「働く」で社会を変える求人サイト「WORK for GOOD」

greenz people ロゴ

いのちと土をめぐる対話。藤井一至さんと中村桂子さんが語る、生きものとしての人間の未来

かつてないほどに、テクノロジーが発達した時代。ロボットが食事を運んだり、AIが瞬時に通訳したり、国によってはハンドルに触ることもなく、自動運転での移動も一般的なものになりました。

しかし現代の最新技術をもってしても、絶対につくれないものが2つあるそうです。それは「生命」と「土」。どちらも非常に大切で、根源的なものであることは言うまでもありません。

「今度、中村桂子さんとおしゃべりできることになったんですよ」

そう連絡くださった藤井一至さんは、以前、不耕起栽培に関して広い視点を与えてくれた土の専門家です。そして中村桂子さんといえば、人間を含めた生命の歴史全体を捉えて探求する学問「生命誌(せいめいし)」を興した専門家です。奇しくも「生命」と「土」の専門家がおしゃべりする場に、greenzも同席できることになりました。

意外にも初対面というおふたり。一体どんな対話をされるのでしょうか。

中村桂子(なかむら・けいこ)
JT生命誌研究館名誉館長。東京大学大学院生物科学専攻博士課程修了。理学博士。国立予防研究所を経て1971年三菱化成生命科学研究所に入り、日本における「生命科学」創出に関わる。生物を分子の機械ととらえ、その構造と機能の解明に終始する生命科学に疑問をもち、独自の学術論として「生命誌」を構想。1993年JT生命誌研究館創立に関わる。著書に『生命誌とは何か』(講談社学術文庫)『人類はどこで間違えたのか』(中央公論新社)『老いを愛づる』(中公新書ラクレ)他多数。
藤井 一至(ふじい・かずみち)
土壌学者。福島国際研究教育機構土壌ホメオスタシス研究ユニット・ユニットリーダー。京都大学大学院農学研究科博士課程修了後、京都大学博士研究員、日本学術振興会特別研究員、(国)森林研究・整備機構 森林総合研究所 主任研究員を経て、現職。専門は土壌学および生態学。カナダ極北の永久凍土からインドネシアの熱帯雨林まで、スコップ片手に世界、日本の各地を飛び回る。著書に『土 – 地球最後のナゾ 100億人を養う土壌を求めて』(光文社)『大地の五億年 – せめぎあう土と生き物たち』(ヤマケイ文庫)『土と生命の46億年史』(講談社)テレビ他メディア出演多数。

自分で考える力がつく。
知るべきは「株」よりも「カブ」

今回のきっかけは藤井さんが書籍『土と生命の46億年史 土と進化の謎に迫る』をお送りし、中村さんから丁寧な感想を受け取ったことにあります。「お話ししてみたくて、遊びに行ってもいいですか?と聞いたら快く受け入れてくれました」と、藤井さん。ありがたいことにgreenzもお誘いいただき、この取材が実現しました。

中村さんは長年、生きものを研究しながら、近年では特に「土」に関心を寄せているとのこと。この日は北海道から戻ったばかり。各地の小学校との取り組みから感じていることを教えてくれました。

藤井さん 北海道は、どんな目的で行かれていたんですか。

中村さん 実は20年近く、福島県の喜多方市で、小学校「農業科」という授業に関わっているんです。それをモデルにして、昨年から北海道の美唄(びばい)市でも農業科が始まりました。子どもたちが農業しているのを見ていると、食べ物をつくって暮らすことは、人間の原点だと感じますね。

藤井さん 小学校って、そういう特別な授業の設定が難しくありませんか。僕も土に関する講演に呼んでいただくことがあるんですが、学習指導要領なりカリキュラムに「土」というものが存在しないので、講演の理由づけに先生方が悩むそうです。

当初、中村さんに会えたら「人生相談とかしたい」と言っていた藤井さん。はたしてどんなお話をされるのか

中村さん 本当にそうなんです。子どもたちの授業は予定が詰まっていて、農業科は総合の時間で年に13回、つまり月1回程しかないんです。でも子どもたちはずっと作物のことを考えていますから大丈夫。そもそも「農業科」が始まったきっかけは、20年くらい前の、ある会合なのです。

会合では、これからの子どもたちの教育に必要なものが話し合われました。官庁や財界、学者などが集まり、そこで「これから大事になるのは、英語とコンピューター」だという話になったんです。もちろんどちらも大切ですけど、それで本当に人間が育つといえるのか、わたくしには疑問でした。子どもたちがコンピューターに詳しくなるとどうなるんですか?と聞くと、「経済とか株に詳しくなる」とおっしゃるんですね。

そこで、「株よりも、畑のカブを知る方が大事だと思う」とつぶやいたんですよ。それを聞いていらした日経新聞社の方からお声がけがあって、後日その疑問を新聞に書くことになりました。それを読んで受け止めてくださったのが、当時の喜多方市長だった白井英男さんです。その後、喜多方市では2007年から、農業科として授業になりました。

藤井さん どういう授業をされているんですか。

中村さん 田植えや稲刈りの体験型授業は、よくありますよね。そういう体験も大切だと思いますが、子どもたちはすぐに忘れてしまいますし、翌日には日常に戻ってしまうでしょう。そうではなく、一年中考えていることが大事だと思いました。作物は生きているんですから、日々の関わりが必要だと思ったんです。

最初は政府から小学校農業教育特区の認定を受けて、今は総合科になっています。それはもうとんでもなく大変なことだったと思いますが、市長も教育委員会も、先生方や保護者の方も尽力くださいました。さすがは会津、根性がある、と思いましたね。

30年ほど前からお住まいというご自宅に受け入れてくださった中村さん。木々がいっぱいのお庭も見せてくれました

藤井さん 子どもたちにはどんな影響が見られますか。

中村さん 本当に素晴らしくて、自分で良く考える子が育つんですよ。子どもたちの感想文を見ているんですけど、それぞれの視点がよくわかります。農業を通して、社会を見るようになるのね。自分で育てたものをお母さんが喜んで食べてくれた嬉しさや、同じ野菜をさらにおいしくつくる農家さんへの尊敬、お店で売っている野菜の値段など、いろんなところに意識がつながるようです。そうした子どもたちを見て、当初3校で始まった取り組みが、今は市内17の小学校で取り組むようになりました。

なので、各地から教育関係者の視察もいっぱい来るんです。そしてみなさん「素晴らしい!」とおっしゃるんだけど、持ち帰っても実現できたところはありませんでした。それがやっと、喜多方以外で始まったのが北海道の美唄市なんです。今回お邪魔した時は、子どもたちが稲づくりをお芝居にして見せてくれました。全員が思いを込めての作品で素晴らしかったです。

美唄市の農業科で使う本の制作に関わり、表紙に「あなたが生きものであることを学ぶ農業」という言葉を書いてもらいました。自分も、作物も、どちらも生きもの。自分が命令して作物が育つわけじゃありませんよ。一緒に育って嬉しいね、と感じることで、生きものとしての私を思い出すんです。だって今の社会は、生きものとしての感覚をもつ機会がとても少ないでしょう。スマホと向き合う時間が長くて。

自分も生きものであることを知れば、お友だちにどう接したらいいのか、地球はどうなっているか、生きもの同士はどうあるべきか、自分で考えられるんですよ。環境問題について考えましょうと言うだけじゃなくて、わたしも環境のなかの生きものだと気づけば、自分で考えられることだと思います。

藤井さん 中村さんが「株よりカブを」と言ったことからの広がり方がすごいですね。喜多方市や美唄市のように、農業が盛んなところでもそれだけ子どもに良い影響があるなら、田畑が少ない都会でもそういう取り組みがあってほしいです。もっと難しいでしょうけど。

中村さん 本当にそう思います。大きな人物になるような、そんな感じがするの。

藤井さん 失敗を経験することも大切ですもんね。最近は子どもたちの夏休みの自由研究でも、情報がインターネットに出回っていて、この通りにつくれば結果が出せます、という感じのマニュアルみたいな方法を選ぶ人も多いですから。

中村さん そう、マニュアルじゃないことに取り組む。農業のそういうところが本命だと思いますね。ただわたくし農業は素人ですから、こうしたきっかけで勉強しているうちに、もうぜったい、これからは土だ、土しかない!って身にしみて感じるようになったんです。その頃ちょうど藤井さんのご活躍を知ったんです。それまでこういう研究をされている方っていませんでしたよね。本も全て拝見して、土も藤井さんもすごいなあ、と思いました。

質問や対話が途切れないおふたり。時々まるで子どものように、好奇心が前面に出てくる瞬間があって微笑ましかったです。藤井さんは、ご自分で集めた世界12種類の土を持参

科学は土の声を聴けるのか。
土の研究も変化する

中村さん 土のことは少しずつわかってきたわけですよね。農業でも、耕す方がいいとか実はそうじゃないとか、ミミズがつくる団粒構造とか、聞くことが増えました。それぞれの主張やこだわりも大事ですが、サイエンスの視点からも、良い土に関する提案は出てくるのでしょうか。土の目線で、適した作物や農法が決められるようになるといいなぁと期待しています。

藤井さん そうですね。いまだに世界中でいろんな農法が乱立しているなか、最近のサイエンス誌では、いろんな農法をハイブリッドに組み合わせることが良い、と言ってますね(参照)。ひとつのやり方にこだわるとか、化学肥料だけに頼るのではなく、有機物を活かしながら、困った時には適宜資材を使うのが良い、と。2025年にようやくそんな論文が出るレベルなので、今も意見は割れているのが現状です。

僕もときどき、この土を調べて何を育てるのがいいか、と結論を求められることがありますが、今はやはり、その土地で試行錯誤した人が最適解を持っていると思います。属人性や地域の依存性があるのは、農業の悩みであり、難しさですね。

お庭の一角には藤棚。地域のオープンガーデンとしてボランティアの方々が管理している他、中村さん自身で草刈りすることも

藤井さん 昔は土よりも作物の品種改良が主役でした。肥料などを十分にやった理想的な条件で品種改良して、途上国でたくさん収穫できるようにするとか。1950年代頃は、緑の革命と呼ばれたりして。でも実際には、土が違うし、水分量も違っていて、アフリカでは思ったようには育たない、ということも少なくなかったと思います。

そのため最近では、もともとの環境でもタフに育つ作物をえらぶ、という傾向が出てきました。そこでやはり、土の問題になりますね。科学や団粒構造、微生物の専門家など、土壌の関係者と育種家が協働できることが理想的だとは思いますが、現実はなかなか難しいです。

ただ少なくともこの20年の進歩はすごく大きいので、次の20年で何が起こるか。期待もあるし、置いていかれないだろうかという怖さもあります。あまりにイノベーションが早すぎるので、数年放置していたら本当に置いていかれてしまうでしょう。

「この中、ミミズがいっぱいなの」と見せてくれたのは、落ち葉や抜いた草を入れる落ち葉溜め。どれくらいで葉っぱが減りますか?など興味津々の藤井さん

DNAの不思議に
出会った学生時代

藤井さん 以前に読んだ中村さんのインタビュー記事で、「権力からの解放が大事」という話をされていたことが印象的でした。日本では例えば、1960年の安保闘争や、70年代の学生運動など、圧倒的な権力と対立した人たちのなかに有機農業をはじめた人も多かったと思います。中村さんはその頃、どんな風に過ごされていたんですか。

中村さん その頃わたくしはもう大学院生でした。1959年に大学を卒業していますので、大学時代は静かな時代だったと言えますね。デモには行ってみたいと思ってました。一度、大学の授業料の値上げ反対デモで歩いたことはあるんですけど。

藤井さん そうなんですね!サイエンスに進むことは決めていらしたんですか?

中村さん 高等学校時代の化学の先生がとても魅力的な女性だったので、先生みたいになりたいと思いました。別に化学が大好きというわけではなかったんですが、当時もっとも夢のある学問は化学だったんですね。少し前にナイロンが誕生して、これからは化学だ、とみんなが思っていた時代です。

大学3年生で物理化学を取ったら、先生が「DNAというものが見つかった」と見せてくれました。それがとっても印象的だったんです。二重らせん構造の物質なんて見たことがない、それが体のなかにあるの?って、信じられなくて。ちょうど大学の五月祭があったので、クラスメートを誘って、竹ひごと紙粘土でDNAの模型をつくりました。いま考えるとあれはきっと、日本で最初のDNAモデルだったんじゃないかしら(笑)。

中村さんの自家製チーズケーキ、さっぱりしていて大変おいしかったです

藤井さん まだ海のものとも山のものともわからないものを選ばれたんですね。

中村さん DNAに関してまだ誰も何もわかっていないということが、面白くて仕方なかったですね。それほど強い信念があったわけでもないですし、化学に進んだ同級生たちからは、今進歩中の化学を止めてDNAや生きものに移るなんてバカだなあと言われましたけど。でもとにかく面白くて、DNAをやりたい!って思ったんです。ですから当時は、農業への関心はありませんでした。

権力からは離れて、自由であれ。
信念を形にする3つのポイント

藤井さん 「権力からの解放」で言えば、大学をご卒業後、DNAもそうですけど、お金のかかるゲノムの全盛時代が来るわけで、そういう時に権力に擦り寄っていこうと思うことはなかったですか。

お庭で一際目をひいたブラシノキ(金宝樹)。お土産に「一個もらっていいですか?」という藤井さんに「たくさんどうぞ」と中村さん

中村さん 権力に近寄って歪みが起きる例を見るとそうなります。ただね、何か嫌なことがあったとか、対立をしたいということではなく、わたくしが大事だと思うことはたいてい、権力とは違うところにあるのです。

ゲノムは、わたくしにとってとても大事な研究対象でした。生命科学の分野だと、ゲノム解析で病気を治そうとか、その結果を科学技術に回すことが優先されますが、わたくしはもっと、生命や自然を深く問うことにいかしたい。「生命誌」という独自の取り組みを始めていたので、ゲノムも包括的に研究することが必要でした。生命誌は、生命の歴史を読み、理解する、総合知の試みですから。

生命誌研究館ができたのは1993年ですが、1980年代には構想をし始めていたんです。転機になったのは、1985年につくばで科学博覧会が開催されることになって、テーマである「人間、居住、環境と科学技術」の「人間」を任されたことです。そのために5年以上考えて出した答えが、生命誌研究館をつくることでした。

その時本当は、5年も掛けずに簡単に書けた答えもあったんです。「人間にとって科学技術はとても大事です。しかしいろんな問題もあります。倫理や道徳、制度などを考えて、上手に使っていかなければいけません」といった、生命科学的で、優等生の答えはすぐ書けましたから。もしもあのまま提出していたら採用されていたと思います。でも、それだけは嫌だったんです。言葉にできるまで時間が掛かったとしても、優等生の答えでは進めちゃいけない、ぜったいにやりたくない、と思いましたね。

DNAは画期的だが、それだけで多様な生きものの全体性は説明しきれない、として「生命誌」を立ち上げた

藤井さん そうなんですね。私たち研究者のあいだでも、「沖縄に生態学の研究所があるといいな」「土の研究所もあるといいな」とか夢を話し合うんですけど、でも言い訳しがちというか、全然実現できないですよね。

中村さん それはね、思いが足りないのよ。事を成すのは、やっぱり思いの力ですね。思いが足りないとできないし、思いがないのに始めたらそれは意味がないですから。

わたくしが仕事で大事にしていることは、3つです。自ら本質を問うこと。時代認識を持つこと。そして、権力に近寄らないこと。生命科学に疑問をもったとしても、対立して戦うのではありません。対立しても意味がないと思います。生命誌は、生命科学を踏まえてより広がりをもつ知として考えています。

藤井さん 人間が本来すべきことは何かを考える、ということですね。ご著書の『人類はどこで間違えたのか』のなかでも、AIが人間を凌駕するような考え方には問題意識があると書いていましたね。

中村さん だって人間の基本は、生きものであることですから。これ見て。ずっとつくりたいと思っていたDNAの絵本が最近出たんです。この、DNAの二重らせん構造。

中村さん DNAは情報ですし、コドン(遺伝暗号)はまるで暗号よね。これが40億年前に、どうして海の中で生まれたの?不思議でしょう?

藤井さん 不思議ですよねえ。

中村さん 不思議すぎる。この不思議さを感じないまま、情報を意のままにできるかの如く考える社会をつくっていてはいけない、ということを強く思っています。

藤井さん 研究者として、こういう対象に出会う瞬間って、貴重ですね。よく研究者は、常に発見と驚きに満ちていると思われがちですが、何十年と研究を続けても、こういうものに出会うことって数回あるかどうか。あとはもう、ずっと悶々と考え続けるのが研究者だと思います。DNAみたいに完成度の高いものがどうやって40億年前の地球でできたのかもずっとみんな悩んでる。地球外惑星から来たという人もいる。

中村さん そうね。でもわたくし、それはないと思っています。DNAは地球のなかで始まったものでしょう。こうやって、まさに悶々と、でも論理的に考え続けることで、ストーリーが生まれていくことこそ、生きものを研究する良いところだと思います。

絵本はこちら。福音館書店『たくさんのふしぎ』2025年4月号『あなたの中のふしぎ DNA』

中村さん 土もそうでしょう。30年前に土のことを研究しようとしたら、バカじゃないのかと言われたかも知れない。でも今はできる。藤井さんはなさるべきですよ。

藤井さん そうですね。技術の進歩と、若い世代がどんどんアップデートされていて辛いと思うこともあるんですけどね。若い子たちはみんな優秀で、でも僕もいつまでも最前線にいたいと思ったりしちゃうんです。

中村さん それはありますよね。でも全体として進んでいくことを楽しむのがいいんじゃないかしら。藤井さんはパイオニアでしょう。そろそろまとめる役割でもあるはず。全体像をつくっていくお役目だと思いますよ。

そうだ、面白いことに気づいたんです。高等学校で使う理科の教科書の編集をお手伝いしているのですが、物理、化学、地学、生物のうち、物理と化学はわたくしの中学・高校生時代と同じ内容なんです。でも地学と生物学は、まったく違うものになりました。どんどん変わっていく分野で、新しい学問になっていくと感じています。藤井さんも、若い世代に対して、藤井さんしかできないことをなさるのが良いと思いますよ。

藤井さん わぁ、そうか、そうですよね。すごく励まされました。

地球よりも危ないのは人間。
グリーンズからの質問

研究者同士、それも、アップデートが進んでいる分野を歩むもの同士であるおふたりの対話は、時に専門的でありながらも、終始なごやかでとても楽しそうでした。おふたりの笑顔を見ながら、未来を明るく感じる自分がいました。

最後に私からも、中村さんに質問させていただきました。それは「なぜ未来を信じていられるのか」ということ。中村さんの書籍を読んでいると、生命誌や人類に関する本に限らずどの本からも、未来を諦めていない中村さんの姿勢を感じるからです。社会不安にとらわれないためにも、中村さんの言葉で直接お聞きしたいと思いました。

中村さん 人間は、生きものでしょう。生きものって、40億年も続いてきたんですよ。そしてこれからもずっと続きます。地球は凍ったりもしたのに、生きものはずっと生き抜いてきました。これはもう、生きものの力を信じざるを得ないことです。地球が危ない、なんて言いますが、そんなことはありません。ただ、人間だけは危ないですね。

最近の技術で言えば、AIをよく考えずに使い過ぎたら、人間は劣化して滅びるでしょう。AIでは子どもを育てられない。生まれた時にはまだ何ともつながっていない脳細胞が、自ら考えることで形成されるんですから。AIで何もかもできると考えるのは、まったくの傲慢。このままいったら滅びてしまうと思います。AIは、エネルギーを使い過ぎですね。人間の脳とは桁違いです。

生きものがいっぱいのお庭に1日一回は出るという中村さん。この時はアリの話になり「絵本だとビスケットに集まるけど、実際はお肉の入っていたトレーやラップにワァーと集まってくるの。アリはぜったい肉食よね」

中村さん でもね、日々の生活をきちんとしていらっしゃる方々にお会いできると、あぁ、まだ大丈夫だ!って思えるんですよ。特に地方へうかがうと、きちんと地に足がついて、生きものとしての感覚を失わずに生きていらっしゃる方がたくさんいらっしゃるじゃないですか。上手に暮らしていらっしゃる方にお会いできると、心が洗われるように感じます。そういう方々がいる限り、大丈夫!

テクノロジーは便利なのでわたくしも使いますけど、でも、本質的には人間の方が強くて頼もしいですよ。人間はAIのように大量のデータを記憶することはできないので、AIはAIでがんばって、土や生きものという複雑な対象をよりよく理解するためにはたらいてほしい。でも、人間はデータで生きているわけではありません。わからないことがある人生は、楽しいものですよ。

(撮影:廣川慶明)
(編集:村崎恭子)