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映画『盆唄』から感じる音楽の「想起させる力」

昨年2018年最大のヒット映画といえば『ボヘミアン・ラプソディ』でした。“映画としては”それほど面白いものではないというか、平凡な印象でしたが、やはり音楽の力はすごい。「圧巻のラスト20分」に限らず、音楽が運ぶメッセージが映画の物語よりも芳醇な作品でした。

その『ボヘミアン・ラプソディ』に勝るとも劣らない「ラスト20分」を持つ作品があります。それが福島県双葉町の盆踊りを巡る映画『盆唄』です。

双葉町とハワイの「盆唄」

ご存知の通り双葉町は福島第一原発事故の避難指示区域に指定され、住民たちはあちこちへと避難していきました。その中で伝統的な盆踊りと唄をどう保っていくのか。話は避難から数年たったところから始まります。

© 2018テレコムスタッフ

祭りの太鼓づくりもする電気工事屋の横山さんを中心に4年ぶりに仲間たちが集まりますが、盆踊り再開の目処は立ちません。そんな中、ハワイの日系人と福島の写真を取り続ける写真家岩根愛さんから、ハワイに伝わる「フクシマオンド」というBON DANCE(盆踊り)の存在を教えられます。

双葉町の人たちは、双葉町の盆唄を伝えるためにBON DANCEの開催に合わせてハワイへと向かいます。

ハワイで彼らが出会った人たちは、歌詞の意味もわからないまま盆唄を歌い継いでいました。二世や三世は上の世代から唄を受け継いぎ、先祖の存在をそこに感じていたのです。フクシマオンドについて話すハワイの人達は亡くなった親や祖父母のことを思っているようでした。彼らはそうやって直接的には失われてしまった故郷の日本や福島とのつながりを意識的であれ無意識であれ保ってきたのです。

双葉町の人たちは、そのハワイの人たちに、盆踊りの再開の目処が立たないために失われるかもしれない自分たちの盆唄を伝えようとします。自分たちが受け継いできたものをハワイの人たちに守ってもらおうと考えるのです。

© 2018テレコムスタッフ

なぜ盆唄が大事なのか

ハワイの人たちも双葉町の人たちもなぜそこまで盆唄を大事にするのか、特に故郷も持たず、受け継ぐべき盆唄も持たない私は疑問に思いました。そもそも盆唄にはどのような意味があるのでしょう。

お盆は先祖をお迎えする日、盆踊りは先祖を歓迎する音楽と踊りです。もちろん、本当に先祖がやってくるわけではありません(魂や霊魂の存在を信じている方がいらっしゃったらすみません)。私達がお盆という行事や盆踊りという祭りを通して先祖のことを思い出すという意味です。

盆唄はその中心に存在しているので、先祖を呼び起こす「音」なのだと思います。映画の中で横山さんが「自分が盆踊りそのものになる瞬間がある」と話していました。音楽と踊りに没入して、盆踊りという大きな存在と自分が同一のものと感じられるようになるという意味だと思います。このような没入の経験は多かれ少なかれ誰にでもあるのではないでしょうか。

盆踊りの場合、その没入によって感じられるのは先祖の存在なのだと思います。盆唄自体、先祖が歌い継いで来たものであるので、そこに没入するということはその歌い継いできた人たちと一体になることだと思えるからです。だから、歌い、踊ることによって実際に会ったことのない先祖でもどこか繋がりを感じることができるのだと思います。

そうやって先祖とのつながりを感じられるからこそ盆唄は彼らにとって大事なものなのです。

© 2018テレコムスタッフ

死者たちとのつながり

映画の話に戻ると、双葉町の盆唄を支える人たちもその唄によって死者(必ずしも先祖とは限らないので言い換えますが)に思いを馳せているようにみえます。実際に彼らのうちの何人かは震災かあるいはそれから数年の間に親しい家族を失っていることも示唆されていて、彼らは唄い、踊り、楽器を奏でることでその人たちの存在をより近くに感じようとしているように私には見えたのです。

東日本大震災とその後の避難生活で多くの方が亡くなりました。福島の浜通りの人たちは私たちよりはるかに多くの近しい死者を抱えて生きているのです。そしてハワイの日系人たちも厳しい生活に長年絶えてきた歴史を持つので、死者たちの存在が自分を生かしてくれているという思いが強いのだろうと思います。

そんな死者たちとのつながりを強く感じられる年に一度の機会が盆踊りなのです。だから彼らには盆踊りと盆唄が大事なのです。

この映画の最後の20分(かどうかはわかりませんが10分以上)、盆踊りの映像が続きます。そこにはほとんど説明もなく、ただただ太鼓と笛と歌い手と踊り手が写っているだけ。一度だけ「ご先祖様一緒に踊りましょう」という字幕が入り、今度は踊り手もいない櫓だけの空間で盆唄を演奏する映像が流れます。

© 2018テレコムスタッフ

このほぼ音楽だけの20分間では、さらに死者の存在を強く感じました。私も近しい死者たちのことを思いました。それは、怖いものではなく、どこかあたたかい死者たち。私には、彼らが踊っているというよりは見守っている感じがしましたが、それは見る人それぞれが抱える死者によって変わってくるのでしょう。

最後にもう一度『ボヘミアン・ラプソディ』の話をすると、映画の最後の20分にクイーンのライブを再現した映像が流れました。主演のレミ・マレックはその時ある意味では「盆唄」を歌っていたのかもしれません。彼は歌うことによってフレディ・マーキュリーの魂を迎えに行っていたのではないか、そして観る人は、レミ・マレックを通して記憶の中にあるフレディを呼び起こしているのではないか、そんな気がしました。

『盆唄』の話をするのにわざわざ『ボヘミアン・ラプソディ』を持ち出したのは、音楽の持つ「想起させる力」の強さがそこに共通して表れていると思ったからです。音楽は言葉とは違う形で私達の脳に働きかけて記憶を呼び覚ますように思えます。その力が強いと思ったのです。

そして、この映画はその「想起させる力」を人と人とをつなぎ文化を継承することに使ってきた人たちを描いています。その力は、時間的、空間的には離れた人たちをつなげることができるのです。

映画『盆唄』を見て、どんな記憶が想起させられるのか、体験してみてください。

『盆唄』
http://www.bitters.co.jp/bon-uta/
2018年/日本/134分
監督:中江裕司
撮影:平林総一郎
音楽:田中拓人
出演:福島県双葉町の皆さん、マウイ太鼓ほか
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