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通いたくなる被災地滞在システム「復興民泊」もスタート!『石巻2.0』の仕掛人に聞く石巻の今、そしてこれから。(後編)

『石巻2.0』

『石巻2.0』

石巻の街づくりプロジェクト『石巻2.0』。前編では、プロジェクトの始まりとなったフリーペーパーと、それがもたらした街と人の変化についてお話を聞きました。今回は、その後同時多発的に生まれている様々な街づくりプロジェクトを紹介し、これからの街づくりについてもお話を伺っていきます。

中でもオススメは、一般の私たちでも参加しやすい新プロジェクト「復興民泊」。被災地に足を踏み入れることを少しためらっている人も気軽に石巻の今を体験できる仕組みです。チェックをお忘れなく!

『石巻2.0』から生まれたプロジェクト

前編でご紹介したフリーペーパー『VOICE』の発行、そして川開き祭りに向けたSTAND UP WEEKを終え、8月以降、プロジェクトはさらに加速し、ダイナミックな展開を見せて行きます。現在も継続しているプロジェクトのいくつかを、ここでご紹介しましょう。

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復興バー

被災したバーを改装し、“復興バー”として復活。VOICEにも登場する松村マスターによる各種カクテルとお食事が楽しめます。10人でいっぱいになってしまう狭い店内は、夜な夜なボランティアで訪れた人や地元の人で賑わいを見せています。(ここでカップルが誕生したと言うウワサも!)

1日限定レストラン

地元石巻の食材を中心に使い、東京のフレンチのシェフが一日限定レストランをオープン。避難所生活の方々もこの日ばかりはオシャレをしてレストランを訪れるという、別名”セレブリティプロジェクト“は、お腹と共に、心を満たす役割も。

石巻マルシェ

被災した建物があった跡地を利用して、地元で採れたお魚を食べたり、買えたりするスポットとしてオープン。今後は、この場所から避難所に料理を届けるという構想もあるそうです。

石巻工房

建築家の方が現地で使えるように作った工房。ボランティアも、壁の修理などのニーズがあったときはここで工具を借りることができます。大工さんによるワークショップも開催されていて、被災者の方も「自分で直せるんだ」と気付き、DIYを体感できる場となっています。

ここに挙げたのは『石巻2.0』プロジェクトのほんの一例に過ぎません。その他にも不定期に行われている野外上映会や、フットサルプロジェクト、各種ワークショップなど、街の至る所で様々な企画が進行中。いつ石巻に訪れても、そのムーブメントを体感できるでしょう。

空き家を滞在場所として活用する「復興民泊」

「復興民泊」イメージ図

「復興民泊」イメージ図

もうひとつ、最近動き出したばかりのプロジェクトがこちら、「復興民泊」です。これは、石巻の中心市街地で空室になってしまっている不動産物件をオーナーとともに再活用し、外部から来た人が滞在することのできる場所にするというもの。空き家の2階や雑居ビルの1部屋など、時には他の人と一つの部屋をシェアして滞在する、間借りのような感覚です。

滞在費は1泊1,800円からという格安。部屋は、建築家のメンバーにより塗り直してキレイな状態に整えてあり、お布団も用意されます。

元々事務所として使われていた部屋が…

元々事務所として使われていた部屋が…

「復興民泊」として生まれ変わりました!

「復興民泊」として生まれ変わりました!

もちろんホテルではないのでサービスは受けられず、お風呂なども街の他の場所に移動して利用するのですが、そこから街の人との触れ合いも生まれ、現在の石巻を体験する貴重な経験となるはず。「石巻を見たい」「ボランティア以外でも行ってみたい」と思っても、ホテルが無くて困っていた方もいるのではないでしょうか。「復興民泊」は、商店街のみなさんの支援にもつながる滞在の新たな形。まだ部屋数は少ないですが、現在急速に整備を進めているとのことなので、今後石巻に滞在する人たちを支える大きな力になりそうです。

インタビュー

前編に引き続き、広告プロデューサーの飯田昭雄さん(ワイデン+ケネディ トウキョウ)、建築家の西田司さん(オンデザインパートナーズ)、同じく建築家の梅田綾さんにお話をお聞きします。

僕らも知らない動きがあるくらい、自発的にプロジェクトが生まれている。

ー次々にプロジェクトを展開されていて、すごい勢いですね。

飯田:それは、僕らがやっていることを見て、「他にもできるんじゃないか」と提案してくれる人が多くて、僕らがやったノウハウをどんどん自発的にやり始めようとしているんですよ。今度もあるNPOからの提案でアニメ映画の上映会をやるんですけど、そんな風に同時多発的に次々にプロジェクトが生まれて行っている。僕らも知らない動きもあるくらいで(笑)。僕はそれを「暖簾分け」と言ってるんですけど、別に僕らが持ってる独自のコンテンツやスキームを囲う必要はないので、これを使ってどうぞ何でもやってくださいというのが、僕らのスタンスなんですよね。

ーなるほど。そんな中で、街づくりのコンセプトみたいなものはあるのでしょうか?「今よりも良くする」とおっしゃる“良く”のイメージは?

飯田:それは『石巻2.0』現地メンバーの松村さんが仰る言葉の中にヒントがあって、彼は「一つの未来はここにあります」と言います。石巻の街を歩くと、世界中のボランティアや日本人の有志の若い人、タレントなど様々な人がいて、その人たちの間でコミュニケーションが生まれています。街の活気を外と中から一生懸命盛り上げて、夜は復興バーで語らって、という、3.11前には無かったような人の動きが実は既に生まれていて。

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ー街づくりの形は既にある、と。

飯田:はい、ただ今外から来る人の問題は泊まる場所がないということです。ホテルも復興作業員の方々でいっぱいで、街を知りたいけど滞在するための術がない。その問題と、店舗再生のアクションをかけ合わせたのが「復興民泊」です。

人の流れが増えることで、そこに転がるものが増える

ー「復興民泊」は、始まったばかりのプロジェクトですね。

西田:商店街の人から、空いている部屋を貸したいという声があったんです。それならば、空いている部屋を貸せるようにしよう、と。泊まること自体がオーナーさんにとっての小さな復興事業にもなるし、人がそこに集うことで、単純に街に滞在する人が増える訳じゃないですか。そうなってくると、その人たちのための場所として、復興バーを増やしたり、長期にわたる滞在なら、インターネットやりたいとか、本が読みたいとか、文化的な欲求が生まれたり、あるいは医療的なケアをする場所が必要だ、とか。人の流れが増えることで、そこに転がるものが増えるという、地道だけどクリエイティブな街の作り方があるので、そういうことができたらいいな、と思っています。

ー実際泊まれる部屋はどのくらいあるのでしょうか?

梅田:けっこうありますよ。地震による建築的なダメージは実はほとんどなくて、1階部分が水に浸ってしまったか、波に運ばれて来たものが当たって壊れてしまっている家はたくさんあるんですけど、それ以外は意外と残っているんです。そのままそこに住み続けている人とか、既に店をオープンさせている人もたくさんいるので、それを、「せっかく残ったんだからちゃんと使っていこう」と提案させていただいて。ちょっと声をかけただけで、結構反応はありました。今、残っているけど上手く使われていないところを、「こうやって使えますよ」と見せてあげることで、「じゃあ貸してみようかな」という動きが出てくるんじゃないかな、と。そうやってこちらから揺さぶってみて、そこから住民の方が自分で動くようになってくれればいいですね。

「復興民泊」を担当する建築家の梅田さん

「復興民泊」を担当する建築家の梅田さん

今しか味わえない石巻にぜひ行ってほしい

ー復興民泊では、ホテルと違い、オーナーさんとの会話も生まれそうですね。

梅田:そうですね。そこでまたコミュニケーションから新しい関係性が生まれるかもしれないし、石巻に滞在できることがわかればもっと人が来るかもしれないし。ホテルに泊まるといいサービスが受けられますけど、こっちに泊まるともうちょっと違う体験が得られますよ、とそういう場所にしたいですね。お母さんの朝ご飯が食べられるとか、いいじゃないですか。

ーいいですね、石巻に来てみたくなっちゃいますし、リピーターも増えそうです。

飯田:今僕は、東京の人に、「今の石巻に行ってよ!」と言ってるんです。確かに流れないトイレみたいに不便なことも多いかもしれないけど、逆に言うともうそれは今しか体験できないですよね。そういう東京では絶対味わえない体験や不自由さを味わうことによって、普段自分たちがどんなに恵まれた環境で過ごしているかも実感できると思うし、そんな状況を助けてくれるのが人との関わりだということも感じられる。それを経験するのとしないのとで、人生のクオリティは全然違うものになると思うんです。だから、「行っちゃいけないんじゃないか」なんて思わずに、どんどん「復興民泊」の仕組みを活用してほしいなと思います。

ー滞在する人が増えて、石巻が活性化して、プロジェクトのゴールはどこにあるんでしょう?

西田:今の、この回転している状態が継続することが、ある意味ゴールなのかもしれないですね。街に人が賑わって、いろんな人が集まって動いている状態が、いろんなバランスの元で保たれ続けることが大事で、メンバーの誰が抜けても続いて行くという状態がいい意味でのゴール。誰が途中で抜けても、入って来ても、それでも常に同時多発的に動き続けているという、僕たちの人間関係も街的なんですよ。

あとはこれが別の地域に飛び火していくこと。『VOICE』にせよ、「復興民泊」にせよ、他のところでも同じことができるようにネーミングされていて、プラットフォームは本当にそのまま別の地域に持ち込めるようにもなっているので、ここから出て行くのはとてもいいことなんじゃないかと思います。

飯田:今はとにかく、石巻で自分ができることをしっかりとやって、自分がいなくても石巻でやっていることが拡散して行ってくれればいいな、と思っています。僕自身は八戸出身なので、自分の街に対して動けていないことに少し複雑な感情もあるのですが、今は目の前のことをしっかりとやろうと。最初から想像すると、今の状態は考えられないくらいの規模になっているので、本当にこれが1年後、5年後にどうなっているか、楽しみで仕方ないです。

西田:僕も楽しみです。
梅田:私も楽しみです。

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『石巻2.0』のホームページを見ると、常に情報が更新され、新しいプロジェクトが生まれているのが分かります。そこからは、石巻の人や街に魅せられ、街の人と一緒に懸命に復興への道を歩もうとしている有志のみなさんの想いとパワーを強く感じます。今後、行政側の復興策と重なりあい、石巻はどんな街になっていくのでしょうか。マイナスから立ち上がろうとしている石巻、本当に未来が楽しみですね。

記事前編はこちら

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