東京都・日比谷公園で開催された「チャレンジド・フェスティバル2015」のひとこま(チャレコレ・ファッションショー Produced by tenbo)
あなたには障がいがありますか? 家族やクラスメートや同僚など、身近に障がいを持った人はいますか? そもそも、「障がい」って何でしょう?
「障がいの有無を超えた交流を広げたい」。そんな想いから始まった野外フェス「チャレンジド・フェスティバル(通称:チャレフェス)」。“笑顔”をキーワードに、2013年から毎年、東京都・代々木公園や日比谷公園で開催されています。
今では30組近い障がい者グループが一堂に会するビッグイベントとなっているチャレフェス、実はエンタメ業界で働く社長が、家庭人として関わったPTA活動をきっかけに始めたものなのだとか。
いったいどんなイベントなのでしょうか。まずは2015年11月7日、8日の2日間に渡り開催された第3回チャレフェス当日の様子から、ご紹介します。
チャレンジド・フェスティバルとは
チャレフェスのキャッチフレーズは、「障がいがある人とない人が共に創る文化祭」。フェスの中心は、歌やダンスやミュージカルといったライブステージです。
障がい者施設や地域で結成された約30のパフォーマンス団体と個人アーティストが次々と舞台に上がり、パフォーマンスを繰り広げます。
歌も。(M4:車いすシンガーMasumi+ママユニットMari!Mari!+Michio)
絵画も。(ライブペインティングby:近藤康平)
花も。(フラワーライブショーと活花体験ワークショップby宮内孝之)
第2回からは坂本九さんの長女で歌手の大島花子さんも連続出演しています。障がい者支援に熱心だった亡きお父さんの名曲『上を向いて歩こう』を、手話をしながら、会場の参加者たちと合唱する光景は、圧巻です。
ライブステージのほかにも、会場には、フェスの趣旨に賛同した約20の企業や団体、個人が出展。スワンカフェ&ベーカーリーなど飲食のテイクアウトワゴンや、カラオケ館とJOYSOUND提供の「ユニ・カラオケ」、車いすや目隠しで会場周辺(公園)を散歩して障がいを体験するワークショップ「ユニ・ウオーク」といった体験メニューが並びます。
第3回からは、冒頭の写真のファッションショーの他に、「チャレンジド・お笑いフェス」「ユニ・アート」「チャレンジド・占い」などの初企画も登場し、会場を沸かせました。
第3回の1日目には、ペッパー君も初来場。おそろいのスタッフジャンパーを着て記念撮影です。
子宮頸がんの予防検診を啓発するハローキティの「ハロースマイル」も初出展
人通りの多い公共スペースが会場ですから、何も知らない通りがかりのさまざまな世代の人々が、チャレフェスの様子をのぞいていきます。夜になっても祭りの熱は冷めず、障がい者と健常者、観客もひとつになって、遅くまでフェスを楽しんでいました。
手話パフォーマーのRIMIさん
あいにく2日目は雨。目玉イベントになるはずだった「乾杯リレー(1列に並んで順番に隣の人と乾杯をリレーして達成人数を競う)」のギネス世界記録への挑戦は延期となってしまいましたが、冷たい雨の中、なんと250人以上が列をつくりました。
震えるような悪条件でしたが、ユニバーサルデザイン映画「尾曲がり猫の乾杯」(荻野欣士郎監督)のラストシーン撮影が予定されていたため、早朝から多くの人が集まりました。撮影は予定通り決行。「ただただ、もう感謝と感激でいっぱいです。それ以外の言葉がちょっと見つかりません」と、NPO法人チャレンジド・フェスティバル理事長の齋藤さん。
障がいのある人もない人も一緒に世界一を目指す主催者肝いりの同企画は、温かい応援に励まされて、2016年内の再挑戦を目指し調整中だそう。
たくさんの真心に支えられ、第3回チャレフェスは、幕を閉じました。
フェス立ち上げのきっかけはPTA活動
都心の大きな公園で開催される華やかなチャレフェス。でも、そのきっかけは一人のお父さんのPTA活動でした。その経緯について、発起人でNPO法人チャレンジド・フェスティバル理事長の齋藤匠さんは、こう語ります。
PTA活動のご縁で、地域のNPOがやっている知的障がいの子どもたちのミュージカルを見に行ったんです。何回か見るうちに、若いころ役者を目指したことがあった僕も、背中を押されて舞台に上がることになりました。
それで、やっぱり一緒に歌ったり踊ったり笑ったりし合わないと仲良くならないな、と分かったんです。共生社会というのは結局、人と人とが仲良くなることですもんね。今思えば、あの出会いが、チャレフェスの出発点でした。
齋藤さんは、日本テレビ系列の人気バラエティ番組「ウッチャンナンチャンのウリナリ!!」、「世界の果てまでイッテQ!」などを手掛けてきたテレビ制作会社の社長です。一方でお子さんが義務教育を終える2014年度までPTA活動に打ち込み、千葉県PTA連絡協議会の会長職まで務めたという顔を持っています。
齋藤匠さん。チャレンジド・フェスティバルの発起人です
当時の僕のスローガンは「明るく元気、楽しいPTA」。親が嫌々やっていたら、子どもたちがPTA行事を楽しめるわけがない。とにかく楽しくやろうよ、と言い続けました。
そうしたら、地域に積極的に関わる“おやじの会”も、おおいに盛り上がりまして(笑)。改めて、僕の原点は「笑顔」だなって気付いたんです。
長い間、人気番組で多くの人に笑いを提供してきた齋藤さんは、PTA活動でも笑顔パワーを発揮。やがて、ご自身の仕事と地域活動のどちらにも通じる「みんなが笑顔プロジェクト」を立ち上げ、自らも歌って踊るパフォーマーになりました。
もっと笑顔を広げるために
CDを出して、その曲で知的障がいの子どもたちと一緒に踊るダンサーズチームを結成しました。
活動するうちに、もっとみんなの笑顔が見たい、もっと多くの障がいのある人や家族の皆さんに楽しかったと言ってほしい、という思いが高まっていきました。
でも、公演に行きたくても、機材をそろえたり大所帯で移動したりするほど資金がありません。そんな時、東日本大震災が発生。首都圏の震災復興イベントから声が掛かるようになりました。運命に導かれるように、活動範囲が広がっていったのです。
各地のステージを巡り、共演した地元チームの多彩なパフォーマンスに触れた齋藤さん。さまざまな障がいの存在と、その特性を知りました。そして、「みんなで一緒にやれば、もっと多くの人の前で彼らが輝ける!」と夢がふくらみ、野外フェスを思い立ちます。
チャレフェス始動のきっかけをつくった知的障がいのある子どもたち(チャレンジド・フェスティバル2015より)
2012年、代々木公園の会場を押さえ、初回のチャレフェスを2013年に開催すべく、仲間と計画を練り始めました。
ところが、順調にはいきません。集まったメンバーが企画系の人ばかりだったため、経理が後回しになって初回は大赤字。複数のスタッフが離れていくなど、波乱の幕開けとなりました。
それでも決行に踏み切ったのは、出演するみんなの期待を感じていたから。
やめるわけにはいかない。なんといっても、障がい児の親御さんたちの思いを知ってしまいましたからね。出演者のお母さんが「この企画のおかげで家から出られた」「こんな立派な舞台に立てた」と泣いてくれるんですよ。
出展ブースはなくても、とにかくステージショーだけでもやろうと、まずは小規模に実施しました。
活動の原動力は出演者の笑顔
初回の出演者集めを通して、齋藤さんは、その後の活動の原動力となる小澤綾子さんと出会いました。IBM社員の小澤さんのもう一つの肩書きは、「筋ジストロフィーシンガー」です。
中学生の頃から体が思うように動かずいじめられ、成人後にようやく進行性の難病と診断された彼女のMC(途中の語り)には、みんな涙します。
でもね、とにかく彼女は明るいんですよ。同じ病気で亡くなった先輩の思いを受け継いで、自分の存在をステージで思いっ切りアピールしています。僕は今、彼女が心の底から言ってくれた「ありがとう」に突き動かされているんです。
筋ジストロフィーシンガーの小澤綾子さん
小澤さんだけではありません。手話パフォーマーのRIMIさん、歌手の大島花子さんなど、障がい者・健常者問わずさまざまな人との出会いを力に、チャレフェスは回を重ねてきました。
2015年春には、「エンタメの力で共生社会を創る」を理念に掲げ、主催団体としてのNPO法人チャレンジド・フェスティバルも設立。
ちなみに、初回は“大赤字”で齋藤さんが自腹を切ったものの、現在では多くの企業の協賛を得られ、経理面も軌道に乗りつつあるそうですよ。
障がい者とは? 健常者との境目は?
同NPOの資料には、「生きにくさを感じた人が障がい者」という印象的なフレーズがあります。
チャレフェスの立ち上げからの支援者である内山早苗さん(特定非営利活動法人ユニバーサルイベント協会理事長)の言葉です。僕も全くその通りだと思います。
中小企業の経営者として採用面接をしていて、今の若者の生きにくさを実感しています。本来、人に区別なんかない。障がいは「特性」に過ぎないんです。
そもそも「健常者」って、なんとも居心地の悪い言葉です。国は、限られた予算で、より生活が大変な人に優先的に福祉サービスを提供するために、制度上、先天的または後天的に基準以上の障がいを持つ人を「障害者」と呼びます。その数は国民の約6%。つまり、約50人に3人は障がい者というわけです。
ダイバーシティ(多様性)の価値に目覚めた企業が、国籍や肌の色、性別(LGBT)と並んで、障がいについても差別なく雇用しようと動き出しています。でも、まだ半数以上の民間企業が、2%の法定雇用率さえ守っていません。
もちろん障がいの種類によって抱える課題が異なるし、重度から軽度のグラデーションもあります。一口には語れませんが、社会が「障害者」の実数に見合った健全なバランスになっていないのは明らかです。
段差や建物のバリアフリーだけじゃなくて、「心のバリアフリー」を進めないと本当の共生社会はやってこないわけですよ。
ゆうじさんみたいに、自分から壁を取っ払って生きている障がい者もいます。彼も言っているように、人間同士が仲良くなって思いやりを持たないと、平和は来ません。
ゆうじさんというのは、チャレフェスにも出演した「ゆうじ屋(車いす移動型ケーキ販売)」店長、実方裕二さんのこと。50年以上前から重度脳性麻痺で動けず言葉もあまり発せませんが、頭脳は明晰。電動車いすで街に繰り出し、積極的に健常者と交流しています。
手前がゆうじさん。
齋藤さんはインタビューの最後に、ゆうじさんからSNS経由でもらった心に残るメッセージを教えてくれました。
障がい者が世界平和をつくると思っている
この言葉が全てを語っていると齋藤さんは言います。
世界を変えるのは、強さや器用さよりも実は断然強い、愛や思いやりに裏打ちされた弱さや不器用さなのかもしれませんね。