“まちづくり”とよく言われますが、まちをつくるって、どういうことなんだろう。
どんな市町村にも、“行政計画”があります。でも、わたしたちは、自分が暮らしているまちに行政計画があることすら知らないのではないでしょうか。
つくったけど、つくっただけかもしれない。そうした行政計画を、わたしたちの手に取り戻そうと、市民を巻き込みながら市民発のまちづくりをする、そんな仕事をする人たちが今、少しずつ増えてきているようです。
今回は、群馬県富岡市の世界遺産まちづくりに携わる「studio-L MOTEGI」所長の岡崎エミさんにインタビューしました。
1973年横浜生まれ。studio-L MOTEGI 所長。早稲田大学卒後、㈱学習研究社入社。婦人誌『ラ・セーヌ』編集部を経て99年独立。㈱エスクァイアマガジンジャパン発行『Luca』副編集長、(株)リビングデザインセンター発行『LIVING DESIGN』編集長を歴任。09年1月よりstudio-Lに参画。同年4月より拠点を栃木県茂木町に移し、studio-L MOTEGI を創設。各種まちづくりの支援や研修プログラム開発、講師などを担う。 2009年パーマカルチャーデザインコース修了。編著に『Design it yourself』(建築資料研究社刊)など。
主なプロジェクトに土祭(ヒジサイ)、栃木県真岡市観光ネットワーク、栃木県観光地人材育成事業、富岡市世界遺産まちづくり、新潟県燕市つばめ若者会議など。2014年4月からは、山形市にある東北芸術工科大学に新設されるコミュニティデザイン学科にて教鞭をとる。
観光地ではないまちに観光客が訪れると、まちはどうなる?
手書きの地図。よく見ると細かいところまでつくられています
群馬県富岡市にある富岡製糸場は、明治5年に日本初の機械製糸工場として創建され、赤レンガの外壁、ガラス窓、天井……そのすべてがレトロでノスタルジーに溢れています。この富岡製糸場は今、ユネスコ世界文化遺産への推薦が決定し、平成26年の登録を目指しています。
富岡のまちにはすでに平日から観光客が訪れるようになってきており、これからもどんどんその客足は増えるだろうと予想されています。
富岡というもともと観光地ではないまちに、観光客が入ろうとしていています。まち自体は、変わらずのんびりとした雰囲気で、観光地として訪れる人との意識のギャップがとても大きいんです。
隣接する昭和な飲屋街
飲屋街の中に生活感あふれるお店
観光客とは関係ない地元感あふれるお店
コミュニティデザイナー山崎亮さん率いるstudio-Lに所属する岡崎さんは、富岡市からの依頼もあってこのまちに入り、「富岡まちづくりひとづくりプロジェクト」を進めています。
参加登録するまちの人は100名を超えるという3年がかりのこのプロジェクトは、現在2年目。富岡の魅力ってなんだろう、いま富岡にはどんな課題があるのか、どんなまちにしたいか。昨年からワークショップを続けてきました。
どんなまちにしたいかで一番挙がった意見は“笑顔に溢れるまち”。何をやるにしても笑顔になれるかどうかというビジョンを、みんなでつくることができました。笑顔に溢れるまちにするためのアイデアを20個くらい出し合って、今年はそれを実行していく1年です。
まちのひとの意識を変える
昨年のワークショップの集大成として発表会が行われましたが、一見さんでは入りにくい飲屋街に観光客の人でも入りやすくなるように、コーディネーターが同伴して飲み歩く企画や、拠点づくりとしてカフェをつくる企画、大きな声で歌って元気になろうという歌声喫茶など、富岡らしいアイデアがたくさん生まれたのだそう。
自分たちが楽しくて、かつまちの課題を解決し、まちが元気になれるアイデアを考え、実行する。一過性のイベントではなく、毎日どこかで小さくてもいいから市民が何かやっている、そんなまちを目指しています。
製糸場の世界遺産登録は、まちにとって一大イベント。現在、上州富岡駅の駅舎改修に加え市役所の建て替えも決まっており、どちらにも市民活動のスペースが計画が盛り込まれていますが、肝心の市民がやる気にならなくては意味がありません。
そのためにも、まちのひとの意識を変えていきたいんです。製糸場の南側には、飲屋街が広がっています。狭い路地に、メニューも笑ってしまうほど “昭和”。でも、最近は客足も減り寂しくなっているといいます。この昭和な飲屋街が、まちの資源であることに気付いて、魅力のひとつとして生かしていってほしいんです。
地元に愛され続けている食堂
昔ながらのカレーが現役
訪れてくれる人が製糸場を見学して終わりではなく、この富岡というまちを歩いて、素敵なまちだなと思ってもらうためにどんなことができるか、プロジェクトは今も続いています。
まちのひとが自主的に参加する仕掛けって?
ワークショップの様子。かなりの人数です
50〜60人ほどが集まるワークショップは、全8回。ところが、8回では終わらないのだと岡崎さんは言います。
実は、8回では終わらないように設計しているんです。次のワークショップまでに、みなさんまとめてくださいね、って宿題を出すんです。自主的に集まらないと終わらないから、みんなが動く。日常生活の中で、ご近所さんとこれからの未来どうしたいかなんて、なかなか話す機会なんてないですよね。こうした機会を通じて、みんなで話し合うって楽しいと気づいていくんです。
リーダーシップや企画の建て方についての勉強会を行ったりしながら、チームワークの大切さを学び、自分たちで議論できるようにしていきます。
昨年度の最後には、市長や市議のみなさんにも来ていただき大発表会を開催しました。パソコンが苦手なので、マンパワーポイントって言って、紙芝居式で発表をしたり、特殊な緊張感があったのか、なかにははじけて踊りだしちゃう人も出て来たりと、発表会は必ず面白くなります(笑)。
こうして、みんなで同じ達成感を得るということも大切です。普通に考えたらまちづくりなんて面倒くさいことの連続です。だからこそ、ある意味だましながら、気がついたらみんなまちづくりという舞台に上がらされて、踊らされている。よくだまされたって言われます。でも、楽しいんですよそれが(笑)。
これが噂のマンパワーポイント
「慣性の法則は、人にも当てはまる」と岡崎さんはいいます。日常の行動範囲や行動様式から抜け出すのは難しいこと。だからこそ、何かきっかけをつくって少しずつ話しながらやってみると、だんだん楽しくなってくる。そこから、まちづくりは始まるようです。
まちづくりというと、間違えるとお金の話ばかりになってしまうんです。地域活性=経済が潤うこと、という誤解。お金が循環することは大切なことですが、まちづくりの一面でしかないんですよね。お金だけじゃなく、人と人がつながって、いろんなエネルギーが生まれたり動いたりしないと、まちって変わらないと思うんです。
まちの人とともにアイデアをつくって、そのあとアイデアを実施するところまでサポートをする。何らかのイベントが終わったあとも、自主的に活動してくれるような意識やチームを育てることを、最初から見据えて、studio-Lでは事業計画をつくっています。
「面白いまち」には、理由がある
市民のみんなで企画し、実行した「スマイルフェスとみおか2013」で行われた「シルク体操」
行政計画に市民が関わってつくっていくというのは、ある種ムーブメントではあるけれど、本質的に関わらなければその意味をなさないと、岡崎さんは続けます。
アリバイ的に住民の声を入れている自治体もたくさんあるんですね。でも、自分たちのまちの計画ですから、市民は市民の責任で関わるべきですし、行政は行政の責任でもっと市民の声を聞いて、一緒につくっていくんだという腹のくくり方が必要なんだろうと思うんです。
面白いと感じるまちには、理由があります。その理由のひとつは、熱い人がいるかどうか。
「スマイルフェスとみおか2013」の準備風景。一致団結!
何かがむしゃらに頑張っている熱い人がいるのは、面白いまちの条件ですよね。それは行政の人でも、市民でも。面白いまちをつくるのは、面白いデザインをつくることではないんです。答えがあるわけじゃない。
もちろんいくつかのシナリオは考えますが、最終的な答えはこちら側にはない。あくまでまちのひと側に答えがあるわけです。それを見つけていくのは、と言っても私だけが見つけるのではなく、みんなが自分で見つけられるようにするには、時間がかかります。でも、そこが一番大切なこと。こうすれば、ああなるというものではないんです。
たとえば、空き家を活動拠点とするために、みんなでペンキ塗りをしたり、大工仕事をしたり。そういう作業をしていくうちに、頭では理解できなくても、このまちを自分たちでつくっていくんだという意識や、本当にこのまちが持続していくためには何が必要なのかが、感覚的に分かってくるのです。
風の人と土の人がいるから“風土”ができる
現在は、栃木県茂木町に暮らし、月に何日か富岡に通う生活をしている岡崎さんですが、もともとは横浜生まれ。雑誌編集者として10年以上東京で暮らしていたそう。仕事も暮らす場所も変わることに、抵抗はなかったのでしょうか。
何も未練はなかったですね(笑)。私の人生は逆算なんです。中学2年の頃に、編集者になろうって決めて、編集者になるための高校・大学進学、就職でした。修学旅行の自由行動で、どこに行きたいかを自分たちで考えるというときに、名所やお寺を調べて瓦版を書いてみたり。
そんなときに、新聞で職人を取材している記事を見て、私これやりたいって思ったんです。これをやるにはどうしたらいいですか?って先生に聞いたりして。
高級婦人誌の編集では、今では考えられないくらいの高級旅館に取材で宿泊して、上質なものとは何かを教えてもらったし、編集長としてやりたいことをやらせてもらった。だから次は、これをどう社会に還元できるかに意識が移っていったのだそう。
社会に対して、自分の仕事が還元できていないなって思い始めたんです。例えば環境の特集をすると、低炭素社会について論理的なことをいくら書いても、メディアは広告費で成り立っているので、結局は何かしらの商品をすすめることになる。これでは、世の中はよくならないなって。
環境問題だけでなく、地域の課題は地方を取材すればするほど見えてくる。今までやってきた編集という仕事を、雑誌ではなく、まちという単位でできないか、と。
まちづくりの仕事と編集の仕事がまったく違うかというと、そうでもないんです。人の話を聞いたり、引き出していくのは取材と同じですし、みんなの思いをどう束ねてひとつのストーリーにしていくかも編集と似ている。
違うところももちろんあるんですが、似ていると感じる場面のほうが圧倒的に多いんです。地元のひとが気づかないまちの魅力をよそ者視点で見つけたり、都市のニーズとどう結びつけるかなど、まさに編集者の得意なところですよね。
栃木県茂木町に引っ越ししたときは、「その土地のひとになりたい」という気持ちから、パーマカルチャーを学んだり、畑とかコメ作りとか農的なこともやりたいと思っていた岡崎さんですが、「どうも私はそういう人じゃないと気付いた」といいます。
その土地に根を張って実を成らせるのが土の人で、新鮮な空気を送り、新しい種を運んでくるのが風の人。でも風の人と土の人がいるから、風土ができる。私はきっと土の人ではなく、風の人なんでしょうね。
晴耕雨読とか、土日休みとか、夏休みとか、そういうのは諦めました(笑)。修行のように仕事をする。目の前の仕事をありがたく一生懸命やるのがいいんだなって。
よそ者であるという風のひとであるがゆえに、一抹の寂しさもあるそう。
今住んでいる栃木では、仲間もどんどん増えているし、ある意味都会から移住してきて、理想としていた環境が整い始めているなと感じています。
食べ物は顔見知りの人から買えて、朝どれのものばかり。陶器や洋服、革製品もつくっている人もいて、上質な日用品を身近な人から買える。暮らしの文化がまちのなかから生まれ、めぐっている、そんな状況が生まれています。
きっと幸せな人生が送れる場所なんですよね。でも、私は風の人なんで、目の前に幸せがあるのに、どこか落ち着かない感じですね。
来年の春からは、山形市にある東北芸術工科大学に新設されるコミュニティデザイン学科で教鞭をふるうことに。被災地や、限界集落、弱った中心市街地など、日本のふるさとをデザインのチカラで元気にする人材育成に従事するために、山形と栃木を行き来をする生活が始まります。
この富岡も、山形もそうですが、地方は、クリエイターを待っているんです。プロデューサー、ディレクター、編集者、デザイナー。住民の想いを代弁してくれたり、形を与えてくれるそんな人が必要なのです。東京のようには、大きなお金にはならないかもしれないけど、東京では味わえない達成感があります。活躍できる場所がたくさんあるんです。
ぜひ、新しい未来を創造してみたいというクリエイターは、2拠点居住から始めてみるなど、働き方や暮らし方を考えてみてほしいなとも思います。私でもどうにかなりましたから(笑)
こちらも「スマイルフェスとみおか2013」で行われた、市民の笑顔を集めた「スマフォト」
失敗しながらでも、やっていったほうがきっと楽しい。
まちづくりにおいて、何を成果というか分からないところもある。
でも、手応があるところまでやりきる、やり尽くす。
その過程でひとが変わっていくことそのものが、まちづくりなのかもしれません。