沖縄にある多くの島々。例えば八重山諸島の石垣島や宮古島などは、面積も人口規模も多く、観光客も多く訪れる島としてよく名前が知られています。
そんな離島のなかで、今までほとんど観光客が訪れなかった島があります。島の名前は、多良間島(たらまじま)。あなたはご存知でしたか?
わたしは島旅が好きで、沖縄の離島もあちこち訪れたことがあるのですが、多良間島は名前だけぼんやり聞いたことがあるという存在。以前、飛行機の上空から突然見えた丸い島影に「あれはどこ?」と検索したほど、位置関係も島の様子も未知でした。
そんな知られざる離島で、今、従来の観光や産業のあり方に変化をもたらす、新しい取り組みが生まれようとしています。環境に配慮して資源の循環を意識した、さとうきびの絞りカス「バガス」を使ったサステナブルな特産品プロジェクトと、沖縄の国頭・久米島・多良間島の3地域で共創を生み出すワーケーションプログラム「沖縄しまむすびワーケーション」に携わる関係者2人に、詳しくお話をうかがいました。
八重山諸島と宮古諸島の真ん中にぽつんと浮かぶ多良間島
多良間島は宮古島と石垣島のほぼ中間に位置する島。沖縄本島・那覇までも345kmあり、距離にすると330km離れた台湾のほうが近いという南の島です。周囲はおおよそ15kmで、隆起サンゴからできた平らな地形と楕円のかたちが特徴です。
アクセスは宮古島から通常1日2便、所要25分の飛行機、または基本的に日曜日以外毎日運行している所要約2時間のフェリーのどちらか。
主な産業は農業や畜産業。とくに平坦な地形を活かしたさとうきびの生産が盛んです。島には沖縄に古くから伝わる「琉球風水」の概念でつくられた村の集落が今も残り、その景観や文化が評価され、沖縄県で唯一「日本で最も美しい村」にも認定されています。
多良間島の文化は、他の沖縄の離島とも違う独自のものが数多く残されているのが特徴です。特に「たらまふつ」と呼ばれる方言は、独特な発音を特徴としています。他に例を見ないのが、「ウガム゜(祭祀場)」といった「゜(半濁点)」を用いた地名やものの名前。いったいどうやって読むのかと、日本なのに遠い異国に来たような気分になります。ちなみに、「ム゜」はンとムをあわせたような発音だそう。
島ではたくさんのヤギが飼われています。島ではヤギの生産振興・観光振興を目的に、年に2回「ピンダアース」と呼ばれる闘ヤギ大会も開かれています。
国の重要無形民俗文化財にも指定されている「八月踊り」は旧暦8月8日から3日間に渡って行われる五穀豊穣の感謝と祈りの豊年祭。他にも旧正月後初めに行われる伝統祭祀「スツウプナカ」など、島には琉球時代の歴史を感じる伝統的な習わしが多く残され、暮らしのなかに息づいています。
また、多良間では海へと続く小道のことを「トゥブリ」と呼んでいます。島には「マイドゥマリ゜」などと名付けられたトゥブリが47ヶ所もあります。
故郷に帰島した波平雄翔さんが取り組む、バガスを利用した特産品創出プロジェクト
多良間島を擁する多良間村の人口は1,124人(2021年2月末現在)。日本の離島のほとんどが抱えている「人がいない! 若者がもどってこない! 職がない!」という人口減少と人手不足は、ここでも大きい課題として捉えられています。
波平雄翔(なみひら・かずと)さんは、生まれも育ちも多良間島。島には高校がないため15歳で島を離れ、大学から社会人を経て、島へと戻ってきました。
1990年沖縄県宮古郡多良間村⽣まれ。⼤学時代にNPOを立ち上げ離島の中⾼⽣の⾃⽴・進学⽀援を⾏う。卒業後は地域おこし協力隊として3年間粟国村で活動、その後沖縄県内で制作プロダクションに勤務。2021年多良間島へUターン。独立して多良間村を拠点に島の姿を変えない責任ある観光への取り組みなど、地⽅創⽣関連事業のコーディネート活動に取り組んでいる。
「多良間島が大好き。でも島の未来を考えて10年は島外で修行、と思って活動していた」という波平さん。数年前から沖縄県内で民間企業に勤めながら「地域おこし企業人」という制度を利用し、多良間島の特産品開発にも携わっていました。
多良間島は平坦な土地を活かした製糖業が盛ん。畑から刈られたさとうきびは島内にある製糖工場に集められて加工され、沖縄黒糖として全国各地に出荷されています。波平さんは、島の新しい特産品のアイデアを仲間と議論するなかで、「バガス」というさとうきびを絞った絞りカスの活用を考えはじめました。
波平さん 多良間は日本で一番の黒糖生産量。ということは、日本で一番バガスが取れるよね、という話になって。バガスは今も工場のボイラー燃料や肥料として有効活用されているのですが、それでもまだ余る。バガスで何か新しい全く違うものができないか? と調べていく中で、「デニムをつくってる会社があるらしい」という情報にたどり着いて。
いったい単なる繊維のカスであるバガスをどのように加工すれば布地になるのでしょうか? バガスを利用したデニムを製造・販売し、多良間島のプロジェクトにも関わる「SHIMA DENIM WORKS」ショップマネージャー富井岳(とみい・がく)さんに教えてもらいました。
SHIMA DENIM WORKS 所属
新潟県十日町市出身。2018年からスタートした「さとうきび創生ラボ」にも所属。バガスを原材料にしたデニム生地を製造し、ジーンズなどに加工したものを沖縄県浦添市の直営ショップなどで販売。現在、多良間島でバガス活用のプロジェクトも担当し、現在商品化に向けてジーンズやかりゆしウェアなどのサンプル品制作を行っている。
小枝のようなさとうきびの絞りカスであるバガスは、乾燥粉砕してパウダー状に。その後岐阜県美濃市でまずは和紙へと加工します。できた和紙をすり合わせて「和紙糸」に。その糸を日本一のデニム生地生産量がある広島県福山市へ送り、デニム生地に織り上げるという過程を経て、ジーンズなどのアパレル商品へと生まれ変わります。
複雑な工程ですが、海外で加工せず国内の生産業者と協業することにしたのは、地域産業の保護にもつながると考えたから。開発当初は特殊な加工のため請け負う協業のパートナーを探すところからのスタート。不具合も多く苦労もありましたが、今は賛同するサプライチェーンの協力もあり安定的に生産できるようになってきたそう。
ところで、どうしてバガスを利用したプロジェクトが生まれたのでしょうか?
富井さん 沖縄の方とお話しすると「さとうきび畑のある風景を守っていきたい」という思いを聞く機会が非常に多かったんです。これからの時代、地域に貢献できることをビジネスにしていくことが大切だと感じていて。捨てられてしまう未利用資源のバガスに価値を見出すことで、地球環境や社会に配慮するエシカルな事業を生み出していきたいという「さとうきび創生ラボ」のメンバーの情熱から生まれました。
環境にやさしく持続可能なバガスデニムの循環サイクル
バガスを使った島の特産品づくりにあたって、富井さんと波平さんはもっと「多良間島ならでは」のことができないか? と考えました。そこで生まれたのが「島民がユニフォームとして着用したバガスデニムをリユース販売する」という、循環型事業に向けた取り組みです。
実は、多良間村に200名以上いるさとうきび農家は、2014年から沖縄県から全員が環境にやさしい農業と品質向上に取り組む「さとうきび農家・島ごとエコファーマー」の認定を受けています。
波平さん 多良間島は島でエコファーマーの農家さんたちが、環境にも健康にもいい方法で作物を大事に育てているっていうことが背景にあって。島全体で認定を受けているのはここ多良間村だけなんですよね。そういう環境にも優しいさとうきびでできたバガスは世界的にも珍しい。「島ごと全部」というところが特徴で、島として単なるお土産品ではない視野の大きな展開が見込めるのでは?と、事業化を進めているところです。
エコファーマーにより栽培されたさとうきびからつくられる多良間島のバガスデニムは、島で暮らす住民にユニフォームとして1年間着⽤してもらい、自然なかたちでユーズド化した後に回収し、世界に1点しかないデニムとしてリユース(一度使用したものをそのままの形でもう一度使用する方法)販売します。
富井さん アパレル業界は衣類の大量生産・大量廃棄などの問題もあって、石油業界の次に環境を破壊している業界と言われていて。
例えばジーンズなどのパンツを毎年買い換える人もいますよね。特にジーンズで用いられるユーズド加工は、工程を増やして薬品を使って色落ちさせたりしてエコなつくりではないんですね。にも関わらず、買って1年ぐらいで捨てちゃうとなると、環境に高負荷を与えてしまう。環境を考えて「ひとつの製品を長く身につける」となった場合、リユースという形態は、今後、新たな購入の選択肢のひとつになってくると思っています。
島の人が着用することで、履き方によって色の落ち方や癖の付き方も違ってそれぞれ個性あふれる一着になることに加え、島全体でバガスデニムのプロジェクトに関わっているという一体感を得ることができたら、という想いも含まれています。
また、デニム以外にバガス繊維を活⽤したタオルや靴下なども制作し、2022年中には販売ができるよう商品化を進めているところだとか。バガス繊維には天然の抗菌作用もあり、その特性を活かしたグッズや、バガス布でつくったかりゆしウェアを「多良間島の職員のユニフォームにできないか?」という話もあるなど、島を挙げての展開を予定しています。
波平さんは、このプロジェクトを通じて、ビジネスとして軌道に乗せるだけでなく、村民同士のコミュニケーションも深めていきたいと考えています。
波平さん 最初は、農家のみんなにバガスで事業をすると言っても、「バガスからデニムなんてできるわけないだろ?」といぶかしがられたんです。でも、実物を見せると「こんなのがつくれるんだったら踊りの衣装にも使えるんじゃない?」みたいな、僕らの商品設計の中で出てこないようなアイデアが出てくるようになったのがうれしくて。
小さな沖縄の離島ではじまっているバガスを利用した特産品創出プロジェクト。活用されずに余っていたものから宝が生まれ、島の人や購入する人の新しいコミュニケーションツールになる。小さな島から生まれたサステナブルな社会への大きな挑戦に心が踊ります。
多良間島の魅力は、文化や自然を守リ続ける人の力
富井さんがバガスを通じて島に通うようになって数年。多良間島を訪れるようになって沖縄本島では既に希少なさとうきびのある風景や集落のあり方など、伝統的な沖縄の自然環境が残っていることや、行事や祭りの文化がずっと守られていることに感銘を受けたと話してくれました。
さらに、島で暮らす人に対しても、強い印象を持ったといいます。
富井さん 村民のみなさんの考え方、生き方や働き方を含めて、非常に素敵な方々が多いなという印象がありますね。僕らが今取り組んでいる事業に対しても積極的でポジティブな意見をいただくことも多くて。島で暮らす方の意見というのは非常に貴重ですし、農家さんとの関わりが増えて、各農家で育てる品種や栽培方法もいろいろあるということなど、さとうきびについてもより詳しく知ることができてありがたいです。
故郷の島に戻ってきた波平さんにとって、多良間島の今はどう映っているのでしょうか?
波平さん 多良間島は、主な産業が農業や畜産業というのもあって、島の環境と暮らしをすごく懸命に守ってきた島なんです。島の自然や自分たちの風習、旧暦の行事や独自の文化、方言も隣の宮古島や石垣島とも全然違う。
波平さん 島で生きていくことができる人たちって、僕からするとむちゃくちゃすごい。島の人たちが当たり前にできることが、僕にはできない。自分は15歳で島を出てるので、彼らからすると僕はその年齢で止まってて。32歳の今になって魚の捌き方を丁寧に教えてもらったり。文化や伝統を守ってきた人たちの強い気持ちから学ぶことはたくさんあります。
伝統を残しながら島の未来をつくる、共創ワーケーションプログラム
島に残る伝統を守り続けてきた多良間島ですが、島の未来の担い手減少は他の離島と同じく大きな課題となっています。
波平さん 島を出た若者に「帰ってきてほしい」とアピールしても、農業や畜産業の跡取り以外には職も少なくて「戻りたくても戻れない」という状況もある。それに、島からの発信の仕方も「とにかく人がいなくて大変だから帰ってきて」みたいな、ネガティブなものとして捉えられがちで。
やっぱり「誇りを持ってこれからも島に住み続けられる」というポジティブな気持ちがないと、若者って帰らない。僕はこの島にチャレンジできるフィールドがあると思ったから戻ったけれど、そんなふうにいろんな人が「ここなら挑戦できる」と思えるようになってこそ、島に来る魅力が生まれ、若者が戻って来ると思うんです。
波平さんがあたらしい島の魅力のひとつに加えようとしているのが、島の暮らしや環境を壊さない新しい観光のかたち。
「サンゴの美しくて白いビーチや平坦な土地が多い多良間島なのに、どうして観光地として開発されなかったんですか?」という質問に対して、「観光に力を入れなくても、他の産業で島の経済が成り立っていたから」と教えてくれた波平さんですが、「今まで力を入れてこなかったからこそ、今までにない観光に挑戦できる」と考え、さまざまな試みをスタートさせています。
そのひとつが、島の未来を一緒に考え、つくり上げる「共創」を生み出す長期間滞在のワーケーションプログラム「沖縄しまむすびワーケーション」です。沖縄県の離島辺境地域である本島北部の国頭村・久米島・多良間島の3つの地域で実施される新しいワーケーションのテストプログラムとして企画されました。
残念ながら2021年度はコロナ禍の影響で、多良間でのモニターツアーは中止となりオンラインで縮小開催されましたが、予定されていた内容は多彩です。
ワーケーションは「Work(ワーク=仕事)+Vacation(バケーション=休暇)」をつなげた造語です。沖縄でワーケーションというと、海辺のリゾートで都会の仕事をテレワークで行うイメージですが、このプログラムでは、暮らしを体験し、そこにある物語を感じながら、地域の人と一緒に島の未来を考えつつ、新たな自分を見つけてもらう、という意図で企画されました。
ここ多良間島では、波平さんが地域の人とプログラム参加者をつなぐコーディネーターとなり、琉球風水の考えでつくられた島の集落をサイクリングしたり、島暮らしのプロと一緒に牛飼いをし、魚を捌き、ビーチで多良間ならではの島BBQをしながらキャンプしたり。焚き火を囲みながら、島のみなさんと島の未来について語り合う時間もあるなど、10日間みっちり島の暮らしを体験し、「あるものを活かす」生き方を考えるプログラムとなっています。
今後の開催に向けて、多良間島ならではの伝統を受け継ぐ暮らしを体験するだけでなく、長期滞在してテレワークができる整備も行うなど、島のワーケーションの受け入れ体制も整えているところです。
シビックプライドを生み出す共創ワーケーションの可能性
観光で来島する人が少ないため、新しい出会いや交流の機会が限られていた多良間島。
波平さんは、急激なリゾート開発などをせず、共創ワーケーションのような島のあり方を変えない責任ある観光スタイルを生み出し、サステナブルな社会を目指すバガスデニム事業のようなプロジェクトを創出することで、島をもっと元気にしたいと意気込んでいます。
波平さん 島に暮らす人の「生きる力」がすごい、ということをもっと島外に発信していきたくて。来島する人に島のよさを知ってもらいたいというのもありますが、むしろ中の人が「この島に生まれ育ってよかったなとか、自分たちの島はこんな素晴らしいところがあるんだな」と再発見できるような場づくりをしたいと思ってるんです。
多良間島に暮らす人たちは、今まで外からの視点が少なかったため、琉球時代からの文化が残っている一方、客観的な目線で島を見る機会がほとんどありませんでした。そのため、「過疎」「人口減少」「都市化されず遅れている」といった島のネガティブな点だけが見えてしまい、島に生きることに誇りを持ちづらいのだと波平さんは話します。
共創ワーケーションプログラムで、島に訪れる人が、多良間島の文化や風習に感動したり、目をキラキラさせて喜んでいる姿は、島に暮らす人たちのシビックプライド(=その土地に暮らす住民の誇り)を生み出す可能性があるのではないでしょうか。
また、共創ワーケーションで長期滞在し、島の暮らしにより深く関わった参加者もまた、島のことを「我が事」のように捉えて何かをはじめたり、動き出すことも考えられます。
波平さんのような、その土地に深く根ざす、地域コーディネーターがいれば、単なる「観光のお客さん」としてではなく、島に暮らす人や文化に関わるきっかけが数多くあります。自分の興味があることと島の困りごとが結びつくと、そこでまた新しい共創プロジェクトが生まれて、地域とつながる幅が広がるかもしれません。
波平さん みんな常に人を探してます。「集落の運動会に出る人がいない」「さとうきびの収穫、手伝って!」とか。たらま島一周マラソンの給水ボランティアなんかもお願いできるなら…島の人が観光のために頑張らなくてもいい、持続できる関係性がつくれたらいいなと思います。
富井さん 私も過疎化が進む新潟の豪雪地帯の出身なんですが、そういう地域は意外と新しい人や考え方をスッと受け入れる素地もあると思っていて。今後は近隣の島や別の地域とのつながりや交流がもっと増えていくとおもしろくなりそうですね。
共創ワーケーションは、人としての誇りを取り戻す機会にも
また、島に暮らす人の「生きる力」と、訪れた人の「アイデア」が織りなす共創ワーケーションは、訪れた人にとっても人としての誇りを取り戻す機会になるかもしれません。
例えば、島の人が離島で力強く「あるものを活かす」暮らしを見て「お金もコネもない」「自分に自信がない」「やれることなんてない」と思っている人が、ちょっとしたお手伝いで自信がついたり、そこから新しいアイデアが生まれて自信になったり…。両方のやれることがまるで違うからこそ生まれるコラボレーションの姿もありそうです。
波平さん 沖縄の自然や雰囲気も満喫できるようにしつつ、迎える島民も無理せずに、持っているスキルでおもてなしできるようなプログラムづくりをしたい。島の中と外をつないで、来た人にはたとえ曇りや大雨でも「多良間に来てよかった!」と思ってもらえれば最高ですね。
バガス事業で多良間島と関わる富井さんのような企業単位のプロジェクトでなくても、島では人を必要とする場面が多くあります。
今、自分が生きている環境とまるで違う場所で生きる人に出会い、お互い刺激しあって、あたらしい何かが生まれる。あなたも多良間島を訪れて、サステナブルな未来をつくるメンバーにぜひ加わってみてください。
– INFORMATION –
残念ながら2021年度は催行中止となった多良間島のプログラムですが、2022年度も開催を予定しています。詳細が決まり次第、沖縄しまむすびワーケーションのサイトにて告知を行いますので、ぜひ継続してサイトをご確認ください。