自分にしかできない仕事をする。
という言葉から、どういう働き方をイメージしますか?
ひとりで起業してぐいぐいやっていく、独自の技術をもった職人さん、フリーランスの自営業など、独立してやっていくものを想像することが多いのではないでしょうか。
でも、組織の中でも「リーダーとは違うんだけど、この人がいるとプロジェクトやコミュニケーションが円滑に回るなあ」という働きをしている人、「事務仕事は、営業は、この人に」と任せたくなるような人、そんな、集団の中で輝く働き方もありそうです。
自分の持ち味とはなにか、そしてそれが分かったのなら、それを生かしてゴキゲンに働きつづけるための秘訣のようなものはあるのでしょうか。
今日ご紹介するgreenz peopleの中嶋希実さんは、こう語ります。
フリー(自分ひとり)でやっていくよりは、誰かやどこかと手をつないでやっていく方が自分が生かされる気はしています。
いろんな生き方や働き方を紹介する求人サイト「日本仕事百貨」で長年にわたりエディター・ライターとして活躍してきた希実さんですが、実は他にも複数の役目を引き受け、自分が生かされる仕事や暮らしをつくっています。
希実さんが、自分に合うと感じている仕事とは?
そういう仕事と出逢うために大切にしていることは?
その言葉の一つひとつに、自分を生かして生きるためのヒントが散りばめられていました。
1985年生まれ、茨城・取手育ち、龍ケ崎在住。川沿いの実家から50歩の家で暮らしながら、東京と茨城を行ったり来たり。生きるように働く人の仕事探し「日本仕事百貨」、いろんな生き方働き方にであう場所「リトルトーキョー」の運営に長くたずさわってきた。
希実さんの生き方・働き方
希実さんは、2013年より「日本仕事百貨」の運営会社・株式会社シゴトヒトの一員として、取材し、文章を書くことや、広報や人事、マネジメントなど会社を支える仕事をしてきました。さらに日本全国のおもしろい人たちを紹介するトークイベント「100の生き方働き方」など、シゴトヒトが主催する企画を、代表のナカムラケンタさんと二人三脚でコーディネートしてきました。
また、2013年から地元である茨城県取手市のNPO法人取手アートプロジェクトのスタッフとして、アートプロジェクトにも携わってきました。
一方で、数年前からは個人でも地域のマルシェやイベントにチャイ屋を出店して美味しいチャイをつくっています。
暮らしに目を向けると、茨城にある実家の一部を自分の手で心地の良い感じに改装して住み、実家敷地内の梅や野草を摘んでは加工し、信頼できる知り合いに提供する日々。
わからないなら、わからないなりに、やる
「日本仕事百貨」との出逢いは、グリーンズがきっかけでした。
印刷物やウェブサイトをつくる制作会社で営業を行っていたある日、書店で書籍『ソーシャルデザイン(グリーンズ編、2012年発売)』を見つけ、面白い人や取り組みの数々に興味をもちました。その流れでgreen drinksやgreen school Tokyo(現在の「グリーンズの学校」)に足を運ぶようになり、日本仕事百貨の代表のナカムラケンタさんを知ります。当時、4年半働いた会社を辞めようとしていたタイミングだったとか。
会社を辞めてからは、取手アートプロジェクトのボランティア、バングラデシュで小学校をつくるプロジェクト、日本仕事百貨のインターンをしていました。
そろそろ失業保険が切れるかなという時期にさしかかって、それまでやってきた制作系のことができる会社に日本仕事百貨のサイトを通して応募して。
日本仕事百貨のライターとして働くことは想像していなかったんです。 そうしたらケンタさんに「ちょっとお茶しませんか」と呼ばれたんです。ちょうど東京の虎ノ門に、リトルトーキョーという場所をつくろうとしていて、総務や求人窓口のような役割を担う人が足りないから、スタッフをやらないか?と。
同時期にずっとボランティアでやっていた取手アートプロジェクトでも、新しくつくる広報誌を担当することになり、お金をいただけるようになりました。
こうして東京と茨城、ふたつの拠点で働きはじめます。
場づくりや編集の仕事を熱望していたわけではなかった希実さん。でもふたつともやることを決めたのは、こういう理由があったようです。
ほかの場所に就職しても、この半年過ごしてきた仲間との友達関係は続くんだろうけれど、仕事の関係とは話す内容も違っていくはず。日本仕事百貨でも取手アートプロジェクトでも、もうちょっとこの人たちと仕事の関係を続けてみたいと思い、引き受けました。
日本仕事百貨での最初の仕事は、引っ越しのための段ボールを買うことだったとか。 営業職で培った対人スキルを活かし、初対面の人への対応や求人の問い合わせへの説明などを一手に引き受けるように。それとともに、未経験だった経理や総務といった仕事もやっていきました。
人員の少ない会社ということもあって、やったことのない仕事を頼まれることもしばしば。わからないことばかりだなあと思いつつも調べながら進めていくことは多かったですね。 ちょっとおせっかいな性格もあって、やっているうちに「誰かやらないのかなコレ。いない。やるか」みたいな感じで、仕事をつくっていきました。…というと綺麗ですけど、やらざる得なかったんですよね。
取り組んだことのないものにも、一つひとつ試行錯誤していくことで、自分の居場所をつくっていきました。
虎ノ門のリトルトーキョーができ、グリーンズもリトルトーキョーを拠点に活動をはじめ、グリーンズの寄付会員「greenz people」の制度がはじまりました。希実さんがgreenz peopleになったのは、この時期だったそう。
日々をともにするグリーンズのメンバーは、仲間というか親戚のような感じで。力になれることがあればぜひ協力したいと思ってピープルになりました。
よさそうな道はふっと自然と見えてくる
“二足のわらじ”を3年ほど続け、リトルトーキョーが虎ノ門から清澄白河にうつるタイミングで働き方を変えます。
日本仕事百貨のスタッフの多くが入れ替わった時期があって、なんとなく私が腰を据えてそこにいた方が新しいメンバーが安心して働けそうだなと思ったんです。ちょうど担当していたプロジェクトが区切りを迎えていたこともあって、アートプロジェクトに関わる頻度を減らしました。誰かに頼まれたわけではないのだけれど、それが自分の役割だと思って。
分岐点をいくつも経験している希実さんですが、思い悩んだり情熱的に決めるというよりは、「あ、こうしよう」と自然にわいてきた感覚に沿って、さっと決めているように見えます。柔らかいけれど精度の高い感受性を持っているといいますか。
あまり理論的に考えるのは得意じゃないので、こっちの方がよさそうだなと思ったら、そのまま流れていく感じなんです。いつも。 今の自分の感覚に正直にいることを教えてくれたのは日本仕事百貨代表の(ナカムラ)ケンタさんなんですよね。とても自由で正直な人で。正直に生きるってこういうことなんだという感覚を、ともに働く中で教えてもらいました。
移動するチャイ屋をはじめたら、取材とは違う関わりが生まれていった
こうして日本仕事百貨の仕事に専念するようになった希実さんですが、それと並行して、数年前からマイプロジェクトとして「きみちゃい」という小さな移動するチャイ屋もはじめています。
月に1回は開催しようと決め、リトルトーキョーのバーのすみっこから、友人のマルシェまで、呼ばれればいろいろなところに行くのだとか。
はじめたきっかけは何だったのでしょう。
バングラデシュの子どもを支援するプロジェクトもやっていて。資金源のアイディアとして、仲間うちで出てきたのがチャイ屋でした。バングラデシュには、インドと同じくらいチャイをよく飲む文化があって、200メートルおきにチャイの屋台があったありするんです。
メディアをつくる経験を重ねてきて、取材で聴ける話の深みが変わってきた実感があって。日本仕事百貨の取材では、自分で事業をはじめている人に話を聞くことが多いんです。私も何かをはじめてみることで、また新しく聴けることが増えていくかも、というのもあったんですよね。
やってみると、今までと違う関係性の出会いがありました。たとえばマルシェで、出展者同士だからできるやりとりがあるんです。今日のお客さんの入りはどうだったとか、どういう仕事をしてるだとか、普段困ってることは何だとか。
私はめんどくさがりで休みの日にあまり外に出ないんですけれど、チャイ屋をやっていると友達が会いに来てくれるから、楽しいですね。
メディアとは違った関係性の広がり方を楽しみつつ、チャイづくりについては、試行錯誤をためらわず、改良を重ねています。
自分に向いていて、心地いいものを正直に選んでいく
昨年の夏、日本仕事百貨は10周年を迎え、ウェブサイトのリニューアルに記念イベントにと、大盛り上がりでした。そんな夏を乗り切った先に、希実さんの転機がおとずれます。
2018年末、8年弱かかわってきた日本仕事百貨から離れることを決めました。
後輩たちは、私がめんどうを見なくちゃって勝手に思っていたんですけど、もう私が心配しなくてもいいくらい、自分で考えてそれぞれに働いています。
たとえば私のやっていた人事担当を、やってみたいと申し出てくれる子がいたり。 社歴も年齢も、気づいたら代表以外では一番上になっていて。私が発言することは日本仕事百貨が大事にしてきたことをふまえているから説得力もあるのか、すんなり通ってしまう部分がある。
それはやりやすい反面、ちょっと物足りないし、会社全体として面白い方向にいかないこともある。 一方で、個人で仕事を受けることもあって「きみちゃん、これ、一緒にやろうよ」と声をかけてくれる人が外にちょいちょいいる。でも、会社がメインの今、100%は応えられない。
せっかく面白い人たちに誘われているのに、できないのはなんだかもったいないなあという思いがふくらんできてしまったんです。 居心地がよくて、好きにやらせてもらって、一緒に働いている人にも恵まれている。そこを崩すようなことをして、手放してほんとにいいのかな。そう考えたのだけれど、考え始めたことはいったんやってみないと分からないから、決めました。
ここまではスッと自分の感覚に従って、転機でも迷いなく選ぶことができた希実さんが、かなり迷ったようです。そこで立ち戻ったのはこういう感覚でした。
すごく人に影響されやすいんですよ。関西弁の主人公が出てくる本を読んでいると、考えごとが関西弁になったりとか。関わる人たちで私がつくられていると思うから、新しい要素を入れてみたくなったのかもしれない。
サステナブルな社会をつくることに関わりたいとか、人に迷惑をかけずに生きていきたいとは思うけど、絶対にこの仕事をしたい、というものはあまり持ち合わせていないんです。一緒にいて気持ちがいいなあと思うたちと仕事をしていきたい、関わっていきたいというのはいつも、ありますね。
こんなふうに、人とのつながりを重んじながら仕事をする希実さん。自分の得意なこと、そうでもないことをきっちり見定めた上で今後の歩みたい方向を語ります。
編集者やライター一本で生きていけるとは思ってないですね。言葉えらびが上手で本当に好きな人もたくさんいるから、私が深めていける仕事ではない気がして。 今までやってきたことって、組織の中だからこそ生かせてたことも多いんですよ。自分で事業をつくってやっていくのはあまり向いていない。どちらかというと人のサポートや、考えを翻訳すること、察するといったマネジメントのほうが得意です。
嫌で離れたわけではないこともあり、日本仕事百貨でも引き続き編集やプロジェクトの担当もさせてもらうことにもなっていて。ほかにも編集とか、プロジェクトを立ち上げようとか、一緒に仕事をしようと声をかけてくれる人に応えて、自分がどんなことができるのか、どんなところにいけるのかが楽しいので、しばらくはフリーで仕事をしています。
これは自分の仕事ではないなと思うことはわかるし、気持ちのいい人がやっている仕事は、気持ちのいいことが多いから面白いですよ。 おせっかいでいろいろやってしまう性格だから、フリーでやっていくよりは、誰かやどこかと手をつないでやっていく方が自分が生かされる気はしているんですけどね。
希実さんに、この連載恒例の“狼煙”をうかがったところ、「ない」とお答えいただきました。どこで狼煙を立てるか、現在は見て考えているところだそう。
そのときその場でのベストを尽くしてきたことで、幅広くなんでもできるようになっていく。それは一つのことを深く突き詰めていくのとはまた違った、働き方のひとつの解です。
心地よさ、自然な流れ。頭よりも心で感じるなにかに正直な選択をしていくことで、自分の納得いく生き方・働き方を全うし続けていけるように思います。 進む道に迷ったら、希実さんのチャイを飲みに、おしゃべりをしに行ってみてはいかがでしょうか。
– あなたもgreenz people コミュニティに参加しませんか? –
そんな中嶋希実さんも参加している、ほしい未来をつくる仲間が集まるグリーンズのコミュニティ「greenz people」。月々1,000円のご寄付で参加でき、あなたの活動をグリーンズがサポートします。ご参加お待ちしています!
詳細はこちら > https://people.greenz.jp/