「農」を軸に、持続可能な暮らしをつくっていく。それも、岐阜県にある110世帯250人の小さな集落・石徹白(いとしろ)地区のみなさんと力を合わせて。
そう聞いたら、どんなことができると思いますか?
石徹白といえば、水力発電で大きな注目を集める集落。「持続可能な農村」への挑戦に向け、集落で暮らすほぼ全世帯が出資し、水力発電の建設を実現しました(詳しくはこちら)。近年は、毎年のように子育て世代の移住や出産が相次ぎ、この11年間のUIターン世帯は16世帯48人と、集落の2割近くを占めるまでに。挑戦する石徹白の人たちの姿を、ドキュメンタリー映画「おだやかな革命」で見られた方も多いかもしれません。
外から見ると、最先端を歩み、大成功したように見えます。けれど、住民の方にしてみれば、「成功事例と思っている人はおらず、ようやくこの地区が残るための入口に立つことができた」のだといいます。
そして、次なる新たな挑戦として、集落で農業に共同で取り組む「集落営農」がはじまっています。
今回、地域おこし協力隊として、石徹白の人たちがはじめた集落営農の仲間となり、新たな作物の栽培や空き農地を活用した関係人口づくり、新規の移住・営農希望者のための研修などの仕組みづくりに取り組む方を募集します。
なぜ今、石徹白で「集落営農」に関わり、広めていく仲間が必要なのか。グリーンズ求人では、この挑戦に関わるみなさんの思いをお届けします。
自立の精神が根づく集落
石徹白地区は、縄文時代から人が暮らしてきた集落です。
日本三大霊山のひとつである白山信仰の拠点として、平安時代から鎌倉時代には修験者が多く出入りし、明治までは“神に仕える村”といわれていました。
昔から豪雪地帯としても知られ、冬には3m以上もの雪がつもります。
1970年にスキー場ができるまで、冬は除雪が行われなかったため、峠道を数時間歩かないと、集落の外と行き来することができなかったそうです。
源悟さん 高校生のとき、正月休みに高校の下宿から石徹白に帰ってくるときは、雪の中、峠道を3、4時間かけて家に歩いて帰っていましたね。
そんなエピソードを語ってくださったのは、「石徹白農業用水農業協同組合(以下、農協)」代表理事組合長の上村源悟さん。
源悟さんは、集落の存続をかけて農協を立ち上げ、ほぼ全戸出資による小水力発電事業を実現した中心人物です。また、今回、農協の新たな部門として進めている、集落営農の中心でもあります。
源悟さん 何もやらないでも、集落はなくなるかもしれない。何かやっても集落がなくなるかもしれない。けれども、せっかくならやれるところまでやってやろうやないかと思ったんです。
そんな“攻め”の姿勢をさらりと語ります。
縄文時代から続く、残すべき価値のある場所
源悟さんとともに、水力発電部門の中心人物として動いてきた人物がNPO法人「地域再生機構」副理事長の平野彰秀さんです。ご自身も移住者であることから、地域おこし協力隊の移住サポートの窓口を担当されています。
平野さん 源悟さんたちより上の世代の方は、ここの地域のことは自分たちでやる、ということを当たり前にやってきた世代。そういうことを経験した人たちが身近にいることが、ここの集落の価値だなと思っています。
電気にしても、食べ物にしても、お金で買うようになると、どこからきているかわからなくなる。けれども、ここの人たちは自分たちで何とかする、という記憶をまだ持っている。水力発電だって新しい話ではないんです。大正13年から昭和30年までは集落で発電所を運営していて、完全に自立してやっていたし、みなさんその頃のことを覚えていらっしゃいます。
ここは縄文時代から続いている集落で、自然に近いところで暮らしてきたからこその価値観や、自治や自立の精神が根付く、残すべき価値のある場所だと思っています。けれど、高度経済成長期以降、この50年くらいの時代の変化によって、なくなろうとしている。
石徹白は成功事例だと言われることもありますが、実際はここ5年ほどでも農地が荒れてしまうなど、地域の風景は大きく変わっていってしまっているんです。人の手が行き届いている農村風景が荒れていくと、人の心も寂しくなっていくんですね。
だからこそ、農村風景や集落の人たちが持っている精神を受け継いでいきたいと思い、僕は石徹白で暮らしはじめました。
「石徹白に住みたい」と思える環境をつくっておきたい
2016年に水力発電をはじめ、今では売電の利益が上がりはじめたといいます。
そのお金を何に活用するのか?
それは水力発電をはじめる前から話し合っていて、集落全体で石徹白の美しい景観を守る「集落営農」に決めていたのだそう。
源悟さん 石徹白は小さな農山村です。とりえといったら、美しい農村風景、田園風景。長い歴史もあって、伝統の芸能や神社のお祭りの舞も残っとるけれど、このあたり一帯に雑草がはえて、田んぼも畑も荒れ放題になると、そういう文化や伝統も色あせてしまう。美しい風景があって、初めていいなと思える。
何人おれば地区としてやっていけるかわからないけど、いずれ成り立たん人口になるんじゃないか。今、石徹白の高齢化率は50%です。それはしょうがないとしても、お年寄りの子どもさんが都会に家を建てられて、帰ってこない。
けれど、環境を整えておけば、石徹白に帰ってもいいなと前向きになったり、移住者の方にも興味を持っていただけるんじゃないか。集落営農で石徹白に住みたいなあ、と思える環境をつくっておきたいんです。
農協が保有する、13万5,000坪の休耕田をどう使うか?
農協では、水力発電がはじまった2016年に集落営農もスタートしています。実行する上での、地域のみなさんのとりまとめ役が、IT企業を辞め、2011年に石徹白へと移住した「農園 えがおの畑」の黒木靖一さんです。
黒木さん 営農の方針としては、地元の人でまずやっていこうじゃないか。ということで、手を挙げてくださった地元の方を中心に30人くらいが協力者として、関わってくださっています。核となっているのは、源悟さんや地元の名士たち。
石徹白に専業農家は少ないんですよ。でも、兼業ならほぼ全戸で、自分たちが家で食べられる野菜やお米くらいはつくっている。だから、農業の先生はいっぱいいます。
石徹白の作物は季節がはっきりしていることから、寒暖の差によって甘みが強く、周辺の農家さんからも特別おいしく育つといわれています。にんじんでも、子どもたちが生でバリバリ食べるほど。その代わり、11月から4月にかけてはたくさんの雪が降り積もるので、厳しい冬を乗り越えなければなりません。
農協で持っている農地は、45町歩(1町部=3,000坪)。およそ2年間かけて、まずは10町歩をきれいにして、維持できるまでに整備したそうです。
黒木さん みなさん、仕事を持っているので、休みの日に手伝ってもらったりしています。今は営農専用の田んぼを耕す機械はないので、地元の人たちにお願いして、持っているものを貸してもらいながら進めてきました。
ここの人たちは、困ったときは助け合う精神があるんです。年に何回か用水路の掃除など共同作業があるんですが、みなさん予定があっても、ずらして調整するんです。個人の予定よりも、優先するんですよ。
地元出身の若い人もそう思っているし、逆にそういうことに入ってこないと、ここのなかでの暮らしは難しい。大変なときもあるけど、農地を貸してもらったり、農作業のやり方聞いたり、助けてもらっているばかりなんでね。
2年間かけ、農協が持つ農地の4分の1が整備され、石徹白名物のとうもろこしやお米などの生産がはじまっています。
メンバーでの話し合いでは、酒米を育てて日本酒をつくったり、試験的に別の作物をつくりたいといった願望はいろいろとあるものの、なかなか専門に動ける人がいない。そこで、地域おこし協力隊の募集に至ったようです。
取り組むのは栽培だけでなく、関係人口づくりも
今回、地域おこし協力隊として集落営農の仲間になる方が取り組むのは、整備した農地を使って、新しい可能性を広げること。具体的には、新たな作物の栽培だけでなく、空き農地を活用した関係人口づくり、新規の移住・営農希望者のための研修の仕組みづくりなど、石徹白での農業を多くの方に知ってもらい、体験してもらう活動に取り組むことをイメージしているといいます。
黒木さん 整備した農地を使えているかというと、半分以上は使えていない。農地やもんで、使わな意味がない。活動のイメージとしては、将来の石徹白の担い手を育成するような仕組みができんかとか、農産物をどういうふうに売っていくとか、貸し農園とか農業体験とか、いろいろあるんですわ。
でも、言われることをやっているだけではね、おもしろくないでしょうから、いろんなアイデアを出していただいて、進めていただける人がいると助かります。
黒木さん ただ集落営農なので、自分がやりたいことだけやればいいかというと、正直なところそうでもない。辛抱強く取り組む必要がある。どこでもそうでしょうけど、ここは信頼関係が本当に大事。
外から来た人には外から来た人の価値観や見方、やり方があるし、地元の人にも地元の人たちの生き方や考え方がある。一度、石徹白に来てもらって、いいな、と感じてから動いていただきたいですね。
地域のさまざまな方の意見を聞きながら活動していく必要があるため、協力隊として着任する方には調整力が必要になります。だからこそ、事前に地域にどんな方がいるのかは気になるはずです。そのため、4月28日・5月3日・12日には、今回の求人に興味のある方を対象にした個別説明会を石徹白でおこなう予定。実際にまちを訪れ、地元の人と交流するなかで、相性を確かめる機会となりそうです。
地元の方のエネルギーを感じながら、活動する
最近移住した方は、集落営農にどのように関わっているのでしょうか。
集落営農のメンバーで、今年から石徹白で新規就農する、深澤柔(にゅう)さんと松本将太朗さんにもお話を伺いました。
ふたりは神奈川県川崎市にある花屋さんの同僚。同じく同僚であった松本さんの奥さんと3人で、一緒に農業で作物をつくり、販売するまでを手がけるため、2015年に石徹白へ移住してきました。
JAめぐみの「トマトの学校」での農業研修を経て、この春から石徹白で新規就農し、現在は3人で夏秋トマトの生産・加工を中心とした「農園tete」の立ち上げに向けて準備中です。
松本さん 田んぼの草刈りや荒れている畑の片付けなどの作業が中心で、最初の年は、わりと頻繁に活動がありました。でも、昨年は6回ほど。一度休耕田になってしまうと、元に戻すまでには何度も耕すことが必要で、本当に大変だということを身を持って学びました。
深澤さん メンバーのみなさんを見ていると、自分の時間を削って、地域のためにという思いで参加され、それってすごいエネルギーだなと感じています。黒木さんがみんなをうま〜く動かしてまとめていらっしゃって、地元の方に信頼が厚い。移住の先輩として、一番のお手本だなと思いながら、ご一緒させていただいています。
最後に、源悟さんにどんな方に来てもらいたいか、伺いました。
源悟さん 世間でいう優秀な人じゃなくても、石徹白が好きでいてくれるひと。
みんなで考えてくれる人。石徹白を「助ける」ではなくて、石徹白を「好き」になってもらって、みんなで進めていきたいです。
源悟さんの口から何度も出ていたことが
源悟さん 一部の人がやるのは意味がない。
集落みんなが関わらんといかん。
ということ。
水力発電のときには半年もの間、みんなで話を続けて、やることになったそうです。その結果、反対意見が出ることはなく、「どういうことかわからんで教えて」と聞きに来る人がいたくらい、地域の誰もが自分ごととして捉えるようになったとか。そんな「集落みんなが関わる」精神がある石徹白での集落営農は、他の地域にはない大きな可能性を秘めていそうです。
今回の募集には、必ずしも農業の技術は必要ではありません。その方が持っているスキルや経験によって、何ができるかを話し合っていくそう。イメージは「半農・半関係性のデザイン」です。今回紹介した「持続可能な農村」に向けた新しい挑戦に興味を持った方は、ぜひ石徹白を訪れて、自分だったらどんなことに取り組めそうか、考えてみてはいかがでしょうか。
(写真: 逸見菜々子)
– INFORMATION –
今回の求人に興味がある方に向けて、石徹白農業用水農業協同組合では現地説明会(4月28日、5月3日、5月12日、5月18日、5月25日)とオンライン面談を開催予定です。参加をご希望の方は、下記のプレエントリーボタンからお気軽にプレエントリーください! プレエントリーしていただいた後、担当者よりご連絡させていただきます。