これからの「あたり前」は、いまの「変」にあるのではないか。
連載「暮らしの変人」では、固定観念にしばられず、真剣にまじめに、そして楽しく、新しい何かをつくりだそうと探究している人たちを、愛を込めて「変人」と呼びたいと考えている。
愛すべき変人たちとの出会いから、自分の価値観を揺さぶり、新しい暮らしのヒントを持ち帰ることを目的に、今回は元三角エコビレッジ・サイハテの発起人である工藤シンクさんに話を聞いた。
ところで、変人とはいったい何か。あなたは自分を変人だと思うだろうか?
「変人」というからには、この世の中で「普通」や「当たり前」とされていることから、外れていなければならない。では何が「普通」で「当たり前」なのかと改めて思うと、それはあなたが何を選択し、どういう行動をするかに関わる問題だ。
あなたは、お金さえあればたいていのものを手に入れることができる。この社会では、何を選ぶかは、何を買うかの問題であることが多く、そのような消費行動が経済を回している。だからこそ、そのお金を得るためにあなたが持っている時間の多くを仕事に費やすのも、この社会では普通で当たり前のこととされている。
では、もしあなたが無一文になってしまったら、その暮らしはどうなるだろうか。さらにその暮らしからルールがなくなってしまったら? あなたの暮らしは普通で当たり前ではいられなくなるのではないだろうか。食べ物をどうやって得るか、住む場所はどうするのか、不安や恐怖が頭をよぎり、絶望に打ちのめされてしまうかもしれない。だから、よほどでない限り、無一文になろうとは思わないはずだ。しかも率先して無一文になろうとは。
自らを無一文と称して日本中を飛び回る多忙な人物がいる。工藤シンクさんは、現在サイハテの運営から離れ、「お金のために働く」こともやめて、お金と距離を置きながら、昨年春から日本各地のエコビレッジづくりに奔走している。
そもそも2011年に、東日本大震災の疎開者を受け入れるために奔走していた彼が宇土半島の眺めの良い尾根上に使われなくなった保養施設があるのを知り、そこをエコビレッジにしようと決めたときも、ポケットにはたったの300円しか入っていなかったという。しかし、工藤さんは出資者をつのり、その4ヶ月後には1万坪の敷地を持つこの施設を居抜きで引き継ぎ、ルールもなくリーダーもいない「お好きにどうぞ」というコンセプトを掲げて、エコビレッジ・サイハテをスタートさせた。
その後サイハテは、自給自足型の共同生活を実践するエコビレッジとして、テレビでも取材される存在になっている。「お好きにどうぞ」という自由意志から、自律型のムラが出来上がったということが奇跡のように思えるが、そんなムラを全国につくろうとしている工藤さんはいったいどのような人物なのだろうか。
理解されなくていいから、「最も果て」の探求をしたい
工藤シンクさんは、才能にあふれた人だと思う。生きていく上で大事なことを漫画で語り、理想の世界像をCGで描き、映像と音楽を駆使して大勢の前でその場限りの即興ライブを行う。近年では身ひとつで音楽に合わせて言葉を繰り出すフリースタイルラップという新境地を開いている。型にはまらないその行動を見ていると、破天荒な人かと思いきや、本人は自らを「優等生」だという。
工藤 僕は、意外と真面目で優等生なやつだと思っているんですよ。子どものときからリーダー的に動くことが多くて、学級委員長もよくやっていたし、全国模試で3〜4位くらいをとっていたこともありました。
ただ、大人の言うことを素直に聞く優等生ではなかった。本人曰く「いたずらっ子」気質があり、とくに大人の世界に対しては、早くから批判的な目を持っていた。
工藤 なぜ大人たちはこんなに無理をしてギクシャクしているんだろうと、違和感をもっていました。なんだか嘘っぽいなと。中学生くらいになると、自分の行こうとしている道が、いい高校、いい大学に入って、死ぬまで出世し続ける競争ゲームなのかと考えると、それなら生まれてこなきゃよかったと絶望したし、全然楽しくないと思いました。
そんな違和感を工藤さんは紙の上に漫画として表すようになる。
工藤 子どものときから漫画を描いていて、「こんなのどう?」って友人に見せていました。漫画は、紙と鉛筆があれば、音も風景もストーリーも善も悪も描けるし、読んだ人がこういう考えもあるのかと気づくことができる。僕にとって漫画は、みんなの世界を広げたり、意識を変えるためのツールでした。
20代の頃には雑誌で作画の仕事もしていたという。ただし、商業漫画家にはならなかった。
工藤 30歳のときにヤングマガジンで担当編集がついて、新人賞を目指そうとなったときに、僕は24ページの短編に人生観が変わるような新しい考え方を入念に込めて、ネーム(下書き)を書くんだけど、それがなかなか通らなかったんです。何度かの差し戻しの後に担当者から「この業界は、アンケートとマーケティングとリサーチにおける結果を出す仕事です。漫画家のやりたいことは消費税(5%)以下におさえてください」と言われたことを覚えています。それなら漫画を描く意味がないと思って、その瞬間に漫画家になるのを辞めました。
その頃の工藤さんのペンネームがサイハテだ。みんなが理解できるメジャーな世界に対して、自分は「いつだって極限まで最も果ての探求をする」という意識を込めた。サイハテの語源はそこからきている。
漫画家になるのを辞めた後、工藤さんはブロードバンドの普及とともに急成長するコンテンツビジネスの世界に飛び込み、日夜映画やCM制作に明け暮れる日々を送る。目の前にあったのは、子どもの頃に違和感を感じた「資本主義競争社会」の最前線。
「資本主義は素晴らしいけど、競争を続けている限り、世界平和は絶対に訪れない」と、思いを強くした。
旅に明け暮れていた時期もある。ブラジル、インド、ヨーロッパ各地を周り、画一化された日本にはない雑多で複雑な世界に居心地のよさを覚え、言葉も通じない世界で生きていく術を学んだ。また、完全即興をテーマにバンドを結成し、ライブ活動を行っていたときもある。
工藤 あの時は、一回もループせずに常に新しいフレーズで音をつむぐことをやりたかったんですよ。もっといける、もっといけるというところを追求するのが好きだから。でも周りから、そんなの音楽じゃないと怒られるんです。音楽に対する冒涜だって言われたこともある。だから僕は「怒られ系アーティスト」。あまりにも怒られるから、一時期肩書きを「マルチアクセスアーティスト」にしていたこともあります。「あなたはミュージシャンでしょ? 僕は絵も音楽も全方面に行くからね」という意思表示を込めて。
お話を聞いていて薄々気づき始めたのは、工藤さんはスタイルを固定化することを嫌うということ。つねに形を変え続ける雲みたいに、やることもなすことも不定形で、瞬間瞬間のいい流れを掴もうとする。まるでサーフィンを楽しんでいるかのように。
工藤 人ってみんな自由を求めているでしょう? 自由は確かに素晴らしいことなんだけど、いろんな状況によって思い通りにできないことがたくさんありますよね。だから自由を求めるんじゃなくて、本当に得た方がいいのは、自由自在の「自在」のほう。自在っていうのは、どんな状況でも対応できること。それこそお堅い会社の会議に行ってもヒッピーたちの村に行っても、自在であれば自由でいられます。だから、知識も経験も身体もセンスも全部研ぎ澄ませて、解像度を高めていけたらいい。僕にとって、自在に至るプロセスが即興なんですよ。
フリースタイルラップで一時間言葉をおろし続けることも、無一文で生きることも工藤さんにとっては同じレベルでの活動なのだ。そして、そんな自在で即興的な生き様をブログやSNSを通じて、公開することも忘れない。なぜなら、多くの人が「できない」と思っていることを「できる」に変えたいからだ。
工藤 サイハテをつくったときも、自分が持続可能でありたいとか、桃源郷に住みたいとかじゃなくて、「お好きにどうぞ」でここまでできる、ということを示したかっただけ。僕らができたんだから、みんなもできるよって思うし、実際やってほしいし。
ちゃんと段階を踏んで経験する場が必要
では、「お好きにどうぞ」でサイハテはどのような村になったのだろうか。
現在、サイハテには、ゆるやかな勾配を持つ尾根伝いに住宅が10棟以上、単身者向けのコテージが4棟、木工加工所や染色工房を備えたアトリエ棟、ヒーリングサロン、シェアオフィスを備えたカフェ、ゲストハウスが2棟、子どもの遊び場、パーマカルチャーを取り入れた畑などで構成され、八代海を見晴らす眺望の広場にサイハテの象徴ともいえるアースバックハウス(土嚢袋を輪積みにしてつくる建物)がかわいらしく鎮座する。
実は筆者は2016年に一度サイハテを訪れたことがあるが、そのときと比べても、共有スペースが使いやすく整えられていて、元の建物や設備を一つひとつ修繕し、美しく再生してきた住民たちの努力を見る思いがする。
住人たちは一部入れ替わりを繰り返しながら、現在5世帯がそれぞれに仕事を持ち、ムラの施設を利用してものづくりやボディワーク、体験教室などを開きながら、自給自足をめざした暮らしを実践している。また、ゲストハウスを完備しているので、アーティストから実業家まで、さまざまな旅人が訪れる開かれた場にもなっている。
ただし、この状態が最初から順風万端に何の苦労もなくできあがったものかというと、そういうわけではないらしい。
開村3年目に合流した坂井勇貴さんによると、当時のサイハテは、「盛り上がった文化祭の後」のような虚無感が漂っていたという。鹿児島県の離島でコミュニティづくりに関わった経験のある坂井さんは、自らサイハテのコミュニティマネージャーを志願し、月一回のミーティングを設け、共益費を集めて、その使い道を話し合い、共有部分の補修費や道具の購入費などに当てながら、現在の形にしてきた。
つまり、共同生活のルールや維持に必要な仕組みを一つひとつ住人たちが話し合い、実行するという、極めて民主的なプロセスによる自治が行われた11年だったと言えるのだ。
工藤 そもそも最初に、ルールもリーダーもなく、合言葉を「お好きにどうぞ」にしたときに、嫁は怒ったし、集まったみんなもそんなの無理だと言って反対した。でもね、ルールは問題があったときに生まれるものだから一つひとつつくっていこうよと、みんなを説得して始めたんですよ。そんな中でいろいろな問題も起こったし、感情も渦巻いて、ぶつかり合いもあったと思うけど、ただ僕にとっては、それも含めて「お好きにどうぞ」なんです。
大事なことは、いろいろな経験をすることだと思っていて、たとえばいくら戦争のない世界を目指したいと思っても、ある日突然世界平和になるわけじゃない。そのためにはちゃんと段階を踏まないといけないし、その段階を踏むための場がサイハテだと思ったんですよ。
無一文で行動した1年で見えてきたこと
現在、待ったなしの地球温暖化や気候変動問題を背景にした世界的なSDGsの高まりのなか、自然と調和したエコビレッジを目指す人々が世界中で増えている。日本国内でもコロナ禍を経てその動きは顕著になり、エコビレッジ・サイハテの発起人として11年の実績を積んできた工藤さんには、各地から声がかかり、アドバイザー的な立ち位置で日本中を飛び回る日々を送っている。
工藤 今、みんなが一番やったらいいなと思うことが、自分たちのムラ(コミュニティ)をつくること。ムラづくりなんて一生に一度の大事業だと思うけど、持続可能なムラができて、幸せを感じていけるなら、政治や経済が機能しなくなっても笑っていられる。だから、ムラをつくっちゃおうって思えるよう、僕は盛り上げていきたい。
一方で、これまで自然なライフスタイルを求めるヒッピー文化の延長にあったエコビレッジの潮流に、新たに実業家やビジネスパーソンが加わり始めていると、工藤さんは言う。
工藤 僕は、今が資本主義競争社会の最終局面だと思っています。勝ち負けを繰り返した先にあるのは、搾取する側と搾取される側の構造でしかないし、それって末期症状ですよね? 当然、これまでの資本主義経済のやり方に限界を感じて不安な人たちもいるし、「グレートリセット」(既存の金融・経済システムを持続可能なものにするために再構築すること。2021年の世界経済フォーラムで発表された)なんて言葉が当たり前に使われる世の中になってきているので、この経済が崩壊したときに、生き残っていけるようにエコビレッジが投資の対象になってきているんです。
しかし、そのような経済不安をどこ吹く風とでも言うように、自らを無一文と称して、型にはまらずに動き続ける工藤さんがいる。
工藤 もし、今ある経済が破綻したら、流通も止まって食料もなくなるかもしれない。そうなってくると、お金はもはやババ抜きの「ババ」で、お金を貯め込んでいる人が負けのゲームになってくるんだと思う。だから、僕が無一文で日本中を動き始めたのは、そのババをたくさん集めて、各地にエコビレッジをつくっていこうという作戦でもあるんです。だって、僕自身が欲にまみれていたら、誰も信用して出資しようとは思わないでしょう? だから、無一文で行動することは、僕がお金のためにやっているわけではないことをブランディングした1年です。あざといでしょ(笑) でも、やりたいことを実現するためには、むしろみんなにそういうことをしてほしいなとも思う。
最後にシンクさんにとってお金とは何かと聞いてみると、「ラーメン」という謎かけのような答えが返ってきた。
工藤 サイハテ村を無一文で飛び出して1年間、人生で一番移動したし、一番いいものを毎日食べたし、最高な1年だったと思う。ギャラはない代わりに、交通費を条件に招聘してもらうんだけど、ゲストとして招かれるので、ホストの人たちはその土地の最高の食事や寝るところも用意してくれるし、何も困ることはなかった。でもまちでラーメン屋を見かけて食べたいなと思っても800円も持ってないの。だから僕にとってお金はラーメンでした。
ただし、ラーメン屋の店主と仲良くなれば、ラーメンだって「食ってくか」となるかもしれない、と工藤さんは言う。人と人のつながりができれば、実はそんなにお金は必要ないのかもしれない。
工藤 僕は「働かなきゃ食えない」というのは、思い込みだと思っている。一度常識を外れて、自発的に生きて行けるように動いたり、助け合って生きたり、ということを当たり前にしていったらいいんじゃないかな。
今回暮らしの変人というシリーズで工藤さんを取り上げるにあたり、本人に「変人」についてどう思うか尋ねてみたところ、「むしろ光栄、褒め言葉」とおっしゃっていただいたが、おそらく、本人はこれっぽっちも自分のことを変人だとは思っていないだろう。むしろ、お金やルール、慣習、常識のボーダーを超えて、常に「こっちもあるよ」と誘いかけてくる。もしも、あなたが「普通」で「当たり前」なことに疑問を感じたら、その言葉に耳を傾けてみるといい。それはあなた自身が決めることだ。
(撮影:廣川慶明)
(編集:増村江利子)