1992年、世界の首脳が集まる地球環境サミットで12歳にして感動的なスピーチを行ったセヴァン・スズキを覚えていますか? 彼女は今も地球の環境のために活動を続け、その彼女を写した映画『セヴァンの地球のなおし方』がまもなく公開されます。映画の冒頭に大きなお腹を抱えて登場する彼女、母になろうとする彼女からみた今の地球とは?
2004年に『未来の食卓』を撮ったジャン=ポール・ジョーがその続編として製作したこの作品は、セヴァンを物語の中心に置き、『未来の食卓』にも登場したバルジャック村の人々、福岡で無農薬有機栽培の稲作を行う古野隆雄さん、13歳にしてサメの保護活動をする少女オンディーヌなどのエピソードで物語を構成しています。
一つ一つのエピソードも興味深いものですが、この作品の素晴らしさはすべてがまとまっていて、そして一本の映画として完成されているところにあります。おそらく、ここに描かれているひとつひとつのことに興味をそそられるという人も多いと思いますが、それは映画に譲るとして、ここでは映画が全体として語りかけてくることについて説明したいと思います。
映画はセヴァンの暮らすカナダのクイーンシャーロット島(ハイダグワイ)から始まります。ここは先住民の文化が色濃く残る地域、セヴァン自身も部族に属し、彼女の夫は先住民の血を引いています。そんな村で彼女は村人たちを前にして演説をします。先住民の言葉で始まるこの演説の最初に、彼女は自分自身を“演説者”と紹介します。その名のとおり、彼女の口から出る言葉というのは聞く者に何かを「説く」のです。
その演説で彼女は彼女の父親(環境学者のデイヴィッド・スズキ)の言葉を紹介します。それは「同じことを表現を変えて言い続けるのが大切だ」ということです。
彼女自身、この映画の中で1992年の演説の言葉をなんども繰り返します。たとえば印象的な「どうやって直すのかわからないものを、こわしつづけるのはもうやめてください」という言葉。これを今のセヴァンに語らせるというのは映画上の演出ではあるけれど、その言葉が(哀しいことに)今も有効であり、聴く者の心に刺さるものであるのは間違いありません。彼女は20年経っても実現していないことをくり返しくり返し訴えるのです。そのことの意味を私たちは考えなければなりません。
そしてこれは、この映画のあり方にも通じています。この映画で言われていること、それは決して目新しいことではありません。もちろん素材としては日本の有機農業やフランスの自治体の取り組みのようにあまり知られていないことも多くあります。でも、この映画が訴えかけようとしていることは本当に十年以上も前からたくさんの映画が訴えかけてきたことです。でもそれを繰り返すことに意味がある。映画だって、異なる表現でなんども繰り返し表現すること、それが大事なのだということをこの映画はそれ自身で表現しているのです。
もうひとつ、この映画で重視されているのは、“多様性”です。セヴァン自身が日系とヨーロッパ系という多様な出自をもった存在であり、そしてその多様性が「地球をなおす」カギになるとこの映画は訴えます。多様であることが地球を成り立たせ、また「世界が美しいのは多様性のおかげ」なのです。生物多様性が重視されるのは、人類にとって有用ではない生き物も地球の生態系を維持するためには重要で、多様性こそが地球を地球たらしめている考えに基づいているわけですが、ここで言われているのも同じことです。
そして、多様性というのは様々な局面で美しさや質の高さを生み出します。一番の例は、古野さんの田んぼ、古野さんは合鴨農法によって無農薬有機栽培を行っているのですが、その田んぼでドジョウも育てていて、「稲作と水産と畜産を一緒にやる」ことで米の質も収量も向上させているというのです。フランスでもモノカルチャーの弊害が言われ、多様性が農業と地球環境のカギであることが明らかにされます。
そして、これもまたこの映画自体の性格ともリンクしています。多様な人々が登場し、多様なキーワードをめぐってエピソードが展開される。そのひとつひとつは関連性がなさそうでいながら、どこかで繋がっている。映画の中にある多様性が、全体としての質の高さを担保しているのです。
そしてさらに言えば、この「どこかで繋がっている」ことの表現方法がこの作品の映画として非常に優れた点だと言えます。そのつながりを言葉によって説明するのではなく、例えばカナダの自然の風景と東京の喧騒の対比、たとえばフランスで農業の今後について話し合う声に福井の農村風景を重ねるボイスオーバー、といった映像表現によって映画ならではの説得力ある表現を生み出しているのです。
この映画には、ヒロシマや原発という話題も登場し、セヴァンも原発を「まるで悪魔との契約」と表現します。それはもちろん重要なテーマですが、それを地球が抱える多様な課題の一つとして捉えないと全体が見えなくなってしまう。
映画の中に、暴風雨で壊滅的な被害を受けた森の朽木を使った卵型の巨大なオブジェが登場します。原発をどうするかという事とは全く関係ありませんが、このアート作品には原発も含めたこの映画が投げかける問いの答えを導き出すための重要なヒントがあるように思えるのです。
多様性と繰り返し、それをカギにこの映画を読み解いていくと、具体的に「地球をなおす」方法が見えてくるかもしれない、そんなふうに思える作品です。
2010年/フランス/115分
監督:ジャン=ポール・ジョー
プロデューサー:ベアトリス・かミュラ・ジョー
音楽:ガブリエル・ヤレド
出演:セヴァン・スズキ、ハイダグワイの人びと、古野隆雄、福井県池田町の人びと、バルジャック村の人びと、ワトゥーシャラントの人びと、コルシカ島の人びと、オンディーヌ・エリオット、ニコラ・ウロ、ピエール・ラビ、他
6月25日(土)東京都写真美術館ホール、渋谷アップリンク他、全国順次公開