突然ですが、あなたにとって学校とは、安全で心がつながる場所でしたか?
毎日の暮らしのなかで、強いストレスを抱えた子どもたち。暴力、いじめ、カンニング、テスト不安に不登校…と、それは感情障害という形で教室に現れます。生徒たちだけではなく、彼らと向き合う教師たちもまたバーンアウト(燃え尽き症候群)となって教壇に立つ意欲を失ってしまい、その結果アメリカでは教員職の高い離職率も問題となっています。
今日ご紹介するのは、これらの現状に対して、今話題のマインドフルネスを用いて心のつながりを取り戻そうという取り組み。
2007年、米カリフォルニア州オークランドではじまり、今や全米50州、世界100か国以上の小中高校でマインドフルネスを用いた教育法を指導している非営利組織「Mindful Schools(マインドフル・スクールズ)」。その実践と驚くべき効果について、インタビューを交えながらお伝えします。
トレンド発信地でありながら、銃声が鳴り響く。
表と裏の顔が共存する街で誕生。
話題のビストロ、フェアトレードの豆を使うこだわりのコーヒーショップ、エッジィなヴィンテージショップ…。全米有数の犯罪多発地域として悪名高いカリフォルニア州オークランドですが、そのイメージはヒップな街として移り変わりつつあります。しかし依然として深刻な銃犯罪、貧富の格差、ドラッグ問題、教育分野では学級崩壊を抱えているというのも事実。
社会的にも経済的にも人種もさまざまな人たちがともに暮らす街・オークランド。貧困層の子どもたちは日常的に怒号が飛び交い、銃声が鳴り響くなかで、肉体的、性的、心理的な暴力や貧しさによる不安定な日々を強いられています。そうでない家庭の子どもたちも「高い点数を取らないと」「良い大学に入らないと」との強いテスト不安を抱えています。
その鬱積した思いは、教室に現れます。暴力、いじめ、ウソ、盗みと目に見える形で、また鬱、強い不安感として彼らの心の内側に生じる場合もあり、大抵はそのふたつが複雑に組み合わさっています。
彼らと向き合う教師たちもまた強いストレスに苛まれ、現在全米における教員職の離職率は毎年20%以上。絶え間ないストレスが続く教師たちの間で心因性の鬱病の一種、バーンアウトが起こり、ガソリンが切れたように衰弱し切って教壇に立つ意欲を失ってしまうというのです。
そのような問題を抱えたこの地に2007年、メーガン・コーワン、リチャード・シャンクマン、ローリー・グロスマーの3名が非営利組織・Mindful Schoolsを設立しました。
“今ここ”に集中し、抱いた感覚を受け容れて味わう。
マインドフルネスとは、呼吸を用いた心の処方箋。
ところで日本でも今話題のマインドフルネスとは、いったい何なのでしょう?
仏教マインドフルネス、世俗マインドフルネス、医療マインドフルネスなど、分野や実践の意図によってその解釈はさまざまですが、ひとことで説明するならば呼吸に意識を向けて“今ここ”に集中することで、自分の心を取り扱う方法といえます。
それは過去を悔やんだり、実際に起こっていない出来事や未来に囚われるのではなく、目の前の現実にしっかりと向き合う姿勢とも。抱いた感覚や気持ちを“良い悪い”と即時に判断せず、全てありのままに感じることを自分に許し、受け容れる練習をするのです。
もともとマインドフルネスは正念(サティ)といって仏教の涅槃(苦しみからの脱却)に到達するための8つの実践法のひとつですが、1979年にジョン・カバット・ジン博士が宗教的な文脈を省き、呼吸法を用いたマインドフルネス瞑想によるストレス低減法(MBSR)を開発。慢性疾患に悩む患者に適用することでMBSRによる治療効果を立証し、医療現場へと浸透させていきました。
以降、痛みの緩和だけではなく、ストレスや不安に負けない心をつくるための修養法として、職場におけるEQ向上(自分の感情を認識し、コントロールする能力、他者を共感的に理解する能力)、警察官のストレスケアに至るまで全米で広く普及しています。
そんなマインドフルネスを教育現場に! と、浸透させた立役者がMindful Schoolsの創設者たち。「ある意味アクシデント的にスタートした」と語る彼らですが、きっかけは共同創設者のひとり、メーガンの尼僧としての体験でした。
僧院に住みながら子どもたちに礼儀作法の一環としてマインドフルネスを教えていたメーガン。子どもたちが呼吸に意識を集中させていくうちに、心身が穏やかでバランスの取れた状態へと変容していく…。その姿を目にし、彼女は洞察を得るのです。「このシンプルな呼吸を用いた内観法は、子どもたちの強い助けになるはずだ」と。
そして彼女に賛同した共同創設者たち、カリキュラム開発者、教育者たちが、小、中、高校生の子どもたちを始め、教師たちにマインドフルネスを教え、彼らを支え続けて今年で11年目となります。
ではマインドフルネスをいったいどのようにして学校で教えているのでしょうか。Mindful Schoolsでミーガンたちとともに教育カリキュラムを考案してきたコミュニティ・プログラム・マネージャーのクリスティーナ・コステロさんにお話を聞きました。
クリスティーナ・コステロさん
サンフランシスコ州立大学で心理学を学んだ後、カリフォルニア大学サンタクルーズ校で社会学のMAを取得。9年間さまざまな環境で教育に携わった後、Mindful Schoolsでは教育プログラムの作成、プログラム教育者として携わる。
聞くマインドフルネス、食べるマインドフルネス。
子どもたちが体験しやすい形で、五感と心をつなげていく。
—教育現場の闇、その引き金である子どもたちや教師の強いストレス。なぜ彼らのメンタルケアにマインドフルネスが効果的なのでしょうか?
なによりもまず、マインドフルネスは心をいったん休止できる機会を与えてくれるからです。子どもたちも教師も、立ち止まる時間はつくらないと無いんですよ。常に交感神経が優位になって”いつでも戦える、逃げられる“と、心と体が戦闘態勢状態なんですね。
野獣を目の前にサバンナで狩りをしている最中なら良いのですが、慢性的にこの状態では心身が疲弊し、あらゆる不調が生じてきます。教室で席について授業が受けられない、不眠による居眠り、鬱や不安障害、校内や校外でのいじめや暴力などがその例です。
マインドフルネスによって呼吸に集中し、五感をフルに使い自分の内側の感覚に意識を向ける機会をつくってあげる。そして抱いた感覚を“正解”や“誤り”、また”良い“”悪い”と即時に判断しないスペースを感じてもらうんです。外側で起きる物事に自動操縦的に反応しないという“心の間(ま)”を持ってもらう。
そうすることで交感神経のスイッチをオフし、強いストレスから心を一休みさせます。その結果、次第に子どもたちと教師の心が整い始め、授業に向かう準備ができるようになるのです。
—具体的にはどのようにして子どもたちにマインドフルネスを教えていますか?
いきなり「坐禅を組んで瞑想をしましょう」と言っても、子どもたちには難しいですよね。そこで最初に子どもたちと行うのは、15分間の”マインドフル・リスニング(聞くマインドフルネス)“です。「一緒に教室を心穏やかにリラックスできる場所にしましょうね」と、行う目的も明確に伝えます。
まず教師が鐘を招き、お腹や胸に手をあてて体の中を出入りする呼吸を感じながら「完全に音が聞こえなくなるまで聞きましょうと」子どもたちと一緒に耳を澄ますのです。
そのときに大切なのは、目を閉じても閉じなくても良いと伝えること。強いトラウマを抱えた子どもたちにとって、暗闇は不安を誘う原因になるからです。
やがて音が完全に聞こえなくなったと感じたら、それぞれ手を上げてもらいます。そのタイミングに「遅い」「速い」と正解はありません。私たちは、マインドフルネスとはほかの誰でもない自分の感覚とつながってそれを信じる練習だと思うからです。「その手をゆっくり自分のペースで降ろし、そっとお腹に手を当てましょう」と子どもたちを誘導し、呼吸に従って膨らんだり凹んだりするお腹の様子をただ感じてもらいます。
このようにして教師と子どもたちが一緒になって互いに立ち止まり、15分間という平和な時間を共有するのです。
ほかにも”マインドフル・イーティング(食べるマインドフルネス)”といって、一粒のレーズンをしっかりと味わう練習をすることもあります。私たちはマインドフルネスを「これが正解だ」と型にはめて指導しません。それぞれの体験のなかにそれぞれの発見があると考えているからです。
マインドフルネスは“ハートフルネス”へ。
自分や相手の気持ちを感じ、心をつないでいく。
—マインドフルネスとは、漢字で”念“(今の心)と書きますが、日本語では心とはとても多様な意味を持ちます。形のない思いや気持ちであると同時に、心臓という肉体でもあり。さらにはマインド(意志、認識力)であると同時に、ハート(感情)という意味も併せ持っています。最後にMindful Schoolsにとってのマインドフルネスの定義を教えてください。
五感をフルに使うことで、自らの体験を通して世界とどう関わっているのか。それを教えてくれるのが、マインドフルネスだと思います。体内感覚に意識を向けて”今の自分“を把握し、体から得た感覚と感情を結びつけていくのです。
例えば、”朝食のシリアルを床に落としてしまった。では心と体がどんなふうに感じる? お腹が変な感じがする?”“親友がお誕生日会に招いてくれた。ワクワクして、ハートが温かくなった?”など、子どもたちがイメージしやすいシナリオを提示します。どんなときにどういう気分になって、ほかの誰でもない自分にとってそれがどういう気分なのかを呼吸に集中しながらより敏感に感じる練習をするのです。
また、マインドフルネスは同時に“ハートフルネス”であると思っています。ハートをフルにするもの、つまり私たちはマインドフルネスとはストレスを和らげ、最終的には思いやりの心を育むものだと考え、その思いを子どもたちと教師たちと共有しています。
私は2歳半と4歳の息子を持つ母親でもあるのですが、マインドフルネスを用いて思いやりを養う練習を一緒に行っています。例えば消防車のサイレンが鳴ったら、お皿を洗っていても宿題をしていても会話の最中であったとしても、それぞれに行っていることをいったん中断して立ち止まり、胸に手にあてて「全ての人が大丈夫なように」と祈ります。そしてサイレンの音が完全に消こえなくなるまでそれを続けるのです。
毎日の生活の中で数分間立ち止まる時間を設け、まずは自分に、そして周りの人へと優しさを育む練習。それがマインドフルネスだと私たちは考えています。
“マインドフルネスはハートフルネスへ“。これがマインドフルネス先端国・アメリカで主流になりつつあり、教育の現場でも生かされているマインドフルネスの捉え方でした。
マインドフルネスとは、ただテストスコアを上げるために集中力を増すためだけ、感覚を鋭くするだけ、のものではありません。子どもと大人が一緒にマインドフルネスを行ってお互いを“今ここ”に存在させ、つながりを取り戻すためのものなのです。
少しスマホに向かう心を一休みさせて、あなた自身、そして誰かとのひとときを心と体をフルにして味わってみませんか。すると想像していたよりもずっと、目の前の出来事はあなたにとって安全で温かく、優しいものなのかもしれませんよ。
(編集: スズキコウタ)