとてもお洒落な製品に仕上がった「ama Bracelet」は、パリを代表するセレクトショップ「コレット」「メルシー」に置かれ、メディアでも話題に。ジェーンも感激し、オフィシャルグッズとしてコンサートで販売してくれるようになりました。
余談ですが、フランス人歌手のヴァネッサ・パラディもこのブレスレットを気に入り、応援してくれているそうです。
1本でも多く売って、少しでも役に立ちたい
多忙なジェーンはなかなか南三陸に来ることができずにいましたが、2013年5月にスケジュールの合間を縫って石巻を訪問。amaのつくり手たちも石巻へ行き、ようやく対面することができました。
ジェーンの姿を見て、つくり手たちは大興奮。普段は杖をついている80代の女性も、感激のあまり杖なしでジェーンのところまで歩いてしまったほどでした。村上さんからつくり手たちの話を聞いていたジェーンは、一人ひとりを励ますようにぎゅっと抱きしめたといいます。特に、家族を亡くした女性には、優しく声をかけてくれました。
「大スターなのに、気取ったところや偉ぶったところがまるでなくて、感激しました」とつくり手の一人は振り返ります。
ジェーンはこのときのことを、「辛い体験をした人たちが、ひとつのことに向かって力を合わせて頑張っている姿に感動した。あんなに素敵な時間はなかった」と言ってくれました。みんなで撮影した記念写真を自宅の居間に飾ってくれています。
こうしたプロジェクトに、有名人が「名前だけ貸す」というのはよくある話。でも、ジェーンは本当にこのプロジェクトを自分ごとだと思って協力しているようです。次のエピソードは、そのことをよく表しているのではないでしょうか。
パリのカフェでジェーンとお茶をしていたとき、ジェーンは私が持っていた「ama Bracelet」を見て、「香住子、これは売りましょう」と近くの席を回りはじめたんです。熱意を持ってプロジェクトのことを説明し、手元にあった30本全てを売り切ってしまいました。
1本でも多く売って、少しでもamaたちの役に立ちたい。そんな気持ちが伝わってきて、じーんとしました。
超有名人のジェーンが見知らぬ人に声をかけて製品を売るなんて、驚いてしまいますね。村上さんの話を聴いていると、ジェーンが外見や歌声だけでなく、心も「美しい人」なのだということが伝わってきます。
たくさんの想いを反射するかのようにきらきらと輝く「ama Bracelet」。もしこのブレスレットを気に入ってくれたなら、ぜひ自分や友人へのプレゼントにいかがでしょう。ジェーンとお揃いで、しかも南三陸の女性たちが前を向く手助けにもなるなんて、おトクだと思いませんか?