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お坊さんとコラボ! “お寺から変わる社会”を描きたい。グリーフケアの原点として法事やお葬式を再発見する「Live On」

お坊さんたちに講演する尾角光美さん

お坊さんたちに講演する尾角光美さん

みなさんは、お坊さんやお寺にどんなイメージを持っていますか? 近ごろ話題の「寺カフェ」や「お寺ライブ」で見かける若いお坊さんたちでしょうか。多くの人にとっては、やはりお葬式や法事で出会うお袈裟を着たお坊さんかもしれません。

「お葬式や法事」は、亡き人への思いに向き合う場。日本では、お葬式の後に7日ごとに49日までお参りをする「中陰」、亡くなった日から数えて100日目の「百ヶ日(卒哭忌、泣くことを卒業する日の意)」、一周忌と死者を思う時間を大切にしてきました。

自死遺児支援活動などを通して「グリーフケア」に携わる一般社団法人「Live on(リブオン)」代表の尾角光美さんは、お葬式や法事を「日本のグリーフケアの原点」として再発見。その担い手であるお坊さんとのコラボレーションを展開しています。

「グリーフケア」ってなんだろう?

大切な人を亡くしたとき、一緒に暮らしてきた家族を亡くしたとき、人はすぐにその現実を受け入れることはできません。取り乱すこともあれば、悲しみを表に出せずに押し込めて平静を装ってしまうこともあります。これらの、喪失感からくる悲嘆の状態を「グリーフ」と呼びます。尾角さんは、グリーフについてこう説明します。

私たちは生きていれば大切な人やもの、お金、自信、立場など色々と失いながら生きています。どんな形で失うにせよ、悲しみはもちろん、怒り、後悔、無感動、時には安心、そして自責感といった様々な感情が沸き起こってきます。

そうした喪失から生じてくるその人なりの自然な反応、感情、プロセスのことを「グリーフ」を言います。「立ち直る」とか「乗り越える」とよく表現する人もいますが、グリーフには「区切り」はあっても「卒業」はありません。いかにそのグリーフを大切にしながら生きていけるかが大切になります。

グリーフの状態にある人に対して、周囲はどう対応していいのかわからずになぐさめたり、元気づけたり、あるいは「お葬式のときは泣いてはいけない」といさめたりしてしまいます。でも、大きな喪失感を味わっている人に必要なのは「その思いのままにいてもいいんだよ」という態度で接することなのです。

母の日プロジェクトから生まれた書籍「102年目の母の日~亡き母へのメッセージ~」

母の日プロジェクトから生まれた書籍「102年目の母の日~亡き母へのメッセージ~」

尾角さんは、大学入学を目前に控えたある日、お母さんの自殺を経験します。「あのときお母さんの手を離さなければ」と自責の念を抱えて、悲しみに深く沈みこむ日々を支えてくれたのは、やはり「そのままにいていいんだよ」とサポートしてくれた友人たちの存在だったそうです。

やがて、グリーフの状態から顔を起こした尾角さんは、「亡くなった命と共に生きる場を作ろう」と、自分と同じように自死で親を亡くした遺児たちのグリーフケアに携わる活動をスタート。自治体や教育機関での講演や「いのちの授業」を各地で展開していきました。

コンビニよりも数が多いお寺の可能性を発見

グリーフに関わる活動をするなかで、尾角さんの課題は「どうしたら遺族や遺児たちに、確実にグリーフサポートを届けられるか?」ということでした。それには、まさにグリーフの現場である葬儀に関わる人たち、つまりお坊さんや葬儀社を通して情報提供が行えたらいいのではないかと考えはじめます。

日本の葬儀のほとんどは、お坊さんとお寺、葬儀社が担っています。「そこで遺族と出会っているやんか!」と気づいて、お坊さんが遺族をサポートできたら一番いいと思ったんです。

全国にあるコンビニよりも数が多いお寺とそこにいるお坊さんたちは、もともとグリーフケアの担い手だったはず。私ひとりで広めていくよりも、そこを復活させられたらという思いがあって。

講演で話す尾角光美さん

講演で話す尾角光美さん

日本には、約7万5千か寺のお寺があり、お坊さんの数は約30万人。彼らは日常的に遺族と接する機会があります。また、亡くなった日から定期的に行う年忌法要(法事)の考え方は、アメリカでグリーフケアに取りこまれていることから、逆輸入のようなかたちで日本でも見直されてはじめているのです。

亡くした人が集える場を定期的に持つことがすごくグリーフサポートになるんですよね。大切な人を亡くした人を支える仕組みをお寺といっしょに作れないかと考えていたときに、北陸地方の真宗大谷派の研修会に呼ばれて行ったら、終わった後に「お寺でグリーフのことをずっとやりたかったんです!」と飛んで駆けつけてくれたお坊さんがいて。それがきっかけでお坊さんたちとのご縁がグッと深まることになりました。

魚心あれば水心あり。お寺とお坊さんの持つ可能性に気づきはじめた尾角さんの前に、「一緒にやりましょう」というお坊さんがついに現れて、「お寺でつくるグリーフサポート連続講座」が始まることになりました。

コンビニより多いお寺をグリーフケアの場に

「お寺でつくるグリーフサポート連続講座」を開くにあたって、まずは4つのお寺でプレ講演会を開催。約200名の参加者のなかから、より専門的な学びを希望するお坊さんと坊守さん(浄土真宗では住職の妻を「坊守」と呼ぶ)、葬儀社の人、一般市民など定員を超える32名が全5回の連続講座に集まりました。

尾角さんはこの連続講座の場を、アメリカの「ダギーセンター」で学んだグリーフケアの知識やメソッドとワークショップ作りの考え方を組み合わせてデザインします。

お寺でつくるグリーフサポート連続講座

お寺でつくるグリーフサポート連続講座

まず最初に「私はお産婆さんです。みなさんがサポートを産み落とすお手伝いをしにきました」と話しました。参加者にチームになってもらうために、お互いを知るインタビューをすることから始めて、自分の喪失体験に向き合う時間を作ったり、聴く力を高めるスキルやグリーフケアの知識を学んでもらったり。

最後は“プロアクションカフェ”というワークショップの手法を用いて、それぞれが考えた具体的に創りたいサポートについてプレゼンテーションをブラッシュアップしてもらいました。

終了後には、学びの場「グリーフシェアリング小松」と遺族がつどい語る場「ともいき」がふたつの地域に生み落とされました。この連続講座を通して、尾角さんは地域に密着しているお寺で場を作る良さにも気がついたそうです。

私が大事にしたいのは、一人ひとりのプロフェッショナルを育てることに加えて、それぞれの土地に場を生み出すことなんですね。人が育ち、場が生まれるという両輪が必要なんだと気がつきました。遺族をひとりで支えるのはやはり大変です。仲間と支え合いながら集える場があるほうがいいと思うんです。

お寺での講座でしたので、いつもお寺の奥さんたちが作ってくれるごはんをみんなで囲むのがすごく楽しくて。それもまたお寺で場をつくる良さなのかなと思います。

現場を担う人だけが持つ豊かな言葉に学ぶ

この連続講座のように、参加者が主体になって何かを生み出していく場のなかでは、講師である尾角さん自身もたくさんの学びがありました。現場にいる人ならではの気づきから生まれる言葉を聴かせてもらえるからです。

お寺でつくるグリーフサポート連続講座にて

お寺でつくるグリーフサポート連続講座にて

「「立派な葬儀と遺族にとって最高の葬儀は違う」「点ではなく線としての葬儀」なんて、現場にいるお坊さんからしか出てこない言葉です。グリーフケアが一番できているお坊さんは、亡くなった人の「生きていた間のいのち」を共有できる人。「お前のお父さんはこうだったよなあ」と遺族に語りかけられる人なんです。亡くなった人を覚えていてくれると、遺族もまたそれをきっかけに思いを語ることができるんですね。

私が必要としているのは、この日本にグリーフサポートのしくみが整うこと。担い手を増やしていくうえでは、講演はあくまで啓発。人が育つ場を作っていく先に救いがあるのではないかという強い思いがあります。

また、もう少し長いスパンでは、宗教系の大学にグリーフに関する講義を入れていくことも考えているそうです。大学生のうちに「僧侶になるということにはこんな意味もあるんだ」と気づいてもらい、僧侶の役割とその可能性に気づいてもらうきかっけを届けるためです。

「お葬式ですごくいやな思いをした。許せない」と、お坊さんを批判する声もあります。でも、批判するだけでも、励ますだけでも状況は変わりません。「場を作りましょう」「仲間をつくりましょう」と可能性を示して、具体的に一歩を踏み出すお手伝いをできればと思っています。

尾角さんが講演で必ず最後に伝えるメッセージ

尾角さんが講演で必ず最後に伝えるメッセージ

ありのままを認める――お坊さんとお寺の可能性に光を当てる尾角さんのスタンスは、全国のお坊さんたちから深い共感を呼び、彼女のことを「仏教界のナウシカ」「寺ドル(お寺のアイドル)」とまで呼ぶお坊さんも少なくありません。

お寺から変わる未来“寺ルネッサンス”を描きたい

「日本でグリーフケアを広めるにはお寺とお坊さんは外せない」。そう確信する尾角さんに、起業家の先輩に首をかしげられたこともあるそうです。一般的には、多くの人が自分の家のお墓の宗派も知らない現状で「お坊さんは遠すぎる存在。僧侶を育てたところで社会は変わるのか?」と疑問に思われたのです。

でも、私が出会っている現実は違っていて、お坊さんは遺族と出会っています。遺族をケアしようとする志のあるお坊さんたちと一緒にやっていきたいし、そのつながりがある限りはお寺から変わる社会を描いていこうと思います。

人の死を見送る場に関わるのは、お坊さんだけではありません。病院で働く医療従事者、葬儀社の人たちもまたグリーフケアの担い手となるはずです。こうした「死」に直面する仕事をしている人たちが対等な関係で対話ができる場づくりを、尾角さんは目指しています。

「死」に直面する仕事をしている人たちが対等な関係で対話ができる場づくり

「死」に直面する仕事をしている人たちが対等な関係で対話ができる場づくり

私の仕事は、遺族や苦しんでいる人を真ん中に置いて、みんながひとつになれるようにすること。人間はいつか100%死ぬわけですから、みんな大切な人を亡くして苦しむし、いつ自分がその立場になるかわかりません。だからこそ、誰もが自分の苦しみに向き合えるようになってほしいんです。

お葬式や法事、お寺やお坊さん。古い日本の風習や文化のひとつとして見過ごされていたものの意味を問いなおし、新しい息を吹き込むことでもともとあった「グリーフケア」の力が復活していく――きっと、ほかにも古く錆つきかけているけれども、少し手入れをしたらものすごく使える機械のような、日本ならではのシステムやネットワークがあるのではないでしょうか。

この国の日常のなかに、未来を描くキャンバスはまだまだあると思うのです。

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