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リジェネレーションとは、生きている世界をどう取り戻すか。武蔵野大学屋上コミュニティガーデン「有明rooftopコモンズ」で感じる、あらゆる生きものの大いなる循環

気温上昇、台風、山火事、干ばつ……環境問題が起こり続けるなかで、「サステナブル(持続可能)」をキーワードにした対策は、これまで数多く語られ、取り組まれてきました。私自身も、危機的状況を知るたび、自分にもできることはなんだろうと考え、少しでも行動してみたり。

しかし、ふと立ち止まって眺めてみると、どれも「人間にとって都合のいい自然環境の維持」や「人間が主導する他の種の保護」の域を出ず、結局人間中心の話のように思えてしまい、なんだかモヤっとすることも。

そのなかで最近、少しずつ耳にするようになってきたのが、「リジェネラティブ(再生的)」という概念です。グリーンズでは、自然環境の再生と同時に、社会と私たち自身もすこやかさを取り戻す仕組みをつくることを「リジェネラティブデザイン」と定義し、実践者への取材を通じて、私たちが再生の担い手となるためのヒントを探っています。

そこに、グリーンズの共同代表であり、武蔵野大学工学部サステナビリティ学科准教授として「リジェネラティブデザイン思考」の研究に取り組む鈴木菜央(すずき・なお)から一報が。共著で『コミュニティガーデンがリジェネラティブな社会の実現に果たす役割と可能性』という論文をまとめたという知らせでした。

論文は、同じくサステナビリティ学科准教授でありサステナブルな社会や人の暮らしのあり方について研究を行う明石修(あかし・おさむ)さん、看護師、保健師であり、看護学部の講師として人と地球の健康のつながりや、個人と地域のウェルビーイングなどについて研究する田中笑子(たなか・えみこ)さんとの協働で書かれたもの。

武蔵野大学の屋上にあるコミュニティガーデン「有明rooftopコモンズ」が実践の場

3人による研究フィールドは、武蔵野大学の屋上にあるコミュニティガーデン「有明rooftopコモンズ」。論文では、この場所での実践や理論を踏まえながら、人間と自然を分断して捉えてきた従来のサステナビリティを批判し「サステナビリティ・パラダイムの進化」を唱える研究者レア・ギボンズ博士の主張などをもとに、都市空間における“リジェネラティブな社会”への入り口として、「ケア」「内面の変容」などの要素に着目してコミュニティガーデンの価値を紐解き、その可能性を論じました。

植物に触れることが、私たち人間の心身の健康にもつながるということは、これまでの取材や実生活を通じても実感としてありますが、自らも実践を重ねながら研究している3人は、その効果や影響をどんなふうに捉えているのでしょうか。

都会において、人や動植物、虫など、すべての生きものがまるっとすこやかになっていくリジェネラティブのヒントがここにあるのではと、武蔵野大学有明キャンパスにいる3人のもとを訪ねました。

左から順に、鈴木菜央、明石修さん、田中笑子さん

明石修(あかし・おさむ)
武蔵野大学工学部サステナビリティ学科准教授
京都大学大学院地球環境学舎修了、博士(地球環境学)。国立環境研究所特別研究員を経て、2012年に武蔵野大学環境学部に着任。気候変動をはじめとする環境問題は現在の社会や経済の仕組みが生み出しているという問題意識から、サステナブルな社会や人の暮らしの在り方について研究を行っている。近年は、パーマカルチャーという手法を用いて、都会において人と人、人と自然がつながるコミュニティづくりの実践を学生と共に行っている。
鈴木菜央(すずき・なお)
NPOグリーンズ共同代表・チーフ関係性オフィサー/武蔵野大学工学部サステナビリティ学科准教授 
バンコク生まれ東京育ち。2006年にウェブマガジン「greenz.jp」を創刊。千葉県いすみ市と東京都調布市の二拠点生活中。いすみローカル起業プロジェクト、いすみ発の地域通貨「米(まい)」、パーマカルチャーと平和道場、トランジションタウンいすみなどを共同で立ち上げ、いすみ市での持続可能なまちづくりに取り組む。武蔵野大学では、いのちがいのちをいかしあう関係性を通じてサステナビリティをつくりだせる「リジェネラティブデザイン思考」を研究中。著作に『「ほしい未来」は自分の手でつくる』など。
田中笑子(たなか・えみこ)
武蔵野大学看護学部看護学科講師
筑波大学人間総合科学研究科修了、博士(医学)。筑波大学医学群看護学類助教、日本学術振興会特別研究員、ロンドン大学キングスカレッジ精神医学心理学神経科学研究所客員研究員、筑波大学人間系研究員を経て、2020年に武蔵野大学看護学部に着任。看護師、保健師としての臨床経験を活かし、人と地球の健康のつながりを探求するプラネタリーヘルスと、あらゆる世代の健康と幸せを目指す発達保健学の観点から研究と実践を行う。防災、子どもの社会性発達や健康寿命延伸、ケアに関わる支援者への支援など、個人と地域のウェルビーイングを高める研究に取り組んでいる。共同著作に『Co-Creative Wellbeing for Empowering A World of Possibilities』など。

都会の真ん中で育まれる生態系

武蔵野大学に向かう道すがら、電車の窓から見えるのは海沿いに立ち並ぶビル。
そして、ピラミッドを逆さにしたような造形が遠くからでも目立つ国際展示場。

有明は、東京湾を計画的に埋め立ててつくられた人工的なエリアですが、ここに位置するのが武蔵野大学有明キャンパスです。校舎の前で、笑顔で出迎えてくれたのは田中さん。「場所がわかりづらいと思うので」と案内に従ってついていくと、屋上のコミュニティガーデン「有明rooftopコモンズ」へと続く階段がありました。

殺風景な階段に、本当にこの先にガーデンが…?とちょっぴり半信半疑

この先にガーデンがあるの?と半信半疑になりつつ登りきると、まず目に飛び込んでくるのは、足の踏み場がわからないほどの一面の緑!鬱蒼と足元を覆う緑の中によく目を凝らしてみると、ミントやローズマリー、ラベンダーといったハーブや、オレンジやピンクのかわいらしい花が咲いているのも見えてきます。

ビルが真横にあることが不思議に感じる景色。開けた空が気持ちいい

ビルに囲まれた600㎡程度の広さながら、多種多様なハーブや野菜、名前もわからない草木が根付き、共存している緑一面の景色にびっくり。思わず、「すごーい!」とテンションが上がりました。屋上のわずか20cmほどの深さに敷き詰められた土の上につくられているコミュニティガーデンですが、意図的に植えられたハーブや野菜、果物だけでなく、鳥などによってどこかから運ばれ、いつの間にか芽吹いたクスノキ、桜の木などもしっかりと根付いているから驚きです。

夏は涼しい木陰として、みんなの人気スポットだという桜の木。当初、ここの屋上は風が強くて木は育たないと造園師さんに言われたらしいが、屋上で自力で芽吹いた木は、しっかりと根を張っている

アロマや砂糖漬けなどにも使われるゼラニウム。葉を擦ると、華やかで爽やかな甘い香りがする。ミツバチも蜜を集めていた

茂みのように盛り盛りと育っているラベンダーとミント

田中さん 聞いてください!これは、エディブルフラワー(食べられる花)の金魚草なんですが、1粒の種からここまで大きくなってるんですよ。もう2年ぐらい、1年中ずっと花が咲いていて途切れなくて。仕事で落ち込んだ時に来ると、すごく励まされます。

種から育てたという金魚草。屋上のコンポストでつくられた堆肥を与えていたら、すくすくと育っていったのだそう

人間と自然が共存し、共に豊かになれるような関係性を築くことを目指すパーマカルチャーのほか、果樹を中心にさまざまな植物を密植させ、お互いに育ちあう関係性をつくっていく協生農法を参考につくっているというガーデン。まだ季節ではないものの、イチゴなどの果物や、オリーブ、ブルーベリー、そらまめ、ネギといった果樹や野菜もそこかしこに植えられていました。

このガーデンは全体が「エディブルガーデン」(食べられる庭)になっていて、学生が実際に手を動かしながらサステナビリティやリジェネレーション、パーマカルチャーなどについて学び、プロジェクトをつくっていく実践と学びの場となっています。相性の良い植物同士を近くに植えて病気を防いだり、生育を促進したりする「コンパニオンプランツ」の考え方をもとに、トマトとバジル、ニラとナスなどがお互いを助けあい、生かしあうようにと一緒に植えられていました。

写真奥の左に写っているぽわぽわ頭の植物は、ネギ

植えられたばかりのトマトの苗。畑は、サステナビリティ学科の学生たちの授業の場としても使われている

一つだけ実っていた、真っ赤なイチゴ!

ガーデンでは植物や果樹を育てるだけでなく、つながりや循環を育むための実践がいくつも編み込まれています。たとえばそのひとつが、コンポスト。地域のカフェから運ばれたコーヒー粕のほか、食物残渣や屋上の手入れで刈った草、近隣の落ち葉などを堆肥化しています。

学生手づくりのコンポスト。正面のカラフルな絵が描かれた板は一枚ずつ外れるようになっており、コンポストの手入れがしやすいようになっている

紙のフィルターごと投入されているコーヒー粕。「もとが生きものだったものは、結構分解する」とのこと

ここのコンポストは、一般的な微生物と、ハナムグリというコガネムシ科の幼虫の活動によって分解されているそうです。この幼虫は一見、植物の根っこを食べてしまうコガネムシの幼虫ともよく似ていますが、その生態は異なり、腐葉を食べ、分解してくれるありがたい存在なのだといいます。

明石さん 生きものってすごいですよね。ちゃんと卵を産んでこどもを育てられる場所を見つけてきて。

コンポストをつくった時は、全部微生物で発酵させようと思っていたので、ハナムグリが来るとは想定していませんでした。でも思いがけず、勝手に自然の力が働きはじめ、それに呼応していったら、とてもいい土ができていきました。このコンポストの土で植物を育てたら、すごくよく育つんですよね。人と自然の協働です。

手のひらに乗せてみて、写真のように仰向けに動くのがハナムグリ。うつ伏せで動くのはコガネムシと見分けられる

また屋上では、コミュニティガーデンができた当初から養蜂にも取り組んでいるため、ミツバチによって屋上内や近隣地域の花同士の受粉が促され、どんどん生態系が豊かになっているといいます。取材中には、去年は3つしか生っていなかったプラムの木に、枝がたわむほど鈴なりに実が生っているところを発見し、歓喜の声が上がる一幕も。

びっしりと枝に生っているプラム。去年は3つしか収穫できなかったそうで、やばいやばいやばいと、みんなで大興奮!

また、養蜂で収穫されたハチミツは、養蜂を担当している学生の手によって、近隣のレストランに卸したり、雑貨店などで販売したりしているのだそう。虫や微生物の力を借りてつくった堆肥。それを混ぜた栄養たっぷりの土。そして、そこで多種多様な植物が育ち、ハチや鳥などの生きものを育み、その恩恵が再び人の口に入って命となる。営みの循環が、コミュニティガーデンを中心に成り立っていました。

セイヨウミツバチの巣箱。コミュニティガーデンには、ミツバチの活動が活発になる2月ごろから秋まで、いつも何かしらの花が咲くように、梅やハーブなど開花時期の異なるさまざまな種類が植えられている

人も場も地球も、生きものとして発展していく

もともとは、2012年に有明キャンパスが新設された際、東京都の緑化計画の規定に合わせて芝生が植えられていたものの、学生が立ち入ることもできず、ただ管理のためにお金をかけて水やりが行われているばかりだった屋上。

2017年、特に活用されていない屋上をもったいないと感じていた明石さんが、武蔵野大学が掲げる「生きとし生けるものが幸せになる」という建学の精神とも重なるパーマカルチャーを実践することで「生きとし生けるものが息づく場として屋上を活用しましょう!」と提案したのが、コミュニティガーデンとしての始まりでした。それから8年あまりが経ち、今やガーデンは、その場に立っているだけで、葉っぱや枝を勢いよく伸ばす草木や飛び交うハチ、てんとう虫などの姿に命のエネルギーを感じられる場になっています。

ここに来ると「自分が生きている実感がする」という学生が何人もいるそう。それは逆に考えると、今の社会は機械のパーツのように人を扱い、生きものとして扱っていないということではないか?と明石さんはいいます。

明石さん リジェネレーションとは、 「生きている世界をどう取り戻すか」ということだと思っています。

地球も、生きものと捉えることができると思いますが、もう一度、生きものがもともと持っているいきいきと生きていく力を発揮できるようしていくのが、リジェネレーション。その手段のひとつに、コミュニティガーデンがあると思います。

人も動植物も、いきいきとしていくし、それが相互作用することによって、場そのものが生きもののように発展していく。そんな可能性をここにはすごく感じて、そういう場所をたくさん増やしたいと考えています。

明石さんは、近くのショッピングモールにある緑地で、地域の人たちとコミュニティガーデンを始めたそう。2年目に入り、つながりが育まれ、新しいコミュニティが生まれていると話す

このコミュニティガーデンに関わったことで、思いがけず変わっていった学生はたくさんいるのだとか。

たとえば、入学当初は人の目を見てしゃべれないほど人とのコミュニケーションが苦手だった、とある学生さん。明石さんが授業で紹介したコンパニオンプランツに興味を持ってメールをくれたことをきっかけに、屋上へ来るようになりました。

そんな彼は、初めて自分で育てたきゅうりをかじった瞬間、美味しすぎて電撃が走ったようになり、そこから食にハマっていったのだとか。やがて自らファーマーズマーケットに通ううち、いろんな人とコミュニケーションを取るようになり、知りあった人を屋上に連れてきたり、学校を休学して自然農を学びに行ったり。どんどん人生が開いていったのだといいます。

菜央 人の目を見てしゃべれず、グループワークも避けるような学生だったのに、自分が行ったところが面白すぎるからって、学生を募って勝手にフィールドワークに行っちゃうようになって(笑)

明石さん もともとそういうポテンシャルは、彼自身が持っていたと思うんですよ。それが屋上に来たことによって、開花したんだと思います。

「周りのあらゆる存在とのつながりや関係性によって、はじめてひとりの人間は存在することができる」という、「インタービーイング(Interbeing)」と呼ばれる仏教由来の考え方があります。人間とは、そういう関係性の中で生きる存在なのではと菜央さんはいいます。

菜央 ほかのあらゆる生きものとのつながりを実感して「インタービーイング」な自分として安心できたり、自分の心が求めていることに気づいたり、それをやってみるきっかけがあったり。コミュニティガーデンは隙間みたいな場所であり、「何をやってもいい」という自由があるから、そういうことを実現したり、実感したりすることができるチャンスがたくさんある。

ちょっとやりたいことをやってみて、「それ、いいじゃん!」と周りに言われて、少し自信がついて、次の一歩を踏み出せる。そういう、自分に出会える空間、やってみたいことをやる実験場、自信がついて次に行ける発射装置みたいな感じ。学校にコミュニティガーデンがある意味は、そういう側面も大きいですよね。

道具や手を洗ったりするための雨水タンク。学生の手で、少しずつ改良されているそう。関係するものを近くに置くというパーマカルチャーの原則に基づき、道具を片付ける作業小屋の近くかつ、みんなが帰りに通る道沿いに設置されおり、とても合理的で便利

田中さん たぶん、自分の手を動かした上で食べるということも、すごく大きな体験ですよね。味覚だけじゃなく、いろんなことが脳の中でつながっていく。 今まで味覚しか使ってなかったとしたら、違う感覚も全部使って食べたり、味わったり、楽しんだりして。屋上でみんなで飲んだり食べたり、おしゃべりしていると、そういう感覚がすごく強まる気がします。

校舎から見かけたコミュニティガーデンに、「行ってみたい!」と足を運んできたのが関わるきっかけだったと話す田中さん

菜央 太陽が光のエネルギーを送り、雲をつくって雨を降らせ、さまざまな生きものの活動によって土がつくられる。そして植物が種から芽を出し、小さい状態から大きくなって花が咲き、実がなり、そのうちのいくつかは虫に食べられて……みたいな、大いなる循環とのつながりをこのガーデンでは実感できたり、実ったものを太陽光の熱を利用して調理したりもする。

さらには、さまざまな植物にも好きな季節や環境、そしてそれぞれの存在理由があることや、食べ頃の味だったり、自然のいろんなやばい情報がフルに体に染み込んでいく。太陽って、植物って、それらのつながりって、なんてすごいんだろう。もう人間の認識できる範囲を超えている。

そういうすべての結晶、インタービーイングとしての植物の「実」を口に入れた瞬間に、「うまい!」のレベルが10段階違う。食べた瞬間、走馬灯のように「太陽、風、雨、人、生きもの、植物たちの無限のつながりで、これがこうやって、こうなって、ああなって、こうなったのが今、自分の口に入ってる……うわ!!」って全部が一瞬でつながる感覚。

明石さん 俺生きてる!!!!!!生かされてる!!!みたいな。そういうパズルが全部はまっていって、食べるという体験がすごいですね。

立派に実っていたニンニク!とても美味しいそうで、毎年このニンニクを目当てにガーデンに戻ってくる卒業生もいるのだそう

ここは、みんなが自由に過ごせる場

有明rooftopコモンズは、自由に過ごせる場。「こうしてはいけない」という絶対的なルールはありません。だからこそ、それぞれが思うままにやりたいことを表現したり、実践したりした結果、気づきや学び、創造性が生まれています。

実は、発起人である明石さんは、最初からここまで自由に広がっていく場になると想定していなかったといいます。

明石さん このガーデンは、もともとはどちらかというと自然を対象として見ていて、資源の循環をして、植物を育てて……ということを考えていました。でも始めてみると、もっと人と生きものの相互作用で場がつくられていくというか。

植物や虫、鳥といった生きものから人を切り離さず、一緒に育っていく感じが生まれてきて、事前の設計よりもそこで生まれてくるものを大切にした方が面白くなるなと思うようになりました。今は自然に生えてきた木も、学生が勝手につくり始めたものも、どれもみんなで面白がっています(笑)。

たとえば、去年は2キロくらいのお米が取れたという小さな田んぼは、ある日突然、ものづくりが好きな学生が、自ら発案してつくった“ただの木枠”がはじまりだったそう!出来上がった木枠をみんなで「何に使う?」と考えているうちに、田んぼにちょうどいいのではと、田んぼとして使うようになったといいます。

学生がつくった木枠を活用した田んぼ。今年も、これから稲を植えるのだそう。水場ができたことで、アメンボなどの水生昆虫も、どこからともなく棲みつくようになった

またガーデン内に設置された、セイタカアワダチソウを乾燥させて編んだ囲いやトンネルなども、学生が自主的につくったもの。「場も生きもののよう」という明石さんの言葉通り、まるで屋上全体が勝手に育っていく“生態系”のようです。

田中さんの奥に見えるのが、学生作のトンネル。近所のこども園のこどもたちが遊びに来た時に、大人気なのだとか

リジェネラティブな社会とは、人も自然環境もどちらか一方が疲弊したり、消費したり、破壊したりするのではなく、創造の上でともに豊かになり、繁栄していく世界を指している。そう考えたとき、その入口として、コミュニティガーデンはとても有効なのではと菜央さんはいいます。

菜央 単純に、ここに来ると学生がめちゃくちゃ元気になるんですね。じっくり休んで、「癒されました」と言って自分が日常で取り組んでいることに戻っていったり、ここで新しい人と出会って、違う人生を開いていったり。

ここで生きもののつながりの中に自分がいることを少しずつ実感していって、ある日突然「なんだそういうことか!」と言い出して、そこから人生が変わっていったり。コミュニティガーデンは、関わる人たちがとにかく生かされていくし、居場所になっていくと実感しています。

学生がつくったというテーブルと、林業を営む卒業生からもらってきたというたくさんの切り株。ガーデンを訪れた人たちの憩いの場

緑があるからこそ、“この場所にいる理由”が必要ないというのも、コミュニティガーデンの持っている大きな特徴です。そのおかげで、普段は日本人学生との交流が生まれにくい、さまざまな国の留学生が遊びにきて、偶発的な学び合いが生まれたりもするそう。たとえば、ガーデンに咲いているスイカズラや葛を見つけた中国人の留学生が「これは漢方薬ですね」と、その人にとっては当たり前の知識をポロっと言っただけで、「何それ?」と周りが興味を持ち、即興の漢方教室が始まったことも。

人と人はもちろん、周囲の自然環境も豊かになり、豊かな自然環境に惹かれてさらに新たな人が呼び込まれてくる。そんな循環も、ここでは生まれているといいます。特別なワークショップがなくても、緑に癒され、そこに集った人同士が自然に会話し、植物や生きものの観察をしながら即興的に学び合ったり、環境を整えたりすることが日常茶飯事。まさに「人と自然がともに再生する」瞬間がそこかしこで生まれているのです。

菜央 一粒万倍という言葉がありますが、自然は信じられないぐらいの「豊富さ」をつくり出す力があって。今日はプラムがすごくたくさん生っていたけど、まさにその「豊富さ」の現れですよね。このガーデンで試行しているパーマカルチャーは、その「豊富さ」を、いかに人間が参加する形でつくっていったり、その「豊かさ」を基盤にした暮らしと社会をつくっていこうかという実践です。

「自分は不十分な存在」「生きるためにお金を稼がないと」「時間がない」という「不足」の世界で、幸せになれていなかったり、将来に不安を持っている人、自信を失っている人が本当に多いと思います。僕も含めて、学生たちや教職員からもそれを感じますが、僕らは「足りない」という希少性が経済を回す燃料になっている現代社会に住んでいますよね。その中で、「君はいつも何か足りない」というマーケティングに晒され、暗に取り替えが効くかのように、「人材」などと言われ、機械みたいに扱われる。

そういう世界の中で、コミュニティガーデンはリジェネラティブな世界につながる「ドア」になりうると思っています。

「植物はどんどん浸食するし、勝手に影をつくるし、人がつくった木枠を壊して広がったりもする。そういう場じゃないですか。だから人間だってそうなっていい」と話す菜央さんや明石さん、田中さんがつくるコミュニティガーデンは、草木の勢いが強すぎて整ってはいないけれど、居心地がいい

菜央 「足りない」世界のドアの向こう側は、「豊富さ」の世界です。生きるために必要な食べものは豊富にできる。自販機で買わなくても美味しいお茶が飲める。太陽で無料で調理もできる。お金がなくても楽しいことがたくさんある。つながりの中で、自分の居場所がある。やりたいことに気付き、挑戦できる。

そして、自分が大いなる循環の一部なんだと実感できる。人が自然のつながりの中でいろいろな生きものたちとコラボレーションしながら、生きるための「豊富さ」をつくり出せるんだ、と実感できる。そのためのやり方を仲間たちと一緒に学び、実践していける。

そういう社会を私たちは「リジェネラティブ社会」と呼んでいます。コミュニティガーデンは、そんなリジェネラティブな社会を“体験できる場”として存在できるんじゃないかと考えています。だから、「ドア」なのかなと。

都会の中で、自然とのつながりを日常に取り戻すヒント

コミュニティガーデンがもっといかされ、使われ、世の中に増えていくと、元気になる人がもっとたくさん増える。街の中に鳥や虫が飛んで来られる範囲に緑のスポットが増えていくと、それだけで生きものの行動半径が広がり、生態系も豊かになっていく。都市の中にも、人と自然環境が共に再生し、豊かになるチャンスは大いにあるといいます。

明石さん リジェネラティブな実践は、実は結構どこでもできるような気がしています。自分たち人間も生きものだし、植物も生きもの。生きものが自分で生き、豊かになっていく力を信じて何かを育てたり、自分自身と向き合って行動するだけでも、変わっていくはず。

コミュニティでさえも、みんながそれぞれの豊かさを持ち寄ってできるひとつの生きものと捉えると、その力を信じていきいきとさせていくことができます。だから、植物を育てたり、自分の素のbeingな状態から湧き上がってくるものを信じて行動してみたり。そういうことから、リジェネラティブな実践は生まれていくのではないかと思います。

虫たちにとっては、街中にひとつ緑のスポットが増えるだけでも、行動範囲が広がる足がかりになる

田中さん 「健康って、一人きりではなかなか保てないものですよね。居心地のいい誰かと一緒にいると「やってみようかな、出かけてみようかな」と、小さな気持ちの動きが生まれて、活動が促されます。

人と人とが関わり合い、遊び、学び、働き、支え合いながら過ごす中で、私たちは人生を愛おしみ、「生きること」そのものを楽しみます。そんな日々の営みのなかで、健康もまた、よりよく生きていくための資源のひとつとして自然と育まれていくのだと、私自身、看護に携わるなかで感じてきました。お互いさまの関係性がめぐりめぐって地域全体を健康で豊かなものにしていくことは、看護の分野でも言われていることです。

そして最近、もうひとつの大切なつながり——自然との関係にも、あらためて目を向けたいと思うようになりました。風や光にふれ、土や草の香りを感じるような体験には、私たちの心や体を整えてくれる力があると、日々の関わりの中で感じています。でも、こうした自然の力が健康にどう関わっているのかは、まだあまり深く探られていないように思います。

だからこそ、このガーデンで、修さんや菜央さんと一緒に、自然と人との関係の中にある豊かな可能性を、ゆっくりと丁寧に考えていけたらと思っています。
人が自然をただ「利用する」のではなく、お互いに影響し合いながら、ともに地球の一部として生きているという感覚が、私たちの暮らしや健康にどんな力をもたらしてくれるのか——そんな問いを、研究としても深めていきたいです。

菜央 そもそもコミュニティガーデンは、人と人のコミュニティであると同時に、人と植物のコミュニティでもある。だから家でできることもいっぱいあって。

たとえば、コミュニティガーデンでコンポストを体験して、「なんだこんな簡単なのか」と思って、自宅でも自分が食べたものの残りをコンポストにしてみる。さらに、そうして出来上がった堆肥で何かを育ててみて、収穫したものを家族で食べてみる。

そうすると循環がぐるっと一周して、つながりの輪の中に自分がいるんだということを実感できるじゃないですか。自宅で、家族と一緒にね。うちはそうやって育てたたった4粒のミニトマトを子どもたちと一緒に「すごいねー!」って言いながら食べた日がいい思い出です。

なんでも商品化・サービス化してしまう時代だからこそ、そこに対して「いやいや人間も生きもののつながりの一員であり、自分も自分を含めた自然の豊かさを再生することに貢献できるんだ」というマインドセットになっていくきっかけになるんじゃないかな、と思います。コミュニティガーデンがね。

屋上でしっかりと根付く、桜の木

有明rooftopコモンズを訪れ、そこで生まれているさまざまなストーリーや草木の多様性を目にするにつれ、「自然とのつながりは、都会の隙間にも生まれる」ということを実感しました。ビルの屋上でも、土を耕し、ハーブを育て、ミツバチの羽音を聴き、収穫を喜び合うことができる。そこには「自分も生きものの循環の一部である」という実感があり、毎日の生活で忘れがちな五感を使った生き方を取り戻す力があるように思いました。

「自然との関わりをほんの少し身の回りの生活の中に取り戻すだけで、心と身体は変わっていく」という可能性をあらためて感じた、今回の取材。

有明rooftopコモンズは、誰もが参加できるオープンガーデンデーを定期的に開催しているので、そういう機会に足を運んでみたり、身近なコミュニティファームを探して参加してみたり。あるいは、ベランダにハーブを一株置いてみたり、自宅でミニコンポストを用意してみたり。自然とのつながりを取り戻すきっかけは、日常の生活の中でも意外とあなたの身近で見つけられるものかもしれません。

実際、特に都会であればあるほど、そうしたささやかな一歩が、身の回りで生きる生きものにとっても、豊かな環境を育み、広げていくことにもつながります。今の私は里山地域に住んでいて、自宅の庭先でハーブを育てたりしていますが、ハードルが高いように思えてしまい、コンポストには未挑戦。今年こそは、コンポストにも挑戦してみようと思っています。

(撮影:イワイコオイチ)
(編集:村崎恭子)