今回のクルーズは横浜を出港後、神戸でも参加者が合流。沖縄・那覇、ベトナム・ダナン、シンガポールなど近隣諸国から、ケニア、ヨルダンなど中東やアフリカ、ギリシア、イタリア、スペインなどヨーロッパ、ジブラルタル海峡を越えて、カナリア諸島、ブラジル、グアテマラなどをまわり、サンフランシスコ、ハワイなど計20箇所を訪れる。参加者はなんと1歳から90代まで! 800人を超える人が乗船しているのだそうだ。
ピースボートの初航海は1983年9月2日。当時国際問題として議論が始まった「教科書問題」がきっかけだった。
文部省の教科書検定の際、20世紀に行われた日本のアジアへの軍事侵略が「進出」という言葉に書き換えられるという報道に対して、中国、韓国をはじめとするアジアの国々から激しい抗議が巻き起こった。インターネットなどを通した自由な情報収集が今ほど楽ではなかった当時、「それなら、自分の目で確かめたい」「現地を訪れ、そこに住む人に直接話を聞きたい」と4人の大学生が船での訪問を計画して同行者を募ったところ、多数の応募があり、200人の船旅へと拡大した。
毎年一度のアジア航海はその後も続き、96年には初の地球一周の船旅を開始。アジアをめぐる旅から世界をまわる約100日間の旅へと変化し、総参加者数は25000人、訪れた寄港地は250を超えた。
ピースボートの魅力は、「動く大学」というニックネームが生まれる程の充実した船内プログラムと、個人旅行ではなかなかたどり着けない現地の生活を直接体験できること。
クルーズ中は、区間ごとに約5人、一周する間に約50人のゲストが乗り込み、1日3回以上、船内で講義が行われる。「水先案内人」と呼ばれるゲストには様々な肩書きの人々が登場する。過去のゲストの一部を紹介しておこう。戦争を写し取ってきた報道カメラマン石川文洋さん、国際政治と中東研究を専門とする高橋和夫さん、「スローライフ」の提唱などで知られる環境活動家の辻信一さん、未来バンク事業組合理事長の田中優さんなど、環境や平和、国際政治に対する新しい視点を発信している人々。そして灰谷健次郎さん、加藤登紀子さん、ソウルフラワーユニオンなど、分筆や音楽でメッセージを発信している人々。その他にも精神科医の香山リカさん、河内音頭で知られる河内家菊水丸さんなどが乗船していることからも、そのオルタナティブな空気は感じていただけるだろうか。航海中に立ち寄った地域、例えばリビアからは20人の学生に乗船してもらい、アラビア語文化圏と日本の文化、お互いの生活についてシェアし合うといった企画もあるのだそう。
- 洋上ワークショップは様々なメニューが用意されている
船内には通訳ボランティア、語学教師として乗船する人も多く、世界各国からの応募があるというから驚きだ。語学力とコミュニケーション能力も高められるし、自分でサークルを作ったり、ワークショッップをしたりする人もいるのだとか。もちろん講座は任意なので、めいっぱい参加して見識を深めるもよし、一日海を眺めてゆったり過ごすもよし。参加者それぞれが自分なりの楽しみ方ができる。
現地ツアーも観光地などを訪れるものと、「スラム」や戦地跡、孤児院や難民キャンプなどを訪れる検証・交流のコースに分かれている。コーディネイトは現地のNGOやツアー会社と連携し、価格もフェアトレード。現地での社会・経済活動を支援できるような形態をとっていることも多いようだ。
- ブラジルのスラムで。子どもたちの笑顔はどこにいてもまぶしい
とは言っても体験していない人には「どんなことをするの?」「参加して何か変わるの?」などなど、知りたいことがたくさんあるだろう。そこで学生時代からピースボートに乗船し、今はスタッフとして活動に携わっている小野寺愛さんに話を聞いてみた。
――ピースボートの旅は小野寺さんにとってどんな経験になりましたか?
小野寺 一言で言えば人生が変わりました。大学時代の私は新聞もろくに読まない学生でしたが、本を読むのは好きだったし、バックパックを背負って何カ国も旅したりしていたので、「世界のことは、ある程度何でも知っている」つもりになっていました。でもピースボートに乗って、そんな自負は音をたてて崩れました。自分が知っていたのは社会の表面だけで、どこを旅しても、出会っていたのは観光産業に携わる人や、英語の話せる人達だけだったということに気づいたんです。
ピースボートに初めて乗った時、私はボランティア通訳として参加していて、同い年のパレスチナ人男性ラミと、イスラエル人女性ケレンに出会いました。私はそれまでパレスチナ人に会ったこともなければ、同い年の人たちが生まれてからずっと紛争の中にいることも知らなかった。二人に出会ったことは、私の人生に欠かせない出来事です。
イスラエルで平和活動をしていたケレンにはパレスチナ人の友達がいましたが、ラミはパレスチナを出たこともなかったし、イスラエル人と友達になるなんて考えられないことだったようでした。最初の日、握手を求めるケレンの手を「思わず握り返してしまった」ことをずっと後悔していたのを覚えています。「パレスチナを出てみんなに出会って、初めて”平和”がわかった」という彼の言葉に、私ははっとさせられました。ただ単純に「楽しむ」ために努力をしてイベントをすることや、夜遅くてもいつも電気があることを、彼はそれまで体験したことがなかったんですよ。
――そして船上で様々な体験をしていくうちに、彼の中で少しずつ変化が生まれていったという。
小野寺 私たちにとっては当たりまえになっている平和を、彼はピースボートの旅で初めて体験したんです。そして、パレスチナがどこにあるかさえよくわからない私たちに、自分たちの現状を伝えようと様々な話をするうち、意見や歴史認識のズレを理由にけんかばかりしていたラミとケレンが、2人で笑いあう機会も増えていきました。
- 平和への思いを込めて「シャローム・シャラーム」
戦争をしているのは国と国で、自分たちではないと気づいたようでした。最後には2人でヘブライ語とアラビア語でそれぞれ「平和」という意味の「シャローム、サラーム」という歌を作ってライブをすることもありました。
――普段の旅で訪れることのない地域というのは?
小野寺 地元の小学校やNGO・NPO、農村のお手伝い、先住民の村にホームステイ、難民キャンプ、孤児院など、ピースボートが訪れるのは、時間をかけてお互いを尊重できる関係を築いてきた友人のいる場所が多いですね。例えばブラジルでは、ブラジル現地の人も「怖くて入れない」という街、ヴィガリオ・ジェラウ(リオ近郊最大のスラム)を毎回訪問しています。映画「シティ・オブ・ゴッド」の舞台にもなったこの街には、マシンガンや麻薬も存在するため当然危険もあります。でも、現地の人が友人として守ってくれるので、問題が起こったことは一度もありません。
ここには若者の芸術集団「アフロヘイギ(アフロレゲエのポルトガル語)」というグループがいるんですが、映画で描かれたヴィガリオ・ジェラウが麻薬と暴力と警察の汚職の姿ばかりであったことに、彼らは憤慨していました。
アフロへイギのはじまりは数人ではじめたラップ・グループです。彼らが望んでいたのは「生活環境をよくしたい」という、ごく当たり前のこと。そして、貧困を抜け出すために「将来はマフィアになる」という子どもたちの「夢」を変えて、暴力の連鎖を断ち切りたいということでした。10年かけて、アフロへイギのライブが徐々にメディアに注目されはじめ、子どもたちの夢が「マフィアになりたい」から「アフロヘイギに入りたい」に変わっていき、犯罪率も減り続けているようです。
「僕たちはヴィガリオの本当の姿を世界に知らせるために、自分たちでドキュメンタリーを作った」とアフロへイギのリーダーは語ってくれました。彼らのドキュメンタリー「Favela Rising(ポルトガル語、英語のみ)」は各国の映画祭で高い評価を受けています。彼らは何度がピースボートで洋上でライブをしてくれているんですが、第55回クルーズでは、ブラジル寄港時に新年を迎えるんです。アフロヘイギと一緒のカウントダウンは今回の見どころのひとつですね!
- タヒチ・安らぎの庭。バニラの受粉をワークショップ
タヒチにも人生の大切なことを教えてくれた友人がいます。ポリネシア先住民のリーダーであり、地域の長老であるガブリエル・ティティアラヒ(通称ガビ)は、私たちをいつも心から迎え入れてくれます。南国のフルーツと花の薫る庭に招き入れ、「私の庭はあなたの庭、何でも好きなだけ持っていきなさい」と言うんです。
「水上コテージか。ああいう美しいリゾートは海外資本の会社が作るものだよ。彼らが安い値段でタヒチの土地を買い上げてプライベートビーチをつくっていくから、現地にいる我々は自分達の海で魚が捕れなくなってしまった。そしてホテルが豪華なプールで水を大量に使うために、水の値段が何倍にも跳ね上がっていく。先住民はそういったホテルでは採用されないから現金収入は増えないし、安い値段で土地を手放したから耕作もできない。我々は、どんどん貧しくなる」
ガビは、大きなグローバル経済や植民地経済に左右されない、タヒチ独自の経済を確立したいと話していて、タロイモやココナツ、バニラを育て、少しずつフェアトレードの貿易相手をみつけています。かつては水上コテージにあこがれていた私ですが、今では豪華リゾートホテルに泊まるよりも、フルーツと花の香る庭でガビに会いたくて、タヒチに通うようになりました。
――参加者の反応はどうだろう?
年配の参加者の中には「日本の若者も捨てたもんじゃない」と口にされる方が多いですね。船の中で世代間の交流ができることが魅力でリピーターになる方も多いのだろうと思います。また、船内でできた友達や出会った講師と日本で交流が続くことも多いので、帰国後の行動範囲も広がります。帰ってきてからは、働いていた会社を辞めたり、生活を見直したり、NGOに参加したり…。中には自らエコツアーの会社を始めた若者もいましたね。もちろん、単純に「観光」として船旅を楽しむ人もいますし、海を見ているだけで変わっていくこともあるんじゃないかと思います。みんな自分の尺度で楽しめるのもいいところです。
スタッフにも、いろんなことをやってきた人がいますよ。東京大学出身から元暴走族のボスまで経歴は様々ですが、おもしろいのは、みんなが適材適所で活躍できる場所であること。去年パキスタンで震災があった時、ピースボートは家を失った人々にブルーシートを届けることにしたんです。その時は、20歳の元・トビ職のスタッフが英語も現地の言葉も話せないのに現場の責任者になって、4000枚のブルーシートを使って200世帯に仮設住居を建ててきました。あのときの彼なんかは本当に立派だと思うし、いわゆる一般常識にとらわれないところが、NGOピースボートのよいところでもありますね。
国境のない海の上で、肌の色を感じないで流れていく時間。そして自分の目で見る世界の暮らしが、ひとりひとりの心の中で眠っていた感性を開いていくのかもしれない。
次の航海は2007年2月出港の第56回クルーズ、そして 2006年12月の第57回クルーズが予定されている。第56回はケニア&アラスカの新航路を廻る101日間の旅、そしてPeace&Green Boatと名付けられた第57回は、「平和で持続可能なアジアの未来」をテーマにアジア諸国を訪問する15日間のショートクルーズ。
「自分で体験してみたい」「もっと情報が欲しい」そんな人は、ボランティアとして事務所を訪れ、割引を受けて乗船することもできる。仕事を手伝いながら体験談を聞き、自分に合った旅を探してみるのもいいかもしれない。
詳細は下記へ
ピースボート
http://www.peaceboat.org/index_j.html
もっと詳しい船旅の話は小野寺愛さんのブログ「船乗り日記」で!
greenz「みんなのエコブログ」をチェック!
https://www.greenz.jp/blognetwork_list.asp
ピースボート共同代表。1978年横浜生まれ。サーファーで2006年11月現在、妊婦! 上智大学卒業後ピースボートにボランティアなどで乗船し、次回で6周目の乗船になる「地球一周の船旅」では主に南半球を担当。環境・開発・先住民に強い関心を持ちながら洋上プログラム作りを行う。共著に「ほっとけない世界のまずしさをなくすための30の方法」(合同出版)など。