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紛争地サラエボからの声に応えて実現した、U2の伝説的ライブ。音楽と平和を求める人びとの熱い思いを記録した映画『KISS THE FUTURE』

日本では、ミュージシャンが社会問題について発言すると、批判を受けることが少なくありません。けれども、音楽という表現手段を用いるミュージシャンが、政治など、社会で起きていることに対して意見を述べるのは特別なことではないでしょう。

ドキュメンタリー映画『KISS THE FUTURE』では、世界的なロックバンド・U2が、ボスニア紛争に苦しむサラエボ市民に心を寄せ、その地でライブをすると約束します。紛争の終結後、ようやく実現した伝説的なライブまでの歩みを記録したこの作品を通して、音楽を介してひろがる人のつながりや平和への強い願いを、改めて感じてみませんか。

紛争下で生きるということ。音楽や芸術を楽しむことがもたらす意味

ユーゴスラビア社会主義連邦共和国の解体にともなって、旧共和国内の各国で相次いで独立の動きが起きました。スラブ系ムスリム人やセルビア人、クロアチア人らがともに暮らしていた多民族国家であったボスニア・ヘルツェゴビナでも、1992年から1995年にかけて、独立をめぐって紛争が勃発。この紛争では、セルビア人勢力によって凄まじい民族浄化が起きるなど、死傷者20万人、難民・避難民200万人もの犠牲を生みました。”民族浄化”とは、ある民族集団が特定の地域から他の民族を強制的に排除しようとするものです。

紛争中、独立に反対するセルビア人と彼らを支援する軍隊によって、首都サラエボは包囲され、激しい攻撃にさらされます。映画には、スナイパーによる狙撃を避けて、仕事や買い物に向かう人たちが映し出されています。けれどもインタビューでは、日常と隣り合わせに命の危険があるなかでも、生活を楽しみ、人生を彩ることを忘れなかった市民の姿勢に触れることができます。

© Vesna Andree Zaimovic

地下のクラブでロックバンドの演奏に心と体を揺らし、美しい舞台に胸を躍らせ、音楽や芸術を楽しみ続けました。それは、ギリギリの環境で生きる自分たちが正気で生きるために必要な行動であると同時に、ささやかな、けれども大きな意味を持つ抵抗でもありました。戦火の中という特異な環境で耳にする音楽は、特別なエネルギーを与えてくれたはずです。

そんなサラエボで人道支援活動をしていたビル・カーターは、紛争下のサラエボの現状を広く世界に知らせるために活動するなかで、世界的な人気を誇るU2を招聘することを思いつきます。そうは言ってもU2が相手となると、コンタクトを取ることさえ容易ではありません。けれども彼はあきらめることなく、どんどん行動を起こしていきます。そして、ボーカルのボノに直接インタビューするところまでこぎつける展開には、ハラハラしつつも、ワクワクせずにはいられません。

枠にとらわれないビルの前向きな思考は、重苦しい紛争下にあって、一見楽観的すぎるようにも見えます。けれども、想像力の大きさは可能性の大きさであり、ひいては手繰り寄せる未来の大きさです。彼の姿勢は、信念を持って突き進むことの大切さを教えてくれるようでした。

世界的ロックバンド・U2の行動の背景とその姿勢

ただ、サラエボでのコンサートの約束を取り付けてはみたものの、紛争下へ世界的なロックバンドがやってくることは、残念ながら現実的ではありません。そこで、ビルとU2のメンバーらは、次の手を繰り出します。

© Bill Carter

紛争中のサラエボでのライブができない中でU2は、ワールドツアーの各会場とサラエボを中継でつなぎ、サラエボ市民の生の声を届けるという計画を実施。それは封鎖されたサラエボの人びとにとって大きな意味のある計画でしたが、U2は自ら取りやめることにします。各会場で実行に移すにつれ、ボノは、ライブの場でサラエボ市民の生の声を届けることを「リアリティショーみたいだ」と感じ、紛争の被害者をメディアが取り上げることに伴う、ある種の暴力性に気づいたのです。世界的ロックスターが、人の尊厳に対し真摯であろうとする姿に胸を打たれました。

U2がここまで協力的であった背景には、彼らの出身地がアイルランドだということがあります。アイルランドではカトリックとプロテスタントが宗教的に対立し、イギリスと北アイルランドの間には領土問題がありました。ときに市民の血が流れることもある厳しい現実を、U2は楽曲にし、ときに社会問題や人権に言及するほか、チャリティーにも積極的に参加しています。同じヨーロッパで起きている悲劇に対し自分たちにできることをしようとするのは、まさにU2らしい姿勢です。

奇跡が起きた特別な夜。人びとは音楽に酔いしれ、未来をみつめた

1995年10月、NATOの介入により、戦闘は終結。映画では、当時のアメリカ大統領であるクリントンのインタビューなども交え、平和を実現することの難しさを伝えてくれます。

© 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

映画のクライマックスは、紛争後ようやく実現した、4万5000人もの観客を前に行われたU2のライブシーンです。破壊されたスタジアムが整えられ、大量の機材やステージセットが運び込まれ、封鎖されていたサラエボにたくさんのスタッフがやって来ます。そんな光景を目にした市民が心から平和を実感していることが、スクリーンからダイレクトに伝わってくるようでした。

観客が熱狂しているのは、U2という世界的ロックバンドに対してではありますが、それ以上に、音楽を思う存分楽しめる平和な時間に対してであるように映りました。「キス・ザ・フューチャー!(未来にキスを!)」というボノの叫びは、戦争で傷ついた人たちに、敵味方なく、ともに明るい未来へ向かおうという力強い呼びかけとして響きます。

奇跡の一夜は、もとはと言えば一人の男性の思いつきでした。ビルが強い思いを抱き続け、大胆に行動に移したからこそ、この夜があったのです。シリアスでドラマチックな映画において、ビルの存在が放つ強烈なまでの明るいパワーは、光そのものでした。

© 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED

この映画の撮影準備中に、ロシアがウクライナに侵攻し、公開半年後にはガザ地区でハマスへのイスラエルによる報復が始まりました。いまでも、当時のサラエボのように死と隣り合わせで日々の生活を送っている人たちがいます。国連がジェノサイド認定した状況にあり飢きんが広がるガザでは、もしかすると音楽や芸術は力を持たないかもしれません。

それでも、戦争を始めたのも人間であれば、終わらせることができるのも人間です。人を傷つけるのも人間であれば、癒すことができるのも人間です。ビルやU2のメンバーは、それぞれの立場で、許してはならない現実に立ち向かい、声をあげ、行動しました。たとえすぐに現実を変えられなかったとしても、その思いは力となって、人びとに届き、きっと力を与えてくれるはずです。分断がますます深まっている世界だからこそ、分断を乗り越え、修復してきた歴史に触れたい。それこそが、未来を信じる力になると思うのです。

(トップ写真:© 2023 FIFTH SEASON, LLC. ALL RIGHTS RESERVED)
(編集:丸原孝紀)

– INFORMATION –

映画『キス・ザ・フューチャー』

2025年9月26日(金)キノシネマ新宿 ほか全国順次ロードショー
監督:ネナド・チチン=サイン
プロデューサー:マット・デイモン、ベン・アフレック、サラ・アンソニー
登場人物:クリスティアン・アマンプール、ボノ、ビル・カーター、
アダム・クレイトン、ビル・クリントン、ジ・エッジ他
制作:Fifth Season 配給:ユナイテッドピープル
2023年/ドキュメンタリー/アメリカ・アイルランド/103分