暮らしに必要な要素を考え出すと、実に複雑です。
働くこと、食べること、育てること、学ぶこと、情報を得ること、他者と関わること…。それでも結局は学校へ行き、会社に就職して、結婚したら子どもが出来たらマイホームを買って…と、大多数が判をついたように既定路線まっしぐらなのは何故でしょうか。
また最近は持続可能でエコな暮らしかたなども提唱されていますが、はてさて未来永劫続くルールというものは地球上すべての人へ当てはまるものなのでしょうか?
「暮らしとはかくあるべき」という既定路線のものさしで計られる風潮の中、そのものさしを疑い、“暮らし”を“冒険”にしたのが池田秀紀さんと伊藤菜衣子さん夫妻。二人は「暮らしかた冒険家」と名乗り、新しい暮らしかたに挑戦。さらにその“冒険談”を発信し、コミュニケーションツールとしています。
まずは彼らの冒険の一端をご覧下さい。
「100万人のキャンドルナイト」
夏至と冬至の年2回行われるムーブメント。彼らはウェブ制作チームとして実験的なコンテンツを世に送り出している。
「婚約カメラ」
「なんでダイヤモンドあげなきゃいけないの?」というジョニーの疑問からはじまった。婚約の”あたりまえ”を疑ってみる試み。「ダイヤモンドは紛争の原因になっているコトを知り(映画『ブラッドダイヤモンド』)、皆が欲しがる宝石は綺麗なだけだけど、カメラなら夫の遺影写真も撮れるじゃない?」と菜衣子さん。
「結婚キャンプ」
新しい結婚のかたち。さようならー、ベルトコンベアーに乗せられたみたいな結婚式!と高らかに宣言し、高尾山で1泊2日のキャンプで結婚式をしたお二人。グリーンズでも紹介させていただきました。
「新婚ノマド旅行」
新婚旅行は新婚旅行は、これからの暮らしかたを探す旅に。西日本を中心に三週間ノマド旅をして、導き出された「暮らしかた」とは?本文にてじっくりと。
「ちゃんと、たべもの」プロジェクト
あなたの考える【#ちゃんとたべもの】はなんですか?をコンセプトに自分の台所を変えてみる。つくった人の顔が見えるものにする、農薬が少ないものにする、遺伝子組替えしていないものにする、とにかく自炊してみる、などなどを実行してみるプロジェクト。
などなど、枚挙に暇ない彼らのめくるめく冒険。そう、ウェブ制作も結婚もDIYも味噌作りもすべては冒険。窮屈で面倒なことだって、冒険と言ってしまえばたちまち楽しくなってしまう不思議。
住む場所や働き方が自由であることが一番のリスクヘッジと考える夫婦(めおと)の、暮らしをめぐる冒険談を読むと、借りものの杓子定規をしばし横に置き、自分の身の丈を計りたくなります。
ウェブディベロッパーの池田秀紀と写真家の伊藤菜衣子による夫婦ユニット。高品質低空飛行生活をモットーに結婚式や新婚旅行、住居などの「これからのあたりまえ」を模索中。 100万人のキャンドルナイト、坂本龍一氏のソーシャルプロジェクトなどのムーブメント作りのためのウェブサイトやメインビジュアルの制作、ソーシャルメディアを使った広告展開などを手がける。
ないものねだりから、あるものみっけの暮らしかた
現在、城下町風情を残す熊本市小沢町で暮らすおふたり。彼らが暮らすのは築100年以上の町家です。
震災後、かねてから面識のあった熊本出身の建築家・坂口恭平さんの「ゼロセンター」を尋ねるため熊本へ訪れたふたりはいたるところに廃墟の町家が点在しているのを発見。直感的に「…ここ、家余ってる」と思ったそう。熊本市が町家保全に取り組んでいると知ったふたりは市役所へ。そこからトントン拍子に話は進み、紹介されたのは、20年近く誰も住んでいない町家。
ボロボロの家、ゴミの山、痛んだ建具、それでも二人はそこで夫婦が生活するイメージが湧いたのだといいます。
菜衣子さん 東京に暮らしていたときも渋谷の築30年くらいの古いマンションだったけど、壁にペンキを塗ったりしてもよかった。そんなにお金はないけど、必要な場所に住みたい。都心が活動拠点だったのでその辺となるとどうしても家賃との兼ね合いで建物が古い家になってしまう。だったら自分達の好きなようにできる家がいいなとそんな家に住んでいました。
そして、熊本に来る以前から越後妻有の芸術祭で「みかんぐみ」が古民家改修をしているのを見ていて、かっこいいなぁ、そしてこんな風に直して暮らせるということを知ったんです。
ジョニー 震災前から、知り合いも東京以外と拠点に活動している人が多かったし、いずれは東京を離れて暮らしたいって思いはありました。僕らの新婚旅行は西日本をぐるぐる回るノマド旅で(新婚ノマド旅行)「じぶんたちはどこでも暮らしていける」ってことがわかりました。そして僕らには「これがいい」っていうこだわりあまりないんです。ただ「これがいやだ」があるんです。規格化されたものを鵜呑みにしない。「これがいやだ」が変えられないのはいやだった。
築100年以上の町家を借り、じぶんたちが暮らしやすいように改修した。DIYと呼ぶにはガチすぎる大改修だ。
僕たちはどこへ暮らしていったらいいんだろう。
それを暮らしながら探すのは「憧れ」ではない。
彼らは「気に入らないものと共存する気はない」と、いっそ清々しいくらいはっきりと言い切ります。
そして、彼らのスタンスは「古民家を改修してロハスで素敵ライフを送りたい」「町の美観保全に取り組みたい(キリッ)」などと今流行りの高尚なものではない。登山に例えれば“そこに山はあるから”。家が余っているから、自分達の好きなように直せるからそこに暮らす(暮らせる)のです。
ジョニー 別に古民家にすすんで住みたかったわけじゃないです。
菜衣子さん めっちゃ寒い夜、マンションに住みたくなる時があります(笑)。寒すぎて家出したこともあります。東京でマンションに滞在すると、すごい考えられているし家の外で働きながら暮らしていくためには本当に機能的だなぁと関心します。暮らしには「現実とロマン」というのがあって、現実問題として、お金もそんなにあるわけじゃない、けど、規格化されたダサいものに囲まれて暮らすのも無理。そこはせめぎ合い。
ジョニーの肝いりで導入された薪ストーブ。すきま風だらけの町家を芯からぽかぽかと温める。これは朝から晩まで在宅で仕事する二人だからこそ使える暖房器具。薪材はウェブ制作と「物技交換」で一生分確保済み。
ジョニー あと、日本の家自体、あまりお金を掛けられていないのって、家電が高いせいなんじゃないかと。
菜衣子さん 我が家の家電はミーレの冷蔵庫くらいしかない。写真写りしか考えてないから(笑)。
ジョニー アメリカのポートランドへ視察に言った時も、便座にウォシュレットなんてついてないもんね。でも木製だから冷たくない上見た目もオシャレ。
菜衣子さん 炊飯器に10万とかありえないし。あんまり萌えない。うちに来た人が「ご飯炊くのに良い土鍋使ってますねぇ」って言うんですけど、土鍋はビジュアルいいし、ご飯早く炊けるし、美味しいし、安いし。うちは10万円の炊飯器使うなら美味しいお寿司食べたい。そう、近所に美味しいお寿司屋さんがあるんですけど、うちはよくそこでお寿司を食べるんです。この前隣りにご一緒したのが社長さんは「あの廃墟に住んでるのに、ここには来れるのか?」というんです。たしかに、ちょっと変わってるかな(笑)
ジョニー お金の落としどころなんです。うちはタイマーがついてる炊飯器を使うほど暮らしかたがせわしなくないし、車はそんなに使わないから軽自動車でいいけど、美味しい寿司は食べたい。
菜衣子さん 持っているお金は変わらない世の中。自分たちの暮らしにあうものあわないものを取捨選択していく。これからも我が家は美味しい寿司は食べますけど炊飯器は持たないよ(笑)。夫からは「菜衣子は暮らしの事業仕分けの天才」と言われます。
「ちゃんと、たべもの」プロジェクトで作りはじめた味噌作り。手前味噌なんて手のかかるものを…と思われがちだが「月の半分は家を空ける生活をしている私たちに保存食は必要不可欠。それがレトルトじゃなくて美味しいものならなお良し」と菜衣子さん。これも暮らしの事業仕分けをした結果、必要な暮らしの営み。
暮らしかた冒険家のキッチン。清々しいほど家電はほとんどない。棚は、譲り受けた林檎箱。「おしゃれな雑貨屋では一箱3000円。うちの棚は24000円か!とビックリしました」
木製のトイレで便座ウォーマー知らず。
「家だから居心地いいのか、居心地がいいから家なのか」
マイホームを持つ事は人生の幸せの象徴であると謳われた日本社会。その神話が震災とともに崩れ去ったあと、暮らしや住処はわたしたちにとってどんな立ち位置なのか、暮らしかた冒険家はこんなふうに考えています。
ジョニー 日本の家は帰って寝るだけのもの、という地位にある。だから家自体を心地よい空間にするっていうよりは、短時間で用事が済ませられるよう便利で快適なことを求めている気がする。
菜衣子さん だから高機能な家電を使って効率化を計ることが重要なんだと思うんだけど、私たちはずっと家にいるからそれは必要ない。そして家の環境自体妥協しにくい。
DIYではなく、「DO IT 誰か!」
現在、熊本の城下町に点在する廃墟の町家をリノベーションに取組む早川倉庫「#heymachiya」、小沢屋敷に続いて、細工町の2軒の空家(右側はほぼ廃墟)を自分たちでなおしながら、カフェと駄菓子屋がオープン予定。
住みたくない家には住めないけど、自分達が理想とする家を建築家などを頼み正攻法で作ろうとすれば莫大なお金がかかる。そして今後人口減を迎える日本で新たな家を建てるのはリスクが高い。それらをよしとしない彼らの取った策はセルフリノベーション。なにより前出の方法よりもローコストで済む、と大して得意でもないのに挑戦してみたら…。
菜衣子さん 苦行だった(笑)。DIYはとにかく掃除。掃除あるのみ。そして、台所がないと生きていけないから台所を重点的にやりました。
ジョニー タイムリミットがマンスリーマンションを借りている1ヶ月間だったので1ヶ月でなんとか住める状態にしなければならなかった。これがまた思った以上に全然できなかった(笑)。1ヶ月でこれくらいできるだろうと予想していた1/5 も出来なかった。畳も間に合わない…!っていう。
菜衣子さん DIY鬱にもなりました。まず現場に行きたくない。そして、あんなに家を作る事に憧れていたのに、「いや、俺たちやっぱりwebとか作るの好きだよな」って生業の肯定がはじまった(笑)。思った通りに進まないし、とっちらかったままほっぽり投げたりするけど暮らしを作るしか無いから、そりゃ鬱にもなりますよ。
ジョニー 夫婦喧嘩増えたよね。
菜衣子さん 取っ組み合いの夫婦喧嘩したね…。仕事は役割分担しているし、彼がなにをしているのかわからない部分はあるけど、暮らしを作るっていう共同作業をはじめると「なにトロトロやってんの!」ってなるわけですよ(笑)田舎でゆったりのほほんとした生活…とは大分かけ離れていた。だから最近はフリーの大工さんと組んでやるっていうのがいいと思ってます。「DO IT 誰か!」の精神で。個人的に気が合って、私たちがやっていることをかっけーと思ってくれる職人さんと直でやるのがいいです。こっちも歩み寄りたくなるなにかがあったり。
その「DO IT 誰か!」は、壁塗りや土間作りなどをワークショップ化して地元の人たちを巻き込んで改修作業に参加してもらう形で実践。移住者である暮らしかた冒険家の家に地元人が関わることによって、新たなコミュニティが作られる。その住み開き的な暮らしかたは、より彼らを自由にしています。
面白いことをしていれば、面白いヒトが集まってくる。
そして、暮らしに書かせない「働くこと」。ウェブの仕事や写真の仕事で全国を飛び回る彼らですが、貨幣交換ではなく自分たちの技術とモノを交換する「物技交換」が増えてきたといいます。
たとえば、熊本のボシドラ農園のウェブページを作る代わりに受け取った報酬は「自然栽培野菜一生分」。さらに産廃業者からは「薪ストーブ用の薪5年分」など。お金はやりとりをしてしまったらその場で終わってしまうが、この物技交換はご縁というつながりが続く上、餓える心配も寒さに凍える心配も当面なくなるという画期的なシステムです。
菜衣子さん お金がなくても生きて行けるように、何でも自分で出来るようになるのも大事だけど、私は、いろんな技を持つ人たちに手助けしてもらえるのがいいと思っている。
自分ができないことができるから、わたしたちはその人を必要とするし、彼らができないことを私たちができるから、必要とされる。そしてその方が幸せだと思う。
フリーランスで仕事する暮らしかた冒険家は「ここにいなければならない」という場所はありません。そもそも場所とお金に縛られたくない彼らはひとつの土地に永住するつもりもありません。
そして今年の5月、札幌国際芸術祭のゲストディレクターの坂本龍一さんの依頼で「札幌で、いつものように暮らす」という芸術作品を出品することになったのです。そう、2014年の冒険のひとつ“札幌に暮らす”ということ。定住という言葉はもはや死語なのか、と疑いたくなるようなノマドスタイルです。
菜衣子さん 次の家は断熱ゴリゴリの家にしますよ。みんな私たちが熊本でこんな暮らしをしているから札幌でも古民家を改修して住むんじゃないか、って言ってたんですけど、札幌は古民家自体が少ないんです。
熊本での活動は、古民家を改修すること自体がプロジェクトじゃないんです。私たちが古民家を改修している姿を見て、「あ、難しいと思っていたけど案外楽しそうじゃん」っていう状態にするっていう、市民運動というか草の根運動が広がっていけばいいな、と。
ジョニー 「15年先の暮らしを今作る」が札幌芸術祭のテーマです。
菜衣子さん 熊本の今の家は、寒すぎたら近所のスタバにすぐ行けるけど、札幌は車でないとスタバには行けないから今よりもっともっと家が重要になる。だからこそ逆に、都市との距離感や家にいる時間とか逃げ道があるか、とか暮らしをトータルして考えないといけないし、暮らしは家の話しだけじゃない。
ジョニー 僕らはフリーランスで、一番好きなことは家でゴロゴロしている時間だから、必然的に自分の周りの一番目に付くところを変えていきたい。それだけなんです。
菜衣子さん なんで日本はこうなったんだ?と考えると、「なんでこれはしなくなったんだっけ?」「どうしてこれはなくなってしまったの?」って誰も考えないからだと思う。そんな埋もれたものたちの埃をはらって、「これはいる、これはいらない」って取捨選択している。わたしたちの暮らしはそういう感じ。結局は、どうしたら、いちばん楽で幸せでいられるのか。
「やりたくないことはしない」これが彼らの一環したスタンス。暮らしかた冒険家の暮らしかたは、お金をたくさん必要としない豊かだけど持続可能な「高品質低空飛行」な暮らし。
彼らのサービス精神溢れるエンターテイメント情報発信によって、彼らの冒険は斜め上いく敷居の高いことのように思えますが、彼らの根底にあるのは「いちばん楽で幸せで居られるのか」という誰しもが願う単純なこと。しかしそれは誰しもが求めるべき“暮らしの原点”ではないでしょうか。
そして「暮らし」を冒険する彼らは、自らを“マイノリティではなくマジョリティの先頭でありたい”と言います。物珍しいことをしているわけでも、奇をてらうわけでもありません。脱線しているようにみえる、かれらの「斜め上」の暮らしは、もしかしたら、私たちが何年後か先、通るべき道なのかもしれません。
今まで考えもしなかったことを考えること。
わたしたちも思考停止をしない限り、暮らしはもっと、自分らしく引き寄せられるものだと、思いませんか?