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「陳情」から「行動」へ。東北で住民とともに新たな町をつくる「ふらっとーほく」

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特集「a Piece of Social Innovation」は、日本中の”ソーシャルイノベーションのカケラたち”をご紹介するNPO法人ミラツクとの共同企画です。

被災地の復興計画やまちづくりと聞いて、どんなイメージが浮かびますか?
多くの人は、行政や国が主導する計画を思い浮かべるのではないでしょうか。

一般社団法人「ふらっとーほく」は、住民が主体的に行政と連携し、ビジョンづくりやその具体化を目指す試みを後押ししています。「一人ひとりが動くことで、何かが変わるという文化を作っていきたい」という代表理事の松島宏佑さんに、活動の内容や地域にかける思いを聞きました。

住民が主役となる2つのプロジェクト

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津波で防潮林が壊れた宮城県亘理町の沿岸部の状況を説明する松島さん

ふらっとーほくが拠点を置く宮城県亘理町は宮城県の南に位置します。仙台から電車で約30分、人口は約3万4000人。太平洋を臨み、漁業やイチゴなどの果樹栽培を主な産業とするのどかな田園地帯でしたが、津波で壊滅的な被害を受けました。

ふらっとーほくの活動の柱の一つが、事務局を担う「わたりグリーンベルトプロジェクト」。防潮林の再生をシンボルに周辺の復興計画をつくり、実現させようという試みです。

松島さんやスタッフは住民と定期的に会合を重ね、地域の歴史や文化を調べたり、「残したいもの」や「必要なこと」を議論したりしてきました。計5回開催したワークショップでは、「キノコ狩りや山菜採りができる林に」「こども達にキレイな沿岸部を見せるために気球を揚げたい」などアイデアが次々と出され、マスタープラン(基本構想)を完成。アイデアの一つだった「熱気球フェス」は昨年12月に開催されました。

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プロジェクトには民間の企業、専門家、行政など多様なプレイヤーが参画。自然・社会環境調査から樹木の配置、排水路などの基盤整備まで専門的な事項についても積極的に実施したり、行政に提案したりします。ふらっとーほくは地域のコーディネーターとして多くの人を巻き込みながら、住民たちの「未来の地図」の実現を目指しているのです。

松島さんは活動のポイントを次のように説明してくれました。

防潮林を再現するだけなら行政だけの事業で済みます。ですが、作った後は維持管理が必要。震災前にも防潮林を一部管理していた住民はいましたが、震災で激減してしまいました。ほかの住民や外部の人間による新しい管理の方法を見出す必要があります。

住民のアイデアを「陳情」で終わらせるのではなく、自分たちでできる部分は「行動」していくことが大切です。住民がプロセスにも結果にも責任を持って取り組んで行かないと、計画づくりも復興もうまくいきません。

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住民たちがワークショップで復興プラン構想を作った

ふらっとーほくのもう一つの柱は、地域の「達人」と一緒にユニークな体験プログラムを提供する「まちフェス~伊達ルネッサンス〜」プロジェクトです。こちらは亘理町と、近隣の宮城県山元町、福島県新地町が舞台になりました。山元町、新地町も津波で大きな被害を受け、人口の流出やまちの再建が問題となっています。

まちフェスの第1回は今年1~2月に開かれました。「達人」として25件のプログラムを企画したのは、地域の名物おばあちゃんや面白いことを思いついた若者たち。屋外にこたつを出して星空を観察する「天然プラネタリウム inこたつ」、お手玉あそび歌を習う「みっちゃん・いんぽっしぶる」などさまざまなプログラムが展開されました。波及効果は大きく、期間終了後も商品開発などの16件の新しいチャレンジが生まれたそうです。

僕は陳情型の社会が嫌いなんです。陳情するだけで行動しなければ、結局何も変わりません。近い将来、国家財政が厳しくなり、国や自治体に頼れなくなる可能性が高い。すると、今の社会サービスに依存できなくなります。自分たちの手でやっていけるようにならないといけません。

一方で、小さくても「何かをやってみたい」と思いを持つ人は地域に必ずいます。彼らに一歩を踏み出すきっかけを提供し、成功体験を重ねてもらう。そうしたことで身の周りの課題を自分で考え、解決する力を発揮できるようになると思っています。

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ユニークな体験プログラムを提供した「まちフェス」

島と震災で出会った、「格好いい大人たち」

松島さんは亘理町に近い、宮城県白石市の出身。東京の大学を卒業し、2010年6月から島根県海士町にあるまちづくり会社「巡の環(めぐりのわ)」で働き始めました。

海士町は隠岐諸島に浮かぶ離島の町です。過疎と財政破たんの危機の中、交流人口の拡大や産業創造に力を入れ、いまでは新しい挑戦に臨む若者が集まる町として全国的に注目されています。巡の環は同町で、地域づくりを手掛けていました。

松島さんはここで、自分たちの力で地域を作っていこうとする人々と出会います。

多くの住民や役場の職員が、人口の流出や町が寂れていく状況を自分たちの問題だと捉え、危機感を持っていました。一人ひとりが立ち上がらなければいけないという当事者性と、ほかの地域と比べても強い一体感がありました。

住民が身の周りの課題を解決するのはあくまでも住民自身の力によってであり、何かに依存していては何も変わらない。海士町での経験を通じて、僕は多くのことを学びました。

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島根県隠岐郡海士町を舞台に持続可能な地域づくりをおこなう「巡の環」

松島さんは震災後、宮城県に戻り「巡の環」東北支部を設立。ボランティア支援に走り回る中、被災地で「闘う住民」を目の当たりにしました。

グリーンベルトプロジェクトは、町内のある事業者さんが「子どもたちと一緒に苗木3万本を植えたい」と言い出したことがきっかけで始まりました。町民みんなで森を育てようと。初めは参加してくれる住民も少なかったですね。

プロジェクトメンバーが一人ひとりに声を掛けて理解者を増やしていった。次第に活動の認知度が高まり、参加者から「今後が楽しみです」と言われるようになりました。周囲から反対されても、打ちのめされてもあきらめない。そんな格好いい大人たちがたくさんいたんです。

松島さんは「惚れた」人のいる東北で、腰を据えて活動することを決めます。2012年1月にふらっとーほくを設立し、巡の環を退職しました。

住民からの反発。戸惑いと再出発

地域にすっかり溶け込んで見える松島さんですが、批判や反発を受けて悩んだ時期もありました。

ボランティアの延長では続かないと考え、活動を事業ベースで進められるようにしていきました。すると、「亘理から出ていけ」「被災者を食い物にするために来たのか」とお叱りを受けた時期がありました。気が付かないうちに、「誰のための仕事なのか」がぶれたり、仕事の進め方に問題があったりしたのだと思います。さすがに辛かったですね。

松島さんは何とか気持ちを切り替え、「まずは思いを共有できる人と一緒に始めるしかない」と考えるようになったそうです。そのころ、1人の女性が少しずつ活動に関わってくれるようになりました。

津波で被災した20代の女性でした。もともとまちづくりには関心が薄いようでしたが、女性と向き合い、対話を重ねました。すると女性が主体的に活動に関わってくれるようになり、そこから参加者の輪が広がっていったんです。一つ一つの信頼関係が大きなうねりにつながるとあらためて認識した出来事でした。

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グリーンベルトプロジェクトのキャッチコピーは「みんなでこせっぺ!おらほの森」。子どもから大人まで、多くの人が苗木づくりにも参加した

本当の自立のために

グリーンベルトプロジェクトは農業生産法人の設立を計画しています。住民が被害に遭った田畑を復旧させ、耕しながら、防潮林の管理も担うという構想です。しかし、土地の権利にかかわることもあり、なかなか進んでいません。ほかにも「100のうち99は課題だらけ」と松島さんは苦笑します。

究極の課題は、広い意味での自立です。身の回りの地域課題に直面した時に、批判や陳情に終わらず、自分たち自身で行動に移し、解決していく。僕たちがサポーターとして地域に入ることで、そういった人をどれだけ増やせるかが重要です。一歩ずつですが、確実に前に進んでいる実感があります。

松島さんは周囲に、遠くない将来、亘理を一度離れると宣言しているそうです。

僕自身がいまのままで被災地に貢献できることがあるとすれば、その期間はおそらくあと数年間でしょう。僕は数十年後の東北により大きな貢献ができるよう、いったんほかの地域や世界に出て勉強し、経験を積んで戻ってきたいと考えています。

ふらっとーほくの活動は続きます。主体的な住民が増えて、当事者として活動を担ってくれるようになることが理想です。

本当は誰もが、何かを「してもらう」存在から、何かが「できる」存在になりたいはず。松島さんたちの活動はすべて、人が持つ可能性を信じることから出発しているのかもしれません。

(Text:鈴木美智代)