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地球の危機、もう待ったなし! 斎藤幸平、安宅和人、石山アンジュが本質的な豊かさと経済の両立を「シェア」で実現できるか考えた

10月5日に、一般社団法人シェアリングエコノミー協会主催の「SHARE SUMMIT2021」がオンラインで開催されました。

「企業、個人、政府、自治体、NPO、教育機関が手を取りあい、持続可能な共生社会『Co-Society』の実現に向けた具体的な行動『Sustainable Action』を起こし、新たな社会を創造していく。」というテーマのもと、オープニングとクロージングに加え14のセッションが開かれ、「シェア」を起点に、地域社会やSDGs、ツーリズムなど様々な分野で議論がかわされました。

greenz.jpでは、その中から「シェアという思想〜本質的な豊かさを実現する経済社会の行方〜」と題されたセッションを取り上げ、私たちひとりひとりが「いかしあうつながり」ある社会に向けて、どう経済と向き合えば未来をつくっていけるのか考えていきたいと思います。

モデレーター:石山アンジュ(いしやま・あんじゅ)

モデレーター:石山アンジュ(いしやま・あんじゅ)

1989年生まれ。「シェア(共有)」の概念に親しみながら育つ。シェアリングエコノミーを通じた新しいライフスタイルを提案する活動を行うほか、政府と民間のパイプ役として規制緩和や政策推進にも従事。2018年ミレニアル世代の官民シンクタンク一般社団法人Public Meets Innovationを創業。ほか羽鳥慎一モーニングショー(テレビ朝日)コメンテーター、世界経済フォーラム Global Future Council Japan メンバー、新しい家族の形「拡張家族」を掲げるコミュニティ一般社団法人Cift代表理事などを務めるなど幅広く活動。著書に「シェアライフ-新しい社会の新しい生き方(クロスメディア・パブリッシング)」がある。

地球を危機に陥らせるパンデミックと資本主義と格差

石山さん まず社会観を共有したいと思います。今、社会は一見、サステナビリティやSDGsの方向に行っているように見えますが、本当なのか。そして待ったなしの世界なのか。どう社会を見ているのかお聞かせください。

安宅さん やばいですよね。極めてまずい。COVID-19(新型コロナウイルス)の出現を一過性のものだと思っているのが、そもそもの間違いです。私の見解では、哺乳類の96%を人間と家畜が占める現在の世界では、野生動物とそれ以外の世界がぶつかり合いすぎていて、それがコウモリや猿からエボラ出血熱やデング熱、SARSといった伝染病が発生して蔓延する原因になっています。

安宅和人(あたか・かずと)

安宅和人(あたか・かずと)

マッキンゼーを経て、二〇〇八年からヤフー。前職ではマーケティング研究グループのアジア太平洋地域中心メンバーの一人として幅広い商品・事業開発、ブランド再生に関わる。一二年よりCSO(現兼務)。途中データ及び研究開発部門も統括。一六年より慶應義塾SFCで教え、一八年秋より現職。総合科学技術イノベーション会議(CSTI)専門委員、内閣府デジタル防災未来構想チーム座長ほか公職多数。データサイエンティスト協会理事・スキル定義委員長。イェール大学脳神経科学PhD。著書に『イシューからはじめよ』(英治出版)、『シン・ニホン』(NewsPicks)ほか。

安宅さん 他にも日本ではあまり話題になっていませんが、ツンドラ地帯で謎のクレーターが大量発生している。おそらく地球温暖化に伴うメタンの湧出が原因なんですが、それによって今まで凍っていた炭疽菌などが吹き出てくると推定されています。

さらに地球温暖化に伴い、日本海では海面温度が過去100年で1.7度上がっていますが、この上昇に伴って、このままいけば風速90mの台風が来ると環境省も言っています。風速90mというのは家の基礎まで壊すくらいの力がある風です。

だから、僕らは災害とパンデミックがめちゃくちゃやってくる未来に向かっているわけです。ESGもSDGsも大事だけど、そう言っていられる時間は実は短いんじゃないかと思っています。

石山さん 斎藤さんも「SDGsは大衆のアヘンだ」と著書『人新世の資本論』に書かれていますが、そんなこと言っていられないってことですよね。

斎藤さん 安宅さんがおっしゃられたような大規模な変動が待ち受けているのは確かです。そうなると、食料危機や水不足によって環境難民が出てきて、それが地域紛争の引き金になります。今、企業が取り組んでいる「うちはやってます」というアピール程度の対策で避けるには、到底間に合わないところまで来ている。

さらに言えばこの危機を悪化させるのは「格差」なんです。二酸化炭素を出しているのは先進国の人々で、その中でも0.1%の超富裕層の人たちですよね。彼らはものすごい量の二酸化炭素を出し、有限な資源を食いつぶしている。それで他方で「地球にいい開発をしている」と言われても、「やらないよりはまし」としか言えません。私が『人新世の資本論』で問題提起したのは、行き過ぎた地球への介入を抜本的に見直さなければいけない転換点に今来ているということです。

斎藤幸平(さいとう・こうへい)

斎藤幸平(さいとう・こうへい)

1987年生まれ。大阪市立大学大学院経済学研究科准教授。ベルリン・フンボルト大学哲学科博士課程修了。博士(哲学)。専門は経済思想、社会思想。Karl Marx’s Ecosocialism:Capital, Nature, and the Unfinished Critique of Political Economy(邦訳『大洪水の前に』・堀之内出版)によって権威ある「ドイッチャー記念賞」を日本人初、歴代最年少で受賞。日本国内では、晩期マルクスをめぐる先駆的な研究によって「学術振興会賞」受賞。30万部を超えるベストセラー『人新世の「資本論」』(集英社新書)で「新書大賞2021」を受賞。

石山さん そして、その根源にあるのが資本主義だと。

斎藤さん そうですね。資本主義のもと経済成長を続けていく中で、イノベーションが起き、省エネ化や再生可能エネルギーも出て来たわけで、そういう技術は必要なんですが、他方で私たちがファストファッションやファストフードを消費することがセットになっている。そういう消費のあり方をどこかで見直さない限り、安宅さんが言ったような事態は避けられない。そのあと待っているのは、お金がない人や途上国の人たちが最初に犠牲になっていくようなグロテスクな社会で、私はそれを避ける道はないのかってことを考えたいです。

石山さん 安宅さんは格差についてどう思いますか?

安宅さん 格差は大問題です。でもビル・ゲイツみたいに余力のある人のおかげでイニシアチブがたくさん立ち上がって、カーボンをネガティブまで持っていこうとか、国すら動かしていることには感謝しています。

ただ、僕も含めて富裕国にいる人間は、半端ない量の環境負荷をかけて生きているわけです。みなさん直視したほうがいいと思うんですが、日本人は1年に約10トンのCO2を出しています。生命体としてのヒト約30人分、生き物でいえばゾウ1頭と同じくらい。つまり、日本はCO2排出量でいうと、1億2500万頭のゾウがいるという国だと思わなきゃいけない。それだけ異常な負荷をかけているんです。

だけど僕は富裕国がたどったように、途上国に豊かになるなというのはまったく間違っていると思います。今は上の方の人の負荷に近い形で下も増えてきていて、それが下げられないのは由々しき問題です。でも、彼らも豊かに安全になって少子化が起きて、そのうえで環境負荷が下がる未来がやってきて。そのときにどうしたらいいのかというなら、いい問題だと思います。

ただ、今起きている悪化を完全に止められないと僕は思っていて。何をやっても、悪化はなだらかになる程度で起きちゃうと思う。だから、僕らはサバイバルの方法を検討しないと、だめなんじゃないかと思っています。

ここまで語られたことは、今回の議論のベースとなる部分です。3人は、地球の危機は本当に待ったなしのところに来ていて、とにかくなんとかしなければいけないと言うところでは一致しています。

そのうえで、斎藤さんはその状況をつくり出している資本主義をなんとかしないといけないと思っていて、一方、安宅さんは対策はもちろん必要だけど、もう間に合わないからサバイバルの方法を検討すべきところまで来ていると悲観的になっています。

安宅さんの問題提起にはハッとさせられましたが、私は何をおいてもこの資本主義をなんとかしなければ、危機の進行を遅らせることもままならないと思っているので、斎藤さんの立場に、よりシンパシーを覚えました。そのうえで、安宅さんや石山さんのアイデアによってその道がよりはっきり見えてくるのではないかとの期待をいだきました。

脱成長は可能か?

石山さん 行き過ぎた待ったなしの世界で、その悪化をいかになだらかにしていくのかという設計の議論に移っていきたいと思いますが、まさにここが斎藤さんの言う「脱成長コミュニズム」なのでしょうか。

斎藤さん これ以上、特に先進国において生活規模を大きくするのは、事態を悪化させるだけです。途上国にも発展の余地を残して、持続可能な道を追求するのであれば、先進国はこれ以上の経済成長を諦めなければいけないんじゃないか。だから、スロー&スケールダウンしていこう。これが脱成長です。ただ、先進国にもたくさん貧しい人たちがいて、彼らが貧しいのは、十分に富がないからではなく、今ある富が一部の人に偏りすぎているから。

だから、脱成長をしても富裕層が金持ちのままだと意味がなくて、今ある富をより大勢の人たちと共有していく、いろんな形で今独占されている富の新しい管理の仕方をつくっていくことが大事なんです。

例えば自動車を100人に100台つくる社会から、1台を100人が使う社会になればより多くのものをつくらなくてよくなり、脱成長をしても、より平等な社会をつくっていけるんじゃないか。それを「コモン」と呼んでいます。

分かりやすい例だとオーストリアで気候変動対策として公共交通料金を3ユーロにするという政策が取られました。3ユーロで1日乗り放題にして、みんな車に乗らないようにしていこうと。これがまさに移動手段のコモン化で、既存のシステムを使いながら、お金をあまり使わなくてもみんなで暮らしていけるような社会にしていくという方向です。

石山さん 再配分をどうしていくか、市場原理に左右されない公共財をどう利用するかという話だと思うんですが、安宅さんはそこについていかがですか?

安宅さん 僕もシェア化のほうが正しいと思うし、やったほうがいいことなのは間違いない。ただ、考えなければいけない問題が1つあると思っていて、経済が縮み始めると、利息に食いつぶされて社会が回らなくなるんですよ、経済学的な理屈によって。そうすると世界の不安定化を引き起こす。だから、経済規模がシュリンケージ(※)を起こさないようにしてやってくっていうのが結構重要ではないかと。

※時間が経つにつれ少しずつ縮んでいくこと。

石山さん そこは斎藤さんは明確に否定されているイメージがあるんですが。

斎藤さん 基本的に資本主義って常に資本を増やしていくことを前提として制度設計されてるものなので、今の日本みたいなゼロ成長が長く続くとやっぱりいろんな問題が起きてくると思うんですね。

これから人口も減っていくし、環境制約も厳しくなってきて、新しい資本投資のフロンティアのない状況で、安宅さんのおっしゃるように資本主義がシュリンケージを受け入れられないんだとすると、やはり成長に依存しないような脱成長の社会制度設計が必要になってくるというのが僕の考えです。

だから資本主義をぶっ倒さなきゃいけないんだと思うんだけど、やっぱり資本主義は超強い。

安宅さん もしかしたら若干そこに認識のずれがあるかもしれません。今の世界では資本が資本を生むのがほとんどで、そうやって資本が増えること自体はいいと僕は思ってます。問題は、その富が全然社会に持って来れないこと。これを持って来れるようになればすごくやりやすくなるけど、今のところ富裕層の側が寄付をしたり、社会善と信じるところに使うことしかされてないわけです。

斎藤さん だからその持てるやつから、もっとバンバン取ればいいと思うんですけどね。金融資産課税とかガンガンやればいい。でもそれを嫌がるわけですよね。

安宅さん それは資本家の本質としてものすごく逃げますね。

でも、我々は低廉(※)に電気が手に入り、低廉にプラスチックが使え、低廉にいろんなものができて、低廉に何か素敵なサービスを使い生きる社会に生きている。そうして彼らの富があるわけで、彼らも孤立したら無力化するわけです。なので、あまり地球への負荷を上げないような社会に持っていけば…。答えはないんですが…

※金額が安いこと。

この議論は非常に興味深くて、平たく言うと、斎藤さんは脱成長してお金がなくなってもみんながハッピーな社会はつくれるはずだという考え方、安宅さんはうまく分配できる仕組みがつくれれば資本主義社会でもいいという考え方なのだと思います。

アプローチは違うものの、求めているのは同じ平等な社会であって、今の格差が拡大しつづける社会において、平等を実現するにはどうしたらいいかという道筋の議論なのです。ただ、現時点ではどちらも方法論が確立されておらず、実現は難しい。じゃあどうするか、そこでいよいよ今回のテーマである「シェア」が出てくるのです。

プラットフォーム荘園制の社会

石山さん そういった富が偏りすぎた社会のオルタナティブがシェアリングエコノミーであり、コモンズだと思っています。

斎藤さんはコモンズ、特に共同組合的なモデルにすごく可能性があるんじゃないかと提唱されていますが、ひとつ個人的に聞いてみたかったことがあります。それは、さまざまな記事でUberやAirbnbのような、本来はインターネットが民主化されたなかで個人がシェアするものだというふうに期待をされたのに、実は蓋を開けたら「プラットフォーム資本主義」的なるものにすぎなかったとおっしゃってますよね。

斎藤さん サイバー空間って、かつて資本主義がイングランドで土地を囲い込みしたのと同じような状況なんです。プラットフォームという形でどんどん囲い込まれていって、私たちが草みたいになって、どんどん栄養分として吸い上げられていって、GAFA(※)の富の蓄積のために利用されるというような状況が生まれてしまっています。

※アメリカ合衆国に拠点を持つGoogle、Amazon、Facebook、Apple、この4社を総称した言葉。どの企業も、ITを活用したプラットフォームのサービスを提供していることが共通する。

私はサイバーの専門家ではないので、その状況を抜け出すのにどういうシステムをつくっていくのがいいのか分かりませんが、かつての希望があった時代のインターネットのポテンシャルを取り戻していくために、プラットフォーム共同組合という形がいいのか、無償のオープンソースがいいのか。どういう道が一番いいのか、ぜひ安宅さんに教えていただきたいなと思っています。

安宅さん 僕はいわゆるプラットフォーム側の人間でもあるんですけど、今の話はすごくよくわかります。今のインターネット社会は「荘園エコノミー」なんですよ。「プラットフォーム」という名の荘園のうえで成り立ってるんですよね。荘園だから、オーナーが綺麗にゴミがないように掃除したり、壊れないように直したりして成立させている。つまり、バグフィックスみたいなことにすごい人手をかけてるわけです。

これを、パブリックマネジメントに任せたときに何が起きるのかっていうのは分からない。社会を回し続けられるのか我々にはいまいち分からないんです。インターネットそのもののベースがパブリックなものなのは確かですが、サービスのベースは荘園だから、どうなのかなと。

石山さん いかにこの荘園的なプラットフォームを、もうちょっと民主的にしていけるかみたいなところだと思うんですが。

安宅さん 相当、規制をかけておかないと中の人も守れないのも事実だと思うんです。むき出しにするわけにはいかない。全部オープンがいいって言うわけではないと思うんです、おそらく。

斎藤さん だから結局、シェアリングエコノミーが良いものと思われて、UberやLyftやAirbnbが出てきたけれど、プラットフォーム側の力が強くなって、ユーザーがそれに振り回されるような状況になってるわけですよね。そこはやっぱりもう少しルールをつくって変えていく必要があるんじゃないかなと思いますが。

石山さん Airbnbのように、例えばホストアドバイザリーボードというものを設けて、プラットフォームと個人が一緒に健全な環境をつくっていく仕組みをトライしてる企業もありますけど…

安宅さん 僕の著書『シン・ニホン』でボツになったあるチャートがあるんですけど。

安宅さん これは個人善だけでやると非常にevilだけど、コミュニティに寄るとgoodになる。でも、コミュニティの善を追求してエクストリームになってもおかしい方向(不善)に行きがちという図です。この個人善に陥らず、エクストリームコミュニティ善にならない、いい塩梅の部分を探る必要があるんじゃないかと思っています。

石山さん 今見せていただいた図は、全体か個人かみたいなところの塩梅をどうつくるかっていう、コープの課題でもありますよね。ある一定の規模までいくと合意形成が難しいと。

安宅さん そう思いますね。コミュニティ善も暴走するんですよ。変なところに行きかねないので。人間っていうのは異質なものを排除するという非常に強い特質があって、排他的になりがちなんです。でも異質を認めてこそ価値なわけです。だから、その部分をどうつくっていくかというところで、すごい苦しんでいるわけです。

今のデジタル荘園システムは、なんとかそれをコンプロマイズ(※)させようとしていて、特定の異質は認めないという排他性が発生しづらくなるようにと、異常なほどのエネルギーを注いでいます。でも、それは人間性の深いところに根差しているので非常に難しい。

※譲歩、妥協、歩み寄り。

個人と個人、個人とコミュニティの問題だけじゃなく、コミュニティ対コミュニティの問題もすごくいっぱいある。国と国だってコミュニティ・コミュニティですし、イスラム教と何とか、タリバンと何とか、これも全部コミュニティ・コミュニティなので、これをうまくマネージするのは難しすぎる。

プラットフォームが荘園というのは非常に分かりやすい例えで、私もUberなどが最初はシェアの思想で始まったのに資本主義に取り込まれてしまったのは何故か疑問に思っていたので、少しその謎が解けた気がしました(ついでに『東京自転車節』のことも思い出しました)。

そのうえで、オープンで平等なコミュニティをつくっていくことがいかに難しいか、そしてそんなコミュニティができたとしても、それを他のコミュニティとの関係性の中でどう維持していけばいいのか、それは安宅さんの言う通り難しすぎる問題だと感じました。

事実の共有と意識の修行

石山さん コミュニティができても、結局個人の意識が排他的であったり、グループでいたいみたいなところで排除を生み出したり。そんなことがやっぱり起こってしまうというのが、これまで言われてきたコモンズの悲劇みたいなことなのかもしれません。

そういう中で、では、いかにシステムではなく人の意識を変えられるのかという話だと思うんです。かつ、斎藤さんが言ってる共生意識をいかに育むか、そのために何がアクションとして必要なんでしょうか。

安宅さん 事実の共有だと思います。1にも2にも事実を共有。フラットな事実の共有。ただフラットな事実をつかむのはなかなかに難しいので、間違えたら速やかに補正する、これをいっぱいやるのが重要ですね。それができるのがデジタルの良さだとも思います。

ただ、今回のCOVID-19(新型コロナウイルス)のパンデミックで見たように、人は都合のよくない真実に目を向けない。だから変な方向に行くんですよ、オープンな情報があるにもかかわらず。そうなると、教育レベルの話をしなきゃいけないと思いますね。

石山さん 私は意識の修行なのかなって思ってますね。面倒くささを排除して生きてきて、システムの奴隷みたいになってきちゃって。それをいかに個人は意識をアップデートできるかって。

安宅さん 同じ。まったく同じ。修行ってのは要はトレーニング、教育ですよ。

斎藤さん それを助けるような形のイノベーションがほしいですよね。

安宅さん ほしいですね。何かやばいのやりましょう。

石山さん いやあ、でも、意識の修行でさえイノベーションに頼ってしまったら、それもそれでまた、解決するのかなって。

斎藤さん 問題は意識の修行をする余裕がない人たちが、今の社会の大多数だってことですよね。暇もないし、修行に取り組もうという気づきがそもそもない。そういうジレンマはありますよね。

石山さん 最後にこの意識をアップデートしていくために、日本文化とか日本思想との親和性みたいなものが可能性としてあるのかなと思っていて、日本の文化や思想との関連性での可能性があれば、そこで最後のメッセージとしてお願いしたいと思います。

安宅さん 最近、日経サイエンスで、日本人の源流を探る特集をやってたんですが、1万人分のゲノムを解析すると、明らかに日本っていうのは何種類かの異質な人たちの集合体によってできていると。

でも、縄文時代から今まで、日本国内ですごい戦争をやったという形跡はないんですよ。それは、なだらかに融合したということで、すごく素晴らしいですよね。私たちはコミュニティ善の調整を、何故か平和裏にできる歴史的な背景を持っているということなので、何かできる気がします。

斎藤さん 日本人には天災を耐え忍ぶという伝統があるんですよね。だから、いくら台風がひどくなっても「これは自然現象だから」ってなってしまって、これは人為的な問題だ、社会の問題だと目が向かっていかない。この状況は変えなきゃいけないと思うんですが、そのためのヒントも、自然を支配しようというヨーロッパとは違う日本の共存とかいう発想にあるかもしれないと思っているので今後勉強したいです。

(鼎談ここまで)

最後の議論は駆け足になってしまいましたが、斎藤さんの言う「問題は意識の修行をする余裕がない人たちが今の社会の大多数だってこと」というのはまったくそのとおりだと思っていて、それをどうするかについてもう少し聞きたかったという思いが残りました。

その余裕がない人たちが余裕を持てるようになるには富の分配が必要で、でも富の分配を実現するには意識の修業が必要で、でもその余裕がなくて・・・という堂々巡りに陥ってしまうのです。

ただ、今回の鼎談のような思考・思索がシェアされて、余裕のない人たちに届けば、意識は少しずつ変わっていって、そこから仕組みが少しずつ変わっていくのかもしれないという希望の兆しを見ることはできました。

シェアリングエコノミーというのはシステムの話ではあるけれど、そのシステムは私たちに共有の意識がなければ成り立たないものです。荘園システムとシェアリングエコノミーの違いは実は私たちの意識の違いなのではないか、そんなことを最後に思いました。

自分の意識から経済のことを考えてみると、社会の見え方が変わってくるかもしれませんので、ぜひ見方を変えて見てみてください。

(編集: 廣畑七絵、山崎久美子、スズキコウタ)
(協力: SHARE SUMMIT 2021)

– INFORMATION –

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