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真っ白なキャンバスに未来を描こう。本音で語り、次へのアクションを考える「未来会議 in いわき」[イベントレポート]

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「大きなテーマは、『未来』というたったひとつの言葉です。皆さん一人ひとりにとってのいわきの未来を、真っ白なキャンバスに描いていきましょう」

震災と原発事故による被害と復興、市内外の人びとの避難・移住に伴い、さまざまな出身、世代、立場の人びとが交わり、複雑な課題を抱える福島県いわき市。そうしたなか、多様な価値観をそのまま受け止め、ともに生きる未来をつくっていこうと、「未来会議 in いわき」という活動が行われています。

今回は8月24日(土)に開催された、5回目となる会議の様子をレポートします。

ワールドカフェ形式での、本音で語り合える場づくり

未来会議では毎回、ワールドカフェという形式での対話が行われています。カフェのように開かれた空間で、メンバーをこまめに入れ替えながら、同じテーマをもとに参加者が自由に発言し、意見を交換できることが特徴です。この日は市内外から約100名が参加し、とても賑やかな集まりとなりました。

いわきで未来会議が始まったのは、2012年10月に「東日本大震災復興支援財団」が県内各地で主催した「芋煮会」がきっかけでした。この芋煮会は、「子ども被災地支援法」の策定に向けた住民の意見・希望の聞き取りを目的としたもので、ここいわきにも、市内出身・在住の方、市外から避難してきた方など、色々な立場の人びとが集まり、ワールドカフェなどのオープンな形式での対話が行われました。

未来会議事務局メンバーのひとり、菅波香織さんは当時の様子をこう語ります。

私自身も5人の子どもがいて、放射線被ばくのことなど、色々と心配事を抱えていましたが、いわきには色んな考えの方がいて、原発事故や放射能のこと、地域の復興のことなどの繊細な話題は、みんななんとなく避けていたんです。だけどその日は、ファシリテーションをしていただいたおかげで、異なる意見でも受け入れてオープンに本音で語らおうという雰囲気で対話ができました。

いわき市民と、双葉郡など福島第一原発付近からの避難民、地元に残って暮らす人と、市外・県外に避難した人、小さい子どもを持つ人と、そうでない人…いわき市内で起こっているさまざまな精神的分断を、ワールドカフェという手法で解消していけるのではないか。そんな想いで、対話の場を継続的に開きたいと、菅波さんたちが復興支援財団に相談したことで、未来会議は動きだしました。

5回目の開催となる今回の未来会議は、運営事務局メンバー4人によるファシリテーションのもと、大きく4つのエリアに分かれてのワールドカフェとなりました。事務局メンバー4人それぞれが抱く想いや動機のもとに掲げられたサブテーマは、未来への「アクション」、震災の記憶の「アーカイブ」、「対話」の場づくり、「子ども」といわきの未来、の4つです。

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4つのサブテーマごとに分かれ、小グループでの対話

子どもがすこやかに育つ街を目指して

この日は、菅波さんが担当する「子ども」をテーマとしたテーブルに参加しました。県外で家族と住みながらも仕事でいわきに通っている方、大熊町や富岡町など、今は住むことができない地域出身の方、福島県内の他の地域に住む方、子どもと一緒にいわき市内に住む方、まだ子どもを持たない若者。様々な生活環境・世代の人びとの思いや意見が交差します。

外遊びが制限されているからか、安全な場所でも地べたに触らない習慣が子どもについてしまっています。

震災前の同じ年齢の子であればできていたような動きが、年長組に入ってもまだできない子どもも出てきていて、発育の遅れが気になります。

小さなお子さんの親御さんや、保育園・幼稚園の先生などのお話です。放射線被ばくを避けるための活動制限が、五感や身体能力の成長、友達づくりやストレス発散など、子育てに大切な色んな要素の妨げになってしまうというジレンマを語りました。 

父親である自分が生まれ育った富岡町のことを、いつ、どのように話すのか。子どもにとってはどこがふるさとで、彼が将来どこに住むことになるのか。まだ想像がつきません。

奥さんと子どもと一緒に茨城県に住みながら仕事でいわきに通うお父さんは、世代をまたいでの暮らしやふるさとのギャップに思い悩みます。

一方で、こんな意見もありました。

”子どものため”を思っての大人の過保護な行動が、かえって子どもの自由や創造性を狭めてしまうのでは?

ただ心配するだけではなく、知識や情報を丁寧に集めて判断すれば、こうした状況でも具体的にできることは増えていくし、子どももっとのびのびと遊ぶことができるはず。

子どもの健康を守るのは大人たちの責任だけど、子どもも大人と同じひとりの人間。子どもの声にもしっかり耳を傾けよう。

この先どんなことがあっても、自分の人生を自分で判断できる人間に育ってほしい、いわきは、そんな子どもが育っていく街にしていきたい。

悩みや境遇はさまざまなれど、子どもに力強く育ってほしいという願いは参加者に共通していました。

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小さな子ども連れの方も参加できるようにと、この日は託児サービスと遊び場も提供されました。

実はこの未来会議、始まった当初から、大人だけでなく地元の小中学生や高校生も参加しています。今回のような本会議とは別に、「こどもみらいかいぎ」という子ども・若者が主役となった分科会も開かれ、子どもたちが自分の思いを表現しました。

自分の話を大人たちにちゃんと聞いてもらえることが、子どもたちの自信や成長にも繋がります。また、子どもがしっかりした発言をすることで大人たちも気が引き締まりますし、逆に子どもにとっても、「大人がこんなにいわきの未来を真剣に考えてくれていたんだ」と知るきっかけにもなったようです。子どもも大人も、お互いに刺激し合う相乗効果が生まれているのを感じます。

子どもも大人も、ひとりの人間としてお互いの意見を尊重しながら、いわきの未来を真剣に考えている様子が伝わります。

未来を見据えて、次のアクションを

最後は全員で、4つのエリア、各テーブルを回っての報告会です。ファシリテーターではなく参加者自身の口から報告発表が行われ、対話の内容を共有しました。

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各テーブルからひとりずつ、参加者による報告発表が行われました。

盛況に終わった第5回の未来会議。最後に、運営事務局の皆さんに今回の感想を聞いてみました。

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ファシリテーターの田坂逸朗さん(右から2番目)と、未来会議事務局のみなさん(田坂さんを除いて左から順に: 霜村真康さん、藤城光さん、菅波香織さん、松本丈さん)

参加人数も増え、また継続して毎回参加してくれる方もいて、開かれた対話を行うという目的は達成できてきたと思います。これからは、特定のテーマに焦点を当てた分科会や、具体的なアクションへ移ることを意識していく時期かもしれません。

これまでも、「医療未来会議」や「こどもみらいかいぎ」といったテーマごとの分科会が開かれたり、富岡町などの福島第一原発付近の地域を案内するプロジェクト、「旧警戒区域に行ってみよう!」が実施されたりと、未来会議がきっかけとなったアクションが自発的に生まれてきています。

また、一週間後の9月1日(日)には筑波大学の「創造的復興プロジェクト」とのコラボレーションによる「未来会議 in いわき×FUKUSHIMA VOICE」が開催され、ワールドカフェでの対話の様子をドキュメンタリー映像に収めるという試みがなされました。第5回のサブテーマであった「アーカイブ」を、まさに具体化するような企画です。

一方で、色んな事情や想いがあって、今は参加していない・参加できていない方もまだまだいます。小さく具体的なアクションに移りながらも、もっと色んな世代、色んな地域の人が気楽に参加できるように、こうした大きな対話の場は開き続けたいですね。カタチを変えたり、世代交代をしながらも、未来会議という活動自体は少なくとも30年は続けていきたいというのが、事務局一同の想いです。

30年先のいわきを見据えての活動だという事務局のみなさん。だからこそ、子どもも大人も幅広く交わっての対話が大切なのですね。

まだまだ始まったばかりの未来会議、だけど、真っ白だったキャンバスには少しずつ彩りが増えているようです。いわき市出身かどうかにかかわらず、関心を持ってくれる人なら誰でも歓迎とのこと。ぜひ、あなたの色をキャンバスに寄せてみてください。

(Text:鈴木悠平)