どんなにおいしくてお気に入りのお店があっても、やっぱり一番ホッとするのは、慣れ親しんだ“おふくろの味”ですよね。でも両親と離れて暮らす人にとって、それは日常的に口にできるものではありません。
それならば、地域に住むおかあさんが、みんなの“おふくろ”になってしまいましょう。そんなあたたかい取り組みが、東京・小平市の小さな商店街から始まりました。
昔ながらの雰囲気が残る学園坂商店街。その一角に「学園坂タウンキッチン」はあります。
店内には、おいしそうなお弁当やお惣菜がずらり。キッチンからは明るい笑い声が聞こえ、カウンター越しに「こんにちはー」と、女性たちが飛び切りの笑顔で出迎えてくれました。
このお店、一見普通のお惣菜屋さんなのですが、実はちょっと違っています。キッチンで調理しているのは、全員が“タウンシェフ”と呼ばれるこの街に住む有償ボランティアのみなさん。仕事や家事の合間の空いた時間にこのお店で料理の腕を奮い、おいしい“おふくろの味”を、街のみんなに提供してくれます。
20代から70代まで、現在登録シェフは20〜25名ほど。主婦はもちろん、平日はお仕事をされている方や将来自分のお店を持ちたいという夢をもった方まで、様々な女性が日替わりで同じキッチンに立ち、この街の胃袋を支えています。そう、ここは“街の台所”なのです。
足りないのは栄養バランスではなく“心の豊かさ”
「学園坂タウンキッチン」がオープンしたのは、2010年11月。以前より、食の視点から街づくりを考える様々なプロジェクトを展開してきた任意団体TOWN KITCHENが、2010年7月に株式会社タウンキッチンとなり、店舗運営第一号として営業を開始しました。代表の北池智一郎さんは、経営コンサルや外食チェーンの支援ビジネスなど様々な職歴をお持ちの方です。タウンキッチンを立ち上げるに至った想いを聞きました。
僕は大阪出身で、サラリーマン時代は一人暮らしをしていたのですが、やはり夜遅くまで仕事をしていると、食べるものがないなー、と。もちろん遅くまで開いているチェーン店はいくつかあるのですが、何かが足りない。それは、栄養バランスとかオーガニックとか、そういうことではなく、食べることによって得られる“心の豊かさ”だと思ったんです。もう物の豊かさを追い求める時代じゃないな、と。
外食チェーンの支援をした経験もある北池さんは、当時から現在の食ビジネスに対しても違和感を感じていたそうです。
しんどい産業だなーと思ってました。工場での大量生産、徹底したマニュアルによるオペレーション、慢性的な人材不足。価格競争に勝ち残るために合理化・効率化を追求したこの仕組みの中で、一体、誰かハッピーになってるんかな、と。食と言うよりも、社会の在り方に対する違和感。そんな気持ちはずっと抱いてて。
そんな北池さんが食べたいと感じたのは、やはり“おふくろの味”。子育ての一段落した主婦たちが時間やパワーを持て余している現状や、夕方の街で目にするファーストフード店に行列を作っている子どもたちの姿から、“おすそわけ”で人をつなぐというアイデアを漠然と考えていました。また、それ以上に切実な、食に困っている独居老人や、学童に通う子どもたちのお昼ご飯などの問題もあることを知り、それを地域の人間同士の関係づくりで解決していくことができないか、と考え始めました。
知人友人の助言を受けながら任意団体TOWN KITCHENを立ち上げた北池さんは、三鷹市で学童へ主婦たちが作ったお弁当を届けたり、横浜市ではイベントへも出店するなどの経験を積みながら、様々な地域で精力的に人とのつながりを作っていきました。そして、ご自身も住む多摩地域での活動を視野に入れ始めた頃に出会ったのが、小平市の学園坂商店街の関係者。シャッターの閉まった店舗が増えつつある商店街の現状を聞き、街づくりの拠点として「学園坂タウンキッチン」のオープンを決めました。
働く主婦の方や学生さんが“お母さんの味”を求めて来てくれるようになって、それはとてもうれしかったです。ただ、最初はやはり難しいことも多くて。一般的な“お惣菜屋さん”と違ってシェフごとに味が違うことをお客様に理解していただけなかったり、タウンシェフひとりひとりのやりたい方向性も違ったり。街の人々やタウンシェフの意見も聞き、何度も話し合いながら、日々試行錯誤の中で運営しています。それに今では常連さんも増えましたが、商店街の中心や駅からは少し離れていることもあり、人を集めるのにも苦労したんです。
新しい取り組みにはやはり多くの苦難も伴います。でも、そんな中、北池さんは新たな挑戦を始めます。
人がつながる「たまり場カフェ」もオープン
先月(2011年5月)、タウンキッチンの隣にオープンしたのは、「たまり場カフェ」と言う名のスペース。日差しがたっぷり降り注ぐ明るいカフェの店内で、ランチやティータイムに、その場でおふくろの味を楽しめる他、北池さんはこの場をコミュニティスペースとして使うことを考えています。
カフェでは“買って終わり”の関係ではなく、一歩踏み込んだコミュニケーションが生まれ、人と人がつながる場を目指しています。食べ物だけのつながりではなく、街のみんながいろいろな活動をしていくための拠点になるといいな、と。その方法を街の人々ともたくさん話し合い、この場所を会員制で貸し出すことにしました。各種ワークショップや料理教室など、現在少しずつ稼働し始めています。
食から一歩踏み込んだ新たなコミュニケーションを生み出す「たまり場カフェ」。この場所から今後、どのようなつながりが生まれていくのでしょうか。
この場所は実験箱。この仕組みを世の中の常識にしたい
そんな北池さんの想いは、このお店を繁盛させること、には留まりません。
この場所は実験箱、おもちゃ箱なんです。人通りも少ないこの場所にめちゃくちゃ人が集まるようになればそりゃすごいことなのですが、それをこの一箇所で実現することをゴールとはしていません。チェーン展開という意味ではなく、「タウンキッチン」のエッセンスを持った拠点を、最終的には200箇所くらいには広げていきたいです。この仕組みが常識になり、本当はこんな場が不要な、“おすそわけ”が当たり前に広がる社会になるといいですよね。
北池さんのもとには、現在、他の地域からも多数の依頼や問い合わせが届いているのだとか。この夏も、三鷹市で全6校の学童に夏休みの期間毎日、地元のお母さんたちが作ったお弁当を届ける仕組みを構築中だと言います。住民の属性が違うので地域によってマッチするモデルは異なってきそうですが、それぞれの地域の特性にあわせた“おすそわけコミュニティ”の仕組みが広がっていく可能性を感じます。
地域がつながる“おすそわけ”。皆さんの街にも、いつかこんなポカポカ笑顔に包まれた台所が登場するかもしれませんね。
地域がつながる「おすそわけ」