福島市民家園を会場に2006年からはじまった音楽イベント「FOR座REST(フォーザレスト)」。
座布団持参で靴を脱いで“座”って音楽を楽しめる、築250年以上の大きな芝居小屋「廣瀬座」をメイン会場に、緑豊かな森(=“FOREST”)に点在する古民家には県内外からの多彩な出店やワークショップ、フリーライブ等も出現。赤ちゃんからお年寄りまでが思い思いに過ごすその風景は、まるで小さな村のお祭りのようです。
「福島になんだかすごいフェスがあるらしい。」
その噂はじわじわと全国に広まり、豪華で意外な組み合わせの出演者ラインナップも相まって、1日約300枚限定の廣瀬座のチケットは毎回即日ソールドアウト。
2010年には民家園全体の来場者数が2日間で5000人という規模にまで成長しました。2011年の震災以降、5年ぶりに福島市民家園での開催となる今年に至っては、廣瀬座のチケットのWEB販売はわずか30秒で売り切れたと言うから、驚きです。
それほど、この本拠地での再開を、誰もが待っていました。
初めて訪れた2008年の「FOR座REST」のことを、今でもよく覚えています。出演者目当てで訪れたはずだったのに、私はこのお祭り全体に惚れ込みました。
250年も前から人々が笑い、泣いてきたはずの廣瀬座は、人々の息遣いが戻ってきたことで生き生きと輝き、大笑いも、ほろっと涙することも、うとうと眠ってしまうことも、赤ちゃんがギャーと泣いちゃうことも、全部まるっと包み込んでいました。
そして何よりも、会場誘導やグッズ販売、駐車場係、PA…どこにいるスタッフも笑顔で、楽しそう。誰もが誇りを持ってそこに立っているのがじんわりと伝わり、最後の実行委員の挨拶では客席から「とうちゃ〜ん!」「パパ〜!」と、子どもたちの声援までもが響きわたりました。
2010年に会場で配られたリーフレットには、このような文章が添えられています。
「FOR座REST」は家族みんなで楽しめるイベント。子どもは本物の自然と文化財の中で自由に遊び、じーさん、ばーさんも、年齢を忘れて、音楽や芸術を楽しもう!
懐かしい空間で、現代のカルチャー、音楽、コトバ、食、アート、文化財、環境など、すべてが人と人を通して自然とつながっていく…。そこにはコンセプトなんてなにもない。
いつも変わっていく毎日の中で、ただそこに気持ちのいい場所がたまたまあって、何かに向かって一生懸命な人たちが集まり、つながり、広がっていく。なんとなく楽しそう。それでいいね。
そこに会いたい“友達”がいるから
2014年9月、5年ぶりの福島市民家園での「FOR座REST」復活に向けてミーティングがはじまりました。
コアスタッフは約25人、その3分の1が今回新しく加わったメンバー。震災後、福島県外に拠点を移した人もいるけれど、地元に帰ってきたり、新しく移住して来た人もいます。年齢も職業も様々なメンバーは、隔週のミーテイング以外にもふらりとお互いの顔を見に行けるような、そんなサイズ感の町に暮らしています。
この日は、今回から始められた往復葉書によるチケット予約の抽選会。なんとそこには、今回の出演者でもあるエッセイストの酒井順子さんが!
酒井さんは震災後、度々福島へ取材に訪れる中でFOR座RESTメンバーと出会い、親交を深めてきました。この日は東北取材の帰りに福島に寄り道し、ミーティングに加わり、おまけにお手伝いも。
「彼らと会うと、その余韻が東京に帰ってきてからも残るんだよね」と語る酒井さんは、2012年3月に開催された「FOR座REST大学」への出演のことを、エッセイ「福島に友達できたかな?」の中でこう綴っています。
イベントというのは、一時的なものであり、後に残すことはできません。が、他人同士が出会って友達になるというその事実は、長く残るのです。
福島にそして東北に友達ができることによって、私達は具体的にその地のことを思うことができます。彼等は県外の人が福島に行くことをとても喜んでくれるし、そんな彼等を見ているとまた行きたくなる。そして彼の地で地震というニュースを見れば、心配でたまらなくなるのです。(酒井順子「もう、忘れたの?」より)
会いたい友達がいるから。福島に出掛ける十分な理由が、そこにあります。酒井さんの他にも、彼らの顔を見るためにふらりと福島を訪れる出演者や県外の友人たちが後を絶ちません。
また彼らを中心に、そのつながりはどんどん広がっていく。「FOR座REST」は単なるイベント名ではなく、もはやそのつながりの物語全体を指す言葉であるように感じます。
“フェス”を知らない代表の、あたたかな場づくりのはじまり
2006年6月、第1回目のFOR座REST。そのはじまりは、今も代表を務める阿部さんのひらめきでした。
民家園を訪れたある日、廣瀬座での開催イベントの貼り紙を見つけた阿部さんは、「廣瀬座でアン・サリーさんの歌を聴けたら最高だと思わない?」と仲間たちに相談を持ちかけたと言います。
廣瀬座を管理する市の教育委員会にじりじりと掛け合い、一方ではアン・サリーさんへ熱いメールを送り、そして数ヶ月後、そのひらめきは現実のものとなりました。
さらに、当時アン・サリーさんには産まれたばかりのお子さんがいたので、移動のことをケアして東京まで送迎車も出したそう。隅々まで心のこもった、あたたかな場づくりは、こうしてはじまったのでした。
ちなみに阿部さんは、いわゆる“フェス”と言われるものに、一度も出かけたことがありません。ただただ出演者を歓迎し、思いやり、福島を好きになってもらう。
そして来場者には思う存分楽しんでもらう。音楽の幅の広さはもちろんのこと、八代亜紀さん×BLACK BOTTOM BRASS BANDや、ハナレグミ×県立高校のジャズ研究会など、FOR座RESTらしい“抱き合わせ”も度々企画されます。
「FOR座RESTの目的は、アーティストと県外からのお客さんの福島移住!」
シンプルな楽しさを追求したFOR座RESTのスタイル。2007年、2008年とイベントは回を重ね、2009年は廣瀬座の修復工事でお休み、2010年には民家園全体を活用した福島市を代表する一大イベントへと成長しました。
2011年の、あの日からのこと
2011年3月11日、東日本大震災、そして東京電力第一原子力発電所事故。既に出演者が決定し、WEBでの情報公開が控えていた矢先の出来事でした。実行委員はそれぞれ各所に一時避難し、バラバラに。先が見えない日々が、はじまりました。
2007年から副代表を務める、福島市で5代続く眼鏡店を営む藪内さんは、当時のことを振り返ってこう語ります。
藪内さん 震災が起きてすぐ、家族と一緒に県外に避難して、そのまま福井の鯖江(日本を代表する眼鏡の生産地)に行って、被災地に眼鏡を届けるボランティアをしてたんだよね。でも毎日、大好きな音楽も聴けない。お酒も飲む気になれなかった。
協議の結果、本来であれば出演者を発表する予定だった3月19日、2011年のFOR座RESTを中止することを決定。3月30日に更新されたブログに、代表の阿部さんはこう記しています。
このような状況だからこそ、音楽の力は絶大でありますし、いま、避難所には音楽の力が求められています。モノが満たされた後の安らぎを必要としています。そこで会場が避難所の近くにもなっている「FOR座REST」開催は本当に意味があるものと思っていますが、まずは我々の生活を復旧しなければなりません。
3月19日情報公開、4月1日チケット発売、関係各所にも確認を取れ、広報も順調に進んでいて、素晴らしい出演者の皆さんをお知らせすること楽しみにしていました。夢のようなイベントを夢にも思わなかったことで開催できないこと悔しくてしかたありません。
「FOR座REST」を心待ちにしていた皆様、本当に申し訳ありません。東北、福島は必ず復活します! 6月の開催は難しくとも、いつの日か笑顔で会える日を心待ちにしています。被災された皆様の一日でも早い復興をお祈りしています。心は共に!
鎌倉への遠征で湧き上がった前へ進む力
2011年6月、FOR座RESTの開催が予定されていた日。鎌倉市のNPO「ルートカルチャー」主導のもと「FOR座REST trip 鎌倉」が開催されました。
総勢約35人のFOR座RESTメンバーが福島からの直行バスで招待され、福島のリアルな現状を報告するトークや、イベント来場者たちと語り合うシェアリング、そして今までの出演者であるアン・サリーさんや細野晴臣さんのライブなどが行われました。
県外の人たちがこれだけ後押ししてくれる。話を聴いてくれる。
帰りのバスの中で、震災以来初めて「次に何をするか?」というアイディアを語り合えたというメンバーたちは、様々な想いと力を胸に福島へと戻ります。
けれども、それぞれが移住の道を選んだり、母子のみを県外に避難させ二拠点生活を続けていたりと、まずは自分たちの暮らしを守ることが最優先の日々。8月には音楽家の大友良英さんらが指揮をとる「プロジェクトFUKUSHIMA!」、その他にも様々な復興系イベントが新たにはじめられていく中、一人一人ができることを模索し、実践していきました。
再び、みんなの力で場をつくろう
2011年12月、久しぶりに集まったメンバーたちに、阿部さんはFOR座RESTの次の一歩を提案します。その名も「FOR座REST大学」。
「楽しみ・学び・共有・発信・継承」をテーマに繰り広げる、温泉地での屋内型イベント。これまでの音楽を中心としたつくりから進化した、講義やトークなどをふんだんに取り入れた構想でした。
阿部さん 最初みんなに提案したときには、「これ、俺たちにできるの!?」っていう反応だったね。「学び」とか「継承」とかいろいろ言ったけれど・・・正直言って、一番は「意地」だな。なにくそ〜と思って、福島から何かやってやんねばなんないと。それまでの集大成として意地でやったよね。
出演者への声がけを始めると、アン・サリーさん、細野晴臣さん、ハナレグミ 永積タカシさんらがすぐに快諾、震災以降のつながりも活かした新たな出演者も加わり、多彩なラインナップが続々と決定。
阿部さんはパンフレット作りと同時進行で講義内容を考え、担当者を割り振っていきました。それは今までにないほど、各メンバーへの“丸投げ”。出演者との連絡も全て担当者に任せるという初めての試み。
前に進みたくてウズウズし始めていたメンバーたちは戸惑いながらも急ピッチで準備を進め、震災から1年後の2012年3月末に開催。誰も経験したことのない状況下で、全員の力で一つのイベントを創り上げたことが彼らの意識を大きく変え、その後の活躍の場がぐんと広がりました。
藪内さん もう起こっちゃったことをいつまでも振り返ってても何も進まないし、次を考えなきゃなんないって、たぶんみんな思ってたんだよね。震災の時に、これからどうやって生きていこう、もしかすると引っ越さなきゃなんないかもしれない、いきなりそんな場面に立たされた。そんな時にこのイベントができて。
グループをつくって話をすると、ひとり一言二言じゃ終わらない。一人一人にすごいドラマがあって、俺はこうしようと思ってるとか、私まだ決められてないんですとかね。みんな悩んでるんだなってわかったし、それを共有できる場が創れたっていうのは、俺の中ではすごく大きかった。
FOR座REST大学からメンバーに加わった建築士の遠藤さんは「伝承、ふくしま復興の舞」の担当として、講師のコンドルズ近藤良平さんと共に、会場に大きな踊りの輪をつくり出しました。FOR座RESTとの出会いで「人生が全く変わってしまった」という一人です。
遠藤さん 「FOR座REST」のことはずっと知っていました。でも一緒に行く友達がいなくて(笑)。メンバーに加わってもはじめは人見知りしてましたね。でも、あっという間に居心地がよくなった。本当に、不思議な人たちなんです。
この人たちと一緒にいると、「そんなこと、できません!」って思ってたことが「できるんじゃないかな」って気にさせられてしまう。なんなんでしょうね。
「プロジェクトFUKUSHIMA!」の盆踊りにて、やぐらの上で歌って踊る!今や福島の看板娘(写真:赤間政昭)
FOR座REST大学で久しぶりに集結したメンバーたち(写真:八巻ともや)
そして迎える、5年ぶりのFOR座REST
なんのためにFOR座RESTをやってるの?
この質問に、「楽しさだよ」と即答する藪内さん。「このメンバーの中にいたい」と言う遠藤さん。
藪内さん だってさ、集まってこうやってミーティングしてさ、大学生から67歳(メンバーのお父さんまでもがメンバー)まで、こんなに年齢層が幅広くて業種も幅広くて、あーだこーだアホなことも言えて、しかも同じものを一つ創れるって、それってすげーおもしろいことだよ、やっぱり。
彼らはきっと、震災があってもなくても、「FOR座REST」というお祭りを通じて福島を盛り上げ、楽しんでいたのだろうと思います。けれど、震災以降の悲しみや混乱を乗り越えて、そして今もなお、現在進行形でそれと向き合いながらも、仲間や新たな出会いへの感謝を忘れず進化し続けている。その熱量は尋常ではありません。
そして、誰がいつ“被災者”になるかわからない世の中で、人を救うのは人しかいないのだということを、彼らははっきりと、示してくれました。
阿部さん この5年ってどうだったのかなって、「FOR座REST」当日とか、終わってみて、実感するんじゃないかな。
10年目。今回のFOR座RESTはどんな風景を見せてくれるでしょう。
彼らが育んだ、福島に生きる仲間、そして全国に散らばる仲間とのつながりの物語が、7月11日(土)、12(日)の福島市民家園に集結します。FOR座RESTの今までとこれから、そして「今」という瞬間を味わいに、そしてメンバーと友達になりに、ぜひ訪れてください。
すべては「楽しさ」の中に。
今の福島には、日本のこれからが詰まっています。
– INFORMATION –
FOR座REST 2015(終了)
http://www.ankaju.com/forzarest/2015/index.html