JR大阪駅から歩いて数分。ビルの1室にある事務所の鉄製扉を開くと、中からは爽やかな木の匂いが。
室内は、床や机、空間の間仕切りなどにふんだんに木が使われています。
そんな温かみのある空間で「こんにちは〜!」と落ち着いた声で迎えてくれたのは、NPO法人JAE(ジャイー/以下、JAE)共同代表の坂野充(ばんの・みちる)さんと、塩見優子(しおみ・ゆうこ)さん。

2010年に大阪駅から徒歩10分ほどの現在の場所に移転したとき、岡山県西粟倉村の木を用いてリノベーションしたという事務所
JAEは、2001年の法人設立以降、小・中・高・大学生・若手社会人を対象に、キャリア教育プログラムや長期インターンシップを提供しています。今でこそ学校現場に浸透している「キャリア教育」ですが、日本でこの文言が初めて公的に登場したのは1999年のこと(※)。JAEの設立当初は「キャリア教育」という言葉自体が、社会や学校に浸透していませんでした。
※文部科学省「キャリア教育とは何か」参照
法人名の由来は「Japan Academy of Entrepreneurship」の頭文字から。Entrepreneurship(アントレプレナーシップ)とは、自ら問題の解決や新たな価値の創造に挑戦する心を意味します。子ども・若者・大人が出会い、学び合う場をつくり続けて24年。その間に、創業者から、坂野さん・塩見さんに代表のバトンが渡されるという大きな転機がありました。
目まぐるしい時代の変化の中で、“第二世代”となったJAEはどのように活動を発展させてきたのでしょう。創業当時から変わらない考えや、新体制で改革してきたことなどについて、お二人に伺いました。

大学在学中のインターンシップ経験から「学校で学ぶこと」と「社会で働くこと」のギャップを感じ、それを埋めるために教育に関心を持つ。在学中にボランティアとしてNPO法人JAEの活動に参加し、大学卒業後の2004年に入職。インターンシップ事業のマネージャーや法人事務局長を経て、2010年事務局長に就任。2013年より代表理事、2020年より共同代表。
イギリスで幼少期を過ごし、教育を通して人種差別をなくしたいという思いをもつ。中学校職員や国際NGO団体で勤務後、平和構築の土台としての教育の役割を模索する中、2011年にNPO法人JAEに入職。小中学生対象の「ドリカムスクール」をメインに担当し、2016年マネージャーに就任。2017年法人の理事に就任し、2020年より共同代表に就任。
進学の「その先」を考える機会を
JAEは、創業者・山中昌幸さんの思いからはじまりました。
教員を志していた山中さんは、大学時代に留学中、国内外の同世代の若者と出会う中で、「日本の若者の多くは、大学に入学することが目的になっていて、その先で何をしたいかを考えていない」ということに違和感がありました。芽生えた思いのままに、若者に対して教員の立場からアプローチすることを考えたものの、当時は進学先によって進路の選択肢が決まってしまう風潮が今よりも強い時代。それならば教員という立場ではなく、学校の外からアプローチしようと起業を決意します。
2001年、山中さんは東大阪市で小中学生向けの起業家教育教室「チャレンジスクール」を立ち上げ、最初は小学生2名の生徒を相手にスタート。教室では、商売体験イベントや、テーマを絞った職業体験を通して、子どもたちが仕事について調べ、チームで相談して企画・実行し、最後に振り返ります。このような、一連のプロセスを通して子どもたちが自分の得意なことや好きなことを見つけられる体験型プログラムは、現在の事業の基盤になっています。さらに、2003年には対象を大学生にも広げて長期実践型インターンシップ「アントレターン」をスタート。大学生が「半年間の期間限定の正社員」という役割で、企業内の新規事業立ち上げや営業、広報などに携われるプログラムを企業とともにつくりました。

アントレターンの様子。当時はまだ世の中に浸透していなかったインターンシップ制度。中小企業やベンチャー企業と連携して実践型プログラムをつくっていった(画像提供:JAE)
折しも、当時は「ニート」や「フリーター」という言葉が社会に出てきたタイミング。バブル崩壊後、就職氷河期や不安定な雇用形態が進行し、若者の働き方や勤労観の変化は社会課題の一つに。世間では、若者が仕事の楽しさややりがいを感じる機会の必要性が議論されはじめました。また、子どもが大人や仕事と出会う機会を学校教育に取り入れることを推進する動きが広がり、2005年には経済産業省が「地域自律・民間活用型キャリア教育プロジェクト」のモデル事業の募集をスタート。この事業への参画を機に、JAEでは、企業と連携したキャリア教育プログラムの提供を小・中学校に向けて始めます。

法人設立初期の2004年からJAEの職員として活躍する坂野さん。キャリア教育プログラム「ドリカムスクール」や、インターンシッププログラム「アントレターン」の開発や運営も担当してきた
ただ、世間でキャリア教育の必要性が唱えられている一方で、実際に学校現場でJAEのプログラムを提供するまでの道のりは決して容易ではありませんでした。当初は、学校を訪れても話すら聞いてもらえないことが多かったそうです。
坂野さん その頃は、法人設立4〜5年目でまだ実績もなく、学校も外部団体と一緒に活動することに全く慣れていなくて、「大変そうだから」となかなか受け入れてもらえませんでした。それでも運よく、大阪市内の中学校に「やりましょう!」と言ってくれる先生がいて。それがきっかけで、初年度はなんとか大阪市内4校で実施できました。
そのとき始めたのが、小・中学生向けのキャリア教育事業「ドリカムスクール」。学校と地域企業をJAEがコーディネートし、子どもたちが期間限定の社員として、企業のミッションに挑戦するプログラムです。グループで協力して、課題解決に向けた調査や企画、企業に向けたプレゼンテーションをします。
子どもたちにとって、一連のプロセスは大人と出会い、仕事体験を通して自ら考え、チャレンジするきっかけに。企業にとっては、社員自らが会社や仕事について子どもたちに伝えることで、自社の役割や自身の仕事を見つめ直すきっかけになっています。

ドリカムスクールの様子。活動はグループで行い、お互いの力を引き出し合いながら企画をつくる(画像提供:JAE)

山陽製紙株式会社と連携し、小学校でプログラムを実施した際は、社員とともにリサイクルできない特殊な紙である「ポリラミ」を活用した商品開発に挑戦。社員自身で授業内容を考えて実施する経験は、社員にとっても、自分が働く意義を見直すきっかけになっている。(画像提供:JAE)
地域でキャリア教育を「広げる」役割へ
ドリカムスクールの実施を通して、学校や企業とのつながりが少しずつ広がる一方、団体では新たな課題も感じていました。一つは、学校や企業と協働でプログラムをすすめる中での各機関への業務負荷の大きさ。もう一つは、公立学校では担当教員の異動によってプログラムが継続できなくなるケースが多いこと。これらを解決する手立てを探す中、2011年に転機となる取り組みを始めます。

坂野さん それまでは学校の外部から関わる形でしたが、内部の状況を知った上で、先生や学校が前向きに取り組める形にしないと事業が継続しないと思っていました。そこで、2011年に大阪府教育委員会の「キャリア教育プログラム実践事業」を受託したんです。このときに実施したのは、泉南市や東大阪市などの府内11中学校区にキャリア教育推進のサポートをする人材を派遣するという事業でした。

そのときにキャリア教育サポーターの一人としてJAEに参画したのが塩見さんです。
塩見さん 当時は、府内のキャリア教育のモデルをつくるために、まずは学校単位ではなく小学校も含めた中学校区で共通のビジョンをつくることを一つのミッションにしていました。そうすることで、校区内の小中学校全教職員が同じ方向を見ながら目指す子ども像を考え、そのために授業や学校行事などで生徒につけたい力は何なのか、ゴールから逆算してカリキュラムを整理するという動きです。
地域によって、キャリア教育を進める体制がすでに整っているところもあれば、未着手のところも。JAEのキャリア教育サポーターは、地域や学校の状況に合わせて、キャリア教育を進めていくための土壌を耕すような役割を担いました。
坂野さん 僕たちが仕事体験プログラムを広げるというより、学校と地域企業が当たり前に連携してプログラムを実施できるようになるといいなと考えていたんです。JAEはこの事業が起点となって、学校内部の状況を把握して学校と企業をつなぎながら、キャリア教育が進みやすくなるための指針やカリキュラムについてアドバイスするような役割を担うようになっていきました。
それぞれの特性をいかし、経営のバトンを受け継ぐ
事業の幅が広がっていく中で、法人の体制にも大きな変化がありました。2013年には創業者の山中さんから坂野さんに代表が交代。山中さんは、自分は新しいことを立ち上げるのが向いていると思っていたこともあり「いつかはJAEの世代交代を」と考えていたそう。法人初期に参画して以降、山中さんの立ち上げた事業をマネジメントして実動させる役割を担い、現場を率いてきた坂野さんにも、組織や事業を持続可能なかたちにしていきたいという思いがあったことから、代表のバトンが託されました。その後、小中学生向けのキャリア教育事業をメインで担当してきた塩見さんがキャリア教育事業のマネージャーに。2020年には坂野さんと塩見さんの共同代表制となりました。

代表になった当時を振り返り「代表になりたいという気持ちはそんなになくて。自分はどちらかというとナンバー2みたいな感じがフィットしていると思っていました」と坂野さん
坂野さん 2016年ぐらいから、僕は高校生や大学生向けの事業や、企業や行政へのアプローチがメイン、塩見は小中学生向けの事業という役割分担ができていて。当時から二人三脚みたいなイメージで、どう事業を進めていくか、全体を相談しながら進めてきました。
適性で言うと、僕はどちらかというと、やりたいことを実際に進めたりマネジメントしたりするのが合っている。塩見はネットワークを広げることや、プレゼンなどのメッセージを伝えることに強い。それぞれの特性をいかす形で、組織の役割分担ができるのではないかと、2020年に共同代表のかたちになりました。
塩見さんは、代表になる話を受けたとき「自分には代表はできない」と思っていたそう。坂野さんや創業者の山中さんと話す中で、その気持ちはどんな風に変化したのでしょう。

塩見さん 私、JAEにずっといるべきかどうか悩みながら働いてきたんです。もう自分にできることはないと思ったら団体を抜けていたと思いますが、組織の内側に入れば入るほど、可能性がどんどん見えてきて。一人でできることには限りがあるけれど、JAEという組織の思いをさらに発展させていくことに社会的意義があるんじゃないかなって感じたんです。ここまでの実績とネットワークがあるからこそつくれる変化や、巻き込める人がいるんじゃないか。もっとできるはずなのに!という思いが、ずっとありました。坂野さんや山中さんと話す中で「その思いを出したらいいやん!」と言ってもらって、それなら、どこまでいけるかやってみたいなと。
根っこは変わらずに、個人が働きやすい組織へ
法人設立から約20年経つタイミングで始まった、坂野さんと塩見さんによる新体制。お二人は、山中さんのやり方を受け継ぎながらも、第二世代としてどのように組織を発展させているのでしょうか。
まず、時代の変化にともなう、子どもや若者を取り巻く環境の変化に対しては、事業内容を柔軟に対応させてきたといいます。例えば、コロナ禍にはプログラムをオンラインに切り替えて実施。また、以前よりも学校現場でのキャリア教育への認識が深まってきたため、JAEが提供するコーディネート内容も、学校ごとに地域との連携を進めるようになりました。今となっては「外部連携はできているけれど、それが本当に子どもの力になっているか」など、学校現場から次の段階への助言を求められるように。コーディネートする上で求められる視点や立ち位置にも変化が生まれています。
ただ、それらは環境に適応してきた結果として変わったこと。JAEが大切にしている考え方の根っこは創業時から変わりません。
坂野さん 僕たちが普段、学生たちの話を聞きながら大事にしているのは、ざっくりとした若者像で捉えずに、「一人ひとりがどう感じているのか、どう考えているのか」をキャッチして関わっていくこと。このことは自分たちもずっと大事にしているし、学校や企業の方に向けてもしっかり伝えています。今はSNSなどがあり、情報との向き合い方も昔とちがうので、学校や企業から「若者とどう関わればいいか分からない」という話を聞く機会は増えています。でも、人の本質みたいなものは、そんなに変わっていない気がするんです。
一方で、意識して変えてきたこともあるといいます。それは、職員一人ひとりが働きやすい組織づくり。お二人が代表になってからの数年間、従来の働き方を変えて、個人がより柔軟に、やりがいを感じて働ける環境を整えてきました。
というのも、かつてJAEでは、事業の広がりとともに職員数が増えるものの、なかなか人が定着しない時期があったそう。当時はマネジメント面で悩むことも多かったと言います。

坂野さん それまで、フルタイム職員のみの採用だったので、職員にはその時々で必要な業務をしてもらっていました。でも、人によってやりたいことや向いていることがあるのだから、それをもっといかす組織になっていかないと難しいなと気づいて。それで、兼業や業務委託もできる職種別採用の形を取り入れて、それぞれがやりたい仕事に集中できるようにしていきました。
またコロナ禍には、職員の働き方をフルリモートに移行。元々、学校や企業を訪問する現場中心の業務だったこともあり、オフィスに出勤する必要がないのは職員一人ひとりの働きやすさにつながりました。

フルリモートではあるが、メンバー同士でのコミュニケーションの機会はしっかりと。「今どんなことにワクワクしているか」「仕事と自分の価値観はどこがフィットしているか」「ゆくゆくはどうしていきたいか」など、お互いが感じていることを折に触れてシェアしているそう
塩見さん ライフスタイルに合わせて働ける環境になったり、仕事の役割をそれぞれの興味や関心を重視しながら決めていくようになったりしたことで、個人のキャリアの実現や、生き方の充実につながるサポートができる組織になったのは大きな変化だと思っています。

坂野さん そういう風になるまでにはすごく時間がかかりましたが、僕たちが代表になって大きく意識したところです。僕たち自身もそうですが、NPOって「誰かのため、社会のため」という思いがあるので、「自分よりも、世のため人のため」みたいな働き方になりやすいと思うんです。そうして、個人の中で事業や組織の優先順位が高くなってしまうと、職員も定着しない。「しんどいけれど頑張る」という感じだった雰囲気は、ずいぶんと変わったように感じています。
加えて、以前は全ての事業を自分たちだけで対応していましたが、現在は外部と協働して進めるプロジェクトも増えているそう。長年活動を続けてきた団体だからこそ、信頼できる個人や団体とのつながりを築いてきたことは、第二世代として歩み始めたJAEにとって大きな財産でした。
例えば2020年には、キャリアコンサルタントが多数所属するNPO法人xTReeE(クロスツリー)と共同で、キャリア教育プログラム「らしさ発見プログラム」のパイロット版を開発。オンライン環境が整備される中、全国のキャリアコンサルタントと1対1の対話の時間をつくり、児童・生徒が自分の強みを見つけ、自分らしい生き方を考える機会を提供しました。授業構成や関わるキャリアコンサルタント向けのトレーニングなどを一緒に開発し、運用しながらプログラムを改良。現在では東京・名古屋・福岡など他の地域からも希望があり、各地で展開しています。

NPO法人xTReeEと共同開発した「らしさ発見プログラム」。他団体との協働により、JAEが提供する授業だけではできない領域へのチャレンジも生まれている(画像提供:JAE)
事業を通して、地域社会を変えていきたい
新たにお二人が代表となり、変化する社会状況や目の前の課題と向き合いながら、変えないことも変えていくことも、どちらも大切にして続けてきたJAEの活動。お二人は、これから先の10年に、どのような組織の発展を描いているのでしょう。

学校と地域、企業のより良い協働のヒントとして活用してもらえるように。そんな思いを込めて、2023年に発行したガイドブック。授業の流れや、実践のポイントなどが細やかに記されている
塩見さん JAEのプロジェクトを通して、地域全体がつながったり、子どもたちが育つ環境づくりをしたりして、“社会をつくる”という面においても結果を出していきたいです。子どもたちが学ぶ過程に地域や保護者を巻き込むことで、地域活性化やコミュニティづくり、ひいては地域社会をつくることにもつながる。そういうところまで目指したいですね。

そんな未来をつくるために、組織として取り組みたい課題も明確にあります。
塩見さん そのために、資金調達のやり方や戦略をもっと考えたいと思っています。例えば各自治体において、「教育をより良くする」ための事業は緊急性が低いため、なかなか予算がつきません。そこで私たちは、教育にとどまらず「地域社会をより良くする」ところまでを見据えて提案することで、自治体と協働していきたい。そうすれば、もっといろいろな人に参加してもらえるし、地域の人に対し、教育に携わることが大事な役割であることを、広く認知されると思っています。

そしてそのビジョンは、すでに実現の兆しが見えているようです。
坂野さん いくつかの市町村では、授業内容だけではなく「子どもや人を支えられる地域をどうつくるか、そのために何をしていくか」というコミュニケーションが取れるようになっています。それは授業をするだけではない、学校や地域に残り続ける「人のつながりや仕組み」になっていく予感があるので、推進していきたいですね。
また、組織の発展に必要不可欠なのは、職員一人ひとり。活動が持続可能であるために、働きやすい組織づくりにはこれからも注力していきたいと語ります。
坂野さん 組織が求められるレベルも上がっているし、物価高の影響もあるので、いま職員の給与も上げていってるんです。JAEのような仕事を「なんかいいことをやっているね」という風に言われるのが、個人的にはあまり好きじゃなくて。社会に必要とされることに対し、キャリア教育やコーディネーターの専門的なスキルを提供することに、きちんと対価がつく形にしていきたい。だから資金面でも、組織が持続的に活動できる状態をつくるのは大事だと思っています。僕たちも、まだ完全な答えが見えているわけではないので、悩みながら取り組んでいるところです。

坂野さんは「さっき塩見が“一人でできることって限りがある”と話していましたが、JAEに置き換えても同じ。この先は、自分たちだけで頑張るのではなく、組織内外で思いを同じくして一緒に進めていける仲間をもっと増やしていきたいです」とも話す
取材の後の写真撮影中、「お互いへのメッセージはありますか?」と聞いてみました。「なんでしょうね…。好きなようにさせてもらっています」という塩見さんに対し「それが一番健全ですよ。それができるのがいいですね」と応える坂野さん。
自然で短いこのやりとりの中に、お二人の実感がこもっているような気がしたのは、数年かけて、職員の成長や人生の充実も支えられる組織に変わってきたからこそ、言葉に宿る温度を感じたから。JAEがずっと大切にしてきた「一人ひとりがどう感じ、どう考えているか」を尊重する姿勢は、ここにも表れていました。
第二世代を迎えた多くの組織にとって、創業者のやり方をどう継承していくのかは、大きな課題だと思います。JAEのお二人は、組織の根っこにある変わらない視点を持ち続けながら、それを社会のみならず組織内にも向けることで、一人ひとりの強みを生かす組織づくりという改革を実践し、結果として未来のビジョンに近づいているように感じます。
2026年3月の法人設立25周年を前に、いま改めて、自分たちが大切にしている価値やミッションをより伝わりやすい表現にするために話し合っているそう。この先のJAEのみなさんが生み出すチャレンジの機会や、それによってつくられていく未来を想像すると、心の奥にわくわくした気持ちが湧いてきます。
(撮影:水本光)
(編集:村崎恭子)
(プロジェクトマネージャー:北川由依)