昨日公開した「ふじのキッズシアター」の記事、読んでくださった方もいるでしょうか。
演劇表現を通じて、子どもたちの心と身体を解放しようと始まった神奈川県旧藤野町(現相模原市緑区)の表現活動団体「ふじのキッズシアター」。そのお話の最後で、芸術監督の柳田ありすさんはこんなことを言っていました。
今後私のやるべきことはこの未来への種蒔きをもっと外に発信することだと思っています。(中略)かといって子どもたちを連れて全国を旅するわけにはいかないので、どこにでももっていける映画をつくりたいと思いました。そして2年前、さまざまなご縁があって、実際につくることができたんです。
ご紹介する映画は、そうして誕生した、日本ではとても珍しいモノクロームの子ども長編映画『藍色少年少女』です。
今回は、柳田ありすさん、監督の倉田健次さん、映像制作会社「曲輪合同会社(KURUWA.LLC、以下、曲輪)」代表でプロデューサーの結城貴史さんにお集まりいただき、『藍色少年少女』誕生の物語と、この映画への思いを伺いました。
たくさんの人のココロが集まって化学反応を起こし、完成したこの映画。そこに込められたできごとを、じっくり、見ていきたいと思います。
左から結城貴史さん、柳田ありすさん、倉田健次さん
『藍色少年少女』ストーリー紹介
『藍色少年少女』予告編ロングversion
『藍色少年少女』はある自然豊かなまちでの、ひと夏の物語です。そのまちでは、原発事故以降、外で遊ぶことを抑制されて生活している福島の子どもたちを招き入れる“保養活動”を行っていました。
その夏、福島の子どもたちに演劇を披露することになった少年テツオは、福島からやってきた少女シチカとともに『幸せの青い鳥』の主役に抜擢されます。
しかし主役なんて初めてやるテツオは、ガラス職人の女性・ミチルにどうしたらいいのか相談するのです。すると「実際にまちへ出て、青い鳥を探してみたら? 青い鳥は笑顔の中にいるよ」と教えられます。
テツオとシチカは、青い鳥を探す中で、さまざまな場所に出向き、さまざまな人に出会い、さまざまな人生に触れていきます。
シチカが福島へ帰る日が近づく中、舞台当日がやってきました。テツオは「今日は、大事なことがたくさんあるんだ…」そう父親に伝えて、早朝から強い決意をもって家を出ます。
ありったけの力で、出会ったすべての人々の心を救済しようと疾走するテツオとシチカ。そしてふたりが選びとり、手に入れた青い鳥とは…。
あれ? 俺、これめっちゃやりたいな
結城貴史さん
この映画が誕生するきっかけになったのは、ありすさんの“ふじのキッズシアターの活動を発信したい”という思いでした。
瞬間芸術である舞台と違い、そのときどきを記録して残すことができる映画は、活動を発信するにはもってこい。といっても、何かアテがあるわけではなく、夢を語るように“次は映画”と、お母さんたちに話をしていたそうです。
それが急速に実現へと動き出したのが、2013年2月のこと。きっかけは、曲輪が制作した映画をありすさんが見に行ったことでした。
ありすさん 結城さんは真摯に俳優活動をなさり、映画を愛してやまない、そういう情熱が伝わってくる人。だから映画を観ているうちに、曲輪にお願いしたら間違いない、いける! って思ったの。それでさっそく「映画をつくってみたいんだけど」ってお話ししました。
ありすさんと結城さんは、同じアクティングスクールに勤めていましたが、それまではプライベートでの接点はまったくありませんでした。映画を観に行ったのも、勤め先でお知らせをもらい、おつきあい的に見に行ったのです。
結城さんは当然、ありすさんが地元で子どもに演劇の指導をしていることも、ふじのキッズシアターのことも、まったく知りませんでした。
結城さん だけど話を聞いているうちに“あれ? 俺、これめっちゃやりたいな”と思ったの。それで曲輪のメンバーにも話してみたら全員が“やりたい”って言ってくれた。大きいプロジェクトではないし、苦労するよって言ったんだけど、それでもいいっていう話になって。
そこで、監督は誰にするかを考えました。脚本が書けて、子どもといちばん歩み寄れそうな監督さんは誰だろう。そして白羽の矢が立ったのが倉田健次監督でした。倉田さんは前作でも子どもが主演の映画を撮影しており、子どもの演出には定評がありました。
そして5月には、曲輪チームと倉田さんとで、初めて藤野を訪れます。
結城さん そっからは早かったよね。5月に藤野に行って、夏には撮ってるわけだから。
もしその日に帰れるなら、もう一度やり直したいことはなんですか?
初めて藤野に降り立った日、倉田さんはさまざまなインスピレーションを得て東京へ戻りました。そして“子どもってなんだ?”ということを考え始めたのだそうです。
倉田さん 脚本を練る段階で、どういう映画であればいいのかっていうところから、子どもの今の立ち位置のことを考えたんですね。僕らが子どものときはただ子どもでいられたと思うんですけど、今は果たして、子どもが子どもでいられてるのかなって。
これの裏を返すと、じつは今、大人より子どものほうがまともなことを考えているんじゃないのかなっていうふうに思えたわけです。僕は子どもの選択を重視する世界は真っ当になっていくと思っているので、このあたりからいろいろ膨らませていきました。
それと、これはもう、やっている事柄とかマインドみたいなことをメインにするほうが、ここでつくった理由になるかなと思ったので、藤野で行われている活動自体に特化しました。
倉田健次さん
そして脚本を書く際に、倉田さんはキッズシアターのお父さんやお母さん、OBたちに宿題を出しました。それは“もしその日に帰れるなら、もう一度やり直したいことは何ですか?”という質問です。その中から、いくつかのエピソードが実際に脚本に盛り込まれました。
倉田さん どうにも取り戻せないけど、どうにか取り戻したいっていう感覚がいちばんドラマを生むと聞いたことがあります。それをみんなに聞いてみたら、大人の悔しさも今現在の子どもの悔しさも、内容にあまり違いがありませんでした。
だから、みんながこだわったり、悔しいと思う部分ってエゴじゃなくて誠実な部分から出てきてるものなんじゃないかなぁと。それはすごく面白いと思って、主人公がそれを全部総ざらいしたら爽快にならないかなぁなんて。
だから、テーマはひとつじゃありません。ひとつひとつのこと、ひとりひとりの登場人物に対してもテーマを背負わせています。
予想外!? ドン引きするほど驚いたオーディション
そうして、できあがった脚本を携えて、7月にはオーディションも実施しました。そこで、曲輪チームと倉田監督は、驚いてしまうのです。
仕事の都合でオーディションには行けなかった結城さん。すると、倉田さんと曲輪のメンバーで結城さんの盟友、ミゾモト行彦さんから「これを見てくれ」と神妙に動画が送られてきたのだそうです。それが主演のテツオ役を務めることになる遠藤史人くん(フミ)のオーディションの映像でした。
結城さん もうね、抜群だったの。普通は自意識とか恥ずかしさがあるはずなんだけど、フミは没入してそのシチュエーションを演じていて。なんちゅうナチュラルな芝居をするんだと思った。
倉田さん オーディションで、泣くシーンをやってって言ったら「全然できるけどちょっと待ってください」って言うのね。え、何言ってるのって思ったら、いきなり号泣して。俺とミゾモトさん、いい意味でどん引きでしたよね(笑) あのレベルできる子役、日本ではほぼいないと思います。
ふじのキッズシアターは、演技のプロを育てることを目的にした劇団ではありません。それなのに、何がそんなにすばらしかったのでしょうか。
結城さん プロの子役はお芝居をしなくちゃいけないから、本来子どもがもっているものは、出しちゃいけないとされています。確実なお芝居をしてくれるし、想定内のことをしてくれるんです。要は、セリフをセリフどおりちゃんと成立するように言ってくれる子役はいっぱいいるんですね。
でも、本来子どもがもっているものを出してやれる子役は、ほとんどいないんです。キッズの子どもたちはなまじ教育されてないから、たとえばフミならフミの独特のやり方で、芝居をするんです。
この映画は、キッズの子どもたちだからできた映画
じつは、映画のスタッフは誰もキッズシアターの舞台を見たことがありませんでした。最初にこの映画制作を受けた理由は、子役の演技を期待したわけではなく、ありすさんの熱い思いを受けて“やってみたい”と思ったという、インスピレーションあるのみ。
結城さん だってね、田舎で、お芝居のためじゃなく子どもたちのためにやってる団体だって聞いたら、いいなぁとはなるけど、それと演技力とは直結しないよね。
ありすに話を聞いたときから、じゃあその子たちを使ってうまくやれたらいいなぐらいに思っていたのが、蓋を開けたらまー持ってる持ってるこの子たちっていう(笑)
史人くんだけではありません。ヒロイン・シチカ役の三宅花乃さんは撮影を追うごとにどんどんかわいく魅力的になっていき、テツオの妹役、牧雨泉ちゃんはダントツの存在感を誇りました。
テツオの仲間やライバル役の男の子たちは三者三様で、個性豊か。出演していたキッズやキッズOBの演技を見て、プロの役者さんだと勘違いした人もいたのだとか。
結城さん 子ども映画って、本来ならあまり長回しはできないんですよ。子ども同士のお芝居はどうしても幼いから、セリフごとにカットを割らないと成立しない。
でも、今回倉田さんに言ってたのが、長回しがしたいんだ、ということ。この子たちならできると思うって。
倉田さんもそう思ってくれていて、たとえば冒頭に学校から坂を降りてくる4人組を長回しで撮ってるんだけど、セリフ終わったらセリフ、セリフ終わったらセリフじゃなくって、みんな自然に、本当に下校中かのように喋ってるでしょう。あんなの普通はなかなか撮れないんですよ。
だからね、この映画は間違いなく、この子たちだったからできたっていうのがある。ここはすごく胸を張れるところです。
俳優でもある結城さんは、テツオの父親役として出演しました
映画全体のテーマは、個人の選択を否定しないこと
そしてもうひとつ、『藍色少年少女』がただの子ども映画で終わらず、深いテーマ性を有しているのは、福島の子どもたちを迎え入れる保養活動をベースにお話が進んでいく点です。これに関しては、制作中も、映画公開後も、たくさんの意見がありました。
藤野は、3.11後、まっさきに保養活動を始めた地域のひとつです。そして、倉田さんも結城さんも藤野の保養活動に共感し、賛否両論があることも受け止めた上で、これを(題材として)選ぶしかない、と決めたのだそうです。撮影前には、実際に役者やスタッフの方々と、保養活動の手伝いもしました。
倉田さん 僕の中の思いは確かにありますが、それはどこまでいっても見る人に委ねています。それよりも、僕の中で重要なのはシチカの選択です。福島という前提を彼女は背負ってますけれども、それ以上に個人の選択を否定しないっていうことが、この映画全体に通っているテーマなんです。
映画を観ていると、ときどき、ハッとする言葉が、子どもたちの口から飛び出します。子どもたちの言葉、子どもたちの思い、聴こえているはずなのに聴こえていなかった純粋で真剣な、思い。それは、私たち大人の疲れた心をチクリと刺し、逸らしていた目を覚まさせてくれました。
「子どもが言うと、不思議と心に入ってくるのよね」とありすさん。
途中、シチカがミチルに、今の福島の生活について思いを吐露するシーンがあります。これは実際に、保養活動に参加した方々が話していた言葉を使わせてもらったのだそうです。
倉田さん それが、まぁ重いわけです。子どもが言ったとは思えない内容がいっぱいあって。こんなにリアルな言葉は、創作したくても無理だと思いました。
でも子どもたちが実際に言っていた言葉を隠すわけにはいかないので、ほとんどそのままの状態でシチカに語ってもらいました。福島の現状というよりは、子どもたちの現状を語らせたいと思ったんです。
ひとつも抜かずに撮り切った! 映画撮影のその後
撮影が終了したのが2年前の夏。海外の映画祭などに挑戦していた関係もあって、公開までにはだいぶ時間がかかりましたが、その間も、藤野の子どもたちと映画制作に関わった大人たちとの交流は続いています。
撮影後は、子どもたちがスマホを使って自分たちで映像を撮って遊ぶようになったり、脚本を書いて、結城さんまで送ってきた子どももいるそうです。また、曲輪が関わる映画やMVに出演してもらう機会も増え、そもそも曲輪で働き出したキッズOBもいます。
影響を受けたのは子どもたちだけではありません。スタッフや役者さんも、すっかり藤野が大好きになり、いまだにイベントのたびに、誰かしらが遊びにくるのだそうです。
結城さん 提示された予算だったら本当は10日ぐらいで撮りきらないといろいろなことが全滅するんです。それなのに途中からみんな“関係なくない?”みたいになって、結局1ヶ月半かけてるんですよね(笑) もう楽しくなっちゃって。ありすんちで毎日のように雑魚寝して、ほんっとバカだよね(笑)
倉田さん 僕も普通だったら環境を考えたり時間を考えたりしてやらなかったりすることを、この映画ではやりまくってるんですよ。あの予算規模でこれだけのボリューム、本来なら許されません(笑)。でもひとつも抜かなかった!
結城さん ね。なんかこれはしっかり撮り切ろうみたいな感じだったもんね。
それぞれがそれぞれの思いを抱えて集まったとき、お金も時間も関係のないところでこんなにすてきな作品が生まれたのだということを、奇跡みたいに、感じます。
子どもたちのためにこれだけの大人が団結したんだな
2015年8月に開催された地元での先行上映会で、受付や物販を切り盛りするお母さんたち。ふじのキッズシアターの音楽監督でシンガーソングライター遠藤芳晴さん(後ろ)による生BGM付きです(笑)
結城さん 俳優としても映画にいっぱい出てきたし、つくってもきたけど、撮影中に毎日ごはんをつくってくれるなんて藤野以外ではありえなかった。ありすが言ってたことが本当にすぐ動き出してさ。自分の子たち全員主演にできるわけじゃないのに、持ち回りでたくさんのお母さんが手伝いにきてくれた。
完成したときも、正直、お母さんたちの心情的にどうなんだろうって心配だったの。でもみんな「面白かったよ!」って言ってくれて。この映画は、俺たちのエゴだけじゃなくて、子どもたちのお母さんがとても理解してくれてできた。ましてやそのみんなが愛するまちで撮影した映画でさ。
そうやって関わってくれた人が喜んでくれたときにね、なんか俺、こういうことやりたかったんだって思ったんだよね。
福島を取り上げたこともあって、いろいろな意見があるんだけど、伝えたいのは、結末じゃなくて未来に向かって子どもたちが手をつないで歩いてるんだよっていうこと。そう思ったときに、これはもう「とにかく見てくださいよ」って言える映画になったと思う。
ちょうど取材の前日は、スタッフや役者さんが集まって、映画の宣伝をしていこうと決起集会をやったところだったそうです。
結城さん それで、解散して帰るときに、子どもたちのためにこれだけの大人が団結したんだなと思って。これを広げる責任は少なくともおれとありすはね、あるなって改めて思ったんだよね。
いよいよ年明けより劇場公開!
今後は、年明け2016年1月3日〜7日までの渋谷ユーロライブでの劇場公開を皮切りに、全国の劇場での上映を進めていくほか、引き続き映画祭にも挑戦していきます。また、お呼びがかかれば、全国各地どこででも上映会を開いていく予定です。
映画を観た方が大変感動して、ぜひ中学・高校の芸術鑑賞会で上映したいというお話をくださったりもしているのだそう。
ありすさん 全国で子どもたちの活動をしている団体や、未来のために地域活動をしている団体とつながっていくのも、この映画の目的のひとつ。映画を観たあとにお茶を飲んで交流するスローカフェシネマ形式で、映画館のない地域でも、上映会をやっていきたいです。
モノクロームの世界を走り回り、立ち止まり、言葉を交わす子どもたち、そしてかつて子どもだった人たちがつないでいく物語は、たくさんの示唆に富み、感動と気づきをもたらしてくれます。
倉田さん 映像をモノクロームにしたのも、たくさんのテーマを詰め込んだのも、10年は保つ映画をつくりたいと思ったから。1回で終わらずに2回見ても3回見ても、10年後に見ても、毎回発見があると思います。
『藍色少年少女』とその映画制作にまつわるエトセトラ。お話を聞きながら、まるでふたつの物語が、見えないものに導かれて同時進行しているように感じました。
ぜひ、上映会に足を運んで、子どもたちの感性とかつて子どもだった大人たちの思いに触れてみてください。そこに込められたメッセージにハッとさせられてしまう瞬間が、かつて子どもだった人ならば、きっと、誰にでもあるはずです。