♪南の空の果て 波の花さく島に……(小笠原古謡「丸木舟」より)。
こんな優しいフレーズで始まる唄を持つ島が、日本にある。一番南の東京都、船で25時間半かけてしか行くことのできない小笠原諸島だ。
私は約20年、ライターとして、また小笠原の環境NPOの代表として島に関ってきたが、この5月、「あること」を見つめるために島に移住してきた。あること、それは人と自然の共存の在り方だ。
世界に一つの小笠原、その理由
諸島全体は南北約 400km以上の広い範囲に点在する100を超える島々から成り立つが、自衛隊や気象庁などを除いた一般の人々が暮らすのはたった2島、父島(約2000 人)と、そこから50キロ離れた母島(約400人)だけ。行政的には2つとも小笠原村。小さな自治体だ。
1945年の敗戦後、23年にわたり米軍統治下に置かれ、1968年に日本に返還されてからまだ41年。もともと暮らしていた人よりも、返還後に移り住んできた人のほうが多く、今では2400人のうち7~8割がこうした「新島民」だといわれている。生産年齢人口はなんと75%を超え、全国の市町村の中ではトップだ。
最近、TVや新聞でこの村の名前を聞くことが多いのではないだろうか? それは、小笠原が持つ、とてつもなく高い自然度のためだ。いま、その自然度が注目され、小笠原は世界自然遺産の登録を目指している。そのため、マスコミに取り上げられることが多いのだ。
小笠原諸島は「海洋島」。これは、他の大陸から遠く離れ、大洋上に孤立しており、かつて一度も他の大陸とつながったことがない島のことをいう。小笠原は地殻変動と火山活動で溶岩が突出してできた島。だから、最初は岩だけだった。では今島にある緑や生き物は、どうやって島に来たのだろう?それはまさに天の配剤、偶然による偶然。草も木も虫も鳥も、流木に付いて流されたり、風に飛ばされたり、海流に乗ってきたり、自力で飛んできたりといった限られた方法でだけ、島に入ることができたのである。こうした場所では、多くの種が混ざり合い、競争しあうような場所とは異なる独自の進化を遂げ、世界中でそこにしかいない種「固有種」が誕生する。小笠原は固有種の宝庫なのだ。
海も山も野生動物に会える小笠原。これは固有種ではないが野生のハシナガイルカ(撮影:有川)
登録間近?!小笠原と世界自然遺産
海洋島ならではの特殊な「生態系」、それから辿り着いた生物たちの祖先が多様な場所であることによる「生物多様性」、そして「地形・地質」の3 つは世界的に価値が高く、世界自然遺産の評価基準(クライテリア)に合致する!として、日本は2007年、世界自然遺産への登録を控えた場所の一覧ともいえる「世界遺産暫定一覧表(暫定リスト)」に小笠原を掲載した。今後の予定では2010年2月1日までに課題となっている「外来種対策」と「最も重要な地区の保護担保措置」にめどをつけた上で世界遺産委員会事務局へ推薦書提出を行い、審査を経て早くて2011年7月の登録決定を目指している。
世界遺産に登録されるまでの仕組みを簡単にいえば、まずそれぞれの国が「我が国のこの場所を推薦します」とユネスコに申請し、ユネスコが評価し判断するという流れ。詳細はこちらからどうぞ。
世界遺産というのは、いうまでもなく、将来の世代に対し残すべき貴重な世界的な「遺産」。そう認定されることは地域の人々にとって誇りであり、喜びであるはずだ。
だが、人間生活の影響を最小限にするための数々の規制が住民にも課せられるため、今、島の中では表面には出ないながら、遺産登録に向けての各種事業についての疑問や戸惑いもまた広がっているようだ。
訪れる人も、島に暮らす人も自然についての魅力を強く感じているのが小笠原(撮影:有川)
世界自然遺産に登録されることで小笠原は何を得て、何を失うのか、それを知りたくて、私はこのたび小笠原に移住した。島は海という宇宙に囲まれたミニ地球だ。島という物理的な閉鎖環境でさまざまな環境問題の解決ができれば、それは都会、ひいては地球全体にも応用できるはずなのだ。
小笠原は早くから環境への目配りを持ち、住民たちは自分たちなりのルールを作り自然との共存に取り組んできたし、行政もその動きを支援していた。しかし今行われている「自然再生事業=外来種の除去」は、今までのようなペースでは追いつかないものだ。これが、人々の心にどんな影響を与えるのか、日々の生活の中から見つめ、人と自然の共存という永遠の課題にどう取り組むべきか、レポートしていきたい。