「週末縄文人」は、スーツ姿の「縄(じょう)」と「文(もん)」のビジネスマン男子二人が “現代の道具を使わず、自然にあるものだけを使ってゼロから文明を築く” をテーマに、ライターを使わずに火をおこし、石を削り出した斧で木を伐り、竪穴住居をつくるといった縄文時代の暮らしに挑む様子を記録したYouTubeチャンネルだ。37話を重ねる現時点で20万人以上のチャンネル登録数をもつ人気コンテンツになっている。
縄文についていくばくか知識のある筆者は、最初、週末縄文人が番組のためにつくられた企画ありきのコンテンツなのではないかと偏見を持っていた。しかし、ふたりが体を張ってトライアンドエラーを重ねていく姿を見て、考えを改めた。何よりも、河原の石を20時間も磨いて石斧をつくるとか、火がおこせるまで3ヶ月もかけたとか、膨大な時間を投じ、粘り強く挑戦している姿から、本気度が伝わってきたのだ。それは機械のない時代に硬いヒスイに穴を開けるようなことを平気でしていた縄文人の生き方を彷彿とさせた。
動画ではあまり出ていない素顔が気になって仕方がない。そこで彼らが拠点としている長野県某所の山中に、グリーンズ会員(greenz people)とともに会いに行った。
生き方への問いから始まった、週末縄文活動
待ち合わせの駅に現れたのは、縄さんだった。ひょろりとして目が大きく、髪の毛を後ろに縛り、肌は日に焼けていた。YouTubeでいつも着用しているあの一度も洗っていないというスーツは、駅前という公共の場にはふさわしくないという理由からラフなスウェット姿で現れた。
縄さんの車に乗って、山の中腹にある彼らのフィールドを目指した。車中の会話で、ふたりがもともとNHKのディレクターだったことを知った。
プロジェクトが始まったのはコロナ禍の2020年。その3年後に縄さんがNHKを辞め、翌年、文さんがフリーの身になったという。週末縄文人が書籍化されるなどし、副業を禁止するNHKの規定に合わなくなってきたからだ。就職難易度の高いテレビ局の仕事と週末の縄文活動を天秤にかけて、後者をとった彼らはやっぱり本気なのだと思った。
「週末縄文人」のアイデアは、縄さんが大学時代に在籍していたワンダーフォーゲル部での経験がもとになっている。飢えを伴う過酷な北アルプス縦走を完遂した後に、縄さんは、こんなことを思う。
住む場所も、食べるものも、病気を治すことも、何かをちょっと修理することさえ、あらゆる人の営みが、お金で買えてしまう世界。
安心安全な生活インフラ、1億という莫大な人口に1世紀近い平均寿命、それを実現させたこの国の高度な科学文明は素晴らしいものだと思う。
でもそれに長く頼ってきた結果、僕たちは単体の動物としてはかなり脆弱な存在になってはいないか、そんな問題意識を持つようになった。
(『週末の縄文人』産業編集センター刊より)
同じ頃、縄さんは戦争や大災害が起こった後の文明の再建方法について科学者の視点で詳細に書かれた『この世界が消えた後の科学文明のつくりかた』(ルイス・ダートネル著 河出書房新社刊)を読み、問題意識を強めていった。
その後NHKに入社しディレクター職についた縄さんは、“文明が崩壊した後に生きていくための技術を紹介する” 番組の企画をあたため、毎年提案し続けるも、専門家の不在や長期にわたるタレントの拘束が難しく、番組化には至らなかった。そしてこのような結論に達した。
「じゃあ自分でやってみるか」
一方、文さんは、大学では人類学を学び、縄さんと同期で入社した。ディレクターとして朝から晩まで忙しく働く中で、漠然とこんなふうに思うようになった。
(『週末の縄文人』より)
こんな世界でいいのか。こんな生き方でいいのか。ふたりのそんな問いから、“現代の道具を使わず、自然にあるものだけを使い、ゼロから文明を築く”という「週末縄文人」は始まったのだった。
縄文の神は細部に宿る
車は、林道に入り、鉄製のフェンスの前で止まった。先に現地にいたスーツ姿の文さんが、鍵をあけてくれた。優しげな目をした好青年といったところ。やはり後ろで髪を束ねている。
そこは、山の斜面を平らに整地したような場所だった。もともと針葉樹の苗畑として使われていた土地を活動に使わせてもらっているという。周囲に生えているのはマツやナラ、コブシといった樹木で、林床には笹が繁茂していた。ぽっかり空いた広場に前方後円墳のような形をした石囲い炉と、笹で葺いた竪穴住居がたっていた。
目ぼしいものはそれだけなのに、ふたりにフィールドの案内を頼んだら、木灰がいかに燃焼を助けるかという話に始まり、石器加工やかご編みのこと、カラムシで服をつくろうとしたが作業量が多すぎて途方に暮れている話など、泉のように湧いてきて止まらない。
当初、狩猟採集期の縄文時代からスタートし、農耕を伴う弥生時代、そして江戸時代をゴールとして文明を進めていく計画が、5年間も縄文時代を続けている理由がわかるような気がする。縄文の神は細部に宿るのだ。

2022年に30日かけてつくりあげた竪穴住居。屋根材の笹は部分的に補修を加えながらも、雨風をしのぐ機能を保っている。糞土師・伊沢正名さんの取材同行に続き、京都大学変人講座生みの親の酒井敏さんが参加してくれた
空の青さを教えられる前に、空の青さについて仮説を立てたい
この日、縄さんはつくりかけの土器を仕上げる必要があり、木陰で磨き作業に入った。このひと手間によって多孔質の土器の目を潰し、水漏れを防ぐことができるという。つるつるした小石で土器の内側を磨きながら、現在製作中の土器について熱く語り始めた。
縄さん 僕は、ものの形は全部実用から生まれたと思っているんですね。土器は火にかけると、外側の温度と汁の温度差で割れることがあるんですよ。だから吹きこぼれないようにするということがすごく大事で、それで今回は広口の土器をつくってみようと思ったんです。
一方の文さんは竪穴住居に入っていく。後に続いて中に入ると、3〜4人で空間はいっぱいになった。
真ん中には炉があり、火がないのに焚き火を囲んでいるような雰囲気になった。ぽつりぽつりと会話が始まった。
文さん 一人で暮らすには、ちょうどいいサイズなんですよ。縄文遺跡に行くと、大きい竪穴住居の隣に小さい住居があったりする。その小さいほうのサイズ感だなと思って。垂木もだんだん白かったのが、いぶされていい色になってきて、そうすると虫もつかなくなるし、カビも生えないんですよ。
彼らはここで寝泊まりもするのだろうか? 縄文遺跡に行くと、茅葺き屋根で復元されている竪穴住居を「笹葺き」にした理由も聞いてみたかった。
文さん 寝泊まりはたまにです。寝るときは茅を切って敷き詰めるといい布団になるんです。
屋根を笹葺きにしたのは、ここに来たときには茅が生えてなくて、周りに生えていた笹を使っただけ。でも3〜4年草刈りをしなかったら、茅がたくさん生えてきました。
最近意識しているのが、周囲にあるものを見たときに、何に使えるのかなと思うマインドを持つことなんです。石を見たらとりあえず割ってみて、これは石斧にしようとか、薄く割れるからナイフだなとか。縄文人も、とりあえず試してみたんじゃないかなって。
今は紙を切りたいときはハサミを迷わず使うし、逆にハサミがなかったら切れないねってなっちゃうけど、ないところでどう工夫するのかが生きていく面白さの醍醐味。そうやって人間は進化してきたと思うので、何に使えるのかを自分で発見しながら、道具をつくっていきたいと思うんです。
文さん 最近、僕の友人たちで子どもが生まれる人が多くて。赤ちゃんは本能的にものを投げたり、とりあえず口に入れたりしますよね。あれも、もしかしたら試しているんじゃないかなって思います。だから、子どもにこそ、僕たちがやっているような素材から探してくるようなことをやってもらいたい。
文さんの言葉には、周囲の自然を利用してきたからこその実感がこもっていた。日本では、「やっちゃダメ」という言葉に表されるように、子どもの活動は規制されることが多いし、人口の集中する都市部では素材を自由に触れる環境も少ない。若者が抱える生きづらさの根底には、自由に試したいのにそれができないことへの満たされない思いがあるのではないだろうか。
文さん 前から、漠然と生きることについて原点から向き合いたいという思いがあって。多分レディメイド(既製品)の都会で暮らしてきて、なんのために生きているんだろうとか、考えちゃう時期はありました。それがちょうどコロナ禍だったので、この文明を疑うきっかけになったというか。全部、巨人の肩の上に乗っていたに過ぎなかったんじゃないかなって。
不要不急の外出自粛が叫ばれ、一時的に経済活動が止まったコロナ禍。当たり前に享受してきた便利な暮らしの脆さを感じた人も多かったのではないだろうか。原点に向き合いたいという思いはこんな言葉からも伺えた。
文さん 最初のうちはあまり知識を入れたくなかった。知識を入れすぎちゃうと、それに従ってしまうし、やっていても面白くないじゃないですか。空の青さを教えられる前に、空の青さについて仮説を立てたいから。
でも縄文時代は実証できないことがたくさんあるので、調べても教科書通りにならなくて。そういう意味でも面白いんですよね。
生まれ変わりを体感できる竪穴住居ライフ
地面を掘り下げた竪穴住居は、物理的に地面を這う虫の視点になる。それは高層化していく都市の視点とは対極にあるものだ。そんな縄文的ライフスタイルを週末ごとに送っていると、どのような視点で世界をみるようになるのか聞きたくなった。
文さん 竪穴住居の中って火をつけたところで暗いんです。だから外に出ると、すごくまぶしくて、毎回生まれ変わったような感覚になるんですよ。
あと、ここは標高1,000mぐらいの高原地帯だから冬は寒くて、すごく静かで命の気配がなくなるんです。虫もいないので快適なんですが、3月末ぐらいに竹ひごをつくっているときに、1匹の羽虫がブーンって飛んできたんです。あっ、久しぶりに会ったなと思って。
文さん 普段だったら鬱陶しいと思っている羽虫が、その時は本当に嬉しく感じて、「お前も冬を乗り越えたのか」という気持ちになりました。どこから来たのか不思議に思えたし。長い間姿を消していた命が急にどこからともなく現れて、また消えていく。今だったら、土の中に卵を産みつけるとか科学的に説明できるけど、縄文時代にそういう知識がなかったとしたら、命がやってきてまた帰っていくところがあると思うのかなって。
昼食の時間になり、竪穴住居から外に出ると、現世に帰ってきたかのような感覚を覚えた。「ここは話しこんじゃいますね」「ほんとうに」竪穴住居の中で話したことが急に夢の中の出来事のように思えてくるから不思議だ。
木陰の下では、相変わらず縄さんが土器について熱く語っていた。
縄さん 野外で土器をつくるのは本当に大変で、雨が降ったら溶けるし、晴れていたらすぐに乾いて割れてしまう。じゃあ竪穴住居の中でやればいいかというと、暗いから細かい作業ができない。無事に焼き上がるようにという思いが強くなりすぎて、片時も目を離せないんですよ。まるで自分の子どもみたいに。
自然の中で粘土の器をつくることは、気の抜けない繊細な作業なのだとわかる。でもそれをやっている当の本人は、とても楽しそうだ。
縄さん 子どもの頃に泥団子をピカピカに磨いていたのと同じような気持ちになります。機能面も大事だけど、ピカピカになればなるほど嬉しくて、ずっと磨いちゃう。
本能は楽しい
午後は二人にお話を聞くことになった。
「週末縄文人」のYouTubeでは、試行錯誤を重ねる彼らの姿に面白みを感じる。たとえば、火おこしに3ヶ月もかかっている。忙しい都会人である彼らがなぜ枝の上で、棒をひたすら回転する作業を続けられたのか、聞いてみたかった。
縄さん 僕らには火がつかないという結論があって、なぜつかないのか仮説を立てて検証するのが面白かったし、火がつかないなりに煙が前よりも出たとか、木屑が黒っぽくなってきたとか、ちょっとした成長があって、次こそはという積み重ねが楽しかったよね。
文さん 火は、落雷などで自然発生することもあるけど、基本的にはないもの。こんなに不思議なエネルギー体を自然の中にあるものだけで生み出せたことがすごく不思議で、魔法を使ったみたいな気持ちになって。
縄さん これで、料理も、なんなら土器もつくれちゃうぜという万能感があったな。
文さん そうそう、人間としての自信みたいなものが生まれたし。試行錯誤すれば、何もなくたって、自分たちの手だけで何でも生み出せるんだなって思いました。
それに、縄文活動って本能的に楽しいんですよ。友人が遊びに来たときに、ヒモを撚ったり、石拾いを手伝ってもらったりすると、みんな子どもに戻ったみたいに楽しそうにやるんですよね。みんな無心になってやる。だから、僕らだけが変な癖があるわけじゃないと思います。
科学の時代になる前までは、江戸時代にしろ狩猟採集を伴う暮らしをしてきたわけですよね。生存するために必要なことって、本能的に楽しいんじゃないかな。
手は、細かくて言葉で捉えきれないような作業も可能にする
縄文時代の活動は、手や体をよく使う。とくに手は道具の中の道具であるとも言われ、人類が発展してきたのは、器用に動く手があったからだとも思う。ITの発達によって、私たちはパソコンのキーボードやタッチパネルばかり操作するようになり手を使わなくなっているが、実は、手を持て余しているのではないか。縄をなったり土器をつくったりする作業に没頭する彼らを見ていて思った。
縄さん 原始的な道具って基本的に手の延長だと思うんですよ。自分の指よりも小さい針穴に糸を通すのも指だし、遠心力で打撃を強くする斧もそうだし、昔の道具はだいたい手の延長にあるものですよね。
例えば黒曜石でものを切るときに、(ガラス質なので)持っている方の手も切れそうになるけれど、実際には切れないように持つことができます。ひもは締めながら撚るときれいに仕上がるのですが、ねじりすぎると切れちゃうんですね。だから切れないギリギリのところで撚る。そういうことは、手の感覚でやっているので、マニュアル化できないけど、縄文人はいろんなシーンでやっていたと思います。もちろん、今も職人と呼ばれる人たちは全然やっていることだと思うけど。
文さん テレビ番組で町工場の職人の超絶技巧を取り上げるときは、すごさを可視化するために、「わずか1ミリ」などと数字を使って表現しますが、この活動を通して、ミリ単位での調整を自分たちもやっているんだなと思うようになりました。
竹ひごを編むときに「こんな細いひごをよく均一にできますね」と言われたりするんですが、「それはみなさんも手を使えばできますよ」って毎回思います。変に数字で考えるからすごいと思うだけで、本当は手を使えばみんなできる。そのぐらい手は細かくて言葉で捉えきれないような作業も可能にしてしまうものなんだと思います。
縄さん でも最近悩むのは、経験値が上がった分、どんどん言語化できなくなってきているんですよ。動画にするときに、何もわからないままやったほうが、失敗した時の理由もわかるし、うまくいった理由もわかるんですけど、手の感覚でうまくいってしまうと、「この構造はどうやってつくったの?」って聞かれても、「気持ちいいようにやったらこうなった」っていう感じで、言えないんですよ。だから、背中で語る職人さんの気持ちがわかるというか。あれは教えないというよりは言えないんだなって。それこそ身体知ですよ。
体の感覚が優位になると、言語化ができなくなるなんて、左脳と右脳がせめぎ合っているような話だ。伝える身としては、悩ましいことかもしれないが、それは縄さんの体がこの暮らし方にしっかり適応しているということだろう。実際、縄さんの土器はとても美しかった。
自然に寄り添って豊かに暮らすには?
しかし、身体知を獲得するには、時間が必要だ。週末という限られた時間でどうやってここまでやりこんだのだろうか。実際に土器はつくり始めたら待ってくれない。
縄さん あ、やばいひびが入ってる!(土器をリカバリーしながら)いやそれはめちゃくちゃ難しいことでした。金曜日まで現代人で、土曜日の朝に「行くぞ」となっても、感覚が違いすぎてせかせかしちゃうし、深呼吸もできないし、日曜日になってようやく、作業がはかどって気持ちいいかも…となったところで東京に帰り、月曜日は朝から会議です、みたいなサイクルでしたから。
縄さん 文様付けが間に合わなくて、10時の会議の前に朝5時ぐらいから文様をつけたりとか……。終わらせないと土器が乾いてしまうので。でも会社の人からしてみれば、俺の土器の出来が悪くなるみたいなことは、知ったことじゃないですけどね。
文さん 縄文の暮らしは、否応なく自然に合わせなきゃいけないじゃないですか。土器が乾くのもそうだし、山菜を取るのもそうで。逆もしかりで、この日曜日に絶対にこの作業をしようと思っていても、自然は待ってくれないから、東京モードで行っても、もう時期を逃している、みたいな感じになっちゃう。だから、2つの時間のあり方と向き合い方は全然違うから、そこの両立は本当に難しいんですよね。
逡巡の結果、彼らはNHKを辞めた。辞めるにあたって、どんな思いがあったのだろうか。
縄さん 今でも、NHK時代に上司からずっと念仏のように聞かされ続けた「公共性とは何か」に悩みながら、縄文活動と映像づくりをしています。
僕としては、見た人にやってもらいたくて動画を配信しているんです。見た人の行動変容までを目的にすることは、NHK時代の番組づくりで学んだことですね。
縄さん それとともに、自然の暮らしに立ちかえることは、今の世の中の人にとって大事なことだと思っているんですね。YouTubeを始めて1年くらいのときに神奈川県の小学6年生が僕らの動画を見て、「火おこしがうまくできないのですが、どうすればいいですか?」という技術的な質問をしてくれたんです。すごく嬉しくなって、ちょっと迷ったけど会いに行ってアドバイスをしました。今も小学生に教えていますよ。
文さん 僕は見てくれる人が実際にやってみたということは、めちゃくちゃ嬉しいですが、やっぱり根本には、自分自身がどう生きるのかをもっと考えたり探りたい気持ちがあるんですよね。
今探っているのは、いかに縄文的な自然に合わせた時間感覚や生き方で、豊かに暮らしていけるのかなというところです。一方でお金も稼がなきゃいけないから、フリーのディレクターや翻訳の仕事などを受けつつ、ペースも含めて探っているんです。
家事とは縄文である
最後に、改めて、AIが浸透し始めているような現代において、ゼロから文明をつくる意義や意味について聞いてみた。
縄さん 自然に対する解像度がすごく上がるのが、この活動の楽しい部分なんですよね。月並みですけど、「地球に生きてるわ」という感覚になるし、つくったものに対しても愛着がわくんですよ。
僕はこの活動をやっていなかったら、粘土の塊ひとつにこんなに愛情を注がなかったと思う。だから、不便の極地に自分を放り込んでみると、逆に豊かなものがあるかもしれない。別に衣食住を全部をやる必要はないけど、土器1個でも石器1個でも磨き続けてみるとか。自分にそういう制約を課すだけで、面白い体験ができるんじゃないかなと思うし、そういう意味では、縄文人ってすごくいい先生なんじゃないかなって思います。
文さん 逆にAIに僕らの動画の情報が学習されるかもしれない。それは誇らしいことだけど、知識として分かったとしても、それは自分の見る世界を何ひとつ変えないと思うので、その知識は、もったいないなって思うんです。
やっぱり自分が時間をかけて、実際に手を動かして土器をつくったり、ひもを撚ったり、石を磨いたりといった、やってみて世界が変わる見方が変わる喜びを、味わってほしいです。それが、生きていく上での大きな喜びになると思います。
その後、greenz peopleとの質疑応答の時間になった。その中で、参加者からの「縄文活動から現代の生活に戻ったときに、違和感を感じない日常の行動は?」という質問に対する文さんの答えがとても印象に残った。
文さん 僕は家事全般そうだなと思います。今長野に住んでいるので、山菜のコシアブラを採ってきてパスタをつくるみたいな時もそうだし、ちょっとした棚をDIYするとか、布団のシーツを洗うとかも。家事って基本的に自分の生きることと直結する労働じゃないですか。使っている道具も違うし、火はすぐにつくけど、本質的な部分は変わらないんじゃないかな。
逆に僕は、この活動を始めて、かなり家事をやるようになりました。前はめんどくさいなと思っていたことが、丁寧にやれば、現代にいながらにして豊かに生きられる可能性があると思えるようになりました。
縄文時代から脈々と続くエッセンスは、暮らしの中に意外と残されているのかもしれない。まずは、周囲の自然を見回し、利用できるものがあるのか探してみるところから始めてみると、地球とともに生きている楽しさが味わえるのではないだろうか。
今後、週末縄文人の活動は、冬を越すことを目指しているという。そのためには、さまざまな準備が必要だ。縄文時代であれば、秋に川を遡上してくる鮭を燻製にするといった食料の確保が必要になってくるが、そのためには鮭が産卵しやすいように広葉樹の森が必要で、いっそのこと森づくりからやりたいとも言う。いったいいつになったら、縄文人を卒業して、次の時代に行けるのか。縄文好きとしては、もうしばらくは、縄文活動を続ける彼らの姿が見られそうで、安心している。
2020年より活動開始。YouTubeチャンネル「週末縄文人」
縄(じょう)
1991年秋田県生まれ。大学時代にワンダーフォーゲル部で過酷な経験をつむ。NHKにディレクターとして在籍中、個人活動として週末縄文人のYouTubeを企画・開始。当初は縄文にこだわりはなく、たたら製鉄あたりから始める予定が縄文の手仕事の面白さにはまり、道なき道を邁進中。現在は長野に移住し、経済メディア「NewsPicks」の動画プロデューサーとして経済番組を制作するかたわら、縄文活動を行う。夢は広葉樹の森を持つこと。
文(もん)
1992年東京都生まれ。幼少期をニュージャージー州やアラスカ州で過ごす。コロナ禍に同僚の縄さんから「山で遊ばないか」と誘われた時にどうせやるなら石器時代からやりたいと言ったことで縄文時代というコンセプトがスタート。ドキュメンタリー制作の面白さに引かれながらも、2023年発行の『週末の縄文人』(産業編集センター)では本の大部分を執筆するなど、文筆業も行う。現在は長野県に暮らしながら、仕事と経済と縄文のよりよいバランスを模索中。
(撮影:廣川慶明)
(企画:小倉奈緒子)
(編集:佐藤有美、増村江利子)
























