「昔は、“ごみ”っていうものがあってねえ…」
いつか、そんな話が聞かれるような日が来るとしたら…。夢みたいな話かもしれませんが、日本には、本気でそんな世界を実現しようとしている企業があります。
それは、埼玉県入間郡三芳町にある石坂産業株式会社。「循環をデザインする」というビジョンを掲げ、減量化・リサイクル率98%を達成する再資源化事業やごみを出さない仕組みづくりや里山の環境再生、オーガニックファームの運営にも取り組んでいます。
産業廃棄物中間処理の会社として1967年に創業した石坂産業の事業スタイルを大きく変えたのは、2002年に創業者である父親から事業を引き継いだ代表取締役の石坂典子(いしざか・のりこ)さん。産業廃棄物の処理から資源の循環へと舵を切り、さらにその先のリジェネレーションを目指す想いを、石坂さんに語っていただきました。
ごみを処理することは、悪なのか。逆境からの社長就任
もともとは、会社を継ぐことは考えていなかったという石坂さん。当時はネイルサロンを開くことを考えていた石坂さんは父親から、開業資金を稼ぐならと石坂産業で働くことを勧められ、1992年に入社。そして、事務の仕事を続けてきた1999年、埼玉県所沢市周辺の農作物がダイオキシンで汚染されていると報道され、大きな騒動に。実際には誤報だったのですが、地域の農家は風評被害を受け、その怒りの矛先は周辺の産廃業者に向かいます。石坂産業ではその数年前からダイオキシン恒久対策炉を導入していたのですが、大きな煙突から煙を出していたことから、地域住民より激しいバッシングを受けることになります。
石坂さん 廃棄物を処理することが許されないなんて……とショックを受けて、この企業の存在意義って何なんだろうと自問自答する日々が続いたんですね。それで、父に素直に、創業の想いを聞いてみたんです。すると父は、こう答えました。「土木をやっていて、ごみを全部埋立地に持っていく仕事をしているときに、まだ使えるものだってあるのに、何でもかんでも埋めてしまうことに違和感を感じたんだ。目先のことばかりしか見ていないじゃないかって。それで、ごみを出さない社会をつくりたいと思ったんだ」と。
それを聞いたときは、しびれましたね。でも、その一方でこうも思ったんです。その想いは、今のままではきっと誰にも通じないだろうなと。だって、地元ではみんなが、やめろやめろって反対運動してるんですから。だから、私がその想いを継ぐんだ。そう覚悟を決めました。
逆風の中ということ、そして当時は男性社会だったこともあり、父親は会社の経営を継ぐことに反対。しかし、仕事を通して見せた強い意志が認められ、石坂さんは2002年に代表権のない社長に就任します。社長になってまず着手したのは、廃棄物の焼却処理から再資源化へと事業を大きくシフトし、労働環境を改善することでした。
石坂さん 父は家の玄関に「技術を貫く 石坂産業株式会社」と書かれた大きな看板を掲げていました。子どもの頃は意味がわからなくて恥ずかしいなあと思っていたんですけど、社長になってみると、それが、ごみのない社会をつくるために何より大事なことなんだと思えるようになりました。まずは、資源を再生させるための技術をアップデートしていく。そして、その技術を担うのは社員だから、働く環境も変えていくようにしたんですね。
情報も現場も、オープンにしよう
当時、廃棄物処理の現場は過酷でした。ダンプカーでどんどん積み込まれるごみの山。屋根もないところに食品残渣から衣類のくず、自転車などが山積みになっていて、雨が降ったらカッパを着て危険な作業を行う……。そんな環境では、ごみのない社会をつくるのは難しいと考えた石坂さんは、多くの社員が「労働環境の改善なんかで儲かるのか」と反対する中、年商の倍ほどの投資をして、廃棄物処理工場を屋根のあるクローズ型の再資源化プラントとして建て替えます。
石坂さん まずは、働く人を守りたいということで、全天候型の再資源化プラントにしようと。そして、作業で発生するホコリなどが外に出ないようにして、地域の方のご迷惑にならないようにしようと。でも、作業工程の改善も含めての、これまでにない設計だったものですから、最初はどうしてもトラブルが起きるんですよね。
トラブルをゼロにするために石坂さんが取り組んだのは、情報の透明化。作業における課題はもちろん、経営や人材育成に関する課題もオープンにする。乗り越えるべき壁を共有すると、改善に向けたアイデアをもつ社員がイニシアチブをとって動く。ビジョンも組織に浸透することにつながり、徐々にみんなで取り組もうという動きが生まれていきました。
透明化という発想は、社内の情報にとどまりません。「ごみのない社会をつくる」という想いを、どのようにして具現化させているのかが見えるように、再資源化プラント内には見学通路が設けられていて、たくさんの社員がごみを資源に変えていくプロセスが学べるようになっています。今や、プラントの見学には国内外から年間約6万人もの人たちが訪れます。
石坂さん 毎日どれだけたくさんのごみが出ているのか、それを再び資源にするのはどんなに大変なのかって、いくら説明しても理解できないものなんですよね。だから、再資源化プラントを見学してもらうことはとても意味があります。見学される方への説明は、自社を深く知る機会として新入社員が担うことも多くなっています。
ごみの山を、再び、美しい里山に
情報や現場の透明化は進みましたが、それでも、地域の人たちから「産廃屋」「ごみ屋」と呼ばれたり、ボランティアでごみ拾いをしても「ごみを撒き散らしているんだろう」と言われたりすることが続きました。もっと地域への透明化を進めていかなければならない。そんな想いでチャレンジしたのが、隣接する里山の再生でした。
石坂産業がある三芳町は、その昔、三富(さんとめ)と呼ばれる地域でした。もともとは痩せた土壌の原野だったところを、江戸幕府の5代将軍徳川綱吉の側用人だった柳沢吉保が木を植え、畑を耕し、里山にする取り組みを始めたと言い伝えられています。
たくさんの生きものが共生していた豊かな里山も、農業を営みながら暮らす人が少なくなった戦後からは手入れがされなくなって荒れはじめ、森は鬱蒼とし、いつの間にか不法投棄の温床に。いくらごみを取り除いても、すぐにごみが捨てられ、散乱する。そんな状況が日常化していることが地域の課題になっていました。
石坂さん 地域への透明性って、どうすればいいんだろうと考えたときに、今で言うコミットメント、つまり、責任や約束を目に見えるかたちにすることが大切なんじゃないかなと考えたんですね。「ごみのない社会をつくる」というコミットメントを伝えるためには、ごみを拾うのではなくて、そもそも、ごみが捨てられない環境を整えていくべきだと。そこで、本社周辺の荒廃していた里山を保全再生し、武蔵野の美しい雑木林の景観を取り戻す「くぬぎの森 里地 里山プロジェクト」を、2010年から始めたんです。
不法投棄されたごみを拾い、落ち葉を掃き、下草を刈る。大きくなりすぎた木を切り落とし、足りない木を植える。そうした作業を繰り返しながら、石坂さんは地域の生物多様性、そして歴史や文化について学びを深めていきました。
里山の再生が進むとともに地域に共感が広がり、多くの地主さんに土地の管理を委ねられるように。石坂産業の敷地面積はいまや東京ドーム約4個分にもなり、その8割が森林となっています。再生された森は「三富今昔村」として一般客に開放され、里山の暮らしを体験できるサステナブルフィールドとして多くの人が訪れています。
三富今昔村では、里山に生息する植物や生きものを知るガイドウォークや里山の暮らしを体験しながら学ぶ里山体験プログラムなど、多彩なプログラムを開催。オーガニックの固定種の野菜をたっぷり使ったフードが味わえるレストランやカフェ、パン工房、太陽光で走るミニSLが楽しい広場など、ふらっと訪れても楽しいフィールドになっています。
有機物の大切さを実感できる場を、みんなに
石坂さん 里山で活動していると、いまの社会で失われているものと、地域のみなさんが守りたいものがより見えてくるようになりました。そんな中、「うちの農地を使ってくれないか」という声が寄せられるようになったんですね。地域の課題として、都心に勤めに出る人が増えて、耕作されない農地が増えてきたことがあります。その一方で当社としては、廃棄物を資源として再生させた後にどうしても残ってしまう“土”の活用という課題がありました。地域と会社の課題に対するひとつの答えとして立ち上げたのが、オーガニックファームです。
新たに農業を手掛けるために、近隣の農地を約6000坪も購入して2016年に立ち上げたのが、農業生産法人「石坂オーガニックファーム」。地域で受け継がれてきた武蔵野の落ち葉堆肥農法を大切にしながら在来の固定種を育てることができる体験農園を中心に運営しています。
石坂さん 私たちが扱っている廃棄物には、本当にいろいろなものが混ざっています。プラスチック、木くず、紙くずと、プラントでミリ単位に分けていくんですけど、どうしても最後に土が残るんですね。業界では、この土を薬剤で処理して無機物にして埋めるのが一般的です。でも、私は有機物が入っている土を無機物にしてしまうことに疑問があったんです。そこには、有機物という命があるわけですからね。どんな命も、循環させていきたい。そう思って2016年から3年ほど、残った土で作物を育てられないか研究したんですよ。すると、肥料を少し使ったら、味の面でも栄養の面でも、問題がない、みずみずしいトマトができた。
でも、私たちは野菜をつくって販売したいわけじゃなくて、有機物が残る土をいかした循環をつくり、循環の豊かさを伝えたい。それで、三富今昔村のレストランやカフェ、社員食堂で使う食材をオーガニックで栽培するのはもちろん、土づくりや野菜づくり、コンポストなどを通して循環を楽しむ、会員制の体験農園も展開することになりました。
使わなくなって一度捨ててしまえば「ごみ」となり、たとえ資源として再生される部分はあっても、残った部分は薬品で処理されて埋められてしまう。どんどん消費して、どんどん捨てて、どんどん埋めていく。そうして、循環の輪から外れるものをどんどん生み出していく…。こうしたあり方は、コスト的にも環境的にも、いつまでも続けられるものではありません。そして、何よりも、もったいない。
廃棄物中の有機物を生かしたまま自然環境に戻していく取り組みは、今後さらに進めていくそうです。石坂産業で再生された砕石、コンクリートガラ、瓦チップなどのリサイクル建築資材は、以前greenz.jpでご紹介した「有機土木協会」の高田宏臣さんのフィールドへ施工材料として供給しています。「有機土木®︎」とは、伝統的な民間土木の知恵を継承し、土中環境を傷めずに安定させる土木工法のこと。木や落ち葉、石、藁、炭など、生きもの由来の有機物や自然の中の無機物を資材にして工事をします。
石坂産業の敷地内でも、有機土木の手法が用いられています。
石坂さん たとえば駐車場だったら、一般的には重機でコンクリートを流し込んじゃいますよね。雑草が生えたら除草剤をまく。でも、うちは有機土木で整備して、草も手で抜いています。そのありがたさって、正直、すぐに伝わるもんじゃないと思っています。でも、それが何十年、何百年とたったら、ほっとするような心地よさをもたらしてくれると思うんですよね。寺社仏閣とかの敷地に入って、なんか気持ちいいってあるじゃないですか。それも、有機物の循環がもたらしてくれてる安心感なんじゃないかなと思うんですよ。
捨てたものがごみとなり、見えないところに行ってしまうと、私たちは世界からなくなったように錯覚してしまいがちですし、そもそも汚いもの、危ないものとして存在そのものを消してしまいたいと思ってしまうことがあります。でも、ほとんどのごみは、もともとは私たちの暮らしとともにあったもので、そこには有機物という命が息づいているかもしれない。石坂さんは、そのことを循環の体験を通して伝えていこうとしています。
石坂さん 有機物の大切さというのは、短期的に目に見えるものではないので、伝えるのが本当に難しい。だから多くの人が土に触れて、そこで野菜を育てて微生物の力を実感したり、できたものを口にして生命力を味わったりできる体験を届けていきたいんです。地元で何世代にもわたって自家採種されてきた固定種の野菜の栽培を、種採りから収穫まで楽しめる。野菜くずや雑草をコンポストで堆肥にするプロセスを体感することで、循環の大切さも実感とともに学べるようになっています。
どんなものにも価値を見出すことを追求する
ごみをきれいにしようとか、ごみを出さないようにしようというだけで終わらせず、全てがつながっているということを伝えたい。ごみとして循環を終わらせてしまうことは、自分たちの生きる環境を失っていくことにつながっていく。石坂さんは、ごみのない社会のあり方を、再生のためのひとつのカギだと語ります。
石坂さん うちにいる植物の専門家がリサーチしたところ、石坂産業の敷地には口にできる草が100種類以上もあるそうなんです。「雑草」って言われている草たちですよ。そんな草をお茶にして三富今昔村のカフェで提供したり、レストランの食材にしたりしています。つまり私たちは、価値がないと思われているものにも価値を見出すことを、事業のあらゆるところで追求しているんです。そういう意味で、サステナブルというよりも、再生、リジェネレーションという考え方の方がしっくりくる。今の状態を維持していくというよりは、より良くするために、より良い社会、より良い経済、より良い地球環境にするために行動しようと。
石坂産業では、かつて自治体の清掃工場だった場所を「逆開発」という発想で里山に戻していく取り組みもスタート。現在は更地になっているその場所にはやがて、ウォーキングエリアやパン工房などもつくられ、循環を楽しみながら多様な自然や生き物とのバランスをとって暮らすことの大切さが感じられる森を育む構想が生まれています。
石坂さん 自然環境が私たちにもたらしてくれるものは簡単には見えないけれども、触れたり、その場にいたりすることで感じられるものってあると思うんです。多くの人がそんな風に、自然な形でリジェネレーションを体感できるようなフィールドを、これから広げていこうと思っています。自然へのケアが、自分のケアにもなっていく。そんな場に育てていきたいですね。
再生への道は、競合を超えて、国境を越えて
石坂産業のこうした取り組みは、自然環境や地域のためだけではありません。長期的な視点で見ると、安定した経営にもつながります。まず、働く人たちが自分たちの仕事に誇りを持てるようになり、もっと技術を高めていこう、新しい事業を提案しよう、ずっとここで働こう、という気持ちが高まっていきます。また、廃棄物処理事業における顧客は多くが企業ですが、地域住民や来訪者からの評価が高まることで、生活者を顧客とする企業が積極的に石坂産業を取引先として選ぶ流れにもつながっていきます。
減量化・リサイクル率98%という技術、そして生物多様性に関する取り組みに関しては、競合となる同業他社としても気になるところ。実際に、たくさんの企業から問い合わせがあるのですが、石坂産業は拒むことなく、積極的に見学を受け入れています。
石坂さん 見せることで刺激しあって、お互いに高め合っていきたいと思うんです。素直に「システムを真似させてもらいます」って言ってくれたり、当社の取り組みを見て、これ以上のものをつくるぞって大きな投資をされたりする企業もあります。そうした動きを見て私は刺激をもらって、もっと尖りたい、もっと自分たちだけのチャレンジをしたいって思うんですよね。
最近では業界だけではなく、国境を越えて注目を集めるようにもなっています。海外向けのテレビ番組で石坂産業が取り上げられた際に語ったビジョンは世界で共感を集め、これまで約30カ国から約400名もの人たちが就職先としてエントリーするように。
石坂さん 当社にエントリーしてくださる海外の方は、まず自国のごみ問題への意識が高い方が多いですね。特に、不法投棄が日常になっているような国の人から、まずは自分の国のごみをなんとかしたい、そして、将来的には地球のごみ問題を解決したいという強い意志を感じます。リジェネーションを推し進めていくには、これまでにない技術やアイデアが必要になってきますから、多様な文化をもつ人たちには期待しています。
自然環境の循環に学びながら、企業としてどう再生をデザインするか
石坂さんのお話を伺っていて、気づいたことがあります。いきいきとした里山と、いきいきとした組織には、共通して感じられることがあるな、と。それはさまざまないのちが、のびのびと、それぞれのあり方を全うしていること。
みなさんも、ぜひ石坂産業の再資源化プラントで学び、三富今昔村のサステナブルフィールドで楽しんでみてください。ふだんの暮らしの中では見えにくい循環や、多様ないのちがもたらす美しさを体験できる。そんな1日がまっています。
(トップ画像提供:石坂産業株式会社)
(撮影:松井良寛)
(編集:村崎恭子)










