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有田川町はどのように20年で「絵本のまち」に変化したのか。立役者の杉本和子さんが教えてくれた、“最後の授業のつづき”のようなまちづくりの話

あなたの記憶には、どんな絵本のページがありますか?

2匹のねずみがフライパンでふかふかのカステラをつくったり、紅一点ならぬ黒一点の魚が仲間たちと力を合わせて大きな敵に立ち向かったり。少しの文字と見開きいっぱいのイラストで語りかけてくる絵本は、想像力をかきたて、感性を育んでくれます。

そんな絵本をつくる作家や出版社の方々が、登竜門あるいは聖地として、こぞって訪れるまちがあることをご存知でしょうか。みかんの産地として有名な、和歌山県有田郡の有田川町です。

まちの至るところに、児童書に特化した図書館や絵本館が点在。プロの絵本作家や編集者を招いた絵本コンクールを毎年実施し、多数の絵本作家を輩出しています。さらに、通学路沿いの旧駅舎や高架下の壁には、著名な作家たちによる数々のペイント。絵本の世界を体験するイベントやマルシェを開催するなど。まさに、有田川町は「絵本のまち」なのです。

なぜそのようなことに? はじめたきっかけは? どのように展開していったの?
それらの答えを探るべく、まち唯一の司書として有田川町役場に勤める杉本和子さんを訪ね、実際に「絵本のまち」を体験してきました。

杉本和子(すぎもと・かずこ)
和歌山県有田川郡の金屋町(2006年に合併して有田川町)生まれ。大学卒業後に故郷に戻り、小学校・中学校の講師を4年間経験。1995年、金屋町が運営していた「金屋文化保健センター図書室」の司書として採用され、同年に結婚と出産。その後、有田川町が「絵本のまち」になるきっかけをつくる。現在は、有田川町教育部・社会教育課・文化情報班で司書として従事。4人の子を持つ母親でもある。

きっかけは約20年前、絵本の読み聞かせから

はじまりは、2000年。それは、3つのまちが合併して有田川町になるより少し前のこと。金屋町の「金屋文化保健センター図書室」に司書として採用された杉本さんの行動がきっかけです。

杉本さん 当時、まだ図書館に行くという習慣が地域になく、利用者がほとんどいなくて。「何のために司書が必要だったんだろう?」と毎日考えていました。

3人目の子どもの育児休業から復帰して、ふと「このまま待つだけやったらあかん」と気付いて。そこで、自分が子育て中だったのもあって、まちの人たちが図書館を訪れるきっかけをつくるために、まず絵本の読み聞かせができるといいんじゃないかって思いついたんです。

有田川町の図書施設で今や当たり前に見かけるこんな風景も、20年前にはありませんでした(写真:有田川町役場)

タイミングよく、社会福祉協議会が主催する「言葉遊びの教室」のチラシに書かれた謳い文句「絵本の読み聞かせの力もつけませんか?」が目に飛び込んできました。早速、半年間の講座を受講。仕事と講座、そして帰宅後は、我が子を格好の練習相手にして過ごす日々を送りました。

杉本さん 講座修了後、受講生や地域の人たちに「一緒に図書館で、絵本の読み聞かせをやっていただけませんか?」と呼び掛けたところ、ボランティアにもかかわらず、大勢の人たちが「やりたい!」と言ってくれて。まちのことを思う人や、絵本の読み聞かせに共感してくれる人がこんなにいるだなんて! と、今思い出しても胸がいっぱいになるくらい感動しましたね。

その後、活動の輪は広がり、読み聞かせのボランティアグループ「つくしんぼ」が設立され、もちろん杉本さんも事務局として参加。役場から「つくしんぼ」に事業を委託する形で、絵本にまつわる規模の大きなイベントを少しずつ開催するようになっていきました。

「絵本のまち」のルーツにあるのは、絵本作家との出会い

ある日、「つくしんぼ」のメンバーから、隣町で開催される絵本のイベントに誘われた杉本さん。数々の受賞経験を持つ絵本作家・宮西達也先生が読み聞かせをすると聞き、2つ返事で当日会場へ。すると、集客が難しい立地にもかかわらず、会場は大勢の親子で賑わっていました。

別の日に開催された宮西先生による絵本の読み聞かせの様子。いつも会場が一体となります(写真:有田川町役場)

杉本さん 宮西先生の読み聞かせがとっても面白かったんです。絵本作家さんと直に触れ合えて、子どもだけじゃなく、そのご両親まで本当に楽しそうで。感銘を受けて、「うちのまちでもやりたい!」と思いましたね。

それ以来、イベントには絵本作家さんを積極的に招くようになりました。一流のスポーツ選手から野球やサッカーを教えてもらうことで子どもたちが刺激を受けるように、一流の絵本作家さんに出会うことできっと良い影響になると思っています。

そして、金屋町・吉備町・清水町が合併して有田川町が2006年に発足されることが決定。発表を受け、前年に「金屋文化保健センター図書室」は、現在の「金屋図書館」へ名称を変更。この頃から「金屋図書館」を拠点とした絵本の活動が強まっていきました。

このようにして、有田川町が「絵本のまち」に向けて歩む、ルーツができあがったのです。

「金屋図書館」のプレイルーム。壁に描かれた数々の絵本作家のサインが、この図書館が「絵本のまち」の出発点であることを物語ってます。

線が面となるように、絵本の活動をまちづくりに展開

当初の予算は少なく、絵本作家を招いたイベントを開催できるのは年に1度だけ。しかし、絵本作家たちへ地道に毎年連絡を取りつづけるうちに、つながりは確実に広がっていきました。

そんな時、有田川町役場の幹部から「そのつながりや経験を、まちづくりに活かしてみては?」と一声。それを皮切りに、絵本にまつわる活動にまち全体で力を注ぐようになっていきます。

2009年には、地域のランドマークとして、町営の「有田川地域交流センター ALEC(以下、アレック)」が誕生。子連れの親が平日の日中にくつろげる場所が少ないという地域課題の解消も兼ね、地域住民の憩いの場としてつくられました。

コンセプトは“本のあるカフェ”。図書機能を持ちながら、会話OK・併設のカフェで購入したものなら飲食OK、という全国的にも珍しいスタイルです。約8万冊の所蔵のうち、半数が一般書、半数がコミック誌や雑誌というカジュアルさ。オープンテラスでも読書ができるようにと、盗難防止ゲートをあえて設置していないことにも驚きです。実際に盗難被害はほとんどないそう!

このアレックの開館を受け、2010年に「金屋図書館」は児童書専門の図書館となりました。

会話OKですが、BGMで流れるジャズの効果か、読書に専念している人が多いようです(写真:有田川町役場)

2011年には、まちの玄関口であるJR藤並駅の空き部屋のリニューアル工事により、「ちいさな駅美術館」がつくられました。絵本の原画展を月替わり・入館無料で行い、約2000冊の絵本も所蔵。原画展の世界観に合わせ、ディスプレイや選書を変えるというこだわりようです。

絵本作家によるワークショップやおはなし会も開催し、駅にちなんで原画展記念切符も毎月配布しています。「ちいさな駅美術館」をめがけて来る人も多く、累計で毎月約700名が訪れています。この取材で訪れた時に私も記念切符をいただき、思わず通って集めたくなりました。

この場所は、イタリア語で掲げたコンセプト「Ponte del Sogno(夢の架け橋)」の通り、夢に溢れる絵本の世界と子どもたちをつなぐにとどまらず、親と子、さらには地域の中と外をつなぐ架け橋にもなっているのでしょう。

その月の原画展に合わせて、読書スペースに体重計が置かれたり、入り口に銭湯のようなのれんが掛かったり。

さらに同年より、「有田川町絵本コンクール」をスタート。審査委員長として毎年招かれているのは、あの宮西先生です。審査員も絵本作家や編集に携わるプロぞろい。開催するたびに絵本作家を志す人や出版業界に認知が広がり、今では毎年200作品もの応募が全国から寄せられます。

実は、このコンクールにも「ちいさな駅美術館」と同じコンセプトが付けられています。そこには、絵本作家を目指して奮闘する人々と夢の実現をつなぐだけでなく、子どもたちにその姿を見せることで、子どもたちと将来の夢をつなぐ架け橋に、という思いも込められています。

第8回の絵本コンクールの応募チラシ。歴代の受賞作品は、有田川町のサイト「電子図書館」で誰でも閲覧できます(写真:有田川町役場)

地域のみんなに「絵本のまち」を知ってもらうために

こうして、「絵本のまち」の取り組みは、全国の絵本作家や出版社に広く知れ渡っていきました。絵本で言えば、ここで「めでたしめでたし」と締めくくられてもおかしくないでしょう。しかし、実は、この段階ではまだ「絵本のまち」と断言しがたい課題が残っていたのです。

それは、地域住民における認知の低さ。絵本をテーマとした活動は、小さな子どもとその親に対象が偏りやすく、その他の世帯には活動があまり知られていませんでした。

そこで、2015年以降は、絵本をテーマにしながらも年齢を問わず楽しめるようなイベントや、中学生まで対象を広げた「学校図書支援活動」などを積極的に行っていくことに。

代表的な事例の1つが、休校になった小学校の校舎を用いたイベント「学校のおばけ屋敷」です。『学校ななふしぎ』のイラストを手掛けた絵本作家・山本孝先生の監修のもと、3カ月間かけて準備し、絵本の世界を再現。毎年夏休みに10日間ほど開催し、過去最高3800人が来場しました。

ボランティアとしておばけ役を務めるのは、中学生や高校生と、役場の職員、そして有田川町に暮らす大人たちです。おばけ屋敷の素材には、美容室の練習で使用したマネキンの頭など、まちの店主たちからいただいたものも含まれているのだとか。このように、参加者としてだけでなく、つくる段階から地域の人々を巻き込むことで、活動の認知をより高めていきました。

「学校のおばけ屋敷」は、昨年をもって終了予定でしたが、継続を願う声が多かったため、今年の開催がほぼ確定しているそう!(写真:有田川町役場)

怖くて入れない人のために、ワークショップ「おばけをつくろう!」なども別の教室で行われました(写真:有田川町役場)

もう1つの代表的な事例が、「アレック」で同時開催される3つのイベントです。「有田川町こころとまちを育む読書活動推進条例」で読書月間となっている11月に毎年開催されます。

当日は、飲食や雑貨など地元の約20店舗が出店する「えほんマルシェARIDAGAWA」が、青空のもと来場者を迎えます。館内では、絵本作家たちによるトークイベントやワークショップを行う「えほんdeわっしょい」が繰り広げられます。

2017年には、絵本の展示即売会「絵本ワールド」の誘致も開始。同年に、有田鉄道廃線跡を活かした遊歩道「ポッポみち」のそばにある旧御霊駅の壁をキャンパスに、9人の絵本作家によるライブペイントも行われ、まちは絵本一色に!

これらの同時開催を通じ、コンセプト「絵本が日常になる1日」を実現しようとしています。

「アレック」の庭が、「えほんマルシェ」の会場として賑わいます。2015年には5000人もの人々が来場!(写真:有田川町役場)

「えほんdeわっしょい」では、絵本に登場する小物を自分たちでつくるワークショップなどを実施(写真:有田川町役場)

旧御霊駅の壁に描かれた作品。目の前の「ポッポみち」は普段、通学路やランニングコースになっています。

まちの人々と協力し、絵本が当たり前にある日常をつくる

2017年の春には、有田川町で4つ目となる図書施設「しみず図書室」が完成。さらに、屋外を中心とする公共スペースに「まちかど絵本館」を5カ所設置。地域のカフェや工房などの協力を受け、「まちかど絵本箱」も30カ所設置しています。これらの絵本は、どこで借りて返しても構わず、返却期間もなしという、まちの人々のおおらかさを象徴するような仕組みになっています。

設置店舗の1つである、ログハウスのアジアンカフェ「じょんのび」のオーナー村山淳子さんに、「まちかど絵本箱」があることで実際にどんな影響が起きているのか、お話を伺いました。

結婚を機に有田川町へ移住した村山さん。友人たちの協力を受けつつ、ご夫婦でログハウスをセルフビルドしたそう!

村山さん 小さなお子さんのほとんどが、絵本箱に触れたり、絵本を読んだりしています。本棚を置いてもらって2年経つのですが、子ども連れのお客さんが少し増えました。こんなふうに、子育てについてまちぐるみで考えてくれる地域って、安心して移住できていいですよね。

これからは、例えば、うちの夫が手伝って「三匹の子豚」の童話に登場しそうなワラの家をつくるとか、有田川町で暮らす人たちの得意分野を活かして、子ども大人も絵本の世界に触れられる機会をもっと一緒に増やせたらいいですね。

以前まで「絵本のまち」に対する地域住民の認知の低さが課題でしたが、今では、地域の人たちから「もっと一緒に」という言葉が出るほど。それは、活動の認知だけでなく、なぜ活動をつづけるのかといった思いまで、しっかり浸透しはじめている証拠と言えるのではないでしょうか。

夢を持ち、夢を叶えられる、魅力的な人が多いまちに

約20年間の積み重ねからこれほどまでに広がる「絵本のまち」の活動。しかし、興味深いことに、杉本さんは「目の前にある課題や機会をなんとかしようと精一杯やってきただけ。協力してくださる地域の方々あってこそなので、まちづくりという感覚じゃないんです」と話します。その言葉を聞いて、まちづくりのあるべき姿を示唆されたような気持ちになりました。

それにしても、なぜ杉本さんは、これほどまでに目の前のことに全力で向き合うのでしょうか。そこには、「絵本のまち」の本当の原点ともいえる過去がありました。

杉本さん 実は私、本当は教師になりたかったんです。

講師のまま4年が経った頃、親から「大学を出て、安定した職に就かないだなんて。役場で司書の採用試験があるから受けてみなさい」と言われ、しぶしぶ受けたところ合格して。夢をちゃんと叶えられなかった自分が悔しくて悲しくて。

子どもたちにはこんな思いを絶対させたくないと、最後の授業で生徒たちに「夢を叶えられるように努力してほしい」と涙ながらに伝えました。

だから、今の職業に就いた時、有田川町の子どもたちには夢を叶えられる人に育ってほしいと、強く思ったんです。最初に出会った絵本作家の宮西先生も、相当のご苦労をされて絵本作家という夢を実現されたと知って。それもあって意気投合しました。

絵本を読むことで、夢のきっかけに出会えたり、夢を叶えるにはどれだけの努力が必要かを想像できるようになったり。イベントで絵本の世界を体験することで、絵本の中の夢のような出来事も努力と知識があれば実現できるんだと知ったり。そうやって、夢を持ち、夢を叶えられる、魅力的な人が多いまちになったらいい。そんな思いで活動をつづけています。

旧田殿駅の壁に描かれた絵本作家・長谷川義史先生の作品。まるで、夢いっぱいの有田川町の子どもたちを表現しているようです。

「絵本のまち」の活動が多くの共感を呼んだのは、実体験に基づく、この人生観があったから。きっと杉本さんは、あの日の最後の授業を、まちを1つの教室と見立て、人生をかけて今もつづけているのです。教師という夢を諦めたのではなく、別の形で実現させようする1人の女性のたゆまぬ努力が、有田川町を「絵本のまち」へ導いたといっても過言ではないでしょう。

もし、いつかあなたが、夢について悩んだり迷ったりすることがあったら、絵本のページを記憶から探し出すように、この“最後の授業のつづき”のようなまちづくりの話を思い出してください。あなたの物語がハッピーエンドになることを願っています。