都会との対比ででしょうか、「地方」や「地域」というと森深い中山間地の山村や、海岸線が入り組んだ入り江の漁村、離島などがイメージされがちです。でも実際は両者の間に都会でも田舎でもない無数の「地方都市」が存在しています。
鹿児島県の東側、本土最南端の地大隅(おおすみ)半島の真ん中に位置する鹿屋市もそんな典型的な「地方都市」です。
鹿屋市の中心地「鹿屋バス停」前(c)shigotohito
人口は微減傾向にあるものの、鹿児島県内では3番目に多い約105,000人を数えます。幹線道路沿いには全国チェーンのドラッグストアや飲食店・スーパーが建ち並ぶ一方、かつて街の中心だった商店街にはシャッターが目立つようになりました。
穏やかな錦江湾の海と照葉樹の森が広がる山までは、どちらも市の中心から車で30分ほどで行くことができ、街と田舎を両方持ち合わせた土地柄です。
桜島の火山灰が積もってできたシラス台地は畑作に適し広くて平らな畑が広がるほか、畜産も盛んで全国的に有名な黒豚・黒毛和牛も飼育されています。畑で栽培されるさつまいもからは焼酎が作られ、大海酒造、小鹿酒造、神川酒造といった酒造会社の本拠地でもあります。
シラス台地に畑が広がる鹿屋市の風景(c)shigotohito
この鹿屋市が他の地方都市とちょっと違っているのは、ここには電車が通っていないということです。
かつては大隅線という鉄道が走っていましたが1987年に廃線になってしまいました。以来鹿屋市を含む大隅地方と他地域を結ぶ公共交通機関は路線バスとフェリーだけしかありません。県内で一番大きな鹿児島市まででも車とフェリーを乗り継いでおよそ2時間かかります。
鹿児島県内でも西側の薩摩地方にお住まい方の中には、ほとんど、あるいは全く大隅地方に行ったことがないという方が少なからずいらっしゃいます。
これだけ聞くと九州のすみっこにあるいかにも不便な陸の孤島のように思われるかもしれません。でもここ最近鹿屋で起きていることを見てみると、この交通の不便さというハンディが実は鹿屋にとってはアドバンテージになりうるかもしれない、と思えるようになりました。
「BARAIROフェスティバル」に見える可能性
いつもはがらんとした空き店舗がこの日は賑わう(c)バライロフェスティバルかのや実行委員会
「BARAIROフェスティバル」の盛況ぶりは、鹿屋という土地が、量と質の両面においてこうしたイベントを成り立たせるだけの市場性を持っていることを示しています。
「BARAIROフェスティバル」で並んだようなちょっといいものをいいと認め、良さを分かった上で買っていく消費者が十分いる。普段からニーズはあるものの、市外に出ていくのにも時間がかかり、かといって市内でも満たされずに顕在化していないだけで、チャンスを待っている。10万人超という人口規模と他地域からちょっと切り離されている立地環境が鹿屋の市場性の源になっているのです。
街の日常に賑わいを取り戻す
とは言え、「BARAIROフェスティバル」はわずか2日間のイベントに過ぎません。ハレのお祭りだからこそ成り立っていることも考えられます。これが日常になって初めて本物と言えるのではないか?
「BARAIROフェスティバル」実行委員長の川畠さんも同じような問題意識を持っていました。
フェスティバルはお祭りであって日常ではない。終わってしまえばいつも通りの商店街に戻ってしまう。日常に賑わいを取り戻す取り組みこそが必要である。
BARAIROフェスティバル実行委員長川畠康文さん(c)shigotohito
そして一過性ではない、中心街の日常に賑わいを取り戻す施策を次々打ち出します。
まずは「BARAIROフェスティバル」に先立つ2015年1月、九州では本場北九州に次いで2番目となるリノベーションスクールを鹿屋市で実現させました。「BARAIROフェスティバル」会場の商店街をはじめ鹿屋市中心市街地の空き店舗を題材とし、3つのチームがリノベーションプランを策定。そのうちの一つである街中のパン屋さんは間もなく開業を迎えようとしています。
また、「BARAIROフェスティバル」で開催されていたマーケットを「食と暮らしのマルクト@おおすみ」と名付け定期化、毎月第4日曜日に商店街の空き地を会場として開催することにしました。
2015年9月27日に開催された第1回目の「食と暮らしのマルクト@おおすみ」の様子(c)食と暮らしのマルクト実行委員会
賑わう街が日常になるためには、個々のお店やマーケットを開いていくことも必要ですが、街づくりの担い手を広げていくことも必要です。そこで2015年10月からはまちの未来を担う実践者を生む場として「地方都市の未来を作るゼミ」を開講、自治体職員・民間事業者双方が参加してまちの未来を考えます。
川畠さんは仰います。
街づくりはいろんな人が集まって、それぞれの個性が発揮された方が面白くなる。
川畠さんの動きに呼応するように、商店街自身も自らの手で賑わいを取り戻そうと奮闘しています。
北田・大手町商店街は「BARAIROフェスティバル」や食と暮らしのマルクト@おおすみ、リノベーションスクールのいずれにも会場提供ほかの形で協力してきました。
北田商店街(c)shigotohito
北田・大手町商店街振興組合は、加盟店わずか7店と「日本一小さい振興組合」を自認しています。その日本一小さな振興組合が、自らの費用で空き店舗を借り受け、リノベーションした上で街に人の足を向ける拠点を作り始めました。
拠点となる物件はかつて靴屋さんだった全3階建てのビル。小さな子ども連れの女性も立ち寄ることができるスポットをコンセプトとしています。
かのやんガールと言う女性だけで作ったグループとアイデアを共有しながら1階は地元のクラフト作家さんたちが作品や手作りの雑貨を販売するシェアテナント兼飲食店が設けられます。
(c)ココロ「ばらいろ」プロジェクト
振興組合自身の規模、体力からすればかなり思い切ったこの取り組み。振興組合の前田理事長は、それでも取り組む意義を、
先人から受け継いだ街を次の世代に残して行かなければならない。子どもたちにとってゆかたを着る機会は商店街で開催するお祭りのときくらいになってきた。
これからの商店街は物販だけではなく、人が集まるコミュニティの場所になって、地域の文化を守っていきたい。
と熱く語られています。
確かに商店街にとっては絶対に失敗できないプロジェクト。でも鹿屋市は変わり始めているという空気を感じている。いい流れしか感じないのできっとうまくいくと思う。
他地域から切り離されているので一定の市場を確保できる。消費者も人材も厚みがある。リノベーションできるような建物のストックもある。これら鹿屋市の地方都市のとしての特性は、この地に根付く事業を興し、地域づくりに関わっていくのにちょうどいい環境を生み出しているようです。
ハンディをアドバンテージに変えて、新しい一歩を踏み出そうとしている。かつて陸の孤島と思われた地方都市鹿屋市は、今そんな予感を感じられる街に変わりつつあります。
(Text: 内山貴之)