21世紀の現代に、奴隷が存在するとはにわかに信じがたいかもしれません。
けれども、ドキュメンタリー映画『ゴースト・フリート 知られざるシーフード産業の闇』を観れば、前近代的な奴隷というシステムが今なお存在するという事実を受け入れるしかなくなるでしょう。そして、奴隷の彼らが、日本で暮らす私たちの食卓を支えているという現実も無視できなくなります。
21世紀の奴隷たちが働かされているのは船の上。逃げることのできない大海原のどこかで、今日も彼らは働き続けています。
海という、決して逃げ出せない広い牢獄
『ゴースト・フリート』が描くのは、タイの漁業会社で働かされる奴隷たちと、彼らを救うために活動するパティマ・タンプチャヤクルの姿です。
奴隷たちのシーンは暗く重く、絶望感が映像から伝わってきます。それに対しパティマは、強さを内に秘めた、穏やかな印象の女性。彼女がパートナーや子どもとやりとりするシーンは微笑ましくもあります。厳しい奴隷の現実をあらわにする映像と、それに向かい合う女性の人間らしさあふれる穏やかな映像が、対照的にも感じられました。
奴隷として働かされている人たちは、ミャンマーやラオス、カンボジアなどタイ以外からも人身売買業者によって集められています。仕事を探していて騙されたり、ときにはまるで人さらいのように拉致されたり、本人の意思なく強制的に連れて来られた人たちばかりです。
気づいたときには、大海原で船に乗せられているという絶望感。手錠をかけられているわけでも、鍵のかかった檻に閉じ込められているわけでもないのに、決して逃げられない。スクリーンから感じられる絶望の深さには、本能的に感じ取るような恐怖がありました。
そのような形で船に乗せられると、それから2年、5年、中には10年以上も、ただただ労働の毎日が続きます。賃金は極めて低いか無報酬。睡眠時間を削られながら、ひたすら過酷な労働に耐え続けるしかありません。漁に用いる網や機械などで体の一部を失ったり、事故死したりする人もいます。それでも働くしかないのです。
スクリーンに映る奴隷の表情の多くは、あきらめからか、苦しさやつらさを顔に出すわけでもなく、感情を失ってしまったかのように見えます。そうでもしなければ、正気を保っていられないのかもしれません。なかなか報じられることのない彼らの存在が、逃れられない事実として突き刺さってきます。
たとえ時間は取り戻せなくても。奴隷となった人たちを救うために
そんな彼らを救おうと活動するパティマは、労働権利推進ネットワーク(LPN)の共同創設者として、2017年にはノーベル平和賞にノミネートされた人物でもあります。彼女は自ら船をチャーターして、タイの漁業会社の漁船からインドネシアの離島に逃げた、元奴隷である男性たちを救いに出かけていきます。
小さな手掛かりを探し集め、ときに危険を感じながらも、パティマが島々を船で訪ねて回る活動は、冒険にも近いスリリングな旅です。ただそれはワクワクするようなものではありません。彼女が向かっている大きな海のどこかに、漁船からあてもないまま逃げ出し、故郷に帰れずにいる人たちがいるのです。
けれども、ようやく見つけ出して出会った彼らの中には、長い歳月を経て、その地で新たな人生を歩み始めている人も少なくないのでした。既に家族のいる人や母語さえ忘れてしまっている人も。故郷を連れ去られて以来、長い長い時間が経っているのです。もう取り返しはつきません。
それは誰にとってもかけがえのない、たった一度の大切な人生の一部でした。奴隷というシステム、奴隷労働によって支えられているシーフード産業が、彼らの人生を徹底的に破壊してしまったのです。映画の中のパティマは、人身売買業者や漁業会社への怒りをあらわにすることはありませんが、辛抱強く粘り強く活動に取り組み続けられるのは、一人でも奴隷を救いたいという熱い思いがあるからでしょう。
故郷に帰ることはできなくても、何年ぶりかでようやく故郷と連絡をとれる元奴隷の人たちもいます。彼女の活動は、元奴隷本人の人生だけでなく、絶たれてしまった家族や親族とのつながりを取り戻すのです。
食卓の向こうに広がる世界のために、できることを始めよう
想像を絶するような奴隷たちの現実は遠い世界の出来事のように思えますが、決して無関係な話ではありません。奴隷の彼らが捕っている魚はツナ缶やペットフードの缶詰に加工され、日本に住む私たちが日常的に利用しているからです。
日本はタイの水産物輸入で世界第2位、キャットフードの約半分はタイ産です。スーパーにあるツナ缶を見てみると、大手メーカーからプライベートブランドまでタイ産のものがびっしり並んでいて驚きました。
ツナ缶を開けるときに、その魚が泳いでいた海にまで想像が及ぶ人は少ないかもしれません。けれども、間違いなくどこかの海を泳いでいて、それを誰かが捕ったからこそ、私たちの手に渡っている。目の前の食卓に並んでいる食べ物がどこから来て、どんな人たちが関わっていたのか、この映画を観た後、そんなことに考えを巡らせてみるのもよさそうです。
世界中の美味しい食べ物が豊富にある日本。その裏には、悲惨な奴隷労働がありました。水産業だけではありません。農業でも、児童労働に就く子どもたちが関わっていたり、たくさんの農薬を使用することで環境破壊や健康被害を起こしていたり、食卓の食べ物の中には、誰かの悲しみや苦しみのうえに成り立っているものも少なくありません。
私たちの命や体が口にする物から出来上がっているように、私たちの暮らしは食べ物に関わるすべての人たちにつながっています。そんな大きな背景や、命を救う使命感といった大仰な言葉ではなく、ただ苦しんでいる人たちのために静かに立ち上がったパティマを見ると、自分にできることから始めよう、そう自然と感じさせてくれる映画でした。